+ C amp 4 +

  

   去る09年7月16日のトムラウシ山での遭難事故で亡くなられた方へ心よりご冥福をお祈りいたします。
    はじめてご訪問の方はこちら(自己紹介および投稿リスト等)をご覧ください。

2009-08-11

[]大雪山遭難事故当日の事実経過について(アミューズトラベルの認識)

あの日からもう三週間もたつのですね。

私の心はいまだにあの岩だらけの登山道をさまよっているかのようです。

さて、最近までずいぶんお世話になった事故の考察サイトの北海道大雪山系 トムラウシ山 大量遭難を考える。 今回の事故について戸田新介様のご意見 と 幾つかのご回答 | 甲 武 相 山 の 旅

に、8月7日付のアミューズトラベル発信のFAXが添付されています。これは恐らく生還者の戸田さんに送付されたものを上記ウェブサイトにリークしたもののようです。

全文スキャンデータはこちら(ただしこれでオリジナルの全文なのかどうかは不明。文章が尻切れトンボな印象。)。

http://subeight.files.wordpress.com/2009/07/tomuraushi0716.jpg?w=600&h=1283

ここには、生存者およびガイドに聞き取りした公式見解としての事故経過が記されています。

恐らくツアー参加者および遺族向けに流したものでしょう。

この文書から読み取れるのは、松本さんの目撃談および主観、斐品さんが目撃した内容、そして多田ガイド(あるいは野首さんの目撃内容とも照らしたかもわかりません)です。またこれまでほとんど報道されることのなかったビバークした人たちの様子が記されています。

この文書は、会社関係者が上記の証言者からの聞き書きを再構成した体裁のようにみえます。しかしながら、これらの認識がどの証言により構成されているかのアナウンスがありませんので、これも推測でしかありません。ただし、戸田さんの証言(幾多の報道およびSub Eight証言)が反映されていないことは確かのようです。

この文書は戸田証言との一部事実の認識の違いを際立たせている箇所があります(とくに時間に関して)。

これもまた、事実経過に対するひとつの史観として参考に値する文書といえます。

ちょっと長いのですが転載したうえで、コメントしようと思います。

率直に言って、戸田証言では北沼で1時間半も待たされていたことになっていたので、その空白部分の解明が今後の課題だったのですが、この文書でいろいろな謎が少し氷解してきました。

しかしながら、同時に事故を起こした会社が発表する事実認識として、FAX三枚弱のこの内容は、報道で明らかになった事実(特に全体的として時刻の記述および松本ガイドの行動)についてさえも記述が乏しく、あまりにも不十分です。また今回のFAX送付にあたり、戸田証言はどうして採用されなかったのか、そのあたりも釈明が必要ではないでしょうか。

参考:生還者戸田新介さんとの一問一答

トムラウシ山の遭難事故の経過について

◎本件事故のご報告(本年8月7日時点における弊社の認識内容)

1.事故の概要

平成21年7月16日(木)弊社アミューズトラベル主催の登山ツアー「旭岳からトムラウシ山縦走」が開始された4日目、ツアー客15名と弊社ガイド3名の全員がヒサゴ沼避難小屋を出発し、北沼分岐を渡渉の後、前トム平に至る間に激しい風雨にさらされ、低体温症のためガイド1名、ご参加者7名が凍死する大量遭難となってしった事故です。最愛のご家族を亡くされたご遺族の皆様並びにご参加者の皆様に改めて心からお詫び申し上げる次第です。

2.事故発生までの行動
7月13日(月)各地ー千歳ー旭岳温泉

13時30分頃、新千歳空港でお客様と弊社ガイドが合流し出発、バスの中でガイドの多田は「アウトドア用品店アルペンにてガスを買うのでお客様も何か買うものがあれば」とご案内。バスの中での説明は多田からは行程の説明、同じくガイドの吉川より東大雪荘に郵送する荷物のご案内をする。途中、コンビニに立ち寄り行動食の買い出しをご案内。旭岳温泉白樺荘に17時前に到着。夕食時、吉川より翌日の行程につきご案内をする。食事後、部屋にてガイド3名に加えてポーター役のペンバの4名にて共同装備の仕分けをする。松本は4人用テント2張と銀マット7枚、ペンバは10人用テント1張、多田は大鍋とガスヘッド2個とガス、吉川は小鍋とした。テレビの天気予報では翌日の天候は良いが、15,16日は崩れるとの予報。

7月14日(火)旭岳温泉ー旭岳ー白雲岳避難小屋

午前5時50分に予定通り宿を出発し、旭岳ロープウェイにて姿見駅に到着。降雨は無いが風が強くガスがかかる。体操をして出発、旭岳山頂近くになり、ガスが晴れ、風も弱まった。白雲岳登頂後、白雲岳避難小屋へ、ガイドたちはお湯を沸かして各自夕食を済ませてもらう。多田は携帯の天気サイトで上川地方の天気図を確認、翌日午後に寒冷前線が通過し、雷の心配があるので出発時間を30分早めるようにと提言。

7月15日(水)白雲岳避難小屋ーヒサゴ沼避難小屋

5時過ぎに出発。風はないが朝から雨。登山道には泥や水溜りが多く、水を選んで歩くので時間がかかる。歩くペースは遅いが、休憩時間を短めにしたので15時前頃にはヒサゴ沼避難小屋に到着。小屋は当ツアー関係者19名と他に6名の登山パーティとご夫婦1組が宿泊。ガイドがお湯を沸かし各自で夕食を済ませてもらう。翌日の天気について前日の天気予報から、多田は午前中までは崩れるが午後からは大丈夫と予想。

3.事故当日の行動について
7月16日(木)ヒサゴ沼避難小屋ー北沼分岐ー前トム平

雪渓上で風に曝されることを避けるため出発を30分遅らせ、午前5時30分に出発。雪渓があるのでアイゼンを装着。ペンバとは雪渓上部で別れ、岩場を通過し稜線に出る。風は強かったが登山道は昨日程水浸しではない。天沼手前と天沼付近で休憩。さらに日本庭園付近で休憩していると同じ山小屋にいた6人パーティが追い抜いて行く。

ロックガーデンに出ると物凄い風となった(松本談)。この頃からお客様の歩行状態にばらつきがでる。北沼分岐手前において北沼からの流水が氾濫して幅2mほどの川になる。膝下くらいの流れの中で多田と松本がお客様をサポートして対岸に渡す。松本はお客様がふらついた拍子に転倒し全身を濡らす。渡渉後に川角様がぐったりした様子だったので松本が介抱する。暖かい紅茶を飲ませたが、目を閉じたので大きな声をかけて励ます。ここでお客様の中から、「これは遭難だから早く救助を要請してくれ」などとガイドに対する申し出があった。渡渉と川角様の介護で他のメンバーも時間にして30分は行動を停滞させた。多田は、川角様と吉川、松本を残して本隊と歩き始めたが、雪渓手前で人数を確認すると2名足りなくて最後尾は松本だった。松本に、少し先に風をしのげる場所があるので本隊はそこで待つように指示して、多田は北沼分岐に戻ると植原様と石原様が残っていた。一人ずつ交互に背負って何度かピストンして雪渓を登りきると、市川様と市川様を介護している野首様がいた。多田は、雪渓上部の2,3分先で待っていた本隊に追いつき、行動不能の人はビバークし、松本は動けるお客様10人を連れて下山するよう指示する。又、同所の少し先にトムラウシ分岐があるので下山方向を間違わないように、同分岐で10人を連れて下山するようにとも指示した。松本は歩き出し、ゆっくりとしたペースでトムラウシ分岐に15〜20分程度で到着したが、点呼したら8名しかいなかった。当時の松本は前述の転倒で極限状態にあり2名を探しに行く精神力も体力も残されていなかった。松本は8名のお客様にこの道標に向かって下山してくださいと伝えて、救助の電話をする一心だけで歩き始めた。前トム平を少し下った所で前田様が電波が通じると言ったので110番してくださいと頼んだ。警察には4名以上自力で下山できないので救助を要請します(15時54分)と話したが、後はよく覚えていない。電話がすみ、先に下山するように伝える。意識が戻ったのは病院だった。

トムラウシ分岐の少し手前で後れた2人は木村様と斐品様で、松本が先頭で歩き始めてトムラウシ分岐手前5分の所で木村様がふらつき、斐品様は木村様を介護したが木村様は意識をなくした。斐品様が、下山を続けるとさらに動けない状態の味田様と竹内様を見つける。2人を必死に介護するがその甲斐なく意識をなくされたのでその場を離れる(13時40分)。斐品様がさらに下山すると真鍋様とシュラフに包まれた岡様と出会う。真鍋様は元気な様子だったが、この場所を離れたくないと話され、無理強いはせずに下山を続ける。

一方、多田は歩けないお客様の所へ戻り、唯一行動に支障のない野首様に手伝ってもらいツエルトの中に動けない3人を入れて体をさすり保温に努めた。多田はさらに救助要請のために携帯の電波が届く場所を探し南沼キャンプ地方面へ歩く。16時49分にメールを送信する。その先少し歩くと木村様が一人うずくまっていた。その先に青いビニールシートの塊があり、中にテント、毛布、ガスコンロを見つける。木村様に毛布をかけ、ビバーク地点へ戻る。野首様に手伝っていただきテントを立てお湯を沸かす。しかし、植原様の意識がなくなる。市川様には体温が伝わるように抱きかかえた。飲料水が少なくなったので南沼方面に再度行き、携帯で電話して19時10分に本社松下と警察と話す。テントに戻ると市川様の意識はなかった。

アミューズ見解についてのコメント

これまでの報道と戸田さんや前田さんを中心とした生還者の証言から強く推認していた事実の一部が崩れました。別段、驚くべきことではありません。

5点ほどあります。

まず第一に、最初の故障者

最初の故障者は、戸田新証言から、初日から体調を崩していた植原さんと推認していましたがこれは誤りで川角さんのようです。したがって第二ビバーク地に滞在していたのは、多田ガイド、野首さん、石原さん、植原さん、市川さんということのようです。また、ビバーク決定時に、テントを張ったという事実はありませんでした。少なくとも3人をどうにか収容できるツエルトの設営だったようです。

そもそも初期報道では、

ガイド3人が協議し、死亡した吉川寛さん(61)=広島県廿日市市=と多田学央さん(32)が、客5人とテントを張って残ることを決断。多田さんは松本仁さん(38)に「10人を下まで連れて行ってくれ」と頼んだ。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/disaster/090723/dst0907231350013-n2.htm

とありましたが、これは会社の説明によると、テントという報道は誤りということになります。

また、3名が協議したかどうか(どこで協議したのかを含めて)は会社側発表からはうかがい知れません。

第二ビバークに使用されたテント

第二点目として、第二ビバーク地点で張られたコールマンの大型テントはパーティが持参していたものと認識していましたが、南沼キャン地に残置してあった他人のものを拾ってきたことが明らかになりました。また、幕営時刻も、少なくとも16時49分のメール送信後であることがわかりました。

それまでは3名ないし4名でツエルトにくるまっていた可能性があります。

会社側文書によれば、野首さんはご自身の体調に異常がないにもかかわらず仲間のためにビバークし、多田ガイドの補佐に回る決断をしているように伺えます。

ツエルトのサイズがわかりません。しかし、初日仕分けした共同装備リストにない装備です。多田ガイドが個人装備としてもっていたとすれば、五人収容できるものであったかどうかは疑問が残ります。

第二ビバークに使用されたツエルト

第三点目として、この文書からは第一ビバーク組にあてがわれたツエルト等の記載がありません。

それどころか、川角さんが倒れて吉川さんが居残ることになった時点でぷっつり情報が途絶えています。これまでは、野首さん所有のツエルトを第一ビバーク組に貸与したと推認していましたが、この事実について、会社の認識が不明となりました。この点をもう少し解明する必要があります。

遭難時刻

第四に、出発時刻について。

斐品さんは、13時40分に味田さんと竹内さんを発見したとされています。味田さんと竹内さんの遭難地点は前トム平とされていますので、これは戸田証言の出発時刻13時30分頃とは大きく食い違う事実です。戸田さんは時刻についてはたびたび修正し自信のない発言をしていますので、さしあたり両者の証言を合成した推理をしてみます。

また、戸田さんが「遭難と認めて救助を要請してくれ」と申し出た時点から30分の停滞とありますので、会社側としては、北沼渡渉した30分後に16名が出発したという認識になります。

すなわち第一ビバーク地からの出発時刻は、戸田証言の11時北沼横断とすると、11時30分となります。

戸田証言にある1時間半の空白は次のように解釈できそうです。

11時半に出発直後、2名が脱落したので、また隊列をとめた。多田ガイドは2名を背負って雪渓(登り)

を往復した。雪渓の対処が終わると市川さんが脱落していた。ここで多田ガイドは、第二ビバークの決断をし、10名を下山させる指示を松本ガイドに出します。戸田証言でいう待たされた時間というのは、多田ガイドが2名を背負って雪渓を登っていた時間だったのです。

松本ガイドに下山の指示を出した時刻は残念ながら不明のままです(大変残念ながら)。しかし、斐品さんのご記憶によれば13時40分には前トム平付近に到着していることになり、味田さん竹内さんがトムラウシ分岐を出発した時刻は、少なくとも1時間以上はさかのぼって12時20〜30分前後ごろとみるべきでしょう。つまり多田ガイドが石原さんと植原さんを背負って風の弱いところまで運ぶのに要した時間は約1時間と推定されます。そうすると、前述の30分とあわせて合計90分。戸田さんの1時間半待たされたという記憶と合致してきます。(ただ、この雪渓対処の時間は、もう少し少なめに見積もってもいいかもしれません)

(追記:遭難時刻については、斐品さん前トム平着が早すぎる印象。なので再検討します。8月11日)

天気判断の根拠

最後に、天候判断について。

当初、私は何の根拠もなく、当日の朝の天候も悪く、念のためラジオ発表を聞くために、30分間、出発の時間を遅らせたのではないかと勝手に想像していましたが、30分出発時刻をずらしたのは、雪渓での強風を心配したためでした。会社側発表によれば、前日の夕刻の予報をもとに16日の天候を判断した疑いがあります。これは多田くんが正直に証言したものと思われます。


そのほか浮かび上がってきた事実

雪渓の存在

北沼渡渉後に雪渓が出てくるとは。。たぶんほんのわずかの解け残りでしょう。

最終日の共同装備の大半を小屋に残置した疑いがあること

遭難パーティのうち少なくとも多田ガイドと吉川ガイドは、事故当日、コンロもテントも持っていなかった疑いがあります。残るは松本ガイドだが可能性は低いだろう。


どこでどの時点で誰がどのように行動できなくなったのか
・最初の故障者:川角さん(吉川ガイドとツエルトビバーク)

故障者目撃時の様子:渡渉後ぐったりする。お茶を飲ますも目を閉じる。

推定遭難場所1:北沼の渡渉後すぐの地点(北沼分岐手前)

推定遭難時刻:11時ごろ(ソース:戸田証言19加味)

推定ビバーク地:遭難場所1付近

推定原因:激しい風雨の連続行動(5時間30分)+膝下の渡渉

・2、3人目の故障者:植原さんと石原さん(多田ガイド+野首さんとビバーク)

故障者目撃時の様子:自力の行動不能。

推定遭難場所2:上記遭難場所1付近

推定遭難時刻:11時30分ごろ(ソース:会社発表+戸田証言19加味)

推定ビバーク地:北沼分岐の少し先(遭難場所1より雪渓を越えて先に進んだ地点 12時20〜30分頃ビバーク開始)

推定原因:激しい風雨の連続行動(5時間30分)+膝下の渡渉+30分間の待機による体力消耗

・4人目の故障者:市川さん(多田ガイド+野首さんとビバーク)

故障者目撃時の様子:行動不能(野首さんが付き添う)

推定遭難場所3:北沼分岐の少し先(雪渓を登りきった地点)

推定遭難時刻:12時20〜30分ごろ(ソース:斐品さんの行動から逆算してスワン推定)要再検討

推定ビバーク地:北沼分岐の少し先

推定原因:激しい風雨の連続行動(5時間30分)+膝下の渡渉+30分間の待機による体力消耗+1時間の現場待機による体力消耗

・5人目の故障者:木村さん(17時ごろより単独毛布ビバーク)

故障者目撃時の様子:歩行中にふらつく。斐品さんが介護するが意識を失う(12時50分ごろ)。16時50分過ぎにうずくまっているところを多田ガイドにより再発見され、毛布をかけられる。

推定遭難場所4:トムラウシ分岐まで約5分ほど手前の地点(南沼付近)

推定遭難時刻:12時30〜50分ごろ(ソース:斐品さんの行動から逆算してスワン推定)要再検討

推定原因:激しい風雨の連続行動(5時間30分)+膝下の渡渉+30分間の待機による体力消耗+1時間の現場待機による体力消耗+疲労α

・6、7人目の故障者:味田さん、竹内さん(ビバーク状態不明)

故障者目撃時の様子:斐品山発見時は動けない状態。斐品さんが介護するも13時40分ごろまでに意識を失う。時間的に少し前に長田さんと戸田さんが雪渓のサポートした形跡あり(サンケイ報道)。

推定遭難場所5:前トム平手前か前トム平付近(正確な場所は不明)

推定遭難時刻:13時40分より前(戸田さん、長田さん通過時)要再検討

・8人目の故障者:岡さん(真鍋さんに付き添われシュラフビバーク)

故障者目撃時の様子:真鍋さんに付き添われシュラフに包まっている(斐品さん証言)。サンケイ報道によれば長田さん戸田さん通過時点では「介抱していた」と表現されており、まだシュラフは登場していない模様。

推定遭難場所6:前トム平付近(正確な場所は不明)

推定遭難時刻:13時40分より後(ソース:会社発表)要再検討

推定原因:激しい風雨の連続行動(5時間30分)+膝下の渡渉+30分間の待機による体力消耗+1時間の現場待機による体力消耗+疲労α

・9人目の故障者:松本ガイド(ハイマツの陰でビバーク)

故障者目撃時の様子:風を避けるようにハイマツの陰で動けない状態。

推定遭難場所7:コマドリ沢下部(ソース:あまたの報道)

推定遭難時刻:16時ごろ(前田さんの下山を見届けた時点を遭難時とすれば。)

推定原因:北沼渡渉の際の濡れ+連続行動による疲労

不明だった松本ガイドと多田ガイドの行動の一部

会社発表によれば、第一の故障者が発生した時点での2人の行動は次のように記されています。

多田は、川角様と吉川、松本を残して本隊と歩き始めたが、雪渓手前で人数を確認すると2名足りなくて最後尾は松本だった。松本に、少し先に風をしのげる場所があるので本隊はそこで待つように指示して、多田は北沼分岐に戻ると植原様と石原様が残っていた。一人ずつ交互に背負って何度かピストンして雪渓を登りきる・・・後略・・・

北沼のほとりで、1人目の故障者の付き添いのため、吉川ガイドとともに3人で居残るはずだったのに、多田ガイドが出発すると、松本ガイドがなぜか最後尾についてきています。そのうえ、2人の客を置いてきてしまっている、と読むことができます。最後尾の松本ガイドが確認に戻らず、多田ガイドが確認のため戻ります。取り残された植原さんと石原さんを背負ったのは、雪渓を上りあがる行動技術を失っていると多田ガイドが判断したからでしょう。しかし背負ったのは松本ガイドではなく多田ガイドでした。多田ガイドが雪渓を往復し、故障者を隊列に戻します。

他方、松本ガイドは雪渓をあがったところで客と待機しています。と、こんな経緯が伺えます。

これを素直によむかぎり、松本ガイドは思考が止まっているかのようです。多田ガイドは松本ガイドがやるべき仕事を全部やっていた、そんな感じにみえます。

第二に、多田ガイドがトムラウシ分岐で10名確認してほしいと指示したあと、8名しか確認していないのに再出発したことが伺えます。松本ガイドは救助連絡のためと説明しています。

上記の会社FAXでは、松本ガイドは全身ずぶ濡れで極限状態にあったと記されています。

それを裏付けるような迷走ぶりを感じませんか。

野首さんと真鍋さんの行動

戸田さんの証言によれば野首さんも体調の不良を訴えていた、とありますが、多田ガイドとテントを張るのを手伝うなどしています。会社発表の文書を読むと、体調はよかったが故障者の救援活動のために自発的に居残ったようにみえます。

また真鍋さんについても、恐らく最後まで一緒に歩いていた岡さんや、もしかしたらあとから歩いてくるかもしれない味田さん竹内さんの安否を心配して前トム平付近でビバークを決意したようにみえます。あまり主観的な表現は慎むべきかもしれませんが、正直なところ、胸をうたれます。

出発時の共同装備と遭難時の装備
・出発時

松本は4人用テント2張と銀マット7枚、ペンバは10人用テント1張、多田は大鍋とガスヘッド2個とガス、吉川は小鍋

通信機の類は見当たりません。

・ビバーク時(遭難時)

ツエルト1、ガス缶の残り、鍋はもっていたものと思われます。

肝心のテントですが、もし16日も持参していたとすれば、誰がもっていたか、なぜ使用しなかったかがの疑問に答えることが難しく、小屋においてきたと強く推認されます。

のちに、コールマンテントとガスコンロが南沼で調達されます。

通信環境

少なくとも16時49分時点、19時10分時点で南沼付近(トムラウシ分岐付近)で携帯通話・メールともに通信可能な様子が伺えます。松本ガイドが通過時点ではどうであったかは不明。多田ガイドが連絡を取った場所は、午後にも松本ガイドが8名を確認した場所とほぼ同一の場所です。松本ガイドはそのとき圏外と確認したのでしょうか。さしあたり圏外であったと推認しておきますが、全身ずぶ濡れ状態で極限状態にあったとされる松本ガイドが通信環境の確認を怠った可能性も強く疑われます。(もちろん、全身を濡らしたとの記述自体を疑う余地もありますが、戸田証言では’背中を濡らした’ですので背中が濡れるようなすっ転び方をすればたいてい全身ずぶ濡れでしょう。)


ヒサゴ沼避難小屋の宿泊者

小屋は当ツアー関係者19名と他に6名の登山パーティとご夫婦1組が宿泊。

ここには、南沼付近で遭難した単独登山者竹内氏は含まれていない様子。

また夫婦1組の当日の行動も明らかではありません。

別ルートを下山したか停滞した可能性が高いのですが、もしこのウェブサイトをご覧になっていたら、情報をお寄せいただけると幸いです。


会社発表が語らなかった事実

吉川ガイドのビバーク体制とその経緯・判断
松本ガイドの下山行動記録
自力下山者の行動記録
事故当日の行動のタイムライン、場所
事故前日の小屋の様子
報道されている体調不良者の様子

アミューズトラベルへの苦言

事故報告(速報でよい)を体裁を整えてする時期では?

swan_slabswan_slab 2009/09/20 02:52 ローズさん (CC aaaさん) 
一昨年の十勝岳の雪崩遭難のときに、「北の山の栄光と悲劇」の著者でもある滝本さんが報道の中で「ベテランのはずがなぜ」と述べていますね。その記事は過去ログでごらんになったかと思います。事故の経緯の事実だけを追えば、私ならばそういう判断はしないという趣旨のエントリを書きました。
しかし滝本氏の疑問ははやり残るのです。これは79年の知床遭難の際にも提起されていました。知床遭難の際に、北大山岳部が突きつけられた問題とは、リーダーの稚拙さというよりもむしろ、組織のシステムの根本に誤りがあったのではないか、ということだったのです。

考えてもみてください。
ベテランとはいったいなんでしょうか。あるいは信頼できるガイド・リーダーとはなんでしょうか。誰がどこで定義し、信任するのでしょうか。
問題は、つまりこうです。
ベテランというラベルをはった組織なり後ろ盾がベテランとの認証を誤れば、ベテランという呼び名に何の意味もありません。信頼できるリーダー・経験豊富なリーダーというのも同じです。

通常、山岳組織は、リーダーを信頼するからこそ、パーティを送り出します。
しかし、組織自体が信頼すべきではないリーダーを信任していたとしたら?
問題は登山計画を検討する側、つまり組織の体制に跳ね返ってくるはずです。
いままでのリーダーへの信頼はいったいなんだったのか、「なぜその組織はそのリーダーを信頼するに足ると認識しえたのか」そこが問われるはずです。
この問題意識に立つ限り、ガイド団体や旅行業界がガイディングのルールを強化をしたりするなどの対応にあまりプラスのインパクトを感じることができません。ルールの精緻化や追加はやるにこしたことはありませんが、私がみるかぎり、既存のルールがかりにきちんと守られていたならば、今回の事故は防げたように思います。つまり、ルールの欠陥ではなく運用の欠陥なのです。それは言い換えれば、ガイドの能力の底上げという方策よりも、組織としてガイドの管理体制の強化を重視すべきだということにつきます。
ここ二ヶ月、いろいろなメディアが事故を分析していますが、その視点がほとんどみられないのはきわめて残念なことです。
ある意味、登山業界(そこに引っ付いてメシを食っている登山系の雑誌も含めてです)はもう少し他の業界(建設業界など)のリスク管理のあり方を勉強していいのでは?

