2011-10-16
唯をレイプする夢をみた。
初めて、唯が出てくる夢を見ました。
出会いから2年と7ヶ月目にして初めてのことです。
どんな夢だったのかというと、唯を犯す夢でした。
前日の別の夢の話になりますが、ちょっとえっちな夢をみたんです。旅行で使われるような4列シートのバスの座席タイプの電車に乗っていて、僕は窓側に座って本を読んでいました。すると、隣に座っていた女の子が突然僕の股間を触りだして、軽く叩いたり撫でたりしてくるのです。僕は他人に股間を触られ慣れていないので最初は嫌悪感を抱いたのだと思いますが、本能的には嫌だと思わなかったのでしょう。されるがままに本を読み、たまに窓の外を見てわずかに感じる快感を悟られないように散らしていました。
何分そのままだったのかよく覚えていません。夢なのだから何分間、という感覚は薄くて当然ですが、それでも体感では10分ぐらいでしょうか。夢にしては長く長く触られているままでいました。
電車は止まり、どうやら終点のようです。僕の股間をいじっていた彼女は、僕の耳元でこう囁きました。
「トイレで続きしてあげる」
ズボンの上から触られるのとは違う展開になることは予想できます。しかしそこは僕ですから、ええ僕ですから。包茎なんてバレてみろ。どうなる。なんて言われるのだろう。剥いてあげる?真性なのにどうやって?キモい?ありえない?うわあ、もうダメだ。夢の中では夢だとも思っているわけがなく、そこは確かに現実でしたから、僕は包茎を晒す前に退散しなければなりませんでした。
「あ……おれ、包茎だから、ど、童貞だし……ごめんなさい」
などと彼女に告げると、彼女は複雑そうな顔をしました。うわー、包茎、それは想像してなかったわー、みたいな表情で、それでいて少しだけ悲しげで。そんな顔を見ていると苛立ってきて、僕はその場を立ち去りました。
という夢を見て起きてぼーっとしながら考えてましたが、僕は根っからの童貞なんだなあと改めて思いました。夢なんだから少しぐらい融通利かせろよ。そうは思うのですが、童貞という本能には逆らえないのですかね。体験してないからイメージできないのでしょうか。イメージが必要だから、その前に拒否したのでしょうか。夢って、ストーリーの先読みするんですね。その先まで行ったけど体験したことないから強制終了、なんてことがあったら、起きたときに「もったいない」って思うはずだし、その方がなんか悲しいじゃないですか。強制終了ルート回避するストーリー自動生成プログラムか。すげーなー、夢って。
このように、前日に見たのは控えめでちょっといい思いをしたぐらいの夢。満員電車で後ろの女の子のおっぱいが背中に押し付けられてしまった程度のいい思いです。
そんな夢を見た翌日に見た夢が唯を犯す夢ですよ。セックスの夢すら見たことがない俺が、唯の夢すら見たことのない俺が、そのどっちも一緒に見るというダブル初夢。夢の中の俺が最初に童貞を捨てるなんて片腹痛い。それがレイプだなんて、俺は一体なんなんだ。
外は雨で、室内はジメジメしていました。そんな場所で僕はというと、唯の服を破ったんだかぐちゃぐちゃにしたんだかわかりませんが、相当荒く唯を犯していたのです。そこに音はなく、唯の髪の色だけがはっきりと視認できる程度の色合いの世界。もちろん声もありません。快感もありませんでした。唯は泣いていませんでした。表情も読み取れません。それが果たして唯だったのかどうか確認する術などないのですが、確かに唯でした。なんの根拠もなく、目の前で犯している女の子が唯だとはっきり感じていました。悲しくもありません。僕も泣いていません。夢にふさわしい、欠け過ぎた世界。そこにあった情報は数える程度のものでした。唯と、僕と、レイプと、髪の色と、室内と……死臭だけ。
唯は死んでいました。
