Hatena::ブログ(Diary)

独身貴族(笑)の雑記 − 30代リーマン

2012-05-31

トラックバックとコメントへの返信


「「同等」とはなにか?」
http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20120531/p1


上記id:Apemanさんのブログで書いたブックマークコメントに対し、apesnotmonkeysさんとFondriestさんよりコメントを頂いた。ツイッターは使えないので、当日記のエントリーで返答させて頂きたい。

なお私のブックマークコメントは以下の内容である。

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従軍慰安婦」制度が東京裁判できちんと裁かれたとすれば「人道に対する罪」が適用されたであろうこと」そりゃ事後法でもOK、偽証罪にも問われないと何でもありの東京裁判でなら、どんな内容でも通るだろう(笑)
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@apesnotmonkeysさんのコメント

>それはもちろん、大日本帝国が占領地や植民地、さらには「内地」でさえどれほど不当な裁判、あるいは裁判なき処刑をし尽してきたことを承知のうえで言ってるわけだよね? 事後法だってあるんだぜ?

その「大日本帝国の不当な裁判」を、法学的見地から否定し得る論拠であるというだけで、東京裁判の評価には全く関係がない。「日本も不当な裁きを行ってきたのだから、東京裁判がどれだけ不当でも文句は言えない」とでも言いたいのだろうか?大体東京裁判で裁かれているのは国であり、争点は各々の犯罪行為が、国家の意思として行われたものか否かである。軍人個人の所行についての裁判は、BC級戦犯裁判がこれに該当する。その意味では、相対論にしても不適切だと思うのだが。


id:Fondriestさんのコメント

>↓法を正義に優先させるという倒錯、というより正義を蔑ろにする為に法にしがみつくクズ

「クズ」と来たか(笑)。「正義」を蔑ろにするつもりなど毛頭無いが、「正義」で他人を裁く事は出来ないとは下記エントリーで主張している。

「「正義」や「道徳」で人を裁けるのか?」
http://d.hatena.ne.jp/syachiku1/20120522/1337693398

2012-05-28

「不正」か「不作為」か


ここの所全く記事が書けていない・・・。体調を崩し、文章を書く気力が無い。

河本準一、涙の謝罪 「むちゃくちゃ甘い考えだった」
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1714080.html


最近、生活保護を家族に不正受給させたとして問題視されている芸人の河本準一氏の話題で持ちきりのようだ。ネットサーフを余りしていなかった為余り詳しく時系列を追ってはいなかったが、確かに本当に必要としている人が受けられず、生活保護に頼らずとも生活出来る人が貰っているというのは本末転倒である。

しかし河本氏に対するネット上での叩きぶりは少々常軌を逸しているのでは無いか?まず河本氏に「不正受給という認識があった」のかなどの明確な悪意があったかどうかを考えてみるべきだと思う。

何となくだが、数年前に起きた議員の「厚生年金未納問題」を思い出した。これを「不祥事」などと当時のメディア野党(後に自爆するが)が叩きまくっていたのが印象に残ったが、それらは不正を犯したというよりも、手続きの不備という見方の方が正しいのでは無いかと思っている。

河本氏は年収5千万円との事である。少なくとも一般家庭のサラリーマンの年収などとは比較にならない高額な収入である事は疑いようも無い。逆に言えば、この年収なら生活保護など無くても何不自由無く家族を養える事を意味しており、わざわざ「不正受給」などする必要は無かったと言えるだろう(申請した時点での年収は低かったそうである)。要するに、河本氏には特に悪意を持って不正受給を行っていたという認識は無かったのでは無いかと推測しているのである(勿論ただの推測であり、当人やその家族がどう認識しているのかなどは知らない)。前述した年金未納問題と同じで、「不正」というよりも当人の認識不足が原因では無いだろうか?勿論これはこれで反省すべき点だろうが、会見で謝罪し、貰った分を返済すると言っている以上、少なくとも氏に対する追及はこれ以上必要ないような気がしているのだ。

結論として、当件について河本氏に「故意」や「悪意」があったのかとどうかについては懐疑的である。不作為」である事は否定しないが、「不正」とまでは言えないのでは無いだろうか?