ガイドやリーダーを過信しないシステムが必要。これが私の結論です。
これは一般登山者についても同じです。自分自身の能力を過大評価しない。
ではどうするべきか。これは計画段階で可能な限りリスクコンロトールするのが一番合理的とずっと主張しています。責任論の次元でいえば、現場の人間の責任が重いことはいうまでもありませんが、教訓として残すべきは組織の問題が中心となるべきです。それがあってはじめて有効にガイド能力の強化の段階に移れると考えています。

事故発生後現場でガイドが何をすべきだったか、の議論がしばしばなされています。これ自体は不要とまではいいませんが、救急救命のトリアージの議論と似ており、そうすると日本のガイドや添乗員の現実の平均的な能力とのギャップにかんがみて、現実味を感じないのです。理想と現実のギャップをもう少し直視すべきでしょう。もちろん事故の抑止には直接の関係がないですよね。

そんな夢物語のガイド能力の強化よりも、いまあるリソースで何ができるかです。
もっとはっきりいってしまえば、ガイドの要求水準を上げるプランはその場かぎりのガス抜きであって、結局絵に描いたもちに終わりそうであり、かつ急増している一般登山者への方策にはちっともなりえない点が私の問題意識の核です。

この点、最近、アミューズトラベル社が、契約ガイドとの間で計画などの情報共有の機会をシステム化するといった内容のことを顧客向けに発表しているかのような文書が2chで流れているのを一瞬みかけたのですが、スレではさして話題にならずながれてしまい、今はどこに書いてあったのかもわかりません。かりに事実であるとすれば、あの文書の趣旨は私が提案している内容に近いものです。ぜひ内容をつめて実現してほしいものです。

2009-08-10 トムラウシ遭難の教訓3〜ツアー参加者の問題

[]今後のツアー登山はどうあるべきか〜参加者の問題 その3

前回まで、

トムラウシ遭難の教訓1〜ツアー企画の問題点 - + C amp 4 +

において、ツアーを企画する会社側の問題点について考え、

トムラウシ遭難の教訓2〜ツアーガイドの問題 - + C amp 4 +

において、ツアー会社が実際の登山運営管理を委託するガイドの側の問題に触れました。

ツアー会社のエントリの結論は、ちゃんと企画書をつくって共有しろ、です。

ガイドについてのエントリでは、ガイドの資質の分析とそれをどう向上させるべきかについて今後の課題を述べました。


さて、今回は、ツアーに参加する客の問題について考えます。

Preface

ツアー会社、ガイドとともに、ツアー登山そのものを成立させている第三の当事者が客です。

客がいなければツアーは成り立ちません。

まず第一に、自力で歩きとおす登山者としての資質、続いてツアー企画に参加する消費者という属性、の2つの側面から考えたい。

大雪山遭難事故の生還者の一人は次のように語っています。

登山歴16年で、月4回は広島県内外の山に登るが「初めての山のプラン作成や道案内は人に頼るしかなく、ツアーをよく利用している」と中高年登山愛好者の実情を代弁する。今回の事故ではガイドの状況判断に疑問が残る。一方で「主催者側だけの責任でもない。今後は、歩くのは自分という自覚をさらに強く持ちたい」と誓う。地域・写真ニュース | 中国新聞アルファ

登山愛好家が営業ツアーと接点を持つのは、自分で登山を企画したいが、未知の山域では、登山計画作成やルートに不安を覚えるという理由があるようです。

さらにもうひとつの理由として、ツアーに参加すれば、個人では煩雑な交通手段や宿の手配などの雑務をまとめてやってもらえるのも利点です。とりわけ本州から北海道へ登山しようと思うと、手配の壁は心理的にも大きいものです。


登山者としての客

確かに道外からの登山愛好家が北海道の山に登りたいと思ったときに、北海道の山は本州九州などの山と比べると、ルートの情報も少なく、登山者向けの整備ができていないなど不便です。そうすると、本来ならば、ツアーに頼らずに自力で山に登りたいと思っていても、手ごろなツアーがあれば、計画も自分でたてる必要がなく、宿や車の手配も必要がないので好都合ということになるでしょう。

しかし、そもそも山に登るツアーに参加するということは、何もかもお任せするということではなく最終的には自分で最後まで歩くということです。計画作りやガイドと手配はお任せする。しかし歩くのは自分自身です。生還者の一人はこの点を強調しているようにもみえました。何が彼女をこのように誓わせたのでしょうか。

歩くのは自分自身

私の想像ですが、生還者のこの女性は、遭難発生後、仲間が次々に倒れ、ほとんどの客が下山できなくなったこの事態を招いたガイドの判断を疑問に思いつつも、何か想定外の事態が発生したときでも、最後は自分の身を守るのは結局のところ自分自身しかない。自力で最後まで歩ききる、生還してくるだけの基礎的な力は必要なのではないかと考えているのではないかと思います。もちろん、このような厳しい気象遭難に備えて自力で帰れる能力が必要という意味ではありません。しかし松本ガイドに必死についていくもブッチ切られて、自分の身を守るのは最終的には自分だという自覚が彼女の下山への意思と行動を支えたのではないでしょうか。

遭難パーティの自力下山者に共通するのは、自分の身は自分で守るというサバイバル術が彼らの行動を支えていたということです。生還者の戸田新助さんは、自分の判断で防寒着を身に着けたり、雨具のポケットの中に行動食を詰め込んでいました。また、前田さんは16日の出発前、タオルの真ん中に首を通す穴を空け、シャツの上にまとったといいます。

ツアー登山を度外視していえば、旭岳〜トムラウシ山の縦走コースをただ歩いてリーダーについてくるだけの最低限の行動能力はどの程度かを考えたときに、上記の生還者の証言は非常に考えされれます。

トムラウシ山登山に最低限必要な自己管理能力

ツアー登山や一般登山にかかわりなく、旭岳からトムラウシ山を縦走する登山者に必要な行動能力としては、三日間歩きとおす体力もさることながら、ある程度の自己管理能力が必要ではないかと思います。

上記記事の生還者の前田さんは前の晩、小屋で睡眠導入剤を服用したといいます。これも自己管理のひとつです。睡眠導入剤の服用ひとつとっても、山小屋にはじめて泊まるといった人は普段の下界と同じ量か、もしくは医師に相談せずに、眠れないと困るという不安に駆られて平素より多目に錠剤を服用してしまうケースがあります。多目に服用した結果、翌朝まで薬剤の影響が残り、フラフラになっているのを目撃したことがあります。恐らく前田さんはこの分量についてのわきまえがあったのかもしれません。

山小屋では他人のいびきや物音、たまたま陣取った環境などで眠れないことがしばしばあります。

しかし、それはありうることとして当たり前のことだと思わなくてはなりません。また北海道の山小屋が本州の営業山小屋と根本的に異なることも重要な条件です。管理人がおらず、暖をとるスペースが存在しません。雨の日には床が雨具から垂れた雫でびしょびしょになります。

そうすると、この点だけとらえても、少なくとも次のことがいえます。

2泊3日の山小屋泊ツアーに参加する登山者の最低限の行動能力のひとつは、眠りが浅く、場合によってはほとんど眠れていない状態でも3日間歩きとおせる力ということになります。また装備をぬらさずにパッキングする能力です。

どうですか?とても過酷な条件だと思いませんか。しかし実際には、あまたの夜行日帰りツアーが強行されているように、かなりの高齢者でも一日くらいは寝なくても平気で歩ける場合があります。

つまり、もっと一般登山者にわかりやすいたとえを使うならば、バスの夜行日帰りツアーを2日連続でこなすだけの体力があるかどうかを自問する必要があります。

またどんなに良好な天気を狙ったとしても、一日の行動が長くなれば、天候が急変して悪天につかまるケースが一度や二度はでてきます。

また停滞する前に低気圧につかまってしまえば、悪天行動をせざるを得ません。そのときに、防寒具をすぐに取り出せるようにザックの中にしまっておくとか、自分で雨具を着用し、フードをかぶり、休憩する場所がない場合でも、自分の判断で歩きながら行動食を口にいれることができるなどといった自己防衛能力が必要です。

トムラウシ山遭難についていえば、もちろんガイドの判断ミスが多くの命を奪ったことは間違いないでしょう。また、ガイドは客の自己管理についても可能な限り、指示を出す必要がありました。しかし、それにもおのずと限界があります。最終的に生死をわけたのは、ガイドの指示の悪さや、たまたま自分の立っていた位置などの運不運もあったでしょうが、最後は、どこまで自分自身を守れるかという自己管理能力の差だったかもしれない。前田さんはそういうことを生還者として感じとったのではないでしょうか。

消費者としての客

次に、消費者としての客の立場を考えてみたい。

参加条件

まず会社側からの視点で分析します。

会社がトムラウシ山縦走ツアー登山を企画する場合、少なくとも悪天行動と避難小屋泊の経験など上述したような最低限必要な能力水準を参加条件に示す必要があるでしょう。この参加条件は、もう少し具体的に必要な能力をブレイクダウンするのがベターといえます。これは参加希望者と電話面談で確認する程度になるでしょうけれども、出来れば書面で質問書を作成し、データを管理するほうがリピータの管理にもなります。

従来のツアーのように、年齢確認と山行経験のCVリストだけでは顧客のプロフィール確認としては不十分といえます。個別のツアー企画に即した参加条件テンプレートを作成し、山行報告をフィードバックできるデータベースを共有する必要があります。

しかし、現実の参加者が参加条件をクリアしているかどうかを確かめることのできる完璧な面談などできようはずがありません。登山経験を外部化することほど難しいものはないのです。

ツアー会社がオフィスで客に対してどんなに説明をつくしても、実際に山に入れば、客は自分が想定していた条件と違った!といったギャップは必ずでてきます。事前の申し込み段階で完全に把握するのは非現実的です。

そうなると、参加条件は、そういった不確定要素もふまえたうえで、より安全側にたった絞込みをするのが合理的ということになります。

提案

まず以下の項目を担当者が入力し、カウンセリングをはじめます。

・年齢・性別・身長・体重・登山経歴・雨天行動経験・長時間行動経験・避難小屋経験・他の季節の登山経験・年間山行日数・雪渓登降経験・高度障害の経験・所有装備・食料計画・歩行スピード・最近の登山はどこで何日前か・普段のトレーニングの有無・身体的弱点・既往症・常用薬

これらの情報のうちいくつかは定量的な基準を与えてチャート化し、申込者の行動レベルをランク付けしていきます。

例えば、年齢が70歳を越えていれば0点、雨天行動経験が1回であれば1点など。

また所有装備などは、漏れがないかどうか再確認します。


ツアー会社およびガイドの責任

さて、いったん以上のような参加条件を規定したうえで、客の申し込みを受諾した場合には、ツアー会社が責任をもってガイドに対してツアー中の客の行動の管理監督させなければなければならないでしょう。

前々回に、会社は登山の企画書をガイドと共有すべきだと述べましたが、客の管理の観点からも、ツアー会社は、客が参加条件を満たしていたかどうかを書面で確認するほうが安全です。

顧客の情報のマネジメント

ツアー会社の現状がいまひとつわかりませんので、いきなり結論からいいますが、安全管理の観点から、現状顧客情報は山行報告をフィードバックして更新・共有するシステムを確立するべきです。

少なくとも登山中のリスクマネジメントの観点からは、ガイドが、参加者の情報を事前に把握することが非常に重要です。

いいかえれば、安全管理の観点から、参加者の経歴を事前に会社とガイドの間で共有されるシステムを構築するべきです。

客の自己責任論

次に客側の視点で考察します。

ではツアー会社に示された企画書(装備・行程・進め方・登山の危険)や参加条件を理解したうえで申し込みしたのだから、装備や体力など自己の行動については自らが責任を負うべきだというべきなのでしょうか。

私は、その責任が成り立つためには、ツアー会社の説明内容がパーフェクトであり、かつ消費者にそれを理解する能力が合った場合に限られるのではないかと思います。

すなわち、たとえ客が参加条件の質問書に対してあいまいな答えをしたり事実と異なる回答をした場合でも、それだけをもって客の自己責任というべきではありません。なぜなら、ツアー会社がどんなにルートや天候・必要とされる能力水準などの情報提供をしたとしても、それはあくまで消費者がツアー選択する際の判断の一助にしかならないからです。それが事故の際の言い訳になりえるわけではないのはいうまでありません。

会社ないしガイドと消費者との間では、情報量と分析力・技術・判断力すべてにおいて対等ではないというべきです。つまり、会社は一部のお客さんがうっかり間違えて自分の能力を超えた過酷なツアーに申し込んでしまった場合でも、参加を認めるかどうかの判断を含めて、適切に安全に配慮する義務があるはずです。あるいは、途中で体調を崩してしまい、自分自身で適切な自己管理をしたいのは山々だか、自分の不調のためにパーティ全体に迷惑がかかることを思うと、誰にも不調を言い出せないといった状況は現実にありえます。その結果をツアー参加者の自己責任に負わせることは不合理というべきでしょう。

まとめ〜消費者側のリタラシー

消費者は賢くあるべきです。

きちんとしたマネジメントが出来ているツアー会社を選ぶ知恵が必要です。

そのためには、会社やガイドが本来どのような業務を行うべきなのかについて、ある程度の予備知識を持っているほうがいいと思います。

また消費者であると同時に、歩くのは結局自分自身だという自覚も当然求められます。法的責任は会社やガイドが負うでしょうが、甘い考えで登れば損をするのは結局は自分自身にほかなりません。

しかしながら、現実はきわめてお粗末な状況と推察されます。

客の意識は決して高いとはいえませんし、客の意識の低さが事故の誘因になっていることはいうまでもないことです。しかし、意識啓発のボトムアップ戦略は一体誰が啓発活動をするのかを考えれば一定の限界があるというべきです。

また多くの会社の管理体制は極めてお粗末というべきでしょう。アミューズトラベルだけが突出してお粗末だったわけではないはずです。

もちろん、上記に提案した対応がベストとはいえませんが、現実のツアー会社がこのレベルまで達しているかというと、私が知る限りにおいては、ごく少数ではないかと思います。

また会社はこれまでほとんどの場合で、ツアー会社の企画とガイドの資質、客の能力などの条件がすべて悪条件を重ねたことがほとんどなかったために、たまたま悲惨な事故を免れ、ニアミスですんできたのでしょう。そのため、成功していると勘違いしたまま、お粗末であったという認識すらないのではないでしょうか。しかし、条件が重ねればどこの会社でも起こりうる事故ではなかったでしょうか。

会社もガイドも、本来の業務分担がどうあるべきかを真剣に考えるときがきていると思います。

2009-08-09 トムラウシ遭難の教訓2〜ツアーガイドの問題

[]今後のツアー登山はどうあるべきか〜ツアーガイドの問題 その2

ツアー登山の課題〜ガイドの資質について

前回は、自分自身の過去の経験を踏まえて、ツアー会社がとくにプランニングにおいてマネジメント能力を強化すべきだという意見を述べました。

計画ないし業務指示書がしっかり立てれられていれば、ガイドの負担は軽減されます。

次に、ツアー会社からアウトソーシングされるガイドの問題に進みます。

ツアー登山のガイドの実態

・・というほどよく知っているわけではないのですが。

結論から先にいいます。

報道されているように、ガイドの資格規制を強化するなどの、日本全国のツアーガイドの能力底上げ作戦は、前述の企画会社のプランニング能力向上とセットでなければ効果的とはいえません。

ツアー登山の安全は、7割がたを企画書でカバーし、残りの3割を現場でフォローする体制が望ましい。どんなに規制をしてもヘナチョコガイドは出てきますので、あまり現場任せを前提にするべきではありません。

ガイドに最小限必要なスキルは、私が思うに、第一に、登山計画を読み込む力(業務の理解能力)であり、第二に、計画上示されたルート評価・パーティ評価・天気基準・装備を現場でアップデートする能力、第三にパーティを統括する能力(遂行能力)、そして最後に適切な知識すなわち、医療救急・自然リスク・気象・装備・食料計画・運動生理学に関する知識です。

もちろん、ガイドが緊急時に客を背負って下山できるような屈強さもあればあるに越したことはありませんが、ハイキングガイドの場合、野獣のような元気な学生を雇うなどしてアウトソーシングすれば足りますし、山での判断以外の雑務はアウトソースするのがベターです。急斜面や岩のルートでの客のサポートはガイドの仕事からはずしたほうが無難ですし、そういった業務は特段のスキルを要しません。ガイドは状況判断に専念するべきです。

しかしながら、現状では、上述の3つのスキルについては、ガイドの資質を確かめるすべは非常に限られているというべきです。いかにしてガイドの判断能力を計量するか。これは大きな課題です。登山の知識については講習会等でチェックすることが可能ですので、今後は資格規制強化に伴い、法令上の講習会受講義務といった制度をつくるのも一案です。

さて、理想はともかく、実態はどうでしょうか。

統計をとることができず、漠然とした印象に過ぎないことをお断りしたうえでいえば、組織登山とりわけ冬山登山を十分に経験したことのないガイドは、いまひとつ危険認識に欠け、判断に信頼がおけないという印象をもっています。また、たとえば、四十の手習いで登山を始めてガイドになった中高年の人たちや、学生のサブリーダーが慣れてきてガイドに昇格した場合(私などは典型)、あるいはツアコンが次第にガイドも兼務するようになったケースなど、出自もさまざまであり、少し怪しげです。ガイド専門で生計を立てているプロフェッショナルは、ツアー需要総数に比べると圧倒的に小数なのが実情でしょう。ほとんどが中高年登山ブームであまり計画性もなくツアー企画をやたらめったらに増やしたあげく、ガイドの人手不足を補うために、ツアー会社は助っ人を雇っているのではないでしょうか。もちろん有資格の専門ガイドだからとって判断能力があるという保障はどこにもないのですが、学生上がりのにわかガイドや中高年の趣味の延長からやってきたタケノコガイドに比べるとプロとしての自覚が期待できるだけに幾分ましです。ざくっとした印象数字でいえば、シーズン最盛期の7月で、少なくとも4割くらいはガイド業務に不慣れな人間がガイディングしているのではないでしょうか。

もちろん、これは印象論にすぎません。判断能力というのは本当に計測しがたく、実際に山で一緒に行動してみなければなかなかみえてきません。

また誰しもいきなり経験豊富なガイドになれるはずもなく、修行中の新米時代というのは存在するわけでその意味では、100%経験豊富なガイドで占められるべきとまではいえません。

しかし、この経験年数や出自に関する統計は今後きちんとしたベースライン調査を行い、把握されるべきです。それがなければ資格強化も絵に描いたもちだからです。

大雪山遭難パーティのリーダーに欠けていた能力とは何か

さきほど、ガイドとしての業務に最小限必要な能力を4項目に分解しました。

もう一度、整理しましょう。

1.登山計画を読み込む力(業務の理解能力)

2.計画上示されたルート評価・パーティ評価・天気基準・装備を現場でUpdateする能力

3.パーティを統括(Organizing)する能力

4.医療救急・自然リスク・気象・装備・食料計画・運動生理学に関する知識

1.登山計画の理解力

前述のとおり、ガイドに業務指示書を伝達しない風潮がツアー業界全体に蔓延しています。

これでは、ガイドが登山計画を理解する手がかりは、行程表と装備表くらいしかないことになります。ガイドは自分の想像力で、あるべき登山計画を自分なりに再構成するしかないわけですが、大雪山遭難の場合はどうだったのでしょうか。

いままでのさまざまな報道や生還者の証言を照らしますと、多田ガイドが最終判断権をもっていたと推察されますが、そうすると、焦点は多田ガイドがいかなる登山計画を想定していたか、がここでの問題になります。これに関して、私は生還者の戸田さんから情報を引き出そうと試みましたが、所詮、客の立場からは、ガイドの頭の中にある山行イメージまでは事実として証言することができないという印象をもちました。

しかし、いくつかヒントは散見されます。

それはいずれのガイドも、行動中のその時々において、客に今後の行動予定を理由を含めてきちんと説明していなかった様子が戸田証言から伺われることです。7月16日早朝の出発延期の判断に関して、戸田さんはトイレにいっていて聞いていなかったと残念な証言がされていますが、この判断はガイドの想定計画を知る手がかりになります。いずれにしても、この点の分析は保留とせざるを得ません。本人および松本ガイドの供述を待つほかないかもしれません。


2.ルート評価・パーティ評価・天気基準・装備を現場でUpdateする能力

リーダーには計画が想定していたルート状況、パーティの行動能力が現場で一致しているかを常に確認する義務があります。

ルートの一部が崩壊していた、あるいはパーティの一部に病人が出た、などの情報は常に更新され、それをオリジナルの計画にフィードバック(計画の再構成)する必要があります。