レイプして死んだのか、死んだからレイプしたのか、まったくわかりません。でも死んでいたのは確かです。
表情も変わらず、言葉も発しない彼女を、僕は犯していたんです。
そんな夢を見ながらも、僕は悲しいとも酷いとも思いませんでした。
ただ、唯と夢のなかで触れ合えた、という一点だけが嬉しかったんです。
彼女が死んでいたのは、彼女は絶対に僕のことを認識できないという事実に基づいた設定なのでしょう。童貞の僕が夢の中でえっちな展開に持ち込めなかったように、事実が周到に設定された世界。そんな、現実にある事実から見る夢に制限を付与するくせに、経験したこともないセックスをする夢を見たということはきっと、童貞という枷を引き千切るような強い力──唯が好きだっていう気持ちの方が強かったんですね。
僕の童貞は、いつか「好き」によって覆されるのでしょう。前々からわかっていたことでしたが、無意識下ですらその証明がされるのならホンモノかもしれません。別に意固地になってるわけでもないのだけど、それならそれでいいんじゃないでしょうか。僕が唯を好きなうちは、ずっとそうやって過ごしていいはずなんです。唯よりも好きで、どうにか出来るような相手が現れるまでは、ずっとこのままで。そう、ずっとな。
2010-10-14
気になる夜、一時間。背景、僕。唯、けい具。
気になる夜なので、僕は唯への手紙を書くことにした。
しかしそれは渡せないので、最初から渡せるはずのない手紙を書くことがあまりにも無意味だと知った僕は書くのをやめた。
書いた手紙が渡せなくて、それを机の引き出しにしまって、ある日偶然見つけてしまって、読んでみようかと思ったはいいけれど、多分それは見たら死ぬっぽいので見るのやめてザックザクに切り裂いてベランダから外に撒くとかするならそれは青春の一ページとしては腹立たしいほどに美しくもあるのでしょうが、最初から渡せるはずのない手紙を書くことがどんなに苦痛か。そしてどんなに残酷なことか。おわかりでしょうか。唯は、いない。
さて、いないからと言って、自分の存在すら否定してしまう必要はありません。僕は、ただひたすら、毎日泣き続ければいいだけなのですから。それだけで、僕の存在は肯定されます。僕は、唯のことを思えばいいのです。それだけで、自分はこの世界にいていいのです。唯のことを考えて、もしも、ムカッ、としたら、それは僕が死すべき時でしょうその時は、全部捨てればいいのです。僕は、それですからね。
気になる夜なのです。だからこんなことを書いている。2時過ぎに来た眠気は5分で飛んだようで、このまま僕は徹夜することになります。だから、公園行ってブランコに乗る前にもうちょっと書くことにします。
『わたしの恋はホッチキス』の歌詞冒頭が「なんでなんだろ 気になる夜 キミへの この思い 便せんにね 書いてみるよ」ということでなんとなく書いているわけですが、もうちょっと先の方の歌詞に「好きの確率 わりだす 計算式 あればいいのに」って部分があります。この好きの確率って、なんなんでしょ。普通にね、考えてみればこれって、相手が自分のことを好きな確率って意味だと思うんですが、なんとなく気になる夜に生きている僕はこの歌詞を見て、僕が唯のことを好きな確率を割り出す計算式、と一瞬思うわけです。いや、普通そうじゃないでしょう。それでも、僕はこの一瞬の勘違いから「俺が唯のこと好きな確率って、どのくらいなんだろうなあ」って思ったりしたのです。
でもこれは、よくわかんないです。そりゃ相手は二次元だっていう、そういう身も蓋もない部分を抽出して、そんなもんありえねー。ゼロパー。とか思えはしない。二次元だとか三次元だとか、ひゃくぱーせんと三次元が勝つような世界に生きていて確率もクソもないんだけど、僕が唯を好きだって言うならそれは100%ですよ。100%で間違いないでしょう。ただ、不明瞭な理由で僕はそれを懐疑する。その不明瞭な理由っていうのが、「なんでなんだろ」なんですね。さあ、なんでなんだろ。