この件とは直接関係は無いが、生活保護のあり方については色々議論がある。ただでさえ生活保護受給者が急増して財政を圧迫しており、しかも生活保護受給者よりも厳しい生活を強いられている現役世代が多いなど、近年制度のあり方から見直すべきだと言う意見が多く見受けられている事も事実である。最悪な事態を想定するとモラルハザードを起こしかねない為、制度の改善や見直しは必要だと言う意見に異論は無い。しかしセーフティネットとしての生活保護制度は必要であるという前提の下、制度が変わった事を原因とした餓死者が出るなどと言った事態は避けなければならない。

私個人としては、生活保護者への支給額を抑えるというよりも、必要最低限である生活費すら保てずに苦しんでいる、ワープアの若者からまず何とかして欲しいと思っているのだが、、、

2012-05-22

「正義」や「道徳」で人を裁けるのか?


藤原彩女さんより頂いたトラックバックへの返信である。

カティンの森事件についてのにわか感想文」
http://unaccompaniedrequiem.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/post-a19c.html


カティンの森事件については、私などは映画で見た程度の事しか知らない為、中々興味深い内容だったと思っている。

記事の後半部分では、恐らくは法実証主義に対しての批判的意見を語っておられるようである。読解力の無い私が正確に読み取れているかは自信が無いが、「法的に無罪だからと言って、人道的に非難される行為を許しても良いのか」という意味合いだろうか?

実を言うと、藤原彩女さんが私に対しての批判的意図を持ってこの記事を書かれたのかが分かり辛い為、勝手に回答して良いのかは疑問であるが、便宜上これらは私に対しての批判として受け止め反論させて頂く事にする。


まず私は人道的に非難される行為を黙認しろなんて主張した覚えは無い。第二次世界大戦の教訓を元に、国際法がより発達し、戦争を悪として裁けるようにしようと国際社会が動き出した行動原理の一つに、普遍的道徳観念があった事は疑うべくも無い。しかし東京裁判肯定する理由として挙げる事を私が是としていないと言う事である。

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東京裁判にはもちろん不備はあったが、戦後の国際秩序を作った政治的意義は認めるべきだ。」
こんな意見を言う学者がよくいる。しかしこれが詭弁であることはパールが判決書の結論である「勧告」にはっきり書いている。

「(戦後の秩序のため日本の懲罰が必要だったというのであれば)真の究極の「証明スベキ事実」は世界の「公の秩序と安全」に対する将来の脅威であろう。かような将来の脅威を判断する資料は、本裁判所(東京裁判)には絶対にない。(判決書下:741ページ)」

憎むべき敵の指導者を裁くことによって熱狂した感情は「世界連邦」の建設を考慮する余地も残さず、平和の真の条件に対する民衆の理解は増進するどころか、かえって混乱させられるであろう。・・・パールはそう記した。そしてこれが真実だろう。(パール真論:357ページ)

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過去の行いを反省するのは有益である。戦前の日本が破滅の道を歩んだ事は疑いようの無い事実だし、無理に戦火を拡大させて敵味方問わず被害者を増やした面がある事も事実だろう。それを教訓として国際協調を重視していった戦後日本の外交施策を否定するつもりも無い。「未来をより良くする為に過去に学ぶ」と言う純粋な探求心から日本の戦争を研究するのであれば何も言わない。

しかし戦前の日本を研究している識者の全員がそんな人間であるとは考えにくい(もちろん藤原彩女さんやrekihiko5さんは除く)。南京事件を否定したとしてボロクソに叩かれた某市長の件にしても、明らかに状況を楽しんで「自分の知識をひけらかしたい」一心で執拗な攻撃を繰り返している者も見受けられた。勿論そのような悪意を客観的に証明する術は無いが、戦前日本の叩かれ方は、日本国内及び特定の国において明らかに過剰であると感じている。私が嫌いなのは、ずばり特定のイデオロギーが先行して日本叩きだけを執拗にやっている連中である。こんな奴らが「普遍的正義」だの「道徳」だのを盾に「日本叩き」を正当化する事に対して怒りを覚えているのだ。彼らは良く論敵に対し「歴史修正主義者」とレッテル張りをするが、要するに自分達が語っているのが「歴史」であると思い上がっている何よりの証拠である(「日本の戦争」を語ると言えば聞こえは良いが、実質的に「日本の戦争犯罪」以外ろくに取り上げもしない者の語る「歴史」がおおよそ「歴史」と呼ぶに値する代物なのかは実に疑問である)。