この点に関して、遭難パーティは、ツアー初日に嘔吐を何度も催すなどの体調不良者1名を認識しながら、翌日のツアーを続行し、2日目も依然として嘔吐するなどの体調不良者を認識していました。これは戸田さんの証言から明らかになった目撃事実ですが、これはパーティの行動能力を引き下げるべき重要な判断材料のひとつといえます。通常、組織登山では一人でも行動能力が劣化すれば全体として行動能力が劣化すると考えるべきだからです。したがってリーダーは一番体調の悪い人、脚力の弱い人を常にマークしておく必要があります。

またパーティ評価を更新する重要なツールであるハンドシーバの不携帯についても、疑問の声が上がっています。さまざまな証言から、行動中、ハンドシーバによる交信がなされた形跡がひとつもなく、これが迅速な判断を妨げた可能性が非常に高いというべきでしょう。

3.パーティを統括(Organizing)する能力

この能力は、上述のプランニングするスキルとは全く別といっていいリーダーシップの根幹にかかわるキャパシティです。

誰しも登山を始めたばかりのころは「処女峰アンナプルナ」を読んで興奮し、さも八千メートル峰にチャレンジしてきたかのような追体験を味わうものです。また山野井泰史の登攀記録を読んでは遥かかなたの辺境のクライミングに想像を掻き立てられるものです。

同様に、私たちは登山計画を立てる際に、何がしか過去の登山記録を参照することが多いでしょう。

その際、メジャーな山域ではルートの状況、天気などは詳細に記述がある場合が多いので、その追体験をもとに、それを自分の登山計画に活かすはずです。その結果、計画を発表する人間はさもみてきたかのようにルートの状況を説明でき、局地的な気象条件についても詳しく語ることができるようになります。

しかし、ここには大きな落とし穴があります。

それは計画で説明されたルート上のリスク、気象、デフォルトのパーティ評価に対して、実際にきちんと対応できる力がそのパーティにあるのか?経験があるのか?という問題です。

プランナーであることとオーガナイザーであることは全く別のことです。

誰でも想像力さえあれば、8000m峰のルート評価をし、気象について得々と説明することができるでしょう。また、たとえば、、ビッグウォールの途中のセクションで、5.10+ poor pro or A3+というトポの記載があった場合に、ノープロテクションでフリークライミングで速攻をかけるか、数時間かけてネイリング(ハンマーをふるって確保支点を作りながら前進)するか、というそこまでのイメージはできたとしても、じゃあ、実際にお前らは現場でどちらの選択をするのかというと、それは当事者にしか判断できないことですし、このパーティにはどちらかの選択が可能であろうという信頼は、リーダーのそれまでの経験から推し量ることによってしか生まれないのです。

もっと具体的にいいましょう。

たとえば、登山計画において、行動中ふらつくような風雨では行動をしないという指針を立てていたとします。さて、実際の行動中、ふらつくような風雨になりました。このとき計画(あるいはその後に更新された計画)したとおりに、ふらつくような風雨だから行動を見合わせましょうという決断を下すことのできる能力です。また客の行動能力の劣化を未然に防ぐべく、客のサポートをするのも危険を事前に回避しつつ業務を遂行する能力のひとつです。これは休憩をとる、食事や防寒具着用の指示を出す、といったこまごまとした実務が含まれます。

簡単そうにみえますが、この能力を確認するのは非常に難しい。

この点に関して、遭難パーティのリーダーはどうであったでしょうか。

また企画会社はどのような経験を参照して、リーダーの判断に信頼をおく根拠をもっていたでしょうか。初期の報道で、松下社長が吉川ガイドがこの縦走コースの経験者であると述べていたことに私は愕然としました。のちの報道で明らかになったように、吉川ガイドはこのコースの経験がありませんでした。結局、企画会社はガイドを委任するにあたり、リーダーシップがあるとする根拠はなんだったのか依然として不明です。

また、具体的な登山計画がリーダーの頭の中にしか存在しなかったとするならば、これはリーダーに聞く以外になく、現時点では、藪の中というべきです。だからこそ登山計画は共有されるべき情報なのですが、多くのツアーでは登山計画という概念が空洞化しており非常にあいまいなのが現状といえます。

事故パーティの16日以降の行動についての戸田さんの証言をみると、明らかにリーダーシップの欠如をうかがわせる事実がみえてきます。防寒具着用の指示が伝達されなかったり、風雨のなか、パーティを待機させたり、などです。

しかしながら、大雪の遭難パーティについて、私たちはどの時点以降の判断能力の欠如を責めるべきなのでしょうか。ある人は、風雨が強い中、小屋を出発する判断したこと自体が責められるべきだといいます。またある人は、天沼付近で引き返すべきであった、という。またあるひとは、北沼で1時間以上もその場で待機させたことに非があるといいます。パーティが分断したのが悪いというひともいますし、分断はやむをえなかったというひともいます。あるいは携帯電話での救援要請をなぜ優先しなかった/現実に低体温症で緊迫した状況ではどちらを優先するべきかはトリアージ的な決断になろう、など。

つまりヒサゴ沼避難小屋出発以降のパーティの行動については、本来どういう行動をなすべきであったかについては議論がわかれています。私は結果論の机上においても判断がわかれるような問題を現場の修羅場においては冷静な判断は期待できないと考えるのが妥当ではないかと思います。

今回のように、複数の場所で相次いで客が行動不能に陥ったスパイラルを想定すると、これに対する対策を事前に計画し、実行する能力はさほど重要ではなく、むしろ、判断するべき難題が次々に発生し、対応不能に陥る悪循環に至る前に、状況をコントロールし、すばやく組織する力こそがここで問われるリーダーシップです。

緊急時に適切に対処する能力よりも、緊急事態を予防する計画遂行能力がより重要です。遭難パーティのケースでいえば、7月16日に小屋を出るときの判断が焦点になります。

もしかりに、ガイドに対して、次々に故障者が発生したあとの緊急時の対応能力までを強く要求するならば、世の中のガイドの実態に全く即してない机上の空論というべきです。


実は、私は質問事項を作成しながら戸田証言には、この点の解明に期待を寄せたのですが、戸田さんの主観を取り除くと、証言の2割くらいにしか、そのヒントを見つけることができませんでした。これは被害者としてのやむをえない制約と思います。

この点は、裁判等で明らかになればと願っています。

(なお、この論点についての私の見解をみると、多田ガイド擁護の工作員と呼ばれてもいたし方がないかもしれませんね。評価は諸賢のご判断にお任せしたく思います。)

4.医療救急・自然リスク・気象・装備・食料計画・運動生理学に関する知識

これらがリーダーに必要な知識であることはいうまでもないことです。

しかし、遭難パーティはこの点で、重大な欠落があった可能性があります。

報道や生還者の証言から構成された遭難時のドキュメントをたどると、どれをとってもリーダーには不十分な知識しかなかったのではないかと疑わざるを得ません。

とりわけ気象と低体温症に関する知識は、生死を分ける重要な知識であったにもかかわらず、証言から浮かび上がる現実の対処のあり方からは、対処の十分な知識があったようにも伺われず、また予防策も不十分だったといわざるを得ません。戸田さんの証言によれば、北沼で発生した最初の故障者に対する初期対応は、しっかりしろと声をかける、テルモスのお湯を飲ませる、背中をさする、の三つです。素人目にも決して適切とはいえませんでした。少なくともすぐさまテントを張り、体温の低下を防ぐべきでした。もし三名のガイドに低体温症の適切な知識があれば、被害をもう少しは防げたかもしれません。


今後の方策

1.ガイドの登山計画の理解を促進する方策は、ツアー会社に対するインプットを検討することでボトムアップ的に可能かと思われます。つまり、ツアー会社はガイドとともに計画案策定に議論を尽くすべきです。そうすることでツアー会社はガイドを適切にコントロールすることができ、ガイドのクォリティの均質性も担保する道筋ができます。また下界で訓練が可能だというメリットもあります。

2.現場でのパーティ把握能力について。

これは難問です。コミュニケーションスキルもかかわってくる問題であり、これはガイドがこのスキルを習得するの時間がかかるようであれば、ガイドに向いていないものとして、淘汰されるべきでしょうね。妙案は浮かびません。

3.現場での判断能力について。

これについては、ハイキングでトレーニングするよりも、長期の冬期縦走や冬季登攀や厳しい沢登り・クライミングを通じて、精神的な余裕を磨くのがベターと思います。また自分自身が追い込まれるうようなシビアな登山の経験を通じて、余裕のない客のマインドも理解する一助になります。そういった研修プログラムを利用してみてはいかがかと思います。

4.登山の知識

これは前述したとおり、講習会メソッドが有効です。大勢のガイドを集めて開催できるメリットがあります。これは行政が関与してもいい対策ではないかと思います。


さて、ツアー会社の問題、ガイドの問題をひととおり軽く触れました。

次回は客の問題について考えます。トムラウシ遭難の教訓3〜ツアー参加者の問題 - + C amp 4 +

2009-08-08 トムラウシ遭難の教訓1〜ツアー企画の問題点

[]今後のツアー登山はどうあるべきか〜ツアー企画の問題点 その1

先月16日から17日にかけて発生したトムラウシ山遭難事故から2週間以上たちました。

この事故に大きな関心を寄せていた私は、さまざまな初期報道からは事実経過がどうしても飲み込めず、矛盾を整理するために、ありとあらゆるニュース報道を漁っていました。そんな折、文字通りありとあらゆるウェブ報道を収集し、分析を加えているサイトに出会い、これ幸いと、以降、そのサイトを中心に自分なりの意見を述べてきました。

最終的には、今後のトムラウシ登山のモデルプランのようなものをあのサイトを通じて提示できればよいな、という甘い目論見がありました。しかし、私にはどうすることもできない理由で管理人の機嫌を損ねてしまい、私の希望はいったん頓挫することになりました。というか、よくよく考えれば、最初から他人のサイトを宿借りするのがずうずうしいと反省すべきでした。

さて、09年のトムラウシ遭難は、およそ二つの観点から教訓を抽出するのがよいと思われます。

ひとつは、消費者という立場からみた、ツアー登山のクォリティの観点。

もうひとつは、比較的難易度の高いとされるトムラウシ山縦走コースに挑む一般ハイカーに対するアドバイス。

本エントリは、ツアー登山の落とし穴という観点から、事故の問題点と今後の処方箋について軽く触れたい。まずは、ツアー会社の問題点をとりあげます。次回以降のエントリでは、ガイドそして参加する客の問題、そして一般登山者向けのトムラウシ山縦走のプランニングについて提案します(帰国後、改めて既往資料をみてから作成します)。

トムラウシ遭難の教訓1〜ツアー企画の問題点 - + C amp 4 + ツアー企画の問題

トムラウシ遭難の教訓2〜ツアーガイドの問題 - + C amp 4 + ツアーガイドの問題

トムラウシ遭難の教訓3〜ツアー参加者の問題 - + C amp 4 + ツアー客の問題

ツアー登山の課題

エラー|NHKオンラインは次のように述べています。

【 ツアー登山の問題点 】

ツアー登山で参加者が死亡する事故は、たびたび起きています。同じ北海道では10年前に羊蹄山でツアー客ふたりが死亡し、7年前の7月には、今回と同じトムラウシ山でツアー客1人が低体温症で死亡しています。いずれの事故でも、ガイドは業務上過失致死で有罪判決を受けています。こうした事例がありながら、また大きな悲劇を生んだツアー登山。安全性を高めるために何が課題になっているのでしょうか。

その課題として、次の三点を指摘します。

▼まずツアーの日程に余裕を持たせるという点です。

予備日を設けるなどすれば費用が高くなりツアー客に敬遠されると言います。

▼つぎにガイドの技量の問題です。

ツアーとガイドの増加に伴って天候の急変やトラブルにきちんと対処できないガイドも増えていると指摘されています。

【 参加者側の問題 】

一方、参加者側にも大きな課題があります。登山ブームのなか装備や山の知識など十分な準備のないまま、ガイドまかせ、ツアー会社まかせで参加する人が少なくありません。

非常に正しいです。

NHK解説委員ブログの問題認識を基本として、三つの当事者グループの分析を進めます。

ツアー登山の主な関係当事者は、

A.企画する旅行会社(プランナー)

B.ガイド(リーダー)

C.参加者自身(客)

の三つであるといえます。

上記サイトによれば、この三つの当事者グループそれぞれにツアー登山の潜在的な危険因子が胚胎しているといえるでしょう。

ツアーの多くの場合では、ABCのうち何かしらほころびはあるものの、どこかでカバーし合って最悪の事態を避けてきた可能性があります。たとえば、企画した日程に無理があったとしてもガイドの腕がよく、適切な判断がなされたとか、参加者の行動能力が高かったとかです。

しかし、ABCの条件の組合わせが運悪くすべて悪い方に重なったとき、今回のような大惨事になるのではないでしょうか。

ツアー企画する会社の問題

通常、こうした登山ツアーは、旅行会社が計画を立て、日程を決め、それに添乗員をつけ、ガイドをアウトソーシングするという形が一般的のようです。添乗員がガイドもかねるケースもあるようですが、サービスの質がまるで違う、添乗員とガイドの二人羽織は避ける傾向があるようです。もっともこうした傾向は最近の話で、10年ほど前は、トムラウシ山往復ツアー20名を山岳経験もろくにない添乗員が羊飼いさながらに客を引っ張っているというケースもありました。トムラウシ山ではさすがに少しはなれた添乗員が来るのでしょうが、他の山では、羊飼いにすらなれず、添乗員がバテて途中で待機しているという姿も何度か目撃したのを覚えています。

こうした羊飼いツアーの大半は、90年代はじめに沸き起こった中高年の百名山ブームに乗って、登山旅行の分野に乗り出した大手の旅行会社やバス会社、鉄道会社でした。

旅行エージェントは当然、航空機・ホテルの格安手配を得意としますから、そこで価格差をつけようとしますし、バス会社は、とにかくどんなに遠くてもバスで行くセンスです。

バス会社の例

さしあたって具体例としてバス会社の例をとりあげましょう。

皆さんはバスの待合室でバス会社の企画した旅行ツアーのチラシやポスターをみたことがあるでしょう。なかには温泉ツアーなどに参加された人もいるかもしれません。バス会社の強みは、自分で登山口までダイレクトにつながる移動手段を持っているという、その機動力です。しかしホテルや航空機の手配には弱く、宿泊ツアーでは価格競争になかなか勝てません。したがって、バス会社の企画はそのほとんどが日帰りツアーとなります。つまり、バス会社としては基地局から日帰りで往復できる範囲が営業テリトリーとなります。

しかし、問題は、「ではどこまで日帰りで行ってしまうのか」です。

日帰りツアーの拡張概念に、【夜行日帰り】というタイプがあります。

これが曲者なのですね。夜行日帰りのギリギリの線ってどこまでなんでしょう。

土地勘がない方にはわかりにくい例かもしれませんが、札幌ー釧路を夜行日帰りでいく登山ツアーみたいなハードな企画が実在するのです。これは客より先に運転手がぶっ倒れます。

週に4回も夜中に日勝峠を越えるバスの運転手はいったいどこで休んでいるのでしょうか。

あるバスの運転手はいいます。

「いやぁ最近ほとんど寝てないさ。最近、夜行日帰りが連ちゃんよ」

運転手の間では、ハイキングツアーは貧乏くじのようなものです。一般道でも長時間運転のリスクがあるうえ、登山口までの林道をバスで突っ込むのもときには、命がけです。ですので、慣れている運転手しか割り当てられず、結局、適切なローテーションがなされず、同じ運転手が何度も夜行日帰りハイキングにまわされることがあるのです。

バスの運転手の悲哀は別の問題としても、ここにすでに、バス会社の企画の無理が現れているのがわかります。乗客はほとんど曲がらない座席で仮眠し、翌朝からがつがつと山に向かうわけです。

ところがバス会社のハイキングツアーで登山中の重大事故というのはあまり耳にしません。客は寝不足でフラフラになっているはずです。

なぜでしょうか。これは、ひとつに、バス会社のテリトリーが日帰りエリアに限られているため、難易度の高い縦走コース等を企画することがそもそもできないという偶然によるのではないかと思います。要するに、バス会社の制約条件として、日帰りピストン(同じ登山口からの往復)の企画にならざるを得ず、その結果、何かあったときの対処がしやすいツアーが多いということです。

バス会社の制約がツアーの安全を担保していたんですね。

それでも、どこの業界にも限界にチャレンジするバカがいるわけで、四国からオール仮眠4日間の富士登山バスツアーなるものも企画されているのを最近みかけました。参考:http://www.travelroad.co.jp/005/huji/fuji-o.htm

ではツアー会社に企画書なるものはあるのか

私はツアー会社の人間ではないので、憶測にすぎないことをお断りした上でこう勘ぐっています。

内部にはあるのかもしれません。少なくともガイドに手渡ししたり打ち合わせしたりする内容のあるものは存在しないことがほとんどでしょうね。

私は学生時代から好んでツアーのサブリーダーのアルバイトをしていました(学生にしてみれば日給1万円温泉付は魅力的だった)。しかし、どのツアー会社でも、行程表と地図と装備表以外のものをみたことがありませんし、事前の打ち合わせをしたこともありません。たいてい、当日の朝か夜に集合場所で初顔合わせをし、そのままろくに会話せずに山に突入!というパターンが多かった記憶があります。「あんた、この山初めてかい?」くらいは聞かれたかもしれません。しかし、学生のころは、いかにもリタイアしたじいさんが小遣い稼ぎにしてるんじゃないかと思われるような無能そうなガイドに当たってしまうと、自分もそうであるくせに、内心、何事もないことを祈る気持ちでした。実際のところ、ツアーが始まってしまうと登山計画について打ち合わせする時間などありません。

しかし、山岳部等の組織登山を経験すると、机上でのプランニングがいかに大切かを身にしみて思い知らされます。詳しくは、http://d.hatena.ne.jp/swan_slab/20090806#Planningに私の考え方を記載しましたのでご覧いただければと思います。あらゆる軍事行動がそうであるように、登山の成否は、プランニングにかかっています。机上のシミュレーション抜きに現場の司令官の行き当たりばったりの判断に依存していたら、必ず失敗します。

ところが、バス会社のツアーの場合、軍事行動になぞらえるほど、緊迫した企画ではないのです。

往復5〜7時間程度の山中行動のハイクツアーがほとんどです。半日程度の日帰りハイクで、イラクでの軍事作戦なみの綿密な企画書をつくれといったら、誰でもバカバカしいと思うでしょう。

つまり、装備の一つ一つの重量までチェックするといった綿密な計画を立てるほど、切羽詰ったルートでもないため、ツアー会社の側で、安易な企画書で通してしまうインセンティブが働いてしまうのです。また、バス会社は所詮、流行に便乗しているにすぎず、リスク管理に通じた専門のスタッフを適切に配置しているわけでもないので、綿密な計画を立てる能力と習慣がそもそもないといっても過言ではないでしょう。

つまりバス会社の企画において、安全管理は漠然と理解されているにすぎず、かりにマニュアルが存在するとしても、それが実行部隊たるガイドには公開されない以上、単なるお役所向けの文書に過ぎません。

アミューズツアーの事例から学ぶこと

アミューズトラベルのツアー企画は、バス会社の日帰りツアーに比べると、本社のバックアップ体制から装備の検討、顧客への事前の確認など安全性への配慮を含めて、あらゆる点でマシです。工作員呼ばわりされそうでいいにくいことですが、その辺のバス会社と比べるとずいぶんしっかりした体制にみえます。

90年代後半、まだアミューズトラベルが北海道の山に現在ほどは進出していなかったころ、アミューズトラベルは価格では勝負していませんでした。他社比2割増くらい?だったのではないでしょうか。

恐らくその理由として、価格で勝負したくともできなかったのでしょう。山岳専門のツアー会社としては業界で新参者でしたし、エージェントとのコネクションも薄く、ホテルの割引も交渉力が低かったと推察しています。

それでも顧客を徐々に獲得していったアミューズの戦略のひとつに、サービスの向上があげられると考えられます。客の立ち話を盗み聞きすると、浮かび上がってくるのは、固定客の創出戦略です。まず添乗員にボンクラを絶対に雇わず人間的にも魅力的な精鋭を揃え、お客さんの立場にたったツアー作りを心がけ、固定ファンを次々に引き寄せます。

第二の戦略は、登山ツアーのターゲットの拡大です。従来、どこのツアーも厳しい登山計画では年齢制限を設けていました。アミューズトラベルは、年齢にとらわれることなく、実際の登山歴をヒアリングすることによって能力確認をする戦術にでました。これにより、潜在的な顧客層のパイを大きく広げることになりました。客側にとっては、どこのツアー会社でもお断りされる高齢者でもアミューズが面倒みてくれることになり、結果としてアミューズツアーの平均年齢が相対的に高くなりました。「来る者は拒まず」戦略とでもいいましょうか。

第二の戦略は、登山計画に反映されており、過去のデータから、アミューズ独自ともいえるゆるい歩行スピードをもとに、行程表の時間読みが計算されています。これは客のヒアリングでもはっきりわかるのですが、アミューズツアーの固定客は、他社のハイスピードの登山を敬遠して流れてきているケースが多くみられます。山をゆっくり楽しみたいという動機の客もいれば、体力的な問題を抱えている人もいます。お客さんのひとりはこういいます。「某社のツアーは、弱い人にペースを合わせない。先頭集団についていけない人は次々にリタイアし、そこで待機させられます。先頭集団についていけた人たちだけが頂上を踏めるんです。それにくらべるとアミューズは・・略」と新聞社系列のツアーをこう評しています。このように、客の中には、他社のツアーの安全面に不安をおぼえてアミューズツアーに参加するひともいます。ただ、一方で、恐らく、客のなかには、もはやアミューズトラベル以外のツアー会社では断られて仕方なくアミューズに参加するひともいるはずです。つまり、顧客の基盤として、中高年のなかでも、さらに行動力の弱いグループをターゲットにいれていることになります。

しかし、パーティの標準的な行動能力を低く見積もることにリスクはないのでしょうか。

つまり一般の登山者が9時間かけて歩くコースはアミューズタイムで11〜12時間かけて牛歩のように歩く、といった行動能力の引き下げは、計画上、安全を阻害するリスクにならないのでしょうか。

当然のことながら、山中での行動時間が長くなればなるほど、行動中の危険は増します。

行動時間が長ければ体力を消耗しますし、悪天につかまるリスクもでてきます。

いいかえれば、牛歩センスは、比較的良好な天候の場合は、安全側に作用する場合がありますが、悪天候の場合は、パーティの行動能力を減退させる悪循環にはまり込む危険性をはらんでいるのです。

