年度末の気ぜわしさに続き年度始の身ぜわしさ、休みがまったくゼロなわけではないが、平日の忙殺を週末も引きずる感じですっかり落ち着かないまま雪がとけ、と思ったらアパートの裏にはまだ残ってたり、まだまだストーブの世話になっていたりするうちに4月が終わった。
やることないより気持ちはラクでありがたい話ではあるという前提で、それは前提で、己の落ち着きどころを保っておかないとやはり、メンタル的によろしくないし、ひいてはアウトプットのクオリティ、そしてインプットのクオリティまで悪化していってしまう。よくないらせん。
焦らず淡々と立て直そう。たまった新聞を過去に遡ってぜんぶ一気に読もうとするんじゃなくて、まずは今朝の新聞を読み終えることから始めるように。取り返すのでなくリズムをつくるように。欲求を見つめて、つとめて冷静に手を動かす。山王の河田ではないのだ。
ところで最寄りの駅のホームから自宅アパートまで徒歩約20分、きのうは自分の高校大学時代の頃などをぼんやりと思い出す日だったので、昨夜の帰途は椎名林檎『無罪モラトリアム』を久しぶりにチョイスしたのだけれど、頭から4曲目までの、1曲1曲と、その流れのすばらしさがいちいち新鮮に迫ってきて全身打ち震えてしまって非常にこまった。うれしい困惑。ああすごい。ええもん聴いた。魂を揺さぶることがしたいわ。
年初の抱負を月次ふりかえる自分メモ。事務的に。
小説1冊+新書1冊=2冊読了。
映画0本+舞台1本(自宅鑑賞)=1本。
通し番号240〜240=0項目。停滞中。
C-1グランプリ提出。
ブログに6,500字+ほか0字=6,500字。目標の1/5。
3月末72.8kg→4月末72.9kg。経過としては悪くない。
意識低め。
よく噛んで食べている。
以上。
suzukishikaです。3回に1回くらいの打率です。
@nifty:デイリーポータルZ:書き出し小説大賞・第18回秀作発表
規定部門で載せていただきました。お題は「無職」。無職にもいろいろある。いろいろあるよね無職。いろいろを、いろいろなふうに書けることが、素敵なことだよね。
年明けに行くつもりが延びに延びて花粉症の季節となってしまった耳鼻科へ。キプレス錠10mgとナゾネックス点鼻液を処方される。連休明けまで分。ふだんの鼻づまりの薬と同じ。この辺のところ、いまいち腑に落ちきっていず、なんだか先生とも話が噛み合わないのだが、気になることが聞きづらいわけでもないし、職場から近くて便利なので今のところ病院を変えるつもりはない。鼻は小さい頃からなので一生のつきあいだろうなあ。実家のそばの耳鼻科の先生、元気かな。当時は若々しいというかバリバリの壮年と思っていたけれど、もしかしてもう老境だったりするのかしら。あわわ。もういちどあなたの診察がうけたいです。
id:hejihoguさんのこの記事と、その先の匿名ダイアリーを読んで。
「好き」だから買う人と「言い訳」しないと買えない人 - 北の大地から送る物欲日記
まあ断捨離とかカシワ的な手ぶら主義なんかがあって、余計なモノを増やす「消費=悪」みたいな気分、わからないではない。もちろん断捨離も手ぶらも、そんなことは言ってないのだけれど、気分として。
いっぽうで「ムダなものこそ人生を豊かにする」みたいなのもありますよね。「豊か」ってのがどうも曖昧で、そりゃ人によるだろうから宿命的に曖昧なんだろうけど、まあ、わかるっちゃわかるがそれほど強いお題目というわけでもない。
31歳の私の場合。「言い訳」の話、けっこう共感できる。コーズマーケティングと呼ばれる手法もそのへんの気分と関わっているのかな?深く考えていませんが。ただ「消費=悪」とまでストレートには感じていなくって、そこはhejihoguさんのご指摘のように、消費全般というよりは「お金の無駄遣い」に罪悪感をおぼえているのかなと思う。「好きなモノ」はあるし、そういうモノを買っている。
ちょうど最近、自分で意識したところなのだけれど、私が買い物をするときに最も躊躇・懊悩するのは「好きなモノ」なのに「自分がそれを使っているイメージができない」ときだ。
服なんかだと試着してみて「似合わん」となればあきらめがつくんだけど、もっぱら文房具とか文房具とか文房具とか、自分が使っているイメージを店頭で追いかけて追いかけて、さんざん粘って、結局は買うのをやめてしまうということが多い。買わずに帰った自室で「プロダクトとして好きなんだけどな」なんてぶつくさひとりごちてみたり。
