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   去る09年7月16日のトムラウシ山での遭難事故で亡くなられた方へ心よりご冥福をお祈りいたします。
    はじめてご訪問の方はこちら(自己紹介および投稿リスト等)をご覧ください。

2009-08-06 トムラウシ遭難をうけて他のウェブサイトにしたコメントの一覧リスト

天気判断・進め方に関するコメント

予備日の可能性は?

・別ルートからのアミューズパーティが当日ヒサゴ小屋に宿泊することになっていたため、遭難パーティは小屋での停滞判断をあえてしなかったのではないかとの趣旨の五郎右衛門さんの意見を受けての回答

何度もすみません。

遠まわしにいろいろ書かせていただいておりますので、意図を汲んでいただけると幸いです。

五郎右衛門様

小屋に残留した第四のガイドの主目的は後続パーティの翌日の行程のサポートでしょう。また、後続パーティがくることになっていたから小屋での停滞判断がなされなかったとの推論は、上述した経験を踏まえて、違うのでは?と考えております。通常、予備日もないのに停滞の判断はありえません

すべての新聞報道による分析は「なぜ停滞しなかったのか」みたいなよくわからない説教になっており、違和感を感じています。予備日がないならば、通常はエスケープです。そうすると、その状況でより安全な退路を考えるのがガイドの役割です。ホテルバスの手配という面では天人峡ですが、若干森林限界での行動時間が長く距離もあります。風よけになる樹林帯にわりと短時間で入れる最短ルートという面では沼の原登山口がベストです。また、後続同社パーティは沼の原経由でヒサゴ沼に入ることになっているため、もし仮にエスケープの判断がなされるとすれば五色手前あたりで同社パーティ同士がすれ違う可能性のある、沼の原経由で下山することになったでしょう。

小屋の場所取りの是非についてはさしあたり別問題として議論する必要がありそうです。

http://subeight.wordpress.com/2009/07/18/tomuraushi-2/#comment-282より

予備日がない前提では、まずエスケープの判断が先行する

一般(私のような素人)の場合登山では「停滞するしない」は個々が任意にきめています。が、「ツアーのばあい停滞はありえない」ということですね。現状認識としてそうかもしれませんが、しかし、この現状が望ましいか、望ましくないか、という深刻な問題があるわけです。それでも「停滞はありえない」というなら、そんなツアーはやるべきではないと思いますヨ。自然相手にそんな杓子定規は通用しないでしょうから。そう考えていくと、さいごは企画側の理念を問わざる得ないとおもえます。

との意見をうけ、以下の回答

    •  

五郎右衛門様

「ツアーの場合は停滞はありえない」のではなく、このツアーにおいて予備日を設けていないので、停滞するという選択肢はそもそも計画上存在しないということです。その日のうちに悪天でも行動可能な退路(この場合沼の原登山口経由)があるのだから停滞などしないでいいのです。新聞報道で欠落しているのは、エスケープルートの分析なのですよ。

予備日を設けていないこと自体がおかしいという話と

予備日のない計画でどう行動すべきかはまた別の話です。

予備日がない、あるいは予備日を使い果たした状況下で、検討すべきはエスケープなのです。

事実、かつて新道がなかったころはコマドリ沢の増水が心配で、一日の停滞では足りないこともあったのです。停滞日を使い果たした場合は天人峡におりるか、クッチャンベツに下山していたはずです。

杓子定規とかそういう話ではなくて、新聞報道には他の採りうる選択肢について言及が乏しいので、分析が不十分になっているということです。

http://subeight.wordpress.com/2009/07/18/tomuraushi-2/#comment-289より

机上でも迷う問題は山の中で適切な判断ができない

「予備日を設けていないこと自体がおかしいという話と予備日のない計画でどう行動すべきかはまた別の話です」ということですが。

山で進退窮ったときには、なにかしらの安全策をとって窮状をしのぎますが、そのことによる遅延はいたしかたありません。当然ツアーでもそうあるべきでしょう。予備日の有無にかかわらず、状況に応じて計画を変更して無事に下山できればそれでよいのです。今回のトムラウシの遭難のばあい、ツアーのパーティが16日にヒサゴ小屋にとどまっていれば、死者8人も出さずに済んだのでは。