では、アミューズトラベルの企画において、こうしたリスク分析が反映されていたかどうか。

具体的には、行動可能な天候基準を厳格にとらえていたかどうか。

もしかりに計画段階で、7月16日のトムラウシ山越えの行程について、行動できる天気基準を明確にしてあれば、会社がその説明をすることが可能であったはずです。たとえば「小雨程度なら行動する予定になっていた」とか「体力の消耗する天候では行動しない」などです。これはマニュアル等の一般的事項ではなく、個別の行程について検討されていたかどうかです。しかし、現実には、一切の説明はなく、すべて現場の判断にゆだねていたといいます。これでは登山計画があったとはいえず、ガイドに行程表だけを渡して丸投げしたと批判されても仕方がありません。

パーティが行動できる天気というのは、ルート評価とアップデートされたパーティの行動力との関数できまります。もともとの計画で設定された行動可能な天気をもとに、パーティの能力の変化に応じて、天気基準の見直しをする作業が現場のリーダーの仕事となります。リーダーはその場で登山計画を立てるべきではなく、所与の基準を現場で確認するべきなのです。この計画と実施のプロセスのデマケができていなかった可能性があります。

これはアミューズトラベルに限った話ではなく、ほぼすべてのツアーに当てはまる大問題です。

多くのツアーは、実践上の登山計画をガイドやツアーリーダーに丸投げしているのです。

これにより、結局、行動できる天気基準ひとつをとっても、確たる標準化がなされないため、ガイドの資質に依存することになります。攻撃的なガイドは悪天候でも突っ込むし、弱気なガイドは石橋を叩き割ってでも渡らない。そんなガイド任せの登山計画は今後は厳しく批判する必要があります。

組織登山のメリットは情報の共有化にあります。

登山パーティがどのような基準で行動するか、悪天時の行動パターン等をあらかじめ共有していれば、緊急時においてバックアップ体制も充実しますし、パーティの行動の予測を立てやすいのです。

しかし、アミューズ遭難パーティのケースでは、事故直後の社長の会見で計画性のなさを露呈していました。

読売新聞の初期報道によれば、現地のルートの精通しているのは、吉川ガイド一人であったと報道されていました。私はウソでしょと瞬間的に思いましたが、松下社長はその会見で組織登山のメリットをまるで生かしていないことを示してしまったわけです。


ツアー会社とガイドとの連携の強化

そこで、教訓として、確実に次のことを私は提案できると思います。

まずツアー会社は、10〜20名規模の登山計画検討委員会を定期的に開催し、新規の計画だけでなく、既存の山行報告をもとに計画にムリがなかったかどうか、ブレインストーミングをまじえて、入念にチェックする機会をもつべきでしょう。とくに悪天候のシミュレーションは綿密に行い、考えうるケースは考えつくした上で、あらかじめいくつかの選択肢を計画に盛り込んでおくことです。たとえば、故障者の離団ないし故障者が生じた場合のパーティ分割の動き方、エスケープルート、停滞日の使い方などです。

その委員会を開催することで、参加者(添乗員やリーダー)同士が啓発しあい、自分では気がつかなかったリスクの発見につながる可能性があります。

したがって、ここで議論された内容は、参加できなったガイドグループにも議事録を配布するべきです。またガイドにとっても、企画会社側が責任をもって、行動基準を明確にしてくれれば、現場で撤退やエスケープの判断を客に説明する際に、「登山計画上、ある一定の条件下では行動しないことになっている」等と理由をつけやすいはずです。

また、そもそも企画会社がこうした計画策定作業に慣れていないという、シュールな事態も想像されますので、プランニングとは何かについて徹底的な社内研修をすることをお勧めします。


トムラウシ遭難の教訓2〜ツアーガイドの問題 - + C amp 4 + (ガイドの資質の問題)に続きます。

2009-08-07 トムラウシ遭難をうけて他のウェブサイトにしたコメントの一覧リスト

生還者戸田新介さんの回答に対するコメント(7月31日〜8月3日)

silvaplauna様

質問のとりまとめとご連絡、ならびに議論の場のご提供、ありがとうございます。

戸田様

お客さんの自己責任論に違和感を覚えていらっしゃるお気持ち、私も同感です。

ツアーでは通常、すべてリーダーが判断します。もしかりに、下山口のバスで集合、あとは偶然一緒に歩いてたまたま一緒に泊まったお客にだけご飯を提供したというような計画だったとしたら自己責任かもしれませんが、そんな計画あるはずありません(いや、ごくたまに日帰りツアーで似たセンスのツアーをみかけることがあるのでオドロキですが)。

以下、ご回答に対するコメントを述べさせていただきます。

1.ガイドの印象

多田ガイドがリーダー格のようだった、とのことですね。少なくともルート評価と天気に関しては、彼に決定権があったのではないか、ということですね。

この問いは、17日、18日時点の新聞報道で松下社長が吉川ガイドがこの山域の経験者だという誤情報を流したあと、報道に訂正もされなかったため、再確認させていただくためにさせていただきました。

2.前日の天候と体力の消耗

かなり具体的にご回答いただき、状況がとてもよくわかりました。

事故パーティは小屋の一階でしたか。一階の場合、女性客は着替えをもっていても人目があり躊躇する可能性がありますね。また到着時のレインウエアについた雨のしずくが床におち、床もびしょ濡れであった可能性があります。

3.最終判断地

ご証言からあくまで小屋を最終判断場所と考えていたと推測されます。

4.防寒具の指示

どの報道をみても、悪天候のなか行動するにあたって防寒対策の指示がなされていた、との証言が見当たらなかったためご質問させていただきました。

戸田さんが知る限り、指示はなかったということですね。

5.ガイドの行動中の位置取り

先頭:多田ガイド 中間:松本ガイド 最後尾:吉川ガイド

そうすると行動中のパーティの状況は松本ガイドと吉川ガイドが多田ガイドに伝達する仕組みになっていたと思います。

6.雪渓の対処

第四のガイドがネパール人というのは、これまで報道されていませんでしたね。

テンバさんでしょうか。テンバさんは雪渓でサポートしたあと小屋に戻ったということですね。質問の趣旨は、着脱に時間がかかり、体力を消耗することもしばしばあるので、体力の消耗に寄与したかどうかの印象をお聞きしたかったのです。ご存知のとおり、悪天候の行動では、歩行中のみならず、休息中(じっとしているとき)でも体力を奪っていくものです。ですから、極力、長く休まないという戦略で行動する必要があります。しかしながら、そのためには、アップダウンの多い脚力を要する行程で休まずに動ける行動能力が問われるわけです。この点は別途質問させていただきました。

7−1 コルでの天候

風雨・気温ともに行動に余裕のある天候ということですね。

7−2 お客さんからの不調の訴えの有無

これは貴重なご証言です。つまり、最初の故障者(吉川さんと最初にビバークしお亡くなりになった女性)は、行動初日から体調不良のサインを出していたのですね。じつは、こういう場合の対応方法はガイドによってかなりばらつきがあることを私は知っています。私の経験でいうと、添乗員系のガイドに「あともう少しだからがんばりましょう」的な対応をする人が多い印象を持ちます。

あくまで印象です。個人ガイドツアーの場合、逆にお客さんの体調には神経質なまでにぴりぴりしている傾向があります。子供に自己管理を説教する親のような役割と認識しているガイドも多いです。そういう説教くさいガイドはお客さんが不調を言い出す前に、装備や体調を確認しようとする傾向があります。

添乗員系・個人ガイド系と書きましたが、これはこれでひとつの論点かと思います。しばしばガイドの立場が複雑であることが論じられておりますが、添乗員をかねたガイドは、サーバント(サービスの奉仕者)としてお客さんの満足度を上げる任務も負っており、なおかつ、事務所では顧客の営業もやっている場合が多いので、あなたはパーティについていける体調ではないので下山しましょうとはなかなかいいにくい。甘やかすインセンティブがどうしても強くなります。

しかし、アウトソースされた現地ガイドは、世間で言われているほど、保身的ではありません。むしろ初めてお会いしたお客さんとのしがらみがないうえ、顧客へのホスピタリティなどさして気にする必要もないので、自分の任務のひとつを安全管理と強く確信している気がいたします。貧弱な装備や不十分な体力で参加するお客さんに対してきつく説教するガイドもいます。これも程度問題であり、一長一短ですが。

今回の場合、体調不良のメンバーの管理がきちんとされていたかどうか、改めて問われそうです。

8.天候条件が急変した場所

>どこかで急に風雨がつよくなりました>

>天沼からロックガーデンにかけてに木道があるとおもいますが、そこが一番風が強かった>

それは天沼とロックガーデンの間にあるコルです。

http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.html?meshcode=65422655

地図でご確認いただけるとお分かりになると思います。

ここは西側がクワウンナイ川の源流にあたり、けっこう大きな谷ですのでコル付近は風の通り道となっています。実はクワウンナイ川自体も上級者向け登山ルートのひとつとして知られており、私も何度か経験がありますが、クワウンナイ川縦走ルートでは、この木道付近で往復登頂するか、ヒサゴ沼に直行するかの判断をします。つまり、想定外の天候など緊急時に判断地を設けるとすればここです。

9.悪天候時のパーティの状況

風速20mというのをリアルに表現するのはとても大切と考えています。

>風のつよいときは屈めとも言いました。それでほとんど進めなくなりました>といったご証言もあわせますと、少なくとも天沼より先のルートでは行動可能な天気とはとてもいいがたかったと推察されます。

これをお聞きした趣旨は、しばしば山岳会等でよく議論されることですが、風速や視界何mといういかにも客観的な基準は、実は計測者の主観によってばらつきがあるため、もっと具体的な目印を共有して判断材料にしようということがいわれます。たとえば行動できる風の基準として、ザックが風で煽られる、フードやザックカバーが外れないか気になり気が散って行動に専念できない、などといった指標です。

今後、ツアー会社にお願いしたいことがあるとすれば、具体的な天気基準の共有ですね。ウェブサイトでもハンドブックなり冊子でもいくらでも情報共有手段はあるわけで、この会社はこういう行動準則をもっていると公示することで、お客さんも予測が立てやすくなります。

しかし、では、登山者が北海道の山をなめていたと結論付けていいかは大変疑問です。

なぜなら、ツアー会社がどんなに情報提供したとしても、それはあくまで消費者がツアー選択する際の判断の一助にはなりえても、それが事故の際の言い訳になりえるわけではないのはいうまでもないからです。会社ないしガイドと消費者との間では、情報量と分析力・技術・判断力すべてにおいて対等ではないからです。つまり、会社は一部のお客さんがうっかり間違えて自分の能力を超えた過酷なツアーに申し込んでしまった場合でも、参加を認めるかどうかの判断を含めて、適切に安全に配慮する義務があります。あるいは、途中で体調を崩してしまい、自分自身で適切な自己管理をしたいのは山々だか、自分の不調のためにパーティ全体に迷惑がかかることを思うと、誰にも不調を言い出せないといった状況を想像してみればわかるように、組織登山において、登山者の自己責任を云々する批判はあまりにも不合理です。それは戸田さんもお感じのとおり、自己責任とはいいがたいのです。リーダーおよびツアー会社の責任というべきなのですね。

引き続き戸田様のご回答へのコメントです

10.休憩と食事

天沼とロックガーデンの間のコルより先で、一度も休憩をとらず、かつ各自が食事をとっていたかどうか定かではないとのことですね。

休む余裕もなく食事をとる力もなくなって体力消耗の悪循環に陥っていった、そんな状況が想像されます。

11.最初に体調を崩していた客はレッドサインを出していたか

質問のなかで(大騒ぎ)とありますが、これは小池様の補足説明によるもので、私のイメージとは少し違います。私の質問は『不調や疲労を表現できるタイプでしたか』です。

私のリーダーとしての考え方を述べさせていただきますと、お客さんはできる限り体調に関して自己表現するべきです。ルートや天気に関してあれこれ意見をいうのも、勿論かまいませんが、これらの情報はガイドの参考にはなりません。ガイドが重視するのは、お客さん自身のレッドサインです。体調が悪いときに、きちんと悪いと報告できる、連絡できる、相談できる人は自己管理ができるお客さんです。逆に言えば、報連相ができない人は組織で行動するのに慣れていない人です。

ですから、カナリアのように、いわれなくとも報告をしてくれるお客さんは体調を隠そうとするお客さんより組織の動き方の参考になるのです。しかしながら、現実は、ほとんどのお客さんが沈黙します。迷惑かけまいという気持ちが先行してしまうためでしょう。きわめて日本的な感受性ですが、この現実を前提にガイドやリーダーは自己管理のできないお客さんの動向を把握する必要があります。一例ですが、お客が小屋で安眠できるようにと、自己判断で錠剤を割らずに普段より多量の睡眠薬を飲んで間違えて着の身着のままお茶をこぼしてぐったりしていることもあります。こういう危機を早期発見するのもガイドやリーダーの役割となります。

しかしながら、ご存知のように、多くの日本的な組織でそうであるように、部下には報連相をせよといっておきながら、いざ部下から進言を受けると、「それはお前が考えることではない」といってボスのプライドを傷つけることがあります。部下にとてはたいしたことのない事柄だと思っていても、上司にとっては内容ではなくその進言行為そのものが我慢がならないわけです。組織を長く経験すると、この微妙な空気、すなわち「報連相の作法」にはより敏感になるはずです。

ただ、登山のリーダーは、その場の空気がどのようなものであれ、自分自身がもつ、ある種のプライドそのものを自覚してセルフコントロールするべきでしょう。その意味で、「客のわがまま」というテーマは、客側の解決されるべき問題ではなくガイドの側でコントロールすべき問題なのです。

12.最初の行動不能者が発生したときの待機指示

>吉川さんはすでに低体温症にかかってていたのではとおもいます。

とご回答されておりますが、それは、最後尾に歩いていた吉川さんも動きが鈍くなっており、あまり言葉を発しなくなっていたとか、あるいは他人を対処できる状態ではなかったという意味でしょうか。

14のご回答で、列の最後にいた故障者が真ん中にいた38歳ガイドのところに連れてこられたというのは、吉川さんは自分で判断して対処方法を講じるといったことができなくなっていたのでしょうか。

つまり報道では、最初の故障者に付き添ってその場に滞在した、となっていますが、現実は介抱している間に自分も動けなくなりつつあった、ということでしょうか。

14.低体温症の対処の現実

背中をさする、テルモス(吉川さん持参)の湯を飲ませる、声をかける。

この3つ以外に何か思い出せませんか。

ここは、今後の教訓のキモになるところだと思います。

15−1.戸田さんが「救援要請をしろ」と訴えた時点の状況〜指揮系統の不在

通常、遭難の認識は具体的な対応策が尽きた時点でされるはずです。

たとえ計画を外れた認識があったとしても、軌道修正の道があると認識しているのであれば遭難と判断しないはずです。

しかし、16日11時30分の時点で、より風雨の強いと思われる天沼方面に引き返す現実味はなく、さりとて今後前トム平あたりまでは風上側の稜線をゆくことになります。私が考えても、最悪の場所で行動不能者が出ており、少なくとも故障者については、救援が必要な状況と認めるほかなかったと思います。戸田さんのおっしゃるように、これがもし低体温症であるとの認識をもっていれば、遭難と認めざるを得ないわけですが、ガイドからは反応がなかった。とすれば、ガイドの主観としては、低体温症の知識がなかったか、低体温症を認識していたが遭難と認めたくなかったかのどちらかしかないです。戸田さんの分析のとおりです。

通常、指示というのは誰がいつどうする、というように、具体的になされなければなりません。吉川さんは「様子をみる」とだけ返答し、そのまま10分経過、それだけでも、もはや指揮系統が存在しなくなったと理解してもおかしくありません。

15−2. 通信状況

北沼・南沼付近でどの時点で通信が可能になったかについては、やはりもう少し情報を集める必要がありそうですね。

17.コマドリ沢〜新道のルートについて

>自分はもと来た方に戻ろうとしていた

それは典型的なリングワンデリング(彷徨)といえます。

斐品さんと長田さんとはその後一緒に行動されたのでしょうか。

記録によると、斐品さんと長田さんは0時55分に短縮道ではなく、東大雪荘へ直接向かう林間コースを下山したようにもみえます。

一方、戸田さんは、短縮登山口の標識を左に曲がったのでしょうか。

18.38歳ガイドの行動

そもそも多田くんからの指示は10名まとめて下山とのことですので、救援要請のため下山したというのはおかしな話だと思っていたのですが、自分自身も背中をぬらし体力を消耗してゆく中で、お客さんのケアをするとなれば共倒れになりかねません。苦渋の決断としてお客さんを完全にぶっちぎって空身で走って携帯の通話エリアまで下山するという選択もありえたかと思います。まさにトリアージ的な究極の選択ですが。現実はそのどちらでもなかった。戸田さんの解釈は非常にリアルです。一人の客としてそのように映じたというのは、確かです。ただこの点は、本人ふくめた別の人の見方もお聞きしたいところです。

ところで、下山路の動きをもう少しみていると、真鍋さんの行動がひとつ気になります。サンケイの報道では

http://sankei.jp.msn.com/affairs/disaster/090723/dst0907231350013-n2.htm

一方、戸田さんは11人がばらばらになった後、コマドリ沢分岐から山頂方向に約1キロの前トム平の手前で、歩けなくなった女性に手を貸していた長田良子さん(69)=仙台市=に「手伝って」と頼まれた。もう1人女性がいたが、突然倒れて起き上がらない。戸田さんらは2人を引っ張って雪渓を滑り降りたが、戸田さんは「自分のやれる範囲を超えている」と思い、歩き始めた。近くでは真鍋記余子さん(55)=浜松市=が別の女性を介抱していた。とあります。彼女は、最終的に前トム平で救出されていますが、記事の読みようによっては、コマドリ沢にいたる雪渓の下りで救助活動をしたあと、前トム平にもう一度引き返し、別の登山者の介抱をしていたようにもみえるからです。もしそうだとすればすごいことです。

もし情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら、教えていただけないでしょうか。

いずれにしても

戸田様 細かい質問にお答えいただきまして誠にありがとうございます。

まだ事実として不明な点は多いのですが、おおよその今後の対策のあり方はみえてきたように思います。またおりにふれてご質問させていただきたく存じます。どうぞよろしくお願いいたします。

引き続き戸田様のご回答へコメントいたします。

19.北沼到着時刻

午前11時北沼(渡渉後)着。

午前11時30分トムラウシ頂上と南沼方面との分岐点

通常の天候ですと、アミューズPTが渡渉したという小川そのものが存在しません。北沼の湖水が溢れて小川となってワセダ沢方面へ越流しているところを登山道が横切っていたということだと思われます。その光景は、実はみてはいけない光景だったのではないかと思います。かつてコマドリ沢(カムイサンケナイ川)の増水により旧道が通行できないことがあった時代(2002年以前)には、エスケープルートを引き返してしまいますので北沼の越流など、まず見ることができない光景です。

19−2.最初の故障者の発生から行動再開まで

この故障者はすでにロックガーデンより前から吉川ガイドが付いていたようです。とのことですが、つまり、最初の故障者はロックガーデンから遅れ気味で、パーティから少し離れていたということですね。

小川を渡るときも彼女だけ渡れず、32歳ガイドが別のところを探してきて手を伸ばしていました。との証言から、渡渉に際して、元の登山道をどこでもジャブジャブ渡れるわけではなく、場所を選ばなければ足をとられるほどの水流があったと推察されます。北沼はそもそも雪渓が解けてできた湖水で、冷たい水です。付近は永久凍土の研究がなされるツンドラ地帯のようなところです。また松本ガイドが背中をぬらしたのは不用意に歩いて足を取られてすっころんだせいと思われます。

その後、この渡渉にすっかり消耗した最初の故障者は、南沼とトムラウシ頂上との分岐まで、岩についたペンキを頼りに両手両足フル稼働でよじ登って(トラバース)ようやく分岐にたどりついた。11時半になっていました。通常、小川付近から分岐まで10分です。大多数は分岐手前ですでに20分くらいは待ったかもわかりませんね。到着するや、行動が不能になった。さて、ここから頂上を目指すという判断はありえず、吉川さんが故障者の手当てに回ることになります。

不可解なのは、ここからさらに一時間半ほど最初の故障者を休ませる間、他のメンバーを吹きさらしの北沼のほとりで放置していたことです。いったいなぜなのでしょう。これがいまだにわかりません。あとになって先を急いだ松本ガイドではありませんが、じっとしていればますます消耗するため、皆さん半ば本能的に歩きたいはずです。しかし、またされます。質問19-7によれば、このときの天候は、風時々雨。ときおりバラバラと雨が降る、風の強い天候だったようです。このときの天候を戸田さんは風はむしろ乾くので心地よいにですが、のちに体が冷えると肌についた下着のあせでたえられなくなってくる。と回想しています。

19−3.