とはいえこれは世代というよりは、元々があまり買い物が上手くなくて「けちなくせに無駄遣いをよくして自己嫌悪」をたくさん繰り返した、という個人的経験がベースにあるかもしれない。あと、ランニングコストの嵩みそうなものの購入にはかなり躊躇する傾向にはあるが、これはシンプルに「収入の先行きに自信がないから」だろう。
と、私がhejihoguさんの仰るところの若者かどうかはわからないけど。そういえばこんな本も読んだっけな。
約1ヵ月半ぶりの眼科。眼と下瞼の間にピロピロとした紙をはさんでドライアイの検査。まばたきしばたき。5分待って涙が何ミリ染みてるかを見るプリミティブな方式。前回は改善していたのに今回はまた大きく悪化。なんでやねん最近は職場もエアコンついてないし乾燥してないはずなのに、てゆうかこの検査ほんとうに正確なんかいな。まあ、朝から夜中までパソコンと向き合う毎日なので心当たりはありまくり。いつものようにやさしいおばあちゃん先生のお話をお聞きしつつ、ティアバランスを処方される。そろそろ札幌も花粉症の季節がやってくるので(私はシラカバ)、その旨を伝え、昨年と同じルゲオンを処方される。まずはルゲオンをさして、5分待ってからティアバランスをさすように指導される。ルゲオンの使用は、症状が出始めてからでよいとのこと。耳も鼻もあまりよいほうではないから、眼は大切にしよう。近いうちに耳鼻科へも行こう。
コツコツと遊ばせていただいております、デイリーポータルZの「書き出し小説」。このまえ入選したものが、めでたく3月月間賞をいただきました。ありがとうございます。
@nifty:デイリーポータルZ:書き出し小説大賞・第16回秀作発表
(ページ後半から審査がはじまります)
教壇目線になったとたんに恋愛がシムシティのように見えてくるのが発見でした。そういうラブプラスやりたいです。繁殖ゲームみたいですね。(林雄司)
教師を主人公というより観察者にしたところがいい。朝礼台目線の校長ドラマも読んでみたい。(天久聖一)
「目線」のことを意識して書いたもの(むしろそれだけ)だったのでうれしかった。冒頭の短文ということで、なおさら。以前読んだ、広告コピーに関する渡辺潤平さんのコメントにも「視覚化できる言葉」とあったし、ビジュアルとしてイメージを喚起できる言葉は、やはり強く印象に残るものなんだなあ、と再認識したと同時に、言葉の芸だからこそ「実際の視覚化は不可能なんだけど読み手の脳みそを刺激する、わけわかんなくておもしろいもの」にもトライしたいなあと思う。前に読んだスティーヴン・ミルハウザーは、そんな感じだったなあ。
4月に変わった途端に春靴だの春服だのを頻繁に見かけるようになって、たしかに月曜かつ新年度でキリもよかったし、ここ最近は天気も悪くなくて車道だけでなく歩道の厚い雪というか氷も融けはじめてアスファルトが乾いているところすらあるほどだから、わからないではないけれど、とはいえ気温は夜には氷点下かそれ近くなるわけだから時期尚早じゃないの?みんな冷静になろうここは北海道だよ?と悩みつつも、その気持ちはよくわかる。そして私も上着を冬物から変えた。
冬に履かなかったブーツを久し振りに履いてみたらソールの爪先近くがちょい剥がれ気味だったのに出先で気づき、慎重に帰宅した。乾いたら砂利を払って、接着しなければなるまい。きょう「パンプスを履きたい」という冗談を言ったのだけれど、パンプスって元々は紳士靴だったんじゃなかったでしたっけ?もしくは性差のない。調べないけど。
大きくない道路は相変わらず厚い雪というか氷に覆われており、巨大な水たまりができていたりとまことにお足下のお悪い中状態であるわけで、春になるという高揚感でなんとかプラマイゼロになってるから気づかれにくいだけの非常に憂鬱な季節の変わり目なのだけれど、この時期は大好物のコレがあるので、それだけは楽しい。ばこっ。
岩波文庫。風呂場で。
マンガのほうを楽しく読んでいる(単行本派)のと、灘高の国語の授業だっけ?というぐらいの前知識で。
女々しさ満点ボーイのボンボン物語。特に序盤、100ページ近くまで、えらくいらいらしながら、もうやめたろかしらん、と、その退屈さに何度も心が折れそうになったが、なんか突然あれよあれよと展開し、そこからはするすると読めた。慣れなのか名文なのかはわからん。キラキラとした子どもの感覚。「よつばと!」みたいなもんか。違うか。
中盤以降は思春期に少年から大人に変わって顔も脂ぎってきた感じなのに胸の中の繊細な機微を持て余し転がしているような、文学を志すような昔の人たちは共感するだろうねという印象。