以上の五郎右衛門さんの意見をうけての回答

--

五郎右衛門様

>予備日の有無にかかわらず、状況に応じて計画を変更して無事に下山できればそれでよいのです。

登山というのは計画したとおりに行動するのが肝要です。想定しうるリスク・危険は机上で考えつくしたうえで、どういうときにどう行動すると計画のなかで決めておくべきです。「状況に応じて現場で判断する」というのは、無計画というのです。良識ある山岳会なら、そのような考え方のリーダーは育成しません。そういうことができる限りないように、登山計画というのを綿密に組み立てる必要があるのです。現場でいちいち考えなくてもいいように、里で考えうることは里でシミュレーションしておく、これが登山計画作成の鉄則です。

予備食料もないのに停滞したとして、翌日も天気が好転しなかったらどうするのです?またもう一泊して、あくまで前進するのですか?本州の社会人が穂高などの冬山でたまにやらかすように停滞して携帯電話で小屋から救助を呼ぶのですか?違いますよね。

当日の朝の判断としては、より安全なルートで速やかに下山する計画であるべきなのです。

問題は退路を考慮した計画だったのかどうかなんですよね。

もちろん、当日の天気が五色方面に進むのも厳しいような天候であれば停滞せざるを得ません

また、トムラウシ山を乗っこせると判断して小屋を出たあとに、当事者の主観としては予想外に悪天につかまりますが、そこで判断地を設けたかどうか。

その時点での判断は場所・時間によっては小屋に引き返すという選択肢はありえますが、これは計画外の判断というべきです。ガイドの真の腕は、この計画で予期していない事態が発生したときに発揮されるものですが、これこそ「計画変更」の事態です。このときの巧拙をプロでもない人間がそれほど強く責めることができましょうか。

計画が未熟であったことと、計画外の緊急事態での対処がどうであったかは一応わけて考察する必要があります。

>エスケープルート、が成立するかどうかは、私にはわかりません。

とのことですが、報道にありませんのでご存知なくて当然です。しかし20年近く北海道の山を登ってますので、私にはわかります。私の経験から言わせてもらいますと、針葉樹の限界は天人峡方面で1250〜1300m、沼の原方面で1400mくらいです。また沼の原方面は全体として登山路もナナカマドやハイマツなどが背丈ほどに茂るトンネル状で風雨の中歩く場合でも消耗が少ないですね。また神遊びの庭付近も緩く尾根を回りこんでいるため、少なくとも当日の風向き(天人峡方面からの吹き上げ)を考慮すれば風当たりも少ないです。

所詮、匿名でためらいがちに話していることですので、半信半疑にとらえてもらってもかまいませんが、一応、サイド情報として覚えておいていただければと思います。

http://subeight.wordpress.com/2009/07/18/tomuraushi-2/#comment-292より


五郎右衛門様には少し言い過ぎてしまい大変反省しております。

silvaplauna様

今回の事故は、まさに多田くんがガイドとして成長してゆく途上の悲しい出来事でした。彼には当然法的な非難は向けられるでしょうけれど、同時に一日も早くこの敗北を胸に立ち直ってほしいと思っています。

