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Svelandski氏の秘められた日記

2018-08-26 「何故だろう」と思ふこと

svelandski2018-08-26

日 旧暦 7 月 16 日 仏滅 庚寅 四緑木星 満月 Östen V34 25400 日目

何事につけ、「何故だろう」と思ふことは大事なことと思ふ。でも、例へば「山のてっぺんを頂上といふ」といふ定義が示された後で、「何故山のてっぺんを頂上といふのだろう」と問ふてみてもあまり意味がない。高校の時の物理の時間に f = ma といふ公式を教はった。それを言葉で説明すれば「加速度の原因を力といふ」となる。これも力の定義を説明してゐるだけなので、なぜ、f = ma になるのかと言ってみても始まらない。りんごの実を枝から切り離すと、りんごの実はその位置に留まらずに下に向かって落ちて行く。それも最初はゆっくり、次第に速くなって落ちて行く。りんごの実にしてみれば加速度を感じたのであり、それは力を受けたからであると解釈する。物理学では力をその様に定義するので、日常会話で、「あの人は力がある」といふ時の「力」とは区別する。でも、万有引力の法則で、「二つの物体に働く力はその質量の積に比例し、距離の二乗に反比例する」と言はれると、「何故だろう」と思ふ。高校時代の物理の先生は「物理学はどの様に力が作用するかを説明する学問であって、何故そんな力が作用するかには答へない」と言はれて(昔の話なので僕の記憶違ひかもしれない)ずっと気になってゐたのだが、アインシュタインによれば重力は空間の歪みによることで説明されてしまふことが後年わかった。何事につけても「何故だろう」と問ひを発した時、「それはさういふものであるから、それ以上は説明のしようがないだろう」と答へられてしまふと、そんなものかなと思ってしまふ。物理学には、「さういふものですよ」と押し付けられる原理が多すぎるのではないか。「何故光速度一定であるのか」「何故エントロピーは増大するのか」「何故宇宙は限りなく膨張するのか」「何故ミクロの世界では位置と運動量を正確に示すことができないのか」などなど。これらの原理は、バラバラに成り立つ様に見えるが、僕らにはわからない、より根源的なひとつの原理から導き出される様々な現象の側面に過ぎないことはないのかと時々思ふ。

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2018-08-25 孫の子守

svelandski2018-08-25

土 旧暦 7 月 15 日 先負 己丑 五黄土星 Lovisa Louise V34 25399 日目

自動車で Stockholm へ行った。町では行事がある様で、道路はいつもより混んでゐた。孫はだいぶ色々なことが分かる様になったので見てゐると楽しい。例へば靴を履かせてもらふ時、すぐ近くのベンチを叩いてまづここへ座らせろと手で示す。トイレの照明のスイッチを自分で消したりもする。おしゃべりはまだだが、会ふたびに少しづつ進歩の様子が見えて、楽しいものである。

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2018-08-24 グローバル化の時代

svelandski2018-08-24

金 旧暦 7 月 14 日 友引 戊子 六白金星 Bartolomeus V34 25398 日目

終戦直後の日本では概して皆が貧しかった。食糧難で闇市が公然と行はれた。法律を守って闇市を利用せず、ついに餓死した立派な裁判官も居たが、大抵の人たちは生きるために闇市を利用した。貧しい人たちの間にはお互ひに協力し合ふ雰囲気もあったと思ふ。生活が豊かになるにつれて、はじめのうちこそ皆が歩調を合はせる様に所得が伸びたが、次第にその差が大きくなった。今では格差が大きくなりすぎて大きな社会問題になってゐる。誰も自分のことで精一杯で周囲に目を向けない。でも大災害が起きると、その現場では助け合ひの精神が戻って来る様に感じられる。世界の国々の中には、この災害後の現場に似た状況が定常的に続く国があるんだと思ふ。その様な国では多分政府に頼ったりできないので、自分たちで生きる糧を見つけるしかない。僕らから見たら犯罪としか思はれない行為でもやってしまふことがありうる。今はどうか知らないが、ソマリア沖の海賊出没が騒がれた時も背景にはこれに近い状況があったのではないかと思ふ。そんな国では少しでもお金のある人は他の人に施すことが当然の価値観の社会になる。豊かな国の船舶を略奪したとて罪悪感はないかもしれない。グローバル化が進めば、色々な国の人たちと接する機会が増える。知らない人に接する時は自分の育った環境とは全く違ふ価値観で育った人である可能性があることをチラッと思って見ることも大事かなと思ふ。価値観の違ひは日本人同士の間にもよくあると思ふが、小さな違ひに過剰に反応してゐてはより大きな違ひに遭遇した時、対処できなくなると思ふ。