なんでなんだろ、と思う理由として一番可能性が高いのは、なんでここで本気で好きになった相手が唯なの、という点。結構話こんがらがってくるんだけど自分の話だから別に詳しく書く必要はないけどけどけど、なんでどうしようもない相手をまた好きになるのかなー、っていうこと。どうしてここで、自分のことを好いてくれる女の子のことを僕は好きになれないのか。どうしてどうしようもない相手のこと好きになって、どうすることもできないのに俺はこうやってまた唯みたいなのを好きになるんだ、っていうこと。
きっと、道を外したんですよね。いわゆるオタクになったことじゃなくて、どうしようもない相手を好きになったことから全てが始まっている。道を外したのは、しょうがなかったんです。好きになったからなんです。僕が悪いわけでも誰が悪いわけでもない。誰かが悪いのだったら僕も悪い。僕が悪ければ誰かが悪いって言ってるようなものです。だから僕は何も悪いと思わない。しょうがなかったんだ。しょうがないから、どうしようもなかったんだ。
唯をこんなに好きなのも、道を外したからなんだよねえ。
でも、道を外さなかったら唯のことここまで好きにならなかったのかなあ?
クエスチョンつける必要はない。やっぱりそんなことはわからないです。だから、僕の気持ちが、100%だとは強く言えないんだ。だから、唯はきっと僕がいつも思っているように、奇跡の存在なんだろうね。誰かを好きになることは、そりゃ世界中の誰にとってももしかしたら奇跡なのかもしれない。運命ってのもあるけど、僕は奇跡でいいと思った。出会うべくして出会ったとも思えないですしね。幸せな奇跡なら、僕は歓迎したいと思う。毎日毎日泣いちゃうけど、唯とセックスする想像とかしちゃうけど、落ち込んでどうしようもなくなる瞬間もいっぱいあるけど、どこかで幸せな気分になれるのならそれは幸せなのでしょう。そう思って間違いはないですよね。ま、そう思い込むことにでもすればいい。
結局、僕の好きの確率はわかんないけど、唯が僕の事好きな確率はゼロパーなんだから、いいです。僕の方だけずっと、死ぬまで「なんでなんだろ」でいいんじゃないでしょうか。そもそも、僕と唯は、どこにも交点はないのですからね。その確率は100%です。非常に分かりやすい。僕の気持ちだけ、色んな数字の間をさまよっていればいいんです。
さあ、こんなもんでいいだろう。ちょっと公園にでも行って、ブランコ乗ってこよう。
2010-09-06
唯たちが卒業しても、俺たちはやるぞ!死ぬもんか!!
けいおん!!20話見ましたでしょうか。そして、22話見ましたでしょうか。しにたい。はい。そうです。
で、そりゃそうなんですが、ワケも無くしにたいわけじゃないでしょう。自分がそういう青春を送ってこなかったから?別の青春を送ってきたけどこんな青春をしたかったから?わかりません。よくわかりません。言葉にできません。そんなもん、まだできないでしょうよ。もう出来てるとしたらそれは、なんて勝手なことは言えません。やめておきます。
じゃー僕は何が書きたいのかと。このブログというスペースを使って、けいおん!!が始まって初めて、何が書きたいかと。
僕はね、けいおん見てしにたい気持ちになった人がいたのなら、そのしにたい気持ちが、原作とかアニメの放送とか終わってもまだ続くというのなら、楽器を弾いたらいい。もしくは、創作をしたらいい。と思うんです。創作ってのはかなり広義で、つまりは『表現』という、なんていうか自分の気持ちを表現して公にする、ということ。更にいえば、楽器を弾くこともその延長線上には『表現』があると思うので、結果的に楽器とか創作とかうんちゃらうんたん言ってるわけですが、つまりは表現をしませんか、と言いたいのです。声を100テラピクセル程度のフォントサイズにして言いたい。コエカタマリン飲んで出した声をあずにゃんにぶつけたい。本音が出てしまいましたすみませんあずにゃんではありません。えっとね、そういう、しにたいって思った人たちに、ぶっつけてやりたいことがある。