http://subeight.wordpress.com/2009/07/18/tomuraushi-2/#comment-298より

sivbikkusivbikku 2010/07/11 02:03 初めまして、地元の一市民としてトムラウシでの悲劇が身近な事件として忘れる事が出来ません。
一周忌も、まもなくです。
皆さんの事故解析と遭難防止の為の啓蒙活動に敬服致しております。
地元気象台と測候所の隔たった2箇所のデータでは25メートル以上の風速データで最大では30メートルを超えてました。
非常に悪いコンデションで縦走されていた、ガイドとツアー客の辛い思いに同情します。
現場に居なくても、気象データから寒さと辛さが伝わります。
ガイドだけを責めても致し方ありませんし、ツアー客の自己責任を取り上げるのも酷過ぎます。
現実は進むも地獄、引くも地獄であったろうし、ターニングポイントを超えてしまったと考えたのではないでしょうか?
多田さんが50代、60代の肉体能力の限界を把握していても、実感がなかったのではないかと感じてます。
テントも4人用だけで、携帯も通じない条件下ではサバイバル下山しか選択肢がなかったかも知れません。
この事件の真相の背後にあるのは、松本ガイドが客の引率を放棄して松本氏が救助され、放置された客が凍死したことです。
自分だけ助かりたいのは解かりますが、日本社会では許されないでしょう。
多田さんの思いとかけ離れた松本さんの行動が、印象を悪くしてます。
気の毒に思うのは、地元でもストーブを炊くほどの寒さであったのと、無線機もなくテントもなく、気象データが充分でなかったことです。
今時期のトムラウシでは、10度から20度以上の体感温度なのですが、去年のあの日は体感温度がマイナス15度程度であったと推測されますので、知らず知らずに体温が下がり、それが一機に発症され、ガイドの手には負えなかった筈です。
ツアー客もガイドも医学知識がないので判断出来ないのは当然です。
問題は夏山で高が北海道の低山でマッキンリーでもエベレストでもないと言う思い込みが強かったのではないかと考えています。
北アルプスでもないし、富士山でもなかったのでロックガーデンでの強風に驚いたと思います。
あの遭難の原因は風なのです。
最新の登山装備は悪天候下でも行動でき、登山者の実力を引き上げてますが、自然のほうが実力が上だった事例です。
やはり山には、神が存在し、恐れ敬い侮ることがないように肝に命じるべきと感じました。
不運にも亡くなられた、8名のガイドとツアー客のご冥福を、お祈りいたします。

swan_slabswan_slab 2010/07/11 03:23 しびっく様
コメントありがとうございます。
おっしゃるとおりです。人知には限界があります。
人間のやることは完全ではありません。たとえば登山中に風の強さや体感気温を正確に計測することすらできないのです。とすれば、私たちはもっともっと予防的なスタンスで計画をつくり、実施しないといけませんね。


話はちがいますが、私がこんなウェブサイトをつくっているのは、やはり教訓を残したいからです。私がずっと気になっているのはもう一年にもなるのに教訓をきちんと今後のツアーや一般の登山者に受けついでゆく仕掛けがいまだできていないということです。戦争や災害の反省と同じように、こうした事故の教訓は次世代に受け継いでゆく義務がある、という思いがあります。風化を心配しています。

というのも、これは自分自身の禍根でもあるのです。
もうずいぶん前ですが、北大のパーティが1994年11月、OP尾根の雪崩により下級生1名を死亡させてしまいました。学内の部の壁を越えて登山系3団体が協力して捜索にあたり、北大寺で営まれたお通夜には全員が合掌しました。彼のお父様がご挨拶で「あなた方の顔がみな息子の顔に見えて仕方がない」といわれたのが今でも耳に残っています。その後、3団体は遭難対策評議会を開催し、各部持ち回りで山岳事故について議論する場を設けることになりました。この事故を他の部活のミスだと対岸の火事のように思っている人は誰もいませんでした。お互いの部内の記録だけでなく、知見も共有していこうという趣旨でした。ところが私の怠慢で、結局ときどき懇親会をひらいたものの、その評議会を継続して運営することなく立ち消えになってしまったのです。私は今でもこれを後悔しているのです。多田さんが入学する前の話です。あのときあの評議会を継続していれば、もしかすると後進の育て方も変わっていたかもしれない。