岩がちの海岸からところどころに魚の背鰭のようにぎざぎざな岩礁が沖のほうまでつきでて、道を堰かれた波が海坊主の頭みたいに円くもりあがってはさっと砕けてしぶきを飛ばす。路がひとうねりするたんびに岸が小さく狭く彎入し低い波が時をおいては ざぶーん、ざぶーん とうちよせる。それをきくと自然に胸がせまって折角泣きやんだ涙がまたことbれだす。ひとつの波が ざぶーん と砕けて、じーっ と泡がきえて、まあよかった と思うまもなくつぎの波が ざぶーん と砕ける。
(P155)
独特のリズム。ここだけではないが、全角スペースの使い方が面白い。
そこへゆくと私はどういうわけか舌の根に苦味をおぼえて圧しつけられるような気もちになるのであった。
(P160)
舌の苦味への共感。私は根ではなく先で感じるが。
そんなにしてるうちにふと気がついたらいつのまにかおなじ花壇のなかに姉様が立っていた。月も花もなくなってしまった。
(P203)
シンプルで美しいジャンプ。
あと、抜き出しての引用ができないのだけれど、地の文に「恋人」と突然放り込むまでのじわじわとした持っていきかた、そして放り込みかたの鮮やかさが秀逸で、湯船のなか全裸で身もだえする31歳男であった。
直接は関係ないけどあわせて読んだ。
新潮文庫。
さいきん、BS-TBSの「おんな酒場放浪記」が好きだ。特に倉本康子さんのファンです。土曜の夜にこの番組を見ることができた日は、家飲みもまたうまいわけで。ちなみに本家、吉田類さんのほうの番組は見たことがないです。平日のその時間には見られないからです。そもそも倉本康子さんみたいな女性が酔っ払うから楽しいわけです。うまい食い物もたっぷりおすそわけされるわけです。おっさんと飲みたいと誰が思うか!間に合ってます!
そんなプチ居酒屋熱の勢いで本書。こちらのほぼ日の記事に影響されて。別に吉田類さんに恨みがあるわけではまったくありません。
うまい酒とうまい肴について、そしてなにより「居酒屋」について、愛情たっぷりな描写が続く。個別具体的な知識もいろいろと得られて楽しい。全体を通じ、マインド的な主張も少なくなく、そこまで男、男おっしゃらんでもよろしかろうとそこだけは少々辟易するが、著者は自分の父親と同世代ということで納得。
本書の主眼がそうだからでもあるが、「独りで行きたい」という気持ちが強くわきおこってくる。
一人酒の良いところは、黙っていられるからだ。注文以外ひと言も発しないでいい。たとえ家の中でも、ずーっと黙りっ放しはなかなかできないものだ。これは人それぞれで、一人で食事したり酒飲んだりは考えられず、十分間黙っていられない、という人はいるだろうから一概には言えないが、嫌でも口を開かねばならぬのが社会生活や人間関係であれば、たまにいくらでも黙っていられるというのはなかなか快感である。
居酒屋ではそれができる。しかも酒もあり、好きな肴まである。私が居酒屋の一人酒を好きなのは黙っていられるからである。
「私と話したくないから居酒屋行くの」と言われると、違うとは言い切れないが、仲が悪いわけではない。
私は、男は、いやもちろん女もそうだけれど時々一人になる時を持つ事は大切と思う。会社も友人も家族も、すべてのしがらみから離れ、一人でぼんやりする。何か考えても良いが、考えなくてもよい。一人になったら昼寝に限るという人もいるだろうが、昼寝ばかりが人生でもあるまい。
(P13-14)
なんかもう、ここにいろいろ集約されてるな。今後の私の人生に強く影響を与えるだろう一節である。
入口脇の机にひじをのせ横座りで通りを眺めながらビールを飲んだ。そろそろ夕餉の買物に出てきた母ちゃん、婆ちゃん、走りまわる子供。「えーい持ってけ、大まけだ」と商売に精出す親父、兄さん、おっ母さんを見ながら一杯やるのはなんともよい気分だ。忙しい時は私も、と前掛けのお婆ちゃんもかいがいしく手伝っているのは宝物のような眺めだ。
(P92)
きっとずっと希求し続けるんだろう(そしてそう簡単には出会えないんだろう)描写。
ちびりちびりと読み進めていた本書を仙台出張に向かう飛行機および眠れない宿で読了。文化横町の「源氏」、通り掛かりはしたが行けなかった。無念。
自宅鑑賞。
デーハー。演劇的なキメが多くて、これは劇場で観たかったかも。
時代物で時々笑えて殺陣もありで、どうしてもこの方向は新感線という今もトップを走り続ける巨人が既にいて、別物だとは頭ではわかっていながらも心のどこかで比べてしまう。のだが、同時に私の中には、普段は意識しないがたしかに「TEAM NACSに対する内在化された贔屓目」が存在し、それでもってすべてはオッケーになってしまう。不思議だ。