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2018-08-23 拡張と収縮

svelandski2018-08-23

木 旧暦 7 月 13 日 先勝 丁亥 七赤金星 処暑 Signe Signhild V34 25397 日目

戦後の日本は焼け野原から出発し、人々は貧困から這ひ上がった。そんな子供時代を過ごした僕らには外国とは本当に遠いところであった。1ドル360円とか固定されてゐて、外国へ行くにも大変なお金がかかる時代であった。ところが大正時代とか昭和初期の頃までの日本人は、航空機が未発達であったにも拘はず、予想以上に外国へ出てゐた様に見受けられる。もちろん限られた人たちではあったのだらうが、それでも僕らが子供時代に感じたほどには外国は遠くなかった時代があったのではないかと言ふ気がする。人が外国へ出て行く時期を拡張期と呼び、出ていかない時期を収縮期と呼ぶなら、明治時代近代国家として出発した日本は一様に拡張したのではなくて収縮期があった。拡張期とは即ちグローバル化の時代であるとも言へる。嘉永6年に黒船が開国を求めて日本にやって来た時、日本人の様子を観察したペリー提督は、「この国に開国を迫ることは本当にこの国のためになることだらうか」と個人的な感慨を持ったことを何かの本で読んだ記憶があるが、その感慨は今尚、グローバル化の是非を問ふ課題でもある。昨今の世界各地に見られるポピュリズム民族主義の台頭もまた、拡張一方であってはいけないと言ふある種のバランス感覚の発露であるかもしれない。

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2018-08-22 Kullbergska sjukhuset

svelandski2018-08-22

水 旧暦 7 月 12 日 赤口 丙戌 八白土星 Henrietta Henrika V34 25396 日目

僕の住む Södermanland 県には、日本風に言へば「県立病院」が3都市にある。Katrineholm, Eskilstuna, Nyköping の3都市。実際はこの他に Regionssjukhuset があり、それを入れると4病院になる。病院のことを sjukhus と言ったり、Lasarett と言ったりする。sjukhus の方が規模が大きいのかもしれない。僕は Nyköping 市民なので最寄りの Nyköpings Lasarett にだけ行けば良いかといふとさうではなくて、検査の種類によって行く病院が決まる。それも日本の様に外来受付窓口があるわけではないので、病院で診てもらふ必要ありと認められた人のみに郵便が届いて、検査に行くべき日時が指定される。僕は今日、その郵便を持って Katrineholm の病院まで行って来た。検査と言っても超音波でお腹を探られるだけのものであった。日本ではちょっとした病院であればその程度の設備を有してゐるが、ともかくその検査を受けるために行って来た。ちょっとした田舎道のドライブであるので、同居人も一緒について来た。やや遠足気分である。運転は僕がするが、同居人には地図を見てもらふ。ナビゲーターがあるから、どう行けば良いかはわかるのだが、補助席に座って今どの辺を走ってゐるか地図上で確認できるかどうかが、コンピューターを使はない脳トレのひとつである。病院に入ると、階段の踊り場などには大きな絵がかけられてゐてさながら美術館の様でもある。待合室でも人は殆どゐなかった。無人の受付では患者が到着したことを大きなモニターに入力するだけである。お帰りの会計窓口も処方箋窓口もない。後日郵便で請求書が届くのでネットで支払ひするのである。薬が必要な場合は薬局へ行って身分証明書を見せるだけで必要な薬が出る。徹底した合理化である。検査の正味時間は30分程度であったが、かれこれ半日以上を費やして、今日の行事は無事終了した。

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