さて、午後1時半。吉川さんと最初の故障者が居残ることが決まり、残り16名が南沼方面へ出発します。推測ですが、ここで野首さんがツエルトを吉川さんと故障者のために提供できることになったのでしょうか。

ところが出発してまもなく、お客さんの一人がついてこないことに別のお客さんが気がつきます。このときのPTの編成はどうだったのでしょうか。もし多田ガイド先頭松本ガイド最後尾であれば、遅れたひとりは松本ガイドと一緒に遅れてしまったということになりそうです。しかし、戸田さんによれば、彼女は32歳ガイドが機会をみつけて回収していったのでしょう。と推測されています。つまり、第二の故障者は一行から取り残されているかっこうだった可能性があります。

一行は第二の故障者が出発できないのに気がつかずに、さらに前進をつづけ70mほど歩いたところ(さきほどの分岐と南沼との間)で次々に故障者が現れたことになります。19-5.によれば、この時点すなわち再出発後10分後の午後1時40分に多田ガイドがテントを設営し、行動不能者を残留させ、手当てに専念する判断をしたものと思われます。

しかし、だとすれば、このときの松本ガイドの位置取りが大変気になります。彼は出発せずに第二の故障者とともにその場で手当てを始めたのか、それとも第二の故障者に気がつかずに一行の最後尾を歩いていたのか。それとも、最後尾を歩いていなかったから気がつかなかったのか。多田ガイドがテントを設営している間、第二の故障者の状態は誰がみていたのでしょうか。

この空白の1時間半の間に何があったのか。滞在時間が長引いた理由がいまだにわかりません。そして、再出発したとき、出発する力をすでに失っていた第二の犠牲者は発見されるまでの間、どのくらい時間が経過していたのか。そしてそれはなぜなのか。この二つの疑問が残ります。

それはリーダースタッフが低体温症になって頭が正常に動かなくなってきていた、といえば簡単かもしれませんが。

20.テントを張って自分を含めて6名の残留を決定した多田ガイドは、残りの10名をまとめてトムラウシ分岐で確認してくれ、と松本ガイドに伝達したと報道にあります。戸田さんは用語を勘違いしておられますが、多田ガイドのいうトムラウシ分岐とは、その先にある南沼キャンプ場付近のことです。

もし多田ガイドが10名という言い方をしていたのだとすれば、このときには一行から70m離れた、吉川さん残留地付近にいる取り残された第二の故障者の認識があったことになります。吉川さんと第一の故障者(植原さん)が使用するツエルトの収容能力が足りないので、多田ガイドが機会を見つけて70m搬送したと戸田さんは推測しているようです。

さて、ここから先(南沼〜コマドリ沢出会いの間)のルートでのリーダーの判断については質問を控えさせていただきました。南沼付近(トムラウシ分岐)で松本ガイドが全員を確認することになっていたことは報道のとおりで間違いないでしょう。しかし、現実には木村さんがこの付近でお亡くなりになっております。

松本ガイドが分岐付近で、おーいと叫んだその言葉を最後に木村さんは動けなくなり、一行から取り残されます。

ここからの修羅場は、生きるか死ぬかの瀬戸際で、ぎりぎりまで助け合い、ともに生き抜こうと努力を重ねられ、そして生還を果たしたひとたちに「あなたは、よくぞがんばりました。十分がんばりました。自らの限界を越えずによくぞ生きて帰りました。」とだけお伝え申し上げたく存じます。

戸田様

わたくしからの質問は以上でございます。

戸田様におかれましては、一日もはやく平穏な日常にお戻りになられることを深くお祈り申し上げます。

数十項目に及ぶ質問項目に、詳細にお答えいただきまして誠にありがとうございました。

Sub eightの管理人との関係が突然悪化(8月3日ごろ)

その後、戸田さんの質疑が第三回まで公開し終えた段階の8月3日ごろから、ウェブサイトの管理人のsilvaplaunaさんが突然、私に対して猜疑心をむき出しにするようになりました。

swanslab 様

いろいろお世話になりました。多田ガイドはじめ関係者の皆様には、これからが正念場となりましょう。

裁判の結果がどう転ぶかは分かりませんが、個人的にこの事例からは十分学ばせていただきましたので、あとは傍観者にまわろうと思います。

御答えいただかなくとも構いませんが、多田ガイドがアミューズ社の社員であるかどうか、彼自身がこの計画の企画立案に深く関与しているという情報に関しては、実際のところ、どうなのでしょう・・?

お立場上言えないとは思いますが、「第三者」から見ると、swanslab様は、身内を守るためにそういった不利な事実は隠しているのでは?との不信感が募ります。

やはり、腹を割った話しをなさらない方には、警戒する心が起こるものです。

そう考えると、swanslab様が質問19で、第二番目の発症者の方をめぐった「動き」を非常に詳細に追うのもおかしいなと感じます。遺体発見状況が分からないのでなんとも言えませんが、多田ガイドは、この女性をきちんと認識しテントに収容したのでしょうか?(あるいは見過ごしてしまったとか?)

いずれにしても、多田ガイドの刑事責任に絡んでくるからご注目なさっているのであろうと推察しております。

まぁ、傍観者の私には、詳細すぎる論点です。

北海道大雪山系 トムラウシ山 大量遭難を考える。 今回の事故について戸田新介様のご意見 と 幾つかのご回答 | 甲 武 相 山 の 旅

このコメントをうけてスワンは以下のように回答

silvaplauna様

私の関心は、どうして彼がこんな事故を起こしてしまったのかということ一点なのです。それは信じていただきたく思います。

多田くんがいつアミューズの社員になったのか私は正確なところはわかりません。しかし、たしか4年ほど前だったと思いますが、添乗員の資格をとったとか、そういったうわさ話的な情報は持っておりました。彼の専属ガイドという立場についても、風のうわさ程度でしかありませんが、派遣社員ともよべない、会社からはこき使われたあげく切捨て自由の不安定な立場ではなかったかと想像します。想像ですので、コメント欄をお読みの皆様におかれては、あまり「釣られ」ないで、いただければと思います。また、通常、札幌発ではなく、本州からの集客ツアーの場合、添乗員は本州の支店であることが普通でしょうね。その意味で、吉川ガイドが添乗を務めたとの説明には納得がいきました。他のツアー会社でもどこでもそうでしょう。

それから専属ガイドは、本州の支社の企画のツアーについて例年行われているツアーを’こなしている’というのが実情ではないでしょうか。ただ、行程表や装備表1,2枚で計画だというわけにはいきませんから、彼なりに登山計画のビジョンを立てて入山するはずです。また、もう少しあやふやな情報も私の耳には入っておりますが、公開すると一人歩きするのも危険ですので沈黙しております。

silvaplaunaさん。

こういった不確かな情報でよければ、彼のプライバシーに触れない範囲でおながしすることはもちろんやぶさかではございませんが、

身内を守るためにそういった不利な事実は隠しているのではないか

とのご質問は、少々とげが強すぎるのではないでしょうか。私は以前の申し上げましたとおり、多田くんには真実を話してほしいと願っております。できるならば、多田くんにはもっと違った判断をしてほしかった。質問19でしつこく状況を聞いたのは、空白の1時間半多田君は何をやっていたのかを知りたかったからです。

このように書かせていただいても不信をぬぐえないでしょうか。

メールでも書かせていただきましたが、本当はsilvaplaunaさんとも電話でもお話できれば話はスムーズだったと思います。しかし、当地では日本との時差がずいぶんあるうえ、通信事情も悪く、関係者とも事故以降ほとんど連絡がとれていません。それがとてもはがゆい毎日なのです。

それから、戸田さんなりの営業職員像を拝見して私は少し違和感を覚えております。なぜなら、添乗員系のガイドとはいえ、必ずしもお客さんを無理して引っ張りあげようとする人ばかりではありませんし、撤退の判断もあっけないほどシンプルな人もいます。一概にはいえません。ツアコンの見方は百人百様です。また事故の物語も、みる人の数だけあります。戸田史観はひとつの見方にすぎません。私としては、もう少し他の方の物語も明らかになればもっと全体像がみえてくるのかな、という気がしております。

いずれにしましても、ご気分を害されたことにつき、深くお詫びを申し上げます。いいかえると、私自身もあまりいいネタを提供できず、つまりはお払い箱ということなのかなぁ、と寂しくも思います(冗談です)。

これまでの更新活動、ほんとうにお疲れ様でございました。私には到底できないことでした。

深く感謝を申し上げます。

関連情報 8月7日追記

・・もしかして、と思い、2chの登山キャンプ版をのぞいてみた。当然ヲチ版があるんじゃないかと思って。

なんとか覗けたとはいえ、私はテロ支援国家四天王のひとつに数えられる国に滞在しており、アクセスは容易ではありません。ここイスラム原理主義国家のブロッキングは凄まじく、ちょっとでもエロいバナーが片隅にあろうものなら、とたんにブロッキングされるため、リアルタイムではまず閲覧できない。Googleキャッシュでどうにか流れを知った。つくづく言論の自由のありがたみを思い知った。しかし2ch恐るべし。叩かれてるのが自分じゃなくて本当によかった。しかし何かあったときに通報すらできない状況。。つくづく気をつけようと心に誓った。

関連情報 8月11日

気をつけようと心に誓ったけれど、誓うだけではだめでした。医者の不養生状態?

あ、スレのみなさん、こんにちは。

たまに読み出せる瞬間もあるのですが、やはりほとんどアクセスできず厳しい環境です。

おりしも通信環境問題ってこのテーマにもありましたね。

>897で紹介されていた  http://ktk-reader.appspot.com/ →ムリ(経済制裁のため、必要なドライバーが手に入らないことはしばしばあります)

さて、とひどいことになりましたが。

なんていうのか・・・展開に勢いがありすぎて、正直、気圧されました。

その気迫あふれる書き込みをみたあと、しばらく通信がとぎれる不安たるや。。

まあしばらくは動揺しましたが、駅で注意した人みたいに刺されるわけじゃないし、アクセス人口も延べ人数に比べると実数はごくわずかのようだし。また後ろめたい事実があるわけでもないので。もうしょうがないし、ほっとくしかないです。どうなるのかわかりませんが、これもまた運命なのでしょう。

あと、地図もコンパスも持たない登山愛好家による安全登山論をトンデモと認定したのが燃料投下だったといえば、いえなくもないですが、もう言及しませんのでご安心ください。

関連情報 8月12日追記

日本時間の今日の午後、過去ログ倉庫(mescalito)に「後輩」などキーワードを叩き込んでくる気持ちの悪いアクセスがありました。うっとおしいので一時的に公開レベルを下げました。

過去ログの公開レベルを引き下げた経緯 8月14日追記

結論:2chのスレッドに現れた名無しによる執拗な個人情報の詮索にうんざりしたためです。

鏡像に怯える者は好きにすればよいし、こういった書き込みを見つけては喜び勇んで2chにコピペするのも勝手ですが、他人に迷惑をかけてはいけません。

名無しによる詮索が始まった経緯は主観的には以下のとおりと推察されます。

登山・キャンプ板のスレッド「大雪山系遭難事故をマターリ語るスレ」において、8月4日ごろから、Subeight管理人に対する誹謗中傷が相次いで巻き起こり、それに呼応して当サイトやHNに対する中傷や批判が増えてきました。

当初は「サブエイトのガイド叩きは過剰だ」とか「サブエイトに比べるとスワンのサイトはまだしもまとも」といった類の言説が多かったように思います。8月5日ごろ、スレの誰かがサブエイトの管理人を「汁」と屈辱的な名称で呼ぶように提唱し、サブエイトへの批判はそれから数を増していきました。また呼応するように次第に私のサイトやHNへの中傷の表現が強めになっていきました。煽りにあおり返している状態です。もちろん誰が書き込んだかは特定できません。そのタイミングで私のサイトではアクセス履歴から2chからのアクセスが急増しているのをキャッチしましたので、毎日そのスレッドをウォッチすることにしました。とはいってもイスラム原理主義国家からの2chへのアクセスは容易ではなく、かなり苦労しました。書き込みはまずできません。何度か試しましたが、偶然何かの拍子に読めたり書けたりする、といった状態でした。とたんにブロックされるので書き込めたのかどうかの確認すらできません。丸一日まるでアクセスできないこともあります。

やがてスレッドの名無しのなかには、スワンへの中傷はサブエイトの管理人によるものではないかと勘繰る者が現れました。また逆に別の名無しはサブエイトへの誹謗中傷がスワンによるものだと強く思い込んだようです。8月12日ごろを頂点に、両者は正面から激突し、AAアートを駆使した空中戦をやるようになります。

私にしてみれば「ひぇぇやめてくれ、勘弁してくれよ」状態です。最後に、私の実名や身分を詮索する名無しが実名を晒し上げ、本名=スワンとしたうえで「紳士の仮面をかぶった汚物」とまでののしり、挙句の果てに、遭難問題のエントリとは無関係の過去のエントリやハテナの別のブログのコメントまでコピペが始まりました。

その頃、ようやくブロッキングされずに閲覧可能なルートを発見し、常時監視が実現しました。

気がついてみれば簡単でした。もう遅かったのですが。

一方、スレでは、8月10日ごろ、執拗にスワンの情報を引き出そうとする名無しの少なくとも一人のリモートホストが判明しました。以後、アクセス解析を複数の私のサイトに導入し、2chでスワンの過去記事に言及する書き込みとの時刻との相関関係等を調べた結果、同じリモートホストひとつからの書き込みと強く推認されました。同じPCから2名以上で書き込んでいる可能性も否定できませんので断定はできませんが、ほぼ同一犯と推定しています。

はっきりいいます。誰が何を書こうと自由ですし、批判も甘んじて受けます。実名についても検索すればわかることは以前から知っていました。別に名前が知られたところで痛手は大きくありません。

ただ、私が2chで面白おかしくサブエイトを弄んでいると勘違いして、その思い込みだけで、中傷を目的として実名や個人情報を晒したり、挙句に実名を名指しして「紳士の仮面をかぶった汚物」とまで罵るのは過剰反応にもほどがあります。

何ゆえ、そうではないかもしれないという別の可能性を留保しないのでしょうか。

名無しは、私がはてなブックマークコメントにおいて「地図もコンパスも持たない登山愛好家の安全管理論はトンデモ」と評したことを取り上げて、私を中傷する根拠として弁明しているようです。つまり、サブエイトに対して紳士的な態度をとりながらも、裏ではこんなに汚い言葉を吐いているではないかと。スレのどなたかがいうように、そういう物言い自体、第三者が発言するのは不自然というべきで、サブエイトの管理人の発言あるいはサブエイトの管理人のフリをしている何者かと推認に値するするわけですが、真相はわかりません。

no title

accident, トンデモ こんな奴が安全登山云々してたのか。。。コメントする前に調査しとくんだったなぁ。あまりにうかつだった。反省。 (参考過去記事)これ思い出した→ http://d.hatena.ne.jp/mescalito/20041110/1100344497

これもはっきりいわせてもらいます。

ブックマークでの私のコメントはそれに限らず辛らつです。地図もコンパスも使ったことの無い人間が安全登山について語るな、というのは私の持論です。中傷でもなんでもありません。

また、そのブックマークをして以降は、サブエイトの記事に対する信頼はないものと思ってかまいません。裏と表があるのではなく、その時点で態度を改めたとご理解ください。しかしながら、それはそれまでお世話になったこととはまた別の話です。

さて、スレッドの名無しさんは、このブックマークコメントをみて、スワンがサブエイト批判を繰り返し、スレを荒らしているのではないかと勘繰ったようです。

つまり、その名無しは、スワンは8月5日の時点でサブエイトを見限った→そして2chのスレでサブエイト叩きを始めた、あるいははじめから二枚舌だった

という理解なのでしょう。サブエイトは客観的にも主観的にも被害者でしょう。間違いなく。

仮想敵に名指しされた、もう一方の被害者の側からいわせてもらえば、

そんなにわかりやすくサインを出す奴がいるのかよです。

というか、私にはサブエイトをからかったり誹謗したりする動機などひとつもないことだけは申し上げておきます。やってないという証拠もないのに、全然意味がないのは承知のうえですが。

知人が事故の当事者だったという出発点があって終始一貫して32歳ガイドを心配していると発言しているにもかかわらず、なにゆえ、その一方で2chで人をからかって遊んでると思うのか、そちらのほうがよほど理解に苦しみます。

2009-08-06 トムラウシ遭難をうけて他のウェブサイトにしたコメントの一覧リスト

[]北海道大雪山系 トムラウシ山 大量遭難を考える。 | 甲 武 相 山 の 旅に書き込んだスワンのこれまでのコメント一覧その1

Preface

これまで、私は北海道大雪山系 トムラウシ山 大量遭難を考える。 | 甲 武 相 山 の 旅という遭難事故の考察サイトに数多くの書き込みをしてきました。

ここで書き込んだ私自身のコメントをテーマ別に整理して再構成することにいたしました。

その理由は、これまで上記サイトにコメントしてきましたが、管理人さんとあまりにも登山に対する考え方が違うことに気がつき、かえって読者を混乱させてしまうことに思い至ったからです。

8月3日ごろから、この管理人さんが突然、スワンは多田ガイドの肩を持ちすぎだとの意見を繰り返し述べ始めました。これは今思えば、管理人さんにとって一種のバックラッシュだったのでしょう。私はわけがわからず驚いてしまい、そこで初めて彼の過去の記事を検索しましたところ、根本的なところで私とは考え方の違いがあったようで、突然の翻意にも合点がいきました。今は軽はずみに他人のサイトを汚してしまったことを後悔し、反省しています。管理人さんにもご迷惑をかけました。


※以下、前後の文脈がわかりにくいところは最小限度に発言元を引用し、コメントのタイトルを新たにつけました。またポイントを強調するためいくつかボールド表示に変更しました。

コメントリスト

登山計画(プランニング)に関するコメント - + C amp 4 +

ルート評価についてのコメント - + C amp 4 +

天気判断・進め方に関するコメント - + C amp 4 +

パーティ評価に関するコメント - + C amp 4 +

ツアー会社の責任についてのコメント - + C amp 4 +

携帯電話の通話エリアに関するコメント - + C amp 4 +

7月16日にトムラウシを目指していた他のパーティの動向についてのコメント - + C amp 4 +

生還者戸田新介さんとの一問一答 - + C amp 4 +

生還者戸田新介さんの回答に対するコメント(7月31日〜8月3日) - + C amp 4 +

Sub eightの管理人との関係が突然悪化(8月3日ごろ) - + C amp 4 +

登山計画(プランニング)に関するコメント

登山計画作成とは行程表と装備表の二枚のことではない

silvaplauna様

何度もコメント欄を汚して申し訳ございません。

登山のリスクマネジメントはおよそ3つの構成要素から成り立っています。

ひとつはルート評価、第二に天気・進め方の戦略、第三にパーティ評価です。

ルート評価について。ルート上に障害物があればどうすればいいか。これは天候や霧などの視界、積雪も含めての評価です。このシミュレーションは距離や時間読みも含めて事前の登山計画で十分作戦を練ることができます。リーダーは現場で臨機応変に考えるのではなく、事前に頭に叩き込んだ答えを現場で当てはめればよいのです。

たとえば増水した川を渡渉するルートを想像してみましょう。正解はひとつしかないのです。渡れる水量を事前に決めておくことです。いけるところまで進み、だめなら戻ろうという現場の判断はもっとも忌避すべきことです。なぜなら、いけるところまで進むということは流されるところまで進むということだからです。

第二に、天気判断・進め方・停滞日の設定について。

実際にパーティがどのような天候であればぎりぎり行動できるか、についても事前に検討することが可能です。というより、このような判断を現場で臨機応変に、あるいは直感的に判断するべきではありません。行動可能な視界、風、気温についてはある程度定量的な基準を設けて、割り切って登山計画に盛り込んでしまうのがベターです。たとえば「フードで顔を押さえるような強風と雨の行動はしない」などです。なぜなら、天気の判断などというそもそも人知を超えた判断は、予防原則にのっとって安全側にたっておくべきからです。現場で余計なことを考えるべきではありませんし、現場の人間がどういう戦略をもっているかについては第三者に対しても登山計画などで共有すべきことです。山の中で判断すべきことは少なければ少ないほど安全なのです。

第三にパーティの評価

現場でリーダースタッフが思考を集中すべきはここです。

計画上のルートファインディングも天気判断もすべて現場のリーダーの判断になるわけですから、計画が絵に描いたもちにならないためには、これらを判断できる能力がリーダーに求められる要求水準となります。

また刻々と変化するパーティの状況(体力の消耗や装備など)をリーダーは常に把握する必要があります。これは現場の判断にならざるを得ません。

体力がわからないなどパーティの評価に不確定要素が多い場合は、行動できる天気基準・進め方・停滞日の持ち方に余裕を持たせる、というのが基本的な登山のリスク管理の哲学です。逆に言えば、攻撃的な登山とは、天気読みをある程度はずしたとしても行動できるパーティ評価をするということです。

ですから、現場での天気判断が難しかったとかいうのは、実はマヌケな話であり、それ以前に、パーティ評価についての計画上の不備があるわけです。

それでも、パーティに予期しない異常行動が発生するケースもありえます。

冬山ではよくあることですが、いままで元気に歩いていたメンバーが突然電池の切れたロボットのようになる、など。これが最終判断地を超えた地点で発生すれば取り返しのつかない事態に発展します。ここではじめてリーダーの真の登山センス・才覚が試されるわけですが、通常はそんな属人的な思考はしません。組織として行動する以上は、リーダーの個人的な才能に頼るべきではないからです。組織登山に冒険はありえません。

本来、このような登山計画は企画会社で共有されるべきでした。ガイドをアウトソースするリスクのおぞましさを今回思い知らされた気がします。

なぜこのようなことをぐだぐだと書き汚しているかといいますと、こうしたロジックこそ、ガイドの一人である多田くんのかつての出身母体の山岳クラブが共有していたリスク管理の手法だったはずだからです。

私がこの事故のニュースの第一報を聞いて愕然としたのは、いったいなぜ彼らはこんな判断をしたのだろうか、ということでした。とくに多田くん。私はそれをなにより、多田くんに問いたいのです。できれば、死人に口なしで、吉川さんにすべての責任をなすりつけたい悪魔の誘惑が私のなかですらあります。つまり多田くんは主体的に判断できる立場にいなかったのではないかと思いたいです。しかし現実はそうではなさそうです。多田くんの口から真実が語られるのを今は待つのみです。

しかし、正直なところ、8名の命を失ってしまった今、彼の胸中を思うと本当にいたたまれなくなり、真相究明もさることながら、彼がはやまったことを考えたりしないかとても心配でたまりません。

http://subeight.wordpress.com/2009/07/21/tomuraushi/#comment-281より

現場での天気判断は過信しない

>つまり、天気予報で天気が回復するとされていても、一般のハイカーならともかくプロのガイドとしてはまず疑ってかかるべきであった。その意味で、慎重性に欠けたといえると考える。

これについては、僕は「天気予測なんて当たらない。当たらない時の行動計画の方が重要」と考えています。

とのBacchus auf Daikanbergさんの意見を受けてのコメント

--

Bacchus auf Daikanberg様

>「天気予測なんて当たらない。当たらない時の行動計画の方が重要」

全くその通りだと思います。silvaplaunaさんももちろん同様の趣旨で、天気判断の難しさについて考察されていますね。私なりの言い方をすれば、天気をずばりと当てるというのは、人知を超えた判断です。これについては、ほぼすべての方が同じ意見だと思います。

では、上記のような天気概況のときにどうするか、というと判断のロジックが分かれてきます。

私自身のリーダーとしての考え方を参考までにコメントさせてください。

ひとつは、あらかじめ登山計画のなかで、パーティの行動能力から、行動しても安全な天気基準を割り切ってしまう方法です。たとえば、トムラウシ越えをする天気基準は、前トム平を下るまでの6時間、小雨、ふらつなない程度の風なら行動可能などと具体的に決めてしまうわけです。いったん決めてしまえば、たとえ当日の朝の概況が好天方向だとしても、基準を満たさず、エスケープか停滞などの判断をせざるを得ません。またもちろんエスケープルートの天気基準も決めておく必要があります。

重要なことは、この基準、判断方法をガイドが決めるのではなく、企画会社が企画書のなかでマニュアル化することです。いわば、企画書は憲法みたいなもので、臨機応変の判断を許さない硬直性がありますが、これが安全側を志向する硬直性であれば、むしろガイドは、山の中で考えるべきことが少なくなり、登頂のプレッシャーも弱まり、精神的な荷は軽くなるはずです。ルート評価と天気基準については机上で考えつくしておく必要があります。

