商売道具と職業選択

大学時代は「芸術学研究室」なるところに所属しており、卒業論文は演劇についてだった。たいへんそうな卒論も好きな演劇についてだったら粘りながら書くことができそうといういささか逃げ腰な理由でもあったのだけれど、同時に「卒論を大義名分に演劇を観に行くことができる」という点が大きな魅力だった。自分のバイト代でチケットを買い自分の時間を割くのだから別に誰に言い訳する必要もなかったのだけれど、その大義名分は改めて私を大いに劇場へと駆り立てた。


商売道具というものが好きだ。どんなものが商売道具なのかは業種によって様々で、有形の場合もあれば無形の場合もある。「この身ひとつが商売道具」もかっこいいし個人的には憧れるけれど、仕事によってはそうもいかない。たとえば楽器奏者にとっての楽器はまさしく不可欠・不可分な商売道具のひとつであるし、私は「のだめカンタービレ」に登場するオーボエ奏者の黒木君がせっせとリードを作るくだりなど、非常にぐっと来る。


さて元来、私は文房具が好きだ。大好きだ。そして、縁あって私は2度の転職を経て、現在コピーライティングを生業とし幸せに働いている。コピーライターである私にとって、文房具は大切な商売道具になった。結果的に私は「商売道具としての文房具に大いにかまける大義名分」を得てしまったことになる。
文房具が好きなこととコピーライターになりたかったこと、それなりにそれぞれに個別の理由や経緯を述べることはできる。これらがつながったのはあくまで結果論であり、ただの偶然といってもいい。そう思っていた。
けれど「これって偶然じゃないんじゃないか」という思いつきが頭をよぎったのである。


ひょっとして私は「文房具を商売道具にしたかったからコピーライターになりたかった」のではないか。そして今、幸運にも幸福に勤労できているのは「文房具を商売道具にできているから」なのではないか。


もしこれが真実ならば本末転倒な気がしないでもないけれど、楽しいんだからこれでいいのかもしれない。自分自身の職業選択に、いちいち美しい理由などなくていいのだ。いいのである。
自分の仕事というものについて振り返りながら、ふとこんな感じで自由に考えてみてもいいのかなと思った年度末の某日。で、そのうえで、もりもりとがんばる。


長らく眠らせていたLAMY scribble 3.15mmペンシルを仕事に一軍起用中。しばらくは働きぶりを様子見の試用期間。はたして商売道具となってくれるか。