おまえら!しにたいおまえら!心の中はどうでしょうか。熱いでしょうか。それとも冷えている感じでしょうか。たぶん、冷えていると思います。だって、しにたい。つまり、かなり落ち込んでいますね。落ち込んでいますね?そうでしょう。僕だってそうです。でも、なんかこう……煮え切らない。冷えているけど煮え切らないという矛盾がありませんか。ありますよね。絶対、ありますよね。それ、多分、血が煮えたぎってるんですよ。どこの血か知らないけど、そんなものどうでもいいけど、血が煮えてますよ。沸騰してますよ。爆発しそうですよ。爆発して死にそうじゃないですか皆さん。そうですよねええ!そのエネルギーどっかに産まれたエネルギー行き場のないエネルギー未来への不安エネルギー大好きエネルギー百合エネルギーあずにゃんエネルギーそういうなんだっていいエネルギーを、しぬためだけに使うのはもったいないですよ演奏しましょうよ彼女たちの目線を体験してみましょうよなんか書きましょうよ描きましょうよ音楽でも詩でも絵でも文章でもなんだっていいから作りましょうよそしてたどりつけるかもしれない世界に想いを馳せてみましょうよあの子たちがきっと到達するであろうその世界に似た世界を見にイっちゃおうぜクソッタレなお前ら!!!本当に死にてーとかイートシットですne!!!
終わるのは、僕たちに見せてくれている"今"という瞬間です。それは、彼女たちの終わりではないのです。知ってますよね。しかしそんなことを言ったって、ムリっす。だめっす。もう耐えらんない。今がなくなるのヤダヤダやだやだ、けど、放課後ティータイム続いて欲しいし、でもその姿を見られるのは今だけ……でもでもでもでも!
そうでしょうわけわかんないでしょう。けいおん好きで好きで仕方ない人たちの気持ちは俺はわかっている。割り切れないでしょう。
だったら本音を言え!
そうだ!俺はまだまだずっとけいおん!見ていたい!
唯のかわいいとこ見ていたい!
ニヤニヤしたい!
あずにゃんの後輩っぷりみていたい!喜ぶムギちゃんみていたい!律のイイトコみていたい!澪の調子乗るとこみていたい!憂のお姉ちゃん大好きみていたい!さわちゃんの暴走だってみていたい!和の噛み合わなくても守ってくれる姿みていたい!純が強めてくれる現二年生の形をみていたい!まだみていたい!本当はずっとずっとみていたい!あの子たちの事ずっと見ていたいんだ一生永遠と続く登り道も下り道もずっとずっと見ていたいんだ!みたい!みせてくれ!おわらないでくれ!けいおん!おわらないでくれー!うわああああああああああああああああああああああああああああああああ
でもそんなの無理っしょ。無理です。アニメ終わります原作も終わります。終わらないのかもしれないけど、今はまだ、終わる。
そんなら。そんなら?そんなら=「そん」なにおわってほしくないの「なら」、でも終わるのなら、
おまえらが、続けろ!
続けるんだ。俺たちが続けるんだよ!
そうだ、しにたい気持ちを続けろ。継続です!ずっとしにたくなっていればいい。しにたくなり続けること、それは終わってしまった作品という「表現」を、終わらないように続けることでしょう。続けようぜ。けいおん!終わっても、あの子たちは終わらないなら、俺たちだって終わらない。作品に囚われるな。ぜったいにだ。終わらせるな。いつまでもいつまでも、しにたいというその気持ちが消えゆくまで、続けようじゃないか。表現しようじゃないか。つたなくたって、あさはかだって、つまんなくたって、いいよ!