通常、山岳会等の計画検討で行われるのは、こうした行動指針の確認です。

このように考えると、計画の中で安全をある程度は担保できそうにも思えますが、ところが、リーダー(ガイド)は登山中、非常に重要な任務を負っています。

それは、刻々と変化するパーティの状況、能力、装備の確認、そして評価し、それを原計画へのフィードバックです。山のなかでのリーダーの仕事の中心はパーティ評価と管理といっても過言ではありません。もし、パーティの行動能力が計画時に想定していたレベルと差が生じてきたときは、リーダーが臨機応変に考えざるを得ません。この頭脳作業に神経を集中すべきであるがゆえに、ルート評価、転機基準などの計画を事前に綿密に立てる必要があるのです。

人間は不完全です。どんなに綿密な計画をたてようとも、現実が裏切ることはよくあることです。そこで初めてガイドの真価がとわれるわけですね。

まとめますと、まず企画段階で十分なプランニングをする。

現場では、常にパーティの状況を把握し、評価を加えてオーガナイズする、これがリーディングであり、ガイディングの基本といえるでしょう。

プランナーとオーガナイザーが別々の主体であることは、デメリットもありますが、むしろメリットも多いです。すべてのガバナンス、マネジメントに共通するテーマですが、議論が拡散するのでとりあえずこの辺で。

http://subeight.wordpress.com/2009/07/30/professional/#comment-327より

低体温症リスクを登山計画に盛り込むのは実効性があるか

あともうひとつ、低体温症発生回避についてコメントさせてください。

私の経験上、低体温症のリスクを客観化して、それを避けるために停滞あるいはエスケープするという判断基準を持っている組織はごく少ないのではと思います。つまり、どのような条件が組み合わさると低体温症になるか、という判断はきわめて難しいと思います。しかし今回の遭難を教訓に今後研究を深める必要がある分野だと思います。

ただし、実践的には、通常の組織登山の計画では、そういう難しい判断を現場でするよりも、一定の天候条件を下回った場合は何々する、という具合に、もっと広い範囲で網をかけてしまうほうが計画作成上は合理的だと私は考えています。天候の基準であればパーティ内部でコンセンサスを得やすく、議論する時間も最小限ですみます。現場での判断基準はできるかぎりシンプルにしてリーダーの思考の負担を減らすのが安全登山のキモだと思います。

低体温症といえば、かつて厳冬期の十勝で、奇しくも美瑛岳を越えたあたりで晴れていたものの強風下、メンバーの一人が近い症状になったことがありました。ザックにつけた気温計は−23度をさしていました。

これは今回の十勝の件はほとんど報道されていませんので、ここでいうべきことではないかもしれませんが、重荷を背負っていたこと、行動開始して2時間以上は経過していた、という点で、共通点があります。さらに防寒具に不備もありませんでした。しかし、事例としては、朝、雪洞や小屋を出た直後になるというパターンが多く散見され、いずれも比較的高所で急激な温度の変化を経験するときに発症しています。いろいろな事故例をみると、経験的には、しばらく行動して体が暖まる前に冷たい強風などにさらされると低体温になる可能性があるというカンが働きますので警戒していますが、しかし、ほぼ同一の気象条件下で、最初は元気に歩いていたが、しばらく行動しているうちにだんだん動かなくなる、みたいなケースというのは、判断が難しいものがあります。

ですから、低体温症回避という判断基準が登山計画において実践的であるかどうかは、私にはよくわからないところがあります。つまり、具体的にどういう条件になれば、停滞なりエスケープの判断をするか、これはかなり頭を使うのではないでしょうか。

参考になれば幸いです。

http://subeight.wordpress.com/2009/07/26/escape/#comment-293より

今回のトムラウシの事例を極めて大雑把に法則化すると・・

1 行動開始後 6時間で 30パーセントの者が発症し

2 行動開始後 10時間では 60パーセントのものが発症する

3 行動開始後 18時間以降に自力下山出来たものは、30パーセント以下であり。自力下山できないものは、瀕死の状態で救助される・・。

前提条件として、縦走三日目、中高年登山者、体感気温マイナス5度程度の暴風雨下の行動、・・となります。

低体温症の問題は、確率の問題として捉えるのが、よろしいようです。

とのsilvaplaunaさんの見解をうけての回答

--

silvaplauna様

リスクを定量化するとしたら、おっしゃるような分析になろうかと思います。

もうひとつ重要な前提条件として、レインウエア等の装備は追加すべきでしょうね。

今回生死を分けたのは、レインウエアの質だともいわれております(ただし吉川さんはゴアテックスなどの素材を着用していました)。

行動指針としては、悪天候での長時間行動を避ける、につきてきますが、リーダーはその理由付けとして、silvaplaunaさんが分析されているような基準を参照するのがよいと思われます。

発症者が出た場合の対処方針については、ボトルなどを使用した湯たんぽ作戦など装備を含めた具体的な処方を頭に入れておく必要がありますね。今回の場合は、こうした対処がどうだったか、今後の事実解明を待つばかりです。

リーダーの発症については、美瑛の場合でもガイドが発症しておりますし、これはこれで、リーダーの判断能力の喪失が更なる悲劇を招きかねないことを考えると、実は過去の類似事例を整理する必要がありそうです。

古い話では、79年3月の知床遭難という、吹き溜まりのテントを救出中に、リーダースタッフが疲労凍死した事例があります。個人的には、この点に関心が強いです。

私のコメントはあまり整理されておらずブレインストーミング的なものですので、余計に混乱させてしまったとしたら、ごめんなさい。また、ひとつのアイデアとご理解ください。

http://subeight.wordpress.com/2009/07/26/escape/#comment-296より

ルート評価についてのコメント

生還者数名がコマドリ沢〜登山口まで8時間かかっている理由

もっとも早くに下山できた前田和子さんでさえ、コマドリ沢分岐付近で遭難の第一報を発してから、短縮登山口まで8時間もかかっていますが、これほどまでに時間がかかった最大の要因は何だと考えられますか?体力の消耗のせいでしょうか。それとも雨で足場が悪かったせいでしょうか。

7月24日付のOPTさんのコメントをうけての回答

--

OTT様

想像にすぎませんが、さしあたってルートの問題と夜間の行動の二つが疲労に加えて寄与しているものと考えられます。

コマドリ沢より新道に入ると、急な登りが一時間ほどつづきます。この道は、かつて沢沿いの旧道が相次ぐ増水遭難事故のため閉鎖になり、あらたに開拓されたもので、開拓当初は根曲がり竹の斜面を無理やり切り開いたような、ルートとしてはできばえが非常に悪いものという印象があります。

今はどうかわかりませんが、開拓当初は、下手に転倒すると根曲がりの鋭利な切り口で服や体を突き刺す危険があると注意がなされていました。

そのうえ、カムイ天上付近で旧道と合流するのですが、このあたりは昔から雨が降ると、ベトナム戦争のようなぬかるみになることで悪名高い場所でした。登山道はV字状の深い溝になり、ときには急な下り坂をじょぼじょぼと水が流れている有様です。藪をつかんで脇をへつっていく上半身の体力がときには必要です。

このルートを命からがら降りてきた高齢者がヘッドライトを頼りに歩くとすれば、何度となく転倒することは容易に想像ができるわけで、転倒するたびに、消耗し、体を休め、足の歩みは逡巡し慎重にならざるをえず、生還して発見されたときの格好が泥だらけであったのは、このときの格闘を物語っていると思われます。

そのほか足の怪我などの要因もあったかもわかりませんね。

http://subeight.wordpress.com/2009/07/24/matumoto-hitoshi/#comment-280より

エスケープルートの選択肢と予備日の可能性について

7月24日付

はじめまして。

精密な事実の整理と考察、大変参考になります。

私もこの件に関して、関係者の話も聞く機会があったため、ある程度の分析や所見はもっています。ただ、それだけに、あまりに身近すぎて、書くにかけず、主観が邪魔して何一つかけません。とくに三人のリーダーシップはどういうものだったのか。生還した多田君や松本さんには真実を語ってほしいと願っています。

かつては、このルートの縦走はパーティ評価の判断よりも山越えのルート判断もまた難しいと考えられていました

なぜなら、大雨が降ると、短時間のうちにコマドリ沢に集水され、それより先の渡渉が増水により困難になる可能性があるからです。実際、かつてリーダークラスの岳人の間で第二の難所とされていたのは、森林限界を下がったコマドリ沢の増水でした。実際、かつては増水した沢に飲まれて死亡する事故が相次いでおりました。

ですから、ヒサゴ沼の小屋ないしカウン分岐でのっこすか、引き返すか、エスケープするかの最終判断をする際、雨の状況次第では沼の原登山口(あるいは天人峡温泉にエスケープする選択肢がかなり現実的なものとしてリーダーの頭の中にはあったものです。しかも最終判断地での待ち時間は長い行程を考えれば長くて 30分程度。いけるところまでいってみようみたいな、場当たり的な判断は許されず、即断しないといけませんでした。

いいかえれば、世間でツアー登山の落とし穴みたいにいわれているような、日程固定のプレッシャーによる判断のゆがみよりも、増水事故の可能性のほうがリーダーの判断を拘束しており、パーティ評価で頭を悩ます以前に、かえって増水を根拠にしてにエスケープの論理をたてやすかった記憶があります。

しかし、今では新道ができたためか、ルートを理由にヒサゴ沼でエスケープする判断をしにくくなっているのかもしれませんね。

http://subeight.wordpress.com/2009/07/18/tomuraushi-2/#comment-278より


silvaplaunaさんの考察をうけて、エスケープルート評価・時間等についての回答

silvaplauna様

本来ならこちらからきちんとした情報提供すべきところ、大変失礼しております。

記憶ですが、ツアーの時間読みで、だいたい

小屋→カウン岳手前分岐(1・5h)

カウン岳手前分岐→五色岳(1・5h)

五色岳→五色の水場(2h)

五色の水場→沼の原入り口(1・5h)

沼の原入り口→クッチャンベツ登山口(2h)

と記憶しております。

しかし、風雨を加味すると、弱い人がいればプラス3時間くらいみるべきでしょう。トータル11・5時間です。決して楽とはいえないエスケープです。

天人峡の時間読みはだいたいsilvaplauna さんのご考察のとおりです。

ただ経験的に、天人峡とどちらが負担が少ないかといえば、平坦な道の多い沼の原経由です。本件であれば風を背に歩けるのでよりベターでしょう。

しかし、通常、コマドリ沢旧道コースの危険をさけてエスケープするパーティのほとんどは天人峡に下る選択をしていたと思います。なぜなら、それだけの雨量になると沼の原コースは木道がついているとはいえ、水位に不安を覚えるはずです。実際には、そんなには増えないのですが。また、天人峡には公共の交通機関があり温泉もあるからです。添乗員やガイドにはホテル代バス代と頭の痛い問題が待ち構えていますが、温泉で疲れを取るのもやはり重要です。

一方、クッチャンベツ登山口はゲートのある林道の終点で国道に出るまで8km程度は歩かなければならなりません。

しかし、当日、かりにヒサゴのコルで最終判断をしたとして、カウン沢方面からふらつくような爆風が吹いていれば、天人峡に降りるよりも、風下側のクッチャンベツルートを薦めたいです。ツアーであれば、一人スタッフを沼の原あたりで先行させてバスを呼びに走るでしょうね。

http://subeight.wordpress.com/2009/07/26/escape/#comment-293より


北海道大雪山系 トムラウシ山 大量遭難を考える。 今回の事故について戸田新介様のご意見 と 幾つかのご回答 | 甲 武 相 山 の 旅(7/31)に対するコメント

他人のブログのコメントから引っ張ってきてお手数をおかけしました。

noho様からのご質問への回答です。

swanslab様

私はあなたのお陰でこの事故の事実少なからず近づけたと感謝しています。下記の件をお尋ねするのはあなたが適当ではないかと思います。ご教示いただければ幸いです。

デ魃脆鯑饐屋からのエスケープ(多分銀泉台)はリスクがあるのか?シェルパは最初の故障者の介添えには使えないのか?

まず共有している事実の確認からはじめます。

http://subeight.wordpress.com/2009/07/31/mr-toda-text/

の質問Г紡个垢襦戸田さんの回答によれば、ツアー初日の旭岳〜白雲避難小屋の行程において、嘔吐を催すなどの明らかな体調不良者が目撃されています。また戸田さんはその日、二度目撃したといいます。またその客の対応のため、ガイドが全員集まったのも目撃していますので、少なくとも白雲避難小屋到着の時点で、ガイド三名には体調不良者が一名いることの認識がありました。これが現場でどのような判断がなされたのか不明です。

さて、もしかりに、私がガイドであったとして、緊急下山の決断をする場合には、銀泉台経由か高原温泉を選ぶかはその日の風向きで考えるでしょう。銀泉台コースの場合、ルート上の問題としては、赤岳〜コマクサ平の風衝地帯で体力を消耗するリスクはありそうです。少なくとも3時間は吹きさらしです。また、標準的なアミューズツアーのパーティ能力を想定すると、この時期であればコマクサ平の下部の雪田のトラバースも短いながら侮れません。雪田に突入すると、登山路の出口がわかりにくいはずです。私はピストンの場合でも、何度かカッティングしたりステップを切ったりして通過させています。

一方、高原温泉下山を選択した場合、難所は下部1500m付近の大きな雪田帯です。これを初見で下るのはガイドの地図読みの能力を要するかもしれません。しかし、当世、ツアコンやガイドには磁石のきり方もしらない人がいますので、読図に慣れていない人には強くは勧められません。またルートの利用者も少なく、雪田一帯は冗談じゃなく本当に熊が出没する可能性が高いので雪渓に出る前に高らかに鈴を鳴らしたり歌を歌ったりしながら下りるべきでしょう。ただルート自体はやさしいし、最短といえます。


次のご質問ですが、コミュニケーション能力から考えて、ネパール人のテンバさん一人で故障者の介添え下山するのはお勧めできません。この場合、松本さんがベターでしょう。銀泉台下山後、比較的早い午前中に故障者を離団させることができるならば、速やかに登りかえしてパーティと合流するか、高原温泉の場合はクッチャンベツ登山口にタクシーで移動し、沼の原を駆け上がるというのもひとつの案でしょう。しかし、この場合も、この時期はヒサゴ沼手前の小屋への短縮ルート上の雪渓もいいかげん長いので、道に迷うかもしれませんね。地図の読めるガイドであれば問題ありません。ガイドの能力と天気によりますので、なんともいえません。

もしかりに離団というのではなく、東大雪荘に先回りするのであれば、松本さんは故障者と同行するべきでしょうね。その場合、本隊の三日目は脆弱な体制になりますので、動ける天気基準を一段引き下げる作戦にでて、7月16日の天候では体調不良者がいない場合でも、頂上をあきらめて沼の原登山口に下山するのがよいと私は考えます。

あやふやな回答で申し訳ありません。今後の参考になさっていただければと存じます。

天気判断・進め方に関するコメント

予備日の可能性は?

・別ルートからのアミューズパーティが当日ヒサゴ小屋に宿泊することになっていたため、遭難パーティは小屋での停滞判断をあえてしなかったのではないかとの趣旨の五郎右衛門さんの意見を受けての回答

何度もすみません。

遠まわしにいろいろ書かせていただいておりますので、意図を汲んでいただけると幸いです。

五郎右衛門様

小屋に残留した第四のガイドの主目的は後続パーティの翌日の行程のサポートでしょう。また、後続パーティがくることになっていたから小屋での停滞判断がなされなかったとの推論は、上述した経験を踏まえて、違うのでは?と考えております。通常、予備日もないのに停滞の判断はありえません

すべての新聞報道による分析は「なぜ停滞しなかったのか」みたいなよくわからない説教になっており、違和感を感じています。予備日がないならば、通常はエスケープです。そうすると、その状況でより安全な退路を考えるのがガイドの役割です。ホテルバスの手配という面では天人峡ですが、若干森林限界での行動時間が長く距離もあります。風よけになる樹林帯にわりと短時間で入れる最短ルートという面では沼の原登山口がベストです。また、後続同社パーティは沼の原経由でヒサゴ沼に入ることになっているため、もし仮にエスケープの判断がなされるとすれば五色手前あたりで同社パーティ同士がすれ違う可能性のある、沼の原経由で下山することになったでしょう。

小屋の場所取りの是非についてはさしあたり別問題として議論する必要がありそうです。

http://subeight.wordpress.com/2009/07/18/tomuraushi-2/#comment-282より

予備日がない前提では、まずエスケープの判断が先行する

一般(私のような素人)の場合登山では「停滞するしない」は個々が任意にきめています。が、「ツアーのばあい停滞はありえない」ということですね。現状認識としてそうかもしれませんが、しかし、この現状が望ましいか、望ましくないか、という深刻な問題があるわけです。それでも「停滞はありえない」というなら、そんなツアーはやるべきではないと思いますヨ。自然相手にそんな杓子定規は通用しないでしょうから。そう考えていくと、さいごは企画側の理念を問わざる得ないとおもえます。

との意見をうけ、以下の回答

    •  

五郎右衛門様

「ツアーの場合は停滞はありえない」のではなく、このツアーにおいて予備日を設けていないので、停滞するという選択肢はそもそも計画上存在しないということです。その日のうちに悪天でも行動可能な退路(この場合沼の原登山口経由)があるのだから停滞などしないでいいのです。新聞報道で欠落しているのは、エスケープルートの分析なのですよ。

予備日を設けていないこと自体がおかしいという話と

予備日のない計画でどう行動すべきかはまた別の話です。

予備日がない、あるいは予備日を使い果たした状況下で、検討すべきはエスケープなのです。

事実、かつて新道がなかったころはコマドリ沢の増水が心配で、一日の停滞では足りないこともあったのです。停滞日を使い果たした場合は天人峡におりるか、クッチャンベツに下山していたはずです。

杓子定規とかそういう話ではなくて、新聞報道には他の採りうる選択肢について言及が乏しいので、分析が不十分になっているということです。

http://subeight.wordpress.com/2009/07/18/tomuraushi-2/#comment-289より

机上でも迷う問題は山の中で適切な判断ができない

「予備日を設けていないこと自体がおかしいという話と予備日のない計画でどう行動すべきかはまた別の話です」ということですが。

山で進退窮ったときには、なにかしらの安全策をとって窮状をしのぎますが、そのことによる遅延はいたしかたありません。当然ツアーでもそうあるべきでしょう。予備日の有無にかかわらず、状況に応じて計画を変更して無事に下山できればそれでよいのです。今回のトムラウシの遭難のばあい、ツアーのパーティが16日にヒサゴ小屋にとどまっていれば、死者8人も出さずに済んだのでは。

以上の五郎右衛門さんの意見をうけての回答

--

五郎右衛門様

>予備日の有無にかかわらず、状況に応じて計画を変更して無事に下山できればそれでよいのです。

登山というのは計画したとおりに行動するのが肝要です。想定しうるリスク・危険は机上で考えつくしたうえで、どういうときにどう行動すると計画のなかで決めておくべきです。「状況に応じて現場で判断する」というのは、無計画というのです。良識ある山岳会なら、そのような考え方のリーダーは育成しません。そういうことができる限りないように、登山計画というのを綿密に組み立てる必要があるのです。現場でいちいち考えなくてもいいように、里で考えうることは里でシミュレーションしておく、これが登山計画作成の鉄則です。

予備食料もないのに停滞したとして、翌日も天気が好転しなかったらどうするのです?またもう一泊して、あくまで前進するのですか?本州の社会人が穂高などの冬山でたまにやらかすように停滞して携帯電話で小屋から救助を呼ぶのですか?違いますよね。

当日の朝の判断としては、より安全なルートで速やかに下山する計画であるべきなのです。

問題は退路を考慮した計画だったのかどうかなんですよね。

もちろん、当日の天気が五色方面に進むのも厳しいような天候であれば停滞せざるを得ません

また、トムラウシ山を乗っこせると判断して小屋を出たあとに、当事者の主観としては予想外に悪天につかまりますが、そこで判断地を設けたかどうか。

その時点での判断は場所・時間によっては小屋に引き返すという選択肢はありえますが、これは計画外の判断というべきです。ガイドの真の腕は、この計画で予期していない事態が発生したときに発揮されるものですが、これこそ「計画変更」の事態です。このときの巧拙をプロでもない人間がそれほど強く責めることができましょうか。

計画が未熟であったことと、計画外の緊急事態での対処がどうであったかは一応わけて考察する必要があります。

>エスケープルート、が成立するかどうかは、私にはわかりません。

とのことですが、報道にありませんのでご存知なくて当然です。しかし20年近く北海道の山を登ってますので、私にはわかります。私の経験から言わせてもらいますと、針葉樹の限界は天人峡方面で1250〜1300m、沼の原方面で1400mくらいです。また沼の原方面は全体として登山路もナナカマドやハイマツなどが背丈ほどに茂るトンネル状で風雨の中歩く場合でも消耗が少ないですね。また神遊びの庭付近も緩く尾根を回りこんでいるため、少なくとも当日の風向き(天人峡方面からの吹き上げ)を考慮すれば風当たりも少ないです。

所詮、匿名でためらいがちに話していることですので、半信半疑にとらえてもらってもかまいませんが、一応、サイド情報として覚えておいていただければと思います。

http://subeight.wordpress.com/2009/07/18/tomuraushi-2/#comment-292より


五郎右衛門様には少し言い過ぎてしまい大変反省しております。

silvaplauna様

今回の事故は、まさに多田くんがガイドとして成長してゆく途上の悲しい出来事でした。彼には当然法的な非難は向けられるでしょうけれど、同時に一日も早くこの敗北を胸に立ち直ってほしいと思っています。

http://subeight.wordpress.com/2009/07/18/tomuraushi-2/#comment-298より

パーティ評価に関するコメント

リーダーは現場でパーティの評価のアップデートに努めたか、弱い人の言葉に耳を傾けたか

今回の事故は,いろいろな要因があると思いますが,防止には,「先導者である山のプロのガイドがそうでない人への理解を深めることが必要である」と思います。・・・中略・・・

「登山のプロであるガイドだけで出された結論=悪天候でも出発する」は,<登山家だけの間>では、ある意味「当然取るべき結論」であると言えると思います。

ただし、あくまでも<登山家だけに通用する結論>であり,いろんな力量の混ざったその他大勢のグループには通用しなかったということだと思います。

だからこそ,わたしは,「登山のプロが,登山ではこれが常識だ」と主張して,素人とのギャップを埋めない限り,事故はなくならないと思います。

http://subeight.wordpress.com/2009/07/18/tomuraushi-2/#comment-318より

とのローズさんの意見を受けてのコメント

--

ローズさま

ご趣旨ごもっともです。実際ローズさんと全く同じお言葉をツアーの参加者の人たちから聞くことが多いです。私の山好きの叔母さんも同じことをいっておりました。

五郎右衛門さんとのやり取りのなかで、私は、エスケープがあるのだから、停滞など考える必要ないかのような発言をしておりますが、明らかに言いすぎです。これはやはりリアルタイムのパーティ評価を踏まえた天気基準であるべきですね。