山で死んだ人間を決して無駄にしてはいけない。
厳粛な生をいきるために。これは私の人生観でもありますが、トムラウシの事故を風化させない責任はつよくかんじます。こんなところで記事を書いているだけではどうにもならないかもしれないですが。

sivbikkusivbikku 2010/07/11 08:21 私達道民が願っているのは、中高年登山者が満足してお帰り頂くことです。
そして遭難事故死のない登山が確立し、その為の遭難救助体制の改善です。
行政が税金で賄っている以上は、大きく貢献している観光客の救援救護は当然ですし、
救護要請を躊躇う必要はありません。
現在の北海道の体制では、仮にトムラウシから午前10時に遭難通報があっても、結果は同じだったかも知れません。
全てが道警任せで、強風や視界の影響を理由に無理をしませんし、ヘリからの降下などは考えていないようです。
話が飛んでしまいますが、35年ほど前にはYS−11などと言われる旅客機が旭川空港と羽田間を離着陸し、無線誘導装置のなかった旭川での有視界飛行では、濃霧時の着陸が無理だったのです。
しかし、東亜国内航空の元海軍パイロットである高島機長は着陸を敢行しましたし、金髪、青い眼のベトナム戦争経験機長も、同様でした。
両機長の言は、揃って「これぐらいで躊躇しては戦争では勝てないね。」とのこと、単に訓練の賜物で、現在のパイロットには無理な話かも知れません。

海上保安庁のヘリは、山岳遭難は管轄外と考えていますし、自衛隊は、知事からの要請がなければ出動しません。
縦割り行政が、管轄を超えた人命救助体制の確立が課題と考えています。
北海道では、春熊駆除を止めて久しく、結果個体数の激増と事故増大になりました。
将来の山岳遭難は気象だけでなく、羆(ヒグマ)による遭難が懸念されます。
行政は実際に事故が起きてから対応するのでしょうが、避難救助活動の指針は出来ていません。

全てが杞憂であって欲しいのですが、心配です。
私の願いは、個人の力でも知見が豊かで良識のある貴方様のような方が頑張って頂ければ願いは敵うと信じてます。
継続は力なりと言われてます。
どうか、北海道の為にも記事の掲載を継続してください。
山の灯が、消えないことを願うだけです。

sivbikkusivbikku 2013/07/15 21:53 忌まわしいトムラウシの山岳遭難からもう4年も経ちますが、その間の社会の激動は忘却の彼方に追いやった感があります。
中高年登山ブームと山岳ガイドの繁忙は過去の遺物なのでしょうか。
アミューズのような悪質業者が何度も死者を作り、ガイドだけが死人同然の地獄の苦しみを味わう実態に呆れる他ありません。
お亡くなりになった吉川ガイドはアミューズの圧力に負け人柱になったと考えるとお気の毒です。
多田ガイドも生ける屍のような病人になっていると聞き、厳しく辛い現実の中でもリアルに救済する人々が存在すべき、救済すべきだと考えます。
彼の行動や立場を勘違いしている人々もいて流言飛語に晒された人物であり不運、不遇の人物と感じています。
事故の原因は企業の体質に起因してますが、法廷での立証が難しくガイドの吉川さんが被疑者死亡の書類送検でお茶を濁されそうです。
ガイドがガイドとして食べていく現実の厳しさを見透かした実態が何時改善されるかが今後の事故防止に繋がりますが、私の器量では想像すら出来ません。

swan_slabswan_slab 2013/07/18 21:52 しびっくさん、ごぶさたしております。
吉川さんも多田君も本当に気の毒で胸が痛みます。

>事故の原因は企業の体質に起因してます
本当は、安全の基準が事前にちゃんときまっていればよかったんですよ。
一定の雨量を超えたら自動的に通行止めになる山間部の道路のように、です。

吉川さん多田君には、それぞれ山中で役割が異なっていたでしょう。しかし、同じ北大の山系のクラブに所属していた仲間としてみると、そのような安全登山を学んできたはずだったのに、という思いが私には強いです。
35年前の春の知床遭難でテントが吹き溜まりでつぶされたとの報告を聞いたあるOBが、当時をふりかえってこんなことをいっていました。「遭難したリーダーは、俺の過去の山行記録を読んであの場所にテン場をつくったと聞いた。でもあの場所は夕暮れで時間切れになってやむを得ず宿営した場所だったんだよ。。。」
いのちを失った悲しみ、奪ってしまったという罪悪感、地獄へ背中を押してしまったのではないかという思い、何十年たっても忘れられないものなんでしょう。