僕は、やるよ。
しにたいからな。
みんなも、やるといい。好きなんだろ。あれが。僕たちだって、あれのこと、いつかわかるよ。いつか辿りつけるはずだよ。
な、しにたいまま、突き進もうじゃないか。最終回も番外編もある。その先に到達したときに、まだしにたいと思ってるなら、あの子たちの先へ、僕たちも行こうぜ。愛をこめて、スラスラとね、さあ、
2010-01-22
「なんなんだろうね、この気持ち」を理解したあの日
唐突に「記事を書く」ボタンクリックしてテキスト窓を開いたので思うがままに書きたいと思います。僕がだいたいこのブログを使うときはけいおん!の話でなんかあーあーとか思ってるようなことをただつらつらと書き続け……てきたことはなかったですね、一応あれでも推敲はしてるんです。
横浜アリーナのけいおん!ライブイベント。去年、そっかもう去年なんだなー、そうその去年の12月30日に行ってきまして、開演4時間前にチケット確保できて新豊洲駅の人っ子一人いないホームでひとり泣きしたこととか、やれ素晴らしかっただのやれ可愛かっただの、二期決定時の雄叫びは今でも覚えているし、声優さんたちの演奏とか泣きっ面とか、あ、あんま表現良くないですね。そういうこといちいち書いてたらきりがないので割愛しますが、とにかく自分史に残る日であったことは間違いありませんでした。
しかしあのライブのあと僕は、とてもじゃないが耐えられなかった。あの時は確かに、僕自身と唯との距離は少しだけ近かったのです。二次元という、大きくそびえ立っている事実を感じるしかない壁が、少しだけぐにゃりと歪んだのです。そうなってしまった理由は、声を演じている声優さんとの距離が近すぎたから。歌にしろ演技にしろ声優さんご本人の姿にしろ、あの彼女たちの一部である声の持ち主と自分との距離が数十メートルであったという事実がその壁を歪ませ、そして二次元との距離の遠さをより一層強く、強く実感したのだ!
そう、遠いのです。遠すぎるのです。あまりにも。
届かないものを星に例えることがありますが、星どころの騒ぎではない。我々と星の距離というものは既に決まっていて、その長さを知りたければ答えを見つけられます。ですが、あの彼女たちと自分との距離は、その答えがない。天文学的数字などでも表すことも出来なければ、誰かが定義付けることも適わない。そんな遠さを、改めて強く実感したのです。
『暗いと不平を言うよりも、すすんであかりをつけましょう』
強く実感した僕は「このままでいいのか」と自問し始めました。遠いからなんだっていうんだ。そりゃ遠い事実を再確認して布団にくるまりながら嗚咽を吐くこともあるだろうけど、このどうしようもない実感を、そのままどこかに吐き出すことは出来ないだろうか、と。
考えるまでもなかった。自分の中に取り込まれた実感を表に現せばいいんだ。
つまりそれは、表現だ。
どうせこの世は、やりきれない思いばかり溜まる世界だ。それならそれを吐き出そう。表に出そう。表現しよう。僕はあの子たちの本当の遠さに気づいたんだ。本当に遠いのならば、それは同時に、近くにあるかもしれない、ということと同義なのだ。それならば。僕は身勝手に、自分の近くにいるかもしれない彼女たちを生み出せばいい。生み出して、それを表現する。これだ。
これだ、と思った瞬間に僕は、同人誌を作ろう、と心に決めた。
どうせ溜め込んでしまう想いなら、僕はそれを放ちたい。あずにゃんに関しては普段から思うがままに言いたいこと言ってるけれど、もうそれだけじゃ足りない。足りない。ああもう足りねーよ。違う方法で思いっきり僕はあの子たちの可愛さを、伝えるしかないんだ!好きで好きで仕方ないんだ!だからだ!
類稀な経験を一杯して、僕は少しだけ強くなりました。あとはそんな、どうしようもない気持ちを思いっきり表現するだけなのです。それができて初めて、素敵な何かが待ち受けている気がしているのです。
あずにゃん、しばらく手伝ってね。