もしリーダーがパーティの評価を怠って、パーティの行動能力が計画時と変わらないと信じて、計画通りに動いてしまったら、それはリーダーの過失といえるでしょう。ただ、私のルート・天気イメージでは、エスケープもできないほどパーティの能力が劣化している事態というのはただことではないです。本当にそんな事態であったかどうかは疑問が残る、というのが正直な感想ではあります。

しかし、同時に事前の計画をよく練るというのも重要です。よくできた登山計画というのは、パーティの行動変容も織り込んで計画を作るものです。たとえば行動時間が長くなれば、弱者の疲労も織り込んで、天気基準をあらかじめ安全側に設定したりするものです。そういう意味で、計画時点で安全を担保しうる領域というのは、かなり広いのです。

ところで、具体的に、遭難パーティの抱いていた計画とはなんだったか、というと、これは恐らく、3名のガイドの頭のなかにしかなかったというほかありません。なぜなら、私も経験上、いろんなツアーをみておりますが、企画会社は登山計画を検討する能力が極めて低いのです。ようするに、極端な話、行程表ぺら一枚を計画だと勘違いしているふしがあります。少なくともアウトソーシングされたガイドは、渡された行程表だけから、本来あるべき計画を推測し、再構築しないといけない不幸な状況にあるように私は思います。

本来、プランニングなどというのは、計画実施前にとっくに共有されていなければならないものですが、とりわけ今回の遭難パーティの場合、ことによると、ガイド3名自体も初顔合わせであり、前日のホテルで計画の打合せをした程度かもしれません。これはアミューズだけを責めている問題ではなく、他のほとんどのツアー会社も同罪です。行程表だけを渡して、あとはガイドの好きにやっていいというのであれば、それは、ガイドが登山計画をするも同然です。

企画会社が計画の目録だけをつくり、ブレイクダウンをガイド任せにするのは、それはそれでリスク要因です。

なぜなら、第一に、プランニングまでするとなればそれだけで負担であること、第二に、ガイドがその場でプランニングし、即実行する、とすれば独裁者と同じ暴走の危険をはらむからです。

これは完全に別項で論じるべきことになりますが、私は、吉川さんと多田くん、そして松本さんの三人がどういう権力関係にあったのかをもう少し具体的に知りたいです。

生還された戸田さんの証言に「リーダーシップをとれる人間がいなかった」とあります。これは、多田くんを知る私にとって、めちゃくちゃに突き刺さる言葉だったのです。これについてはまた改めて。

http://subeight.wordpress.com/2009/07/18/tomuraushi-2/#comment-329より

北沼到着時点でガイド三名はリーダーシップをとれる状態にあったのか

以下、ローズさんより遭難時のリーダーシップがなぜ適切に機能しなかったのかについてのご意見をうけました。

swanslabさま

お返事ありがとうございます。

当事者にとても近い立場で精神的にも辛いところで,的確な情報を寄せてくださって,本当にありがたいと思います。

わたしは,swanslabさんのご意見は基本的にもっともだと思います。登山家グループでは、当然出される結論と行動であることは、同じ行程をたどって遭難しなかった別のグループの存在で,証明されていると思います。

ただし,今回は,先にあげた朝日新聞の報道((スワン注:複数客、出発前にガイドに「中止を」 大雪山系遭難

http://www.asahi.com/national/update/0719/TKY200907190369.html))が本当なら,「出発前から健康と体力の不安を訴えていた複数の客」がいたようですので,エスケープルートを辿っていたら全員が何事もなく下山できたかは疑問に思います。

そして,「力量以上の山でもガイドがいるから大丈夫」というような前提なら,「エスケープもできないほどパーティの能力が劣化」もあり得ると思います。

テントの中で救出されて助かった女性は,「前日も一日雨に降られ濡れながら歩いた」とテレビで証言されていました。またその方は,同じインタビューで「自分は以前北海道の登山ツアーに参加して,その時も相当寒かったので,寒さ対策は万全できた」とも証言されています。

それが真実であるなら,装備の悪い方は、寒さ対策も不備で,前日も夜も濡れて過ごし,急激に,かつ相当に疲労されていたと思います。

ただし,全員だとは思いません。

比較的濡れなかった方もおられるでしょうし,避難小屋でも場所によって環境がずいぶん違うと思いますから,身体を休められた方もおられると思います。また,元々体力があって,そこまで疲労されなかった方もおられると思います。

ただし,これも全員ではなかった。ということなんだろうと思いますが、今後,ぜひ明らかになってほしいと思います。

せめて「出発前に,健康や体力が不安で,停滞を申し入れた人」だけでも,停滞できなかったかなと思います。

>生還された戸田さんの証言に「リーダーシップをとれる人間がいなかった」とあります。

わたしも,その点は疑問でした。そして、先の新聞報道でも,「山頂付近で停滞した時,ツアー客が救助要請をしたのに,ガイドが要請しなかった」とあります。

どうしてなんだろうと思っていましたが,これは、こちらのページでご紹介していただいた「低体温症」のページ

http://www5.ocn.ne.jp/~yoshi515/teitaion.html

を拝見すると,ガイドの方達は既に「軽度の低体温症」にかかっていた可能性があると思います。

そちらのページによると,

「軽症(35〜33度)  無関心状態、すぐ眠る。歩行よろめく。口ごもる話しぶり。ふるえ最大。(協力的にみえて協力的でない。まともそうに見えてまともでない。)」

つまり,まともそうに見えても,もうちゃんとした判断力がなかったのではと思うのです。

ガイドの方は,当然参加者より荷物も多く,自分よりツアー客の方を何かと優先していたと思います。つまり,同じ行程を取っていても,負荷は大きかったのではないかと思います。

ですから,一部のツアー客は自力下山できたのに対し,ガイドで自力下山できた方はおられなかったのではないかと思います。

救助にあたった自衛隊の証言は,「亡くなった方は全員薄着であった」とありますが,ガイドである吉川さんも薄着であったなら,それもどうしてだろうと思うのです。わたしは、誰かに自分の装備を貸したのではないかと思ってしまいます。

そして,(ガイドとしてはそういう発想はなかったと思いますが,)付き添いをやめてご自分だけでも避難小屋に戻れば,命は助かったのでは,とまで思ってしまいます。

吉川さんを良く知る方のコメントとして,「あの人は,一番危険なところに,最後まで残る人だから,誰かの身代わりで死んだんだろう。」という報道がされていました。

何度も遭難を防げたかもしれないタイミングで,遭難の方へ選択をした結果の事故であると思います。しかし,ひとたび遭難した後の判断として,「一緒に死ぬのがガイド(山のプロ)としての責任の取り方」ではなく「自分を含め一人でも死者を出さない。最悪自分だけでも生き残る」というのが,本当の責任の取り方だと思うのです。

今後,一人でも亡くなる方が減ってほしいと思い書きました。

こちらのページも,swanslabさんのご意見も,これから登山ツアーに参加しようとしている人にとっては,必要最低限の知識だと思います。

大変だと思いますが,これからもご指導していただければと思います。

ありがとうございました。

http://subeight.wordpress.com/2009/07/18/tomuraushi-2/#comment-333より

以上を受けたコメントは以下のとおり

--

ローズ様

ご教示いただきました朝日の記事および戸田さんよりのご回答をあわせて考えますと、ローズさんが分析されているように、二つのことが改めて浮かび上がってきます。

1.リーダースタッフは小屋出発時点で、体調の悪いお客さんの状況もふくめ、パーティの行動能力を過大評価していた疑いがある。

2.少なくとも北沼の時点で、すでにリーダースタッフは軽度の低体温症に罹患しており、正常な判断能力を欠いていた疑いがある。

「リーダーシップをとれる人間がいなかった」という戸田さんの証言はあまりにリアルな証言であり、忘れることができない言葉です。

1979年3月に北海道大学山岳部が知床山地で吹き溜まりのテントを救出中にリーダースタッフが疲労凍死した事故を思い起こします。この事故では救助を呼びに下山した下級生のみが生還しています。このときの教訓は適切なテント設営場所の選定とともに、「余裕がなくなってからでは判断が遅い。余裕がなくなる前になんとかしろ」というものです。

この教訓は、あらゆる危機管理でいえることで、例をかえると、アフリカやアジア地域ではマラリア罹患のリスクがありますが、以前、現地の保健担当に相談した際、「まず強力な解熱剤を飲んで判断能力を回復させることです。先にそれをしないと病院にいくという判断すらできなくなりますよ。」との答えががえってきたことがあります。

それから

>最悪自分だけでも生き残る」というのが,本当の責任の取り方

これは、1962年暮れに発生した北海道学芸大函館分校山岳部の大雪山系遭難事例を想起させられます。悪天候でテントが崩壊し、その後いろいろ努力するものの、最終的にはチリジリバラバラになって下山、メンバー10名死亡、リーダー1人が旭岳付近の森林帯から生還した事例です。

この事故については『北の山の栄光と悲劇』滝本幸夫著(絶版?)ならびに『凍れるいのち』川嶋康男 / 柏艪舎に詳しいです。後者はまだ読んでいません。

私自身だったらリーダーになんと語りかけるでしょう。10日前、8名の尊い命を失うという壮絶な体験をした多田くんに、私はかける言葉を完全に失っておりました。留守電にメッセージを残したものの、言葉にならずほとんど沈黙のメッセージとなってしまいました。

http://subeight.wordpress.com/2009/07/18/tomuraushi-2/#comment-334

上記のコメントを書いた後,戸田さんの証言を拝見しました。こちらも,壮絶で,ひとつひとつが重く,衝撃を受けました。大変な思いをされて生還されたばかりなのに,こうやって状況を話してくださることについては,本当に頭が下がります。

それでも,多田さんにまずかける言葉は,わたしだったら

「生きててよかった」

「よく無事に帰って来た」

ではないかと思います…。

とのローズさんのコメントをうけての回答

--

ローズ様

戸田さんは非常に勇気のあるお方だと思います。

恐らくインターネットの片隅では、名前は出さずにぽつぽつと断片的にお書きになっている生存者の方もいらっしゃると思います。しかし公開され、セカンドレイプさながらに、根拠のない侮蔑や非難にさらされることを覚悟したうえで証言できるというのは、実際には大変なことだと思います。

戸田さんがどうやってサバイバルしてきたか、の生々しい証言は必ずやこれから登山をしようというすべての人の心に残るものだと思います。

多田くんにはこの事故を多くの命を失った悲しみから私たちへの教訓へとして昇華する責任があります。

いまは敗北感で打ちひしがれ、たまらなくつらく、苦しいときでしょう。しかしそんな敗北者にしかできない仕事もあります。そのことにいつか思い至って、歩き始めることを願っています。

http://subeight.wordpress.com/2009/07/18/tomuraushi-2/#comment-338より

ツアー会社の責任についてのコメント

もっとも私は単に計画というより、ツアー企画そのものの姿勢、理念に相当問題あったのではないか、つまり金儲けばかりが先行していたのではないか、と想像しています。おこるべくして起こったのかもしれません。このへんは身近にいたヒトがツアーの実態を明らかにしてくれることを望みます。http://subeight.wordpress.com/2009/07/18/tomuraushi-2/#comment-299より

との五郎右衛門さんの意見をうけての回答

--

五郎右衛門様

会社の方針として、金儲けばかりが先行していたとの想像は的を射ていると思いますよ。

実際、同社の他のツアー計画では、私が10年前に知っているアミューズトラベルの計画ではありえなかったような、日程を1日短縮した驚くべき強行軍のプランが平然とまかり通るようになっていますね。そんな強行軍のツアーが最近登場したらしいと言う話はこの事故後に関係者の話ではじめて聞いたのですが、愕然としました。利益優先が見えみえで、吐き気がします。

いつだか、札幌事務所が立ち上がるころに、松下さん(当時専務だったと記憶していますが)安全には従前と同じように気を配るようにと忠告したことがありましたが、どうやら外道に落ちてしまったようです。

ただ、このテーマはまた、これはこれ。別途別の場所でとりあげてもよいのかなと思うんですね。

私としては、このサイトの趣旨に鑑みて、なるべく議論がぶれないように意見を述べさせていただいているところです。

http://subeight.wordpress.com/2009/07/18/tomuraushi-2/#comment-300より

携帯電話の通話エリアに関するコメント

トムラウシ周辺の携帯電話の通信環境について、一言コメントさせてください。

私も北海道を離れてだいぶたちますので、せいぜい5年ほど前の情報ですが、以下のような認識でした。

条件:ドコモムーバ使用

ヒサゴ沼〜北沼→圏外

トムラウシ山頂(ほんとの山頂部で)→天候によりアンテナが立つことが有

南沼〜前トム平→所によりまれにアンテナが立つこと有

前トム平〜カムイ天上手前まで→圏外

カムイ天上の下り→アンテナ3本確実

短縮登山口などの車両手配等の電話が可能になるのは、カムイ天上を下り始めたあたりであることが多かったのではないでしょうか。

もちろん、5年もたっており、今ではフォーマの通話エリアも拡大しているはずです。

しかし、五年前は、遭難場所周辺は圏外との認識でした。多田くんが北沼よりの斜面で、携帯の連絡を入れていること自体が驚きで、ずいぶん通信環境がよくなったのだなぁと驚いています。

http://subeight.wordpress.com/2009/07/31/mr-toda-text/#comment-355より

Bacchus auf Daikanberg様

10年前は皆さん当たり前のように無線機を携帯していたように思うのですが、最近はどうも携帯電話に依存する人が多くなっているようですね。無線機に限らず、事故ツアーの共同装備の不備はこれからもっと証拠がでて明らかになれば、リストアップして再検証するのがよいと思いますが、、silvaplauna さん いかがでしょう?

http://subeight.wordpress.com/2009/07/31/mr-toda-text/#comment-363より

7月16日にトムラウシを目指していた他のパーティの動向についてのコメント

silvaplauna様

下記のNHK解説委員室ブログによれば、

http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/100/23738.html

(1)なぜ出発したのか。

当日の朝、悪天候のなか、ガイドたちは予定より30分遅れて出発することを決断しました。この時点での天気予報は、「曇り、昼過ぎから晴れ」で、参加者は、ガイドが「午後からは晴れる」と説明したと話しています。しかし同じ日にトムラウシ山を目指し、ほかの避難小屋にいたパーティーのガイドは、同じ天気予報を聞いていましたが、天候の状況から登山を断念し、下山していました

との記述があります。小屋にいた他の人たちはどうしたのか気になっていましたが、やはり天人峡かクチャンベツにエスケープしていた模様ですね。

とりいそぎご一報まで。

http://subeight.wordpress.com/2009/07/26/escape/#comment-306より

silvaplauna様

すみません、さきほどの記事、読み間違いがありました。「同じ日にトムラウシをめざし」「ほかの避難小屋」とありますので、はっきりとは断定できませんが、別パーティの判断地は忠別岳の避難小屋の可能性が高いですね。そうすると、五色岳〜沼の原経由〜クチャンベツになりましょうか。

http://subeight.wordpress.com/2009/07/26/escape/#comment-307より

生還者戸田新介さんとの一問一答

戸田新介様

はじめまして。私は今回のガイドのひとりの多田くんの直接の先輩ではありませんが、彼のかつての所属クラブの登山を通じて、彼の人となり、登山に対する考え方など、ある程度しっている人間です。それだけに今回の事件は愕然とさせられました。戸田さんにおかれては、生還されてまだ日が浅く、胸中は察するにあまりあります。

ほんとうは山ほどお聞きしたいことがございますけれども、決して思い出したくないこともおありでしょう。私の質問はまとめさせていただきまして、いったんこのサイトのウェブマスターにEメールにてお預けしたいと思います。

どうぞ、よろしくお願い申し上げます。

http://subeight.wordpress.com/2009/07/18/tomuraushi-2/#comment-309より

・以下設問はスワン(カッコ内の文言はsilvaplaunaさんによる補足説明)、回答は戸田さん。

まず、ガイドの様子についてお聞きします。

1.登山全体を通して、計画、状況、判断の説明をする人は、三名のガイドのうち誰でしたか。

(ガイドの名前は吉川ガイド 多田ガイド 松本ガイドのうち誰がリーダー格でしたか?という意味です。独りの人が全部決めていたのか、それとも、役割分担があったのかを知りたいのです。

32歳ガイドがすべてを決めていたとおもいます。北海道がはじめてで、気候やコースについて何も知らない人になんの決定権がありましょう。38歳ガイドとは行きの飛行機で相席となり、彼が「夏休みの代わりとして会社があたえてくれた」といっているのをきいています。つまり責任の軽いもので、お手伝いをすればよいとかんがえていたようです。吉川ガイドのことは分からないが、「雨は気にしないで歩けばよい」といったことをいう人です。(じぶんへの発言)また携帯は持たないとウソをいう人です。最終日には「今日は皆さんを下に送り届けるのがしごとです。」といっていたといいます。

2.前日(15日)の天候をご教示ください。

(どのくらいの雨だったかとか、結構衣類が濡れてしまったとか・・、寒かったとか・・、避難小屋についても乾かなかったとか、そういった情報です。)

前日は朝から終日雨でした。風速は5mぐらいです。山の雨ですからはじめはそれほどには気にならなかったのですが、そのうちからだの芯からぬれたようにかんじました。眼鏡が外側は雨粒がつき、内側は曇り苦労しました。ただ着衣は上は春夏ようのジャッケトとゴアのカッパで十分でした。下着まで全部ずぶぬれです。靴はズクズクで靴下は絞れるほどです。自分は全部着替えましたが着干しの人もいました。女客のことは分かりませんが雨具以外を干しているようではなかったとおもいます。シラフをはんぶんぬらしシラフカバーを中にして寝ました。シラフを濡らした人は他にいると思いますが、どうしたでしょう。着替える場所はありません。

2階は別のグループと個人がつかい一階は私たちが使いました。干す場所がなくてこまりました。なおこの日は一時間早く小屋につきました。けっこう急がされたという感じです。それが翌日の判断ミスにつながったと思います。雨の中休む気にはなれませんし、平たんのコースで翌日の参考にはならんと思いますがねえ。

3.最終判断をなしうるガイドはヒサゴ沼を出発するとき、理由を説明しましたか。そして、次にどこで天候の判断をすると説明していましたか。

(リーダー格のガイドさんは16日朝に避難小屋を出るときに、なぜ予定通りにトムラウシ温泉に向かうのか、メンバーに説明しましたか?天気が悪くなったらどうするとか、しばらくトムラウシのほうに進んで天気の様子を見るとか言っていましたか?ということです。)

自分はトイレに行ってて、その間に全部終わっていたようです。30分の延期はとなりに寝ていた木村さん(死亡)が教えてくれました。様子を見る、30分延期するというのです。妙だとおもいましたが、30分遅らせれば天気のピークをやり過ごせるとでも考えたのだとおもいます。それと30分以上は長い距離(予定タイムは10時間30分となていました)を考えると無理と思ったようです。だれかが中止を言い出したと報道にありますがそれは女客だとおもいます。だれが言い出したか知りたいのにいまだに分かりません、たぶん亡くなられたのだと思います。女客で生還した人なら分かるかもしれません。32歳ガイドが昼には天気が回復すると言って決行を決めたとの報道があります。途中での天気の判断なるものは彼(32歳)の頭にはなかったと思います。そのような話は誰からも聞いていません。途中で様子をみるという話もありません.そんなそぶりはありませんでした。りょうせんにでてからは前を見て歩くことだけ考えていました。

4.出発時にガイドはお客さんの装備(アイゼン・防寒具)のチェックをしましたか。ヒサゴ沼避難小屋を出る時点で重ね着の指示はありましたか。

(寒さ対策に中間着を着てくださいとか、フリースを着てくださいとかのアドバイスがなされましたか?という質問です。)

チェックはありません。ストックのゴムを抜くようにとの指示が32歳ガイドからありました。アイゼンはすぐに出せるようにというのは別のガイドの指示です。これは誰かが聞いたからでそうでなければ指示はなかったでしょう。重ね着の指示はありません、誰も聞かなっかたからだとおもいます。

5.事故当日(16日)、先頭を歩いたガイドさんは誰ですか。最後尾を歩いたガイドさんは誰ですか。

先頭は今回を通じて32歳ガイドがつとめました,正ガイドの務めだそうです。最後は添乗員たる吉川ガイドがつとめ、サブガイドの38歳ガイドは中間に位置すると決めていたようです。

6.ヒサゴの雪渓の登りで要した時間とアイゼン着脱に要した時間をおおまかにご教示ください。

(アイゼンを使うほどに雪がありましたか?雪がなくアイゼンを使わなかったのでしたら、お答えいただかなくって結構です。)

アイゼンをこのツァーで初めて使いました。一番長く勾配もありアイゼンがあれば安心という雪渓で、北アルプスのそれの小型のものだとおもいます。

雨と風があり少しガスっていたとおもいます。30分ぐらいかっかたと思います。ネパールのシェルパの人がスコップをもってステップを切ってくれて安心感を与えていました。

稜線まで計40分ぐらいと思います。着脱に時間はあまり掛からなかったと思います。

7.雪渓を上りきった地点(コル)で、風・気温・雨等、天候の変化を感じましたか。疲労や体の不調を訴えるお客さんはいましたか。

コルに着いたときは風はありましたが、撤退とかいうことを考えるようなものではなっかたと思います。故障をいう人はなっかたとおもいます。

なおここで言うのが適当とはおもいませんが体調のことはここで初めて聞かれたのでここで言っておきます。最初の日にすでに一人の女客が旭岳から白雲岳へ行く途中でうつむいてゲロをはくこと、ゲイゲイとやっていた。体調をくずしていたようです、ガイドに連絡しなにかやっていたようですが、自分の視界からきえました。その日にもう一度目撃し、次の日に一度目撃しました。

彼女が延期を言ったのかもしれませんが、彼女が最初の故障者(歩けない人)だとおもいます。ガイドはだから低体温症の判断を誤ったかもしれません。前日、前々日の延長と考え休ませてなんとかやってきたから今回ももう少しだから、推測です、わかりません。彼女のサポートに足を取られ、大幅な時間遅延がしょうじ、それが誤算だったようにおもいます。

8.雪渓を終えてからロックガーデン・天沼にいたるまでの天候状況は小屋出発時点と比べて劣悪と感じましたか。

(小屋を出る頃に比べて、天気が悪くなっておりましたか?という意味です。)

どこかで急に風雨がつよくなりました。自分はそのまえに隊列から抜け、そのためにあらかじめ前に出ておいてフリースを着ました。雨があり雨宿りもないところでカッパを脱ぐと、肌についているシャツが濡れるのでイヤだったが強引に着ました。それで肌寒さというか汗と風による寒さ冷たさから少しは逃れました。天沼からロックガーデンにかけてに木道があるとおもいますが、そこが一番風が強かったと思います。体とザックにたいする風の圧力で木道から飛び出すことになります。32歳ガイドが(自分も真ん中にいたから)風向きに向いて立ち横に歩けと言っていました。風のつよいときは屈めとも言いました。それでほとんど進めなくなりました。低気圧が通ったのかもしれません。7時30分〜10時と思いますが時間については後で述べたい。

9.北沼に至るまではふらつき、転倒する風と報道されていますが、具体的には、行動後何時間経過した時点でそのような気象条件になったのでしょうか。ときおりふらつく、烈風でバタバタ音を立てる雨具のフードを手で押さえる、風上に顔を向けられない、など、具体的な状況もご教示ください。

(報道記事によりますと、天気がとても悪くなったそうですが、ヒサゴ沼避難小屋を出てから、何時間ぐらいしてから、ものすごい風や雨となったのですか?風や雨は、レインコートのフードを手で抑えないと飛ばされてしまうほどでしたか?)