生き残った方々にはさまざまなトラウマがこれからもつきまとうでしょう。お客さまのなかには、本当につらい経験をした方が多い。
しかし、つよくしぶとく生きてほしいと願っております。

しびっくしびっく 2013/07/22 05:03 トムラウシを分水嶺とする一河川に忠別川がありますが、昭和以降だけでも何度も農地を暴れ水害の被害は甚大でした。
天人峡温泉へと導く道道も然りで、何度も土砂崩れが起きるほどの降雨が珍しくなく、ロックガーデンが雲の通り道であり豪雨災害の原因でもあります。
私の知人も平成10年8月に忠別川に並行して走る道道を走行中に寸断された道路から濁流に呑まれ帰らぬ人になりました。
当時3台が濁流の被害に遭いましたが、トムラウシの周辺の気象は恐ろしいほど荒れ狂っていました。
登山決行日が決まっていれば運不運が決定されているのでしょうか。
私の娘は富士山に登頂して以来山ガールに染まっていますが、レインウェアにゴアテックス素材が使われていないので頭に血がのぼりながら指摘すると、外見にお金を使っても素材にはお金を掛けたくないとの返事でした。
私の流儀に反する思考で親子でもかような結果ですから、ガイドと客であれば重大な支障が起きることが予想されます。
登山靴とウェアだけは金をけちる事が無いような事例集を娘には啓蒙しようと思っています。

swan_slabswan_slab 2013/07/23 03:26 北海道の山は、夏山といってもときに気象は厳しく、豪雨災害で道路が寸断され帰れなくなることがありますね。忠別はダムができて、少しは水害が減ったでしょうか。日高山脈の幌尻でもしばしば小屋に取り残されるケースがあります。夕張もそうですが、登山口までの林道が大変な悪路でバスで行くような山じゃないと思うのに、強行していましたね。
山ガールのお嬢様にはツアーと違ってそんなに無理をしないで登ってほしいですね。

しびっくしびっく 2013/07/27 04:40 何時も丁重なご返信ありがとうございます。
忠別川に堤防が築かれ河川改修による補強と流量調整により市街地と農地への災害は無くなりましたが、ダム上流部に関しては未だに暴れ川のままです。
度重なる河川改修とダムの完成で魚が釣れなくなりましたけど致し方ありません。
今は社会人になった息子も大学時代は日高の山で岩石研究に奮闘していました。
驚くことに縦走路が以前と違い荒れているのです。
誠に残念至極です。
退職したら大雪から日高に縦走するのが夢だったのですが、老人には無理な山になってしまいました。
ヒグマの個体数も増えた結果、今後山行で事故が起きないか心配で堪りません。
夕張は憧れの山ですが初心者の私には荷が重すぎ、芦別岳によく行きます。
富良野市山部町からの旧道コースは40年以上通っていませんが、今も鮮明に覚えているのは食いちぎられたヒグマの前足を発見した思い出です。
ヒグマが共食いすとは知らず、別にタイミングしだいでは私でも良かったのではないかと感じそれ以来新道コースばかりです。
大雪の軟柔なイメージと対照的な芦別は未だに大好きです。
旭川も毎日30度を超える気温ですが、雨の影響で昨日から過ごしやすい気温になりました。
今は亡き父の思い出は、冬山をやるのであれば勘当し親子の縁を切ると申し渡されたことです。
今思えば親の心情が痛いほどわかります。
然し乍ら若者の想いも、彼らの純粋な精神も理解できます。
あまり無茶をしないことだけを祈るしかありません。
深夜までの深酒も明日は雨と知りサケデーとなりそうです。
飲酒投稿に返信無用です。
今までの酩酊投稿の非礼無礼をお許しください。
追伸、ガイドの方のお人柄と事件の背景を知れば知るほどガイドではなくアミューズに腹が立ちます。
おそらく、営利だけを追求する悪質な経営幹部にガイドと客が殺された事件としか思えません。
何故犠牲者遺族が民事で争わなかったかの疑問も和解されていると聞き、刑事の結論がでているのかもしれませんね。

swan_slabswan_slab 2013/07/27 11:54 しびっくさんの投稿、いつもうれしいですよ。
芦別は、ふもとの山部からつづく農村の雰囲気も大好きです。日高の山や大雪の登山口への道のりは谷あいの林道をゆくことのが多いのに、芦別岳は駅からすっと一本のまっすぐな道が芦別の登山口に続く、とても開放的な印象があります。山を降りてきたあとの安堵感はあのふもとの町の雰囲気もあるんじゃないかとおもっているくらいです。