ザックカバーがめくれあがって困りました。ゴムをきつくしておいたのに、一度は直したが、次からは横に丸めて持つことにしました。大型ザックのカバーはどうもよくないようです、ふくれにふくれバタバタと音を立て取れそうになるといったところです。カッパのフードはゴムを強くして、あごのところに来るベルクロをつければ対応できます。時間ですがピークは8時〜9時と思います。低気圧の通過時刻はわかりませんか?トムラウシ分岐が10時30分とされていますが自分は11時〜11時30分と思います。小屋から5時間でなく6時間(コースタイムは2時間30分)です、2倍ではなく3倍に近い時間を食ったと思います。そして分岐の下で停滞したのが1時間半とされていますが、2時間と思います。2時間は現場で自分が最初に考えた時間です。出発が1時半でそうすると4時前に先行者がコマドリ沢分岐で110番をいれた事と時間的矛盾が取り除かれます。出発が12時というのではコマドリ沢分岐まで時間がかかりすぎです。(地図では2:05です)

10.北沼までの休憩回数と一回の休憩時間をお知らせください。

天沼かそのさきの日本庭園のあたりかよくわかりませんが、木道があってそこが一番風が強かったとおもいます。そこまでに3回ほど休憩をとりました。1回5分ほどのたち休憩です。休むひまはなっかった。32歳ガイドは日没を心配したのだろうとおもいます。それから一度休憩の指示が出て休もうとしたら大粒の雨ふってきてあわてて出発となりました。(2分)そのあとは一度も休憩の指示は出ていません。32歳ガイドにはケアのしごとがでてきたようです。もう32歳ガイドは隊を率いていくことはやめ、サポートに集中しだしたと思います。

以後休憩するとか、食事を取れとか、フリースを着なさいなどの指示はなくなりました。だれも何も言いません。自分はみんなは食事をきちんととったのだるうか、これが生死の分かれ目になったのではと思っています。今思えばですけれど。自分はカッパのポケットにたくさん非常食を詰め込んでいたのできちんと食べましたが食べないままの人もいたかも知れません。低体温症になれば判断力も低下するそうですから。

11.北沼で最初に不調を訴えた登山客は列のどのあたりにいましたか。不調や疲労を表現できるタイプでしたか。遠慮するタイプでしたか。

(苦痛を我慢してしまうタイプか、大騒ぎをするタイプかということです。)

一番最後です。彼女は最初の日から調子が悪かった人だと思います。だれも皆遠慮しました。ツァーはそういうものです。わがままは言えません。大騒ぎなど誰がするものですか。そんな質問を受けるとは思いませんでした。

12.最初の行動不能者が発生したあと、パーティ待機の指示は誰が出しましたか。理由は説明されましたか。

(単に体調不良であるとか、頭がだるいとか、具体的に風邪ですとか、低体温症ですとか。)

だからそれは32歳ガイドがしました。添乗員の仕事とおもいますが、吉川さんはすでに低体温症にかかってていたのではとおもいます。32歳ガイドがふれ回ったと思います。理由の説明は一切ありません。みなを動揺させたくなかったとあとで語ったそうです。テレビだとおもいますが。

13.低体温症との判断はどの時点で誰によりなされましたか。

誰も低体温症と知らなかったと思います。救急隊によって、マスコミの発表によって救助の時にというのが自分の回答です。

14.低体温症であると判断されたあと具体的な処置はどのようなものだったと観察(推測)されましたか。

低体温症と判断したのではないと思いますが、最初の故障者が列の中ほどにいた38歳ガイドのところへ連れてこられ、彼が看護をすることになりました。これは出発40分前としておきます。サブガイドの仕事として看護があるといいますからそれに従ったのでしょう。彼は背中をさすり、大声で「元気を出せ」と叫んでいました。吉川さんがやってきてテルモスの湯を与えていました。ただそれだけです。もうしませんでした。

15.報道によれば、戸田さんは遭難と認めて救援要請をしてほしい旨をガイドに伝えた とのことですが、どのガイドに伝えましたか。また、そのときの返答はどういったものでしたか。通信状況はどのようなものでしたか。

自分がどなったときの10分前に、吉川さんのところへ出向き「どうしますか」ときくと、「ようすをみる」とだけこたえました。妙な答えです。自分はもとの位置にもどり10分まちましたが何も動きはありません。その時自分はこのままではみんな死を待つことになると突然思いました。それで遭難と認めてどうしたらよいか指示を出せといったのです。それは隊のみんなに訴えたのです、ガイドのだれに言ったのではありません。だから返答もありません。

自分は携帯をもたなっかたので通信状況は分かりません。持っていたら一方的に110番したと思います。かれらに110ばんを迫らなっかたのはまだ信頼していたからです。ここではできないのだと。4時半に32歳ガイドは会社にメールをいれていたといいます。自分は前トム平へ降りてきてしたのかとおもっていたら、頂上でできると教えてもらいました。そうすると38歳ガイドに依頼する必要はない、つまり依頼の要請はなかったのではと思います。また風雨がつよく通信はできないというひともいますが、出発のころはあまり風雨は感じなかったと思います。ピークは過ぎていたと思われます。なお時間の問題があります、出発が12じでは、コマドリ沢分岐で110番したのが4時と確定しているから4時間もかかったことになり(地図では2時間5分)おかしい。出発は1時半ごろではないか、あの時自分は空腹を覚え時計を見て1時20何分だったと記憶しています。それと待機時間は少なめに見て2時間とおぼえておこおうとしましたが人に説明するたびに少なめになっていったようです。これらはみな仮説ですからきちんと検証をする必要があリます。だから1時過ぎの電波状況が問題となり風雨は問題ないとなるとおもう。32歳ガイドがメールを4時30分にいれているがいやいやながら入れたかんじで探そうとしていなかったと思います。認めたくなかったのではとおもいます。

16.南沼→前トム平の天候について。どちら方面からの風が強かったですか。また天候に変化はありましたか。

下りでは風のことは忘れました。既におさまりつつあったと思います。

17.コマドリ沢より急な新道を登り、カムイ天上より泥んこの道を下ったと思いますが、そのときの天候、時間、登山道の状況について概況をご教示ください。

この辺のことが自分にはよくわかりません。?新道へ上るところでビバークを考え場所を探していて長田さんをみつけビバークすると伝えてくれといったら一緒に帰ろうというので歩きだしたが自分はビバークの場所を探していてつながりをぎゃくにかんがえてしまいもとにもどりました。それで1時間のロスとなりました。?それから真っ暗な道を一人、どうも谷道を歩いたようでよくわからない。とにかく黒い筋を歩くようにしていました。障害物は分からないので転ぶだけです。カッパが穴があいたし泥だらけです。道の状況などまったくわかりません。それで向こうから2人がきてそれが斐品さんと長田さんで、自分はもと来た方に戻ろうとしていたところを助かったということです。よくわからない。10時ごろか?天候は風もなく暖かくなっていたと思います。

18.報道では、松本ガイドは救助を呼ぶために、先を急いでいたとされています。携帯電話のつながるところに空身でとりあえずおりて登り返すといったことはされていましたか。

(軽装でいったん下降し、110番連絡した後に、皆がいるところに戻ってきたとか、そういったことがありましたか?という意味です。)

まったくの誤報です。彼の行為が理解できないので作り上げた作り話です。かれのあたまは自分のサバイバルだけと考えれば説明がつきます。かれは北沼の小川で客のサポートに回っていて背を水につけたと聞きました。待機中は自分の前で顔をしかめジッとしていました。彼はサバイバルのため先を急いだのです。曲がり角で10人を確認するようにと言われ、20m下でおーいおーいと叫び、自分がおーいおーいと答えると一目算に下って行ったのです。救援依頼の使命が告げられたというのは自分はその横にいたが聞いていません。コマドリ沢での110番も偶然によるものでかれが積極的にじぶんの携帯を出して連絡しようとした要素はどこにもない。だから上り返すというのは社長の願望がしゃべらせたフィクションです。かれはコマドリ沢分岐の上の草付きでねていて長田さんが見つけ目の前で電話しなさいといわれ5時に会社にメールを入れたのです。長田さんが自分にいったことです。そこへ自分が通りかかり義務があるという意味のことを言いました。彼は2人が去ってからハイマツ帯にもぐりこみ、翌朝の救援隊を避け最後の行方不明者となりそのご、道の近くに移動して登山客に見つけてもらったのです。救援隊にみつかるのはさけたっかたというわけです。じぶんのすいそくですよ。彼は命をつないだので非難は覚悟のうえとおもいます。

つづいて1日あけて8月1日に戸田さんに宛てた質問とその回答を転載します。

こちらも質問者はスワン、回答者は戸田新介さんです。

自分の言ってることはあくまで推理です。しかし当時のことを知ってる人は限られていて、責任の重さを感じています。ほかの人と話せるとはっきりするんですが。トムラウシ分岐で停滞したのが10:30〜12:00とされているのも自分が言い出したことが独り歩きしたようです。1時間30分の長さは「少なくとも」という意味で言ったのですが、10時30分は出発時からのおおよそをのべたのです。それが確定した事実のように扱われてしまって誰が言い出したかわからなくなりそうで、マスコミの怖いところです。

遭難発生時の時間と場所についてお聞きいたします。

19. 最初の故障者が発生した北沼に到着したのは11:30〜との認識でよろしいでしょうか。

トムラウシ分岐に着いたときです。ここで停滞しました。その始まりが11時30分と自分は今は考えています。北沼に到着したときは小川を渡ったときで、11時ごろかとおもいます。

19-2 そこで吉川さんが故障者に付き添いますが、その後一行が歩き出すのは何分後でしたでしょうか。

この故障者はすでにロックガーデンより前から吉川ガイドが付いていたようです。小川を渡るときも彼女だけ渡れず、32歳ガイドが別のところを探してきて手を伸ばしていました。この時38歳ガイドが水に入ったのだと思います。そして彼女をトムラウシ分岐まで連れてくる経緯が野首さんが語っているところでしょう。彼女をやっとトムラウシ分岐までつれてきて、十分に休ませるというのが停滞の原因だとおもいます。自分たちは何も知らされず彼女が来るまでと、彼女を休ませる時間を合わせて2時間待たされたのだと思います。1じ半に出発となりました。彼女を吉川ガイドのところに運ぶ予定で。

19-3 一行が前進を開始後、次の故障者が現れるのは場所はどこで何分後になりますか。

1時半に出発しようとしたら立てない人が一人出ました。低体温症が停滞中に発症したと思います。市川さんです。真鍋さんは彼女と一緒にツァーに参加したのですが、彼女が出発の時来なかったので心配していたと言っていました。

だから出発の時。出発のところで。彼女は32歳ガイドが機会をみつけて回収していったのでしょう。

19-4 32歳ガイドがテントを張って故障者を運び入れた地点と時間を覚えていましたら教えてください。

それは北沼から南沼方面にトラバースする道との分岐付近でしょうか。

じぶんたちはしゅっぱつしていたからわかりません。すぐではなく時間をかけて一人づつ運んだのでしょう。

19-5 32歳ガイドがケアに集中し始めた時点の一行の編成(各故障者とテントとの距離、故障していないパーティの位置)をご教示ください。

亀田   前田   真鍋  市川  岡  味田 竹内 長田   戸田  植垣 松本 第一故障者 植垣  斐品   野首  木村 女救出者 吉川

男生還 女生還 女生還  女亡 女亡 女亡 女亡 女生還 男生還 女亡 男生還 女亡     女亡 男生還 男生還  男亡 女生還  男亡

テントは32歳ガイドがあとで建てたのです。待機中はありません。

19-6 32歳ガイドが38歳ガイドに指示を出した時間と場所は第二の故障者収納テントと理解してよろしいでしょうか。

指示をだした時は出発から10分として1時40分。場所はトムラウシ分岐から70m下。テントはまだどこにもありません。吉川ガイドのところに2人を集めてどこにたてるかかんがえるということです。

19-7 1.5時間〜2時間の滞在中に風や雨に変化はみられましたか。

始めより弱くなったと思います。雨はばらばらと降る感じです。風はむしろ乾くので心地よいにですが、のちに体が冷えると肌についた下着のあせでたえられなくなってくる。

19-8 滞在時間が長引いた原因は、32歳ガイドが故障者の搬送に追われていたからと理解してよろしいでしょうか。

動転していてなにをすべきか考えていないのだ。方針なるものがなく、全員を連れていくとの考えにしがみついたのだと思います。危機対応能力の問題です。できたことは後で考えることにして、現実に対し最善を尽くすのが普通の考えだと思いますが、かれはその点でじゅうだいな欠点をかかえていたということでしょう。搬送に追われたのは現象であり原因ではありません。さらに言えば、かれは頂上付近で電波が通ることを知っていたのです。4時30分に会社にメールをいれているのが証拠です。風雨が強かったからという説もありますが風雨はおさまってきています。かれは携帯を出して連絡しようともしていない。なお38歳ガイドに救援を依頼したというのもよくわからない。頂上でできるのになぜ下に行くのか。だれもそんな話は聞いていません。あれは38歳ガイドの行為が理解できずマスコミが作った仮説でしかない。かれは偶然によって110番に関与したが、自分の携帯で詳しく連絡を取ろうともしていない。さらに前トム平あたりでためそうともしていない。これが自分の仮説です。

20. 32歳ガイドが『トムラウシ分岐』で10名を確認してほしいと38歳ガイドに伝えたとのことですが

それは南沼キャンプ場の分岐のことですか。

トムラウシ分岐のことならそうですが、そこから70m下というところです。

とりあえず以上です

2009-08-05

[]自己紹介および投稿リスト

本ブログ執筆の経緯

トムラウシ山で発生した前代未聞の夏山遭難を契機に2009年8月初め頃まではSubeightというウェブサイトのコメント欄を間借りしてコメントをつづけておりましたが

いつまでもよそのサイトにお邪魔するのもご迷惑と考え、ここに改めてまとめました。

(2010年7月24日、その管理人の方がお亡くなりになりました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます)

本ブログの目的(当面の間)

二度と悲しい事故を起こさないよう、一登山者として、

知恵をしぼってツアー登山のありうべき姿を提言いたします。

法や政治・公害問題などを語っていたかつてのブログエントリは過去ログにまとめました。

ブックマーク等で過去記事を検索された方は、お手数ですが

該当URIのhatena idをswan_slab→mescalitoに変換してアクセスしてください。

もしみつからなければCamp4というidにアクセスください。

お問い合わせはこちら

swanslab@hotmail.com

エントリーに関連した自己紹介:

本業 コンサルタント業

東京在住(8年ほど前まで北海道)

現在は海外出張中

swan_slabのHNはヨセミテの有名なボルダーエリアの名前に由来。

mescalitoは、ヨセミテの岩壁のクラシックルートに由来。

北海道の山は学生時代にはじめました。もう20年近く前です。

学生時代は組織登山のメソッドを叩き込まれました。夏は沢登、冬は長期縦走ばっかり。

その後は火遊び程度の単独縦走や単独登攀を少々。

当時のオンサイト能力はフェース,クラックともに5.10+〜5.11-,V3-V4

(ただしBigwallでは5.7-5.8まで落ちる)

ツアー登山の荷物もちやサブリーダーなどは山系の学生のバイトの定番ですね。

そういう意味でいろんなツアーの実態は比較して想像することができますし

またガイドのノウハウもわかります。ガイド系の知人も多いです。

http://d.hatena.ne.jp/swan_slab/ 本サイトのほか

http://d.hatena.ne.jp/mescalito/ 過去ログ集(メイン)

http://d.hatena.ne.jp/Camp4/ 過去ログ集(予備)

http://b.hatena.ne.jp/swan_slab/(はてなブックマーク)

http://downer.g.hatena.ne.jp/swan_slab/ (はてな だうなー部)

など気が向いたら更新。

今回の事故ではガイドのひとりがたまたま私のよく知る大学の後輩だったので強い関心をもっています。

アミューズの社長(事故当時)とは札幌で一度会ったことがあります。

札幌事務所立ち上げ期に確かガイドのリソースを探しに来札したのだと思います。

暇そうな在学中の若者に声をかけていたのかな。わかりません。



なお、記事に関して、コメント欄に公開するのが躊躇われるご意見やご質問等ございましたら

遠慮なく、下記のメールアドレスまでご連絡よろしくお願いいたします。

swanslab@hotmail.com

エントリーリスト

Subeightさんのウェブサイトにコメントした回答リスト

登山計画に関するコメント

登山計画(プランニング)に関するコメント - + C amp 4 +

ルートに関するコメント

ルート評価についてのコメント - + C amp 4 +

天気に関するコメント

天気判断・進め方に関するコメント - + C amp 4 +

パーティ・参加者に関するコメント

パーティ評価に関するコメント - + C amp 4 +

企画会社についてのコメント

ツアー会社の責任についてのコメント - + C amp 4 +

携帯電話についてのコメント

携帯電話の通話エリアに関するコメント - + C amp 4 +

当時同じ山域にいた他のパーティについてのコメント

7月16日にトムラウシを目指していた他のパーティの動向についてのコメント - + C amp 4 +

生還者についてのコメント

生還者戸田新介さんとの一問一答 - + C amp 4 +

生還者戸田新介さんの回答に対するコメント(7月31日〜8月3日

生還者戸田新介さんの回答に対するコメント(7月31日〜8月3日) - + C amp 4 +

Sub eightの管理人との関係が突然悪化(2010年8月3日ごろから)

Sub eightの管理人との関係が突然悪化(8月3日ごろ) - + C amp 4 +

事故当日の事実経過についてのエントリ

大雪山遭難事故当日の事実経過について(アミューズトラベルの認識) - + C amp 4 +

提言

今後のツアー登山はどうあるべきか〜ツアー企画の問題点 その1 - + C amp 4 +

今後のツアー登山はどうあるべきか〜ツアーガイドの問題 その2 - + C amp 4 +

今後のツアー登山はどうあるべきか〜参加者の問題 その3 - + C amp 4 +

山岳ガイド協会による遭難事故報告書についてのコメント

日本山岳ガイド協会 トムラウシ山遭難事故最終報告書まとめる - + C amp 4 +

トムラウシ山遭難事故調査報告書のまやかしと盲点 - + C amp 4 +

その他

秩父山中における多発遭難事件について

http://d.hatena.ne.jp/swan_slab/20100801/p1

[]登山に関連したエントリ一覧(過去ログ)

+ C am p 4 +  β version

+ C am p 4 +  β version

「ヨセミテの思い出1、2」エルキャプの登攀エッセイ

+ C am p 4 +  β version2003.9.20

文部省登山研修会せっぴ崩落事故の報告書をうけてのコメント

+ C am p 4 +  β version2004.2.21

関西学院大学WV部冬山遭難事故をうけてのコメント

+ C am p 4 +  β version2004.2.13

冬山登山で検討すべきこと〜学生時代の所属クラブの運営方針

+ C am p 4 +  β version2004.4.11

遭難事故でしばしば自己責任論が唱えられる。

しかし自己責任を声高に叫ぶ人間ほど自己管理能力が欠如している実例を紹介

+ C am p 4 +  β version2004.11.10

登山の安全管理の思想と実践(学生のクラブ運営の場合)

+ C am p 4 +  β version2007.5.3

八甲田山の教訓

+ C am p 4 +  β version2007.11.23

十勝岳Z谷雪崩遭難をうけてのコメント

+ C am p 4 +  β version2007.11.25

十勝岳雪崩遭難続報へのコメント

nohonoho 2009/08/05 18:16 早速のお返事ありがとうございます。
明日から4日間出かけてしまいますのでお返事が遅れるかもしれません。
どうぞよろしくお願いします.

swan_slabswan_slab 2009/08/05 18:20 こちらこそよろしくお願いいたします。
のちほど時間が出来次第、コメントいたします。
とりいそぎ。

なまえヨコレスなまえヨコレス 2009/08/06 01:15 ヨコレスさせていただきます。
swanslab様はご自身がガイドであったとして、緊急下山を要した場合に、
もう一度ガイドとしてツアー本隊に復帰することが妥当と考えられるのでしょうか。
条件設定が謎な部分もありますが、ガイドがルートに習熟していないという条件、
体調不良者の下山につきそうということを考慮すると、本隊に合流するということは
現実的な判断ではないのかな、と思います。

swan_slabswan_slab 2009/08/06 04:11 ガイドがどのくらいできるか、および体調不良の度合いも確定条件に入れてないので、こういう答え方になるのです。

nagaikazunagaikazu 2009/08/06 13:27 swan_slabさま

 2年ほど前に、http://ianhu.g.hatena.ne.jp/bbs/1?from=1 このはてなグループの記事にブックマークコメントをいただいたことがある、nagaikazuと申します。

 swan_slabさんほどの力量も経験もありませんが、私も若い頃にすこしばかりヤマをやりました。長い中断のあと中年になって再開し、自分のみのたけ相応の山登りをしています。ガイド登山の経験もあり、今回のトムラウシでの大量遭難には無関心ではおられません。
 たまたま、swan_slabさんのコメントを目にすることができ、その経験と理論(登山だけでなくリスクマネジメントも)にうらうちされた考察に、大いに啓発されました。また、すでに指摘されていますように、戸田さんとのやりとりにより、事実をより明確にされたことに、私も感謝しております。
 ひとこと御礼をと思って書きこみました。この事件をめぐる議論に資するものではありませんので、私のコメントについてはどうかご放念ください。

swan_slabswan_slab 2009/08/06 14:38 永井先生 
ご無沙汰しております。

永井先生もこの事故に関心をもたれていたのですね。登山経験があるひとなら、誰しもこの事故にインスパイアされる何かがあったことでしょう。それを教訓に抽出するお手伝いができればとコメントしておりました。
ただ、他人のウェブサイトをあんなに占拠してしまったのは初めてで、反省しております。

私の設問とコメントは力が足りないこともあって、必ずしも事実と評価をきっちり切り分けるのに成功していません。読む人が読めば理解の一助にはなる程度になっていればと願っております。

2009 | 08 |
2010 | 03 | 08 |
2011 | 01 | 04 |
2012 | 11 |
353368