私も一番初めは綿のポロシャツ姿でガイドブックを頼りにテキトーに登っていたのですが、クラブに入ると短期間にいろいろなことを教わって半年後にはいつのまにか氷壁まで登っていましたから、若いときはあっという間に深くのめりこむことがあるので親の気持ちとしては心配ですよね。

アミューズも解散してしまいましたが、残された社員の方々も気にかかります。
私がお会いしたことのある社員の方々は、皆さん純粋でお客さんのことをよく考えられる人ばかりでした。ガイドのフォローがきちんとできる方が多かったです。登山の生理学を学んでいたり、ヒマラヤ経験豊富な人材も多く、他の旅行会社に比べ、人材という点で遜色ないばかりか、優秀な人たちを集めているという印象すらありました。若い社員も大変謙虚な方が多かったように思います。でもなかには【背負ってでも頂上に連れて行きたい】みたいなことをいう人もいました。ちょっと体調がすぐれず遅れがちになった人を社員の方が一人で面倒を見ようとする人も。【自分が面倒をみるので、あとから頂上についていきますから】という人もいました。無線機を殴り捨てたくなるほど腹が立ちますが、山の中でけんかしている暇はないんですよね。本当はこういう話を普段から自由にする機会をもって、ガイド側と添乗する側の認識のギャップを埋めていかないといけないと思っています。

アミューズのお客様にとっては、社員とガイドの対応がすべてでしょう。一人ひとりをみると、皆さん誠実に仕事をしていると思います。だから好印象を持ち続けている方が多いのだろうと思いますが、安全には歯止めのようなものがないと、それぞれの思いだけで山のぼりを運行すると、人の個性によっていろいろな結末になりうるのだと思います。

しびっくしびっく 2014/07/17 06:27 お久し振りです。
事故から5年、8名の犠牲者のご冥福を祈ります。
あの日は他に2名の方が凍死されたほどの気象条件であり、加齢による体力差と装備に因っては衣類が濡れてさぞかし寒かったことでしょう。
吉川を偲ぶ方々も多く、人柄が想像されます。
多田さんも事故以来自分を責め続けた結果、廃人同様になり悲哀の限り、彼に事故の責任が認められるはずは無く、世間も彼を見直すべきだと考えます。
お亡くなりになった吉川ガイドが一番悲しんでいると思うと切なくなってしまいます。

sivbikkusivbikku 2014/07/17 09:34 アミューズのガイドが資質が高く山を心から愛していたにも拘らず職を失ったことは非常に残念なことです。
トップダウンとボトムアップの整合性がとれていれば会社の存続が危ぶまれる事態にならなかったと考えています。
ガイドを添乗員として食いつぶす経営役員がいたのが実態だったのではないでしょうか?
私企業である以上は利益追求に向かうのは世の常で、ガイドを使用しながらその権限は何も与えず添乗員といて使役し、会社の利益を優先さす責務だけ押し付ける姿勢があったはずです。
吉川さんも多田さんもガイドと言う名前だけを押し付けられ停滞と言う選択肢さえも制限された状況で奮闘し、自ら命を絶ちあるいは自身を責め生きる屍となり果て、お気の毒で辛くなります。

swan_slabswan_slab 2014/07/17 09:40 しびっくさん、
あれから5年になりますね。
一方で事故も風化しつつあるのでしょう。
観光庁もそのときだけの対応になってしまったのでしょうか。
亡くなられた方々のご冥福を祈ります。

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