東京裁判において、キーナン首席検事は「この裁判原告は文明である」と発言し、東京裁判が「文明の裁き」であると強調した(この「文明」の主語がアメリカである事は言うまでも無いが)。しかしその実態が、戦勝国による報復裁判以外の何者でも無い事は自明である。結局人間である以上、その当人がどれだけ正義感の強い人間だったとしても、結局は主観交じりの見方になってしまう。人が「文明」とか「正義」と言った抽象概念で人を裁くのは無理があるのだ。遡ること16世紀の世界では、捕らえた王を勝手に作った法で裁いて処刑し、インカ帝国アステカ帝国を滅ぼすなどと言う野蛮な行為が行われた。それを止める為に発達したのが「国際法」である。勝者の勝手な正義感や道徳観で敗者が不当に裁かれる事の無いようにすべく生まれたものなのである。しかし国際法が誕生してから約400年後に行われた東京裁判では、戦争の勝者が敗者を裁く野蛮行為が堂々と行われた。パール判事東京裁判を指して「数世紀にわたる文明を抹殺するもの」と批判した所以である。

>法が人の感情に流されるべきでないものであり、全ての存在に平等な裁きを下すべきものであるというのならば、それは法へも全ての存在を網羅し、平等であるという責任を問わなければならないのではないのか?
法が人間の作ったものである以上、常に不完全なものである事は常識である。藤原彩女さんの意見は理想的ではあるが、そんな事が出来る訳が無いから主権国家が存在しているのだという前提をご理解頂く必要があると思われる。


だらだらと書き殴ったが、これが反論になっているかどうかは藤原彩女さんの判断に委ねたい。また一部過激な文言もあり、お気に障る部分があれば謝罪した上で当文書を削除したいと思う。

2012-05-21

雑記


id:rekihiko5さんよりトラックバックがあった。ツイッターでの書き込みについての謝罪文のようだ。ツイッターのやり取りの中で私の話題があったらしく、その内容を正確には把握していないのだが(ツイッターにはどうも馴染めない・・・)、これまでも私からかなり失礼な言葉を浴びせた事は何度もあったのだからお互い様である。どうか気にしないで頂きたい。


「男性「僕は46歳、年収700万。結婚相手として望むのは20代女性。アリですか?」→20〜30代女性からフルボッコ」
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1713491.html


上記記事のコメントで、

>> 34才だけど
 > 無し。

 お前には聞いてねぇよw


思わず爆笑してしまった(笑)。

しかし年収700万でも駄目なのか・・・。未婚男性が増える訳だ。

2012-05-20

南京事件は事後法だから無罪?


以前議論させて頂いた藤原彩女さんより、またトラックバックを頂いた。

「【雑文南京事件事後法で裁かれたのか?」
http://unaccompaniedrequiem.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/post-92a1.html


まず当該エントリーのタイトルは、「南京事件事後法で裁かれたのか?」という問いかけである。

東京裁判で裁こうとしたのは、

 1、平和に対する罪
 2、人道に対する罪
 3、通例の戦争犯罪

の3つであるが、当時の国際法上成立したのは3だけだった。

南京事件は、この内の3で裁かれた事件である。よって事後法で裁かれている訳では無いというのがその回答になるだろう。

>いや、仮に違法ではないとする。南京事件への判決事後法によるものであったと仮にしてみる。が、数十万人の生命を奪い、放火掠奪強姦を散々っぱら繰り広げておいて「事後法なんで無罪でーす」とかはちょっとないだろう。

パール判事は、南京事件事後法だから無罪であるなどとは言っていない。本来事後法として棄却すべき、「全面的共同謀議」について、それが無い事を判決書の半分以上の膨大な分量を費やして証明している。東京裁判事後法で裁いたから不当だと言う意見は良くあるが、パール判事は「事後法だから駄目だ」などという単純な理論だけで東京裁判批判したのではない。

「数十万人の生命を奪い、放火掠奪強姦を散々っぱら繰り広げた」張本人東京裁判の中にいたのであれば、パール判事であっても有罪判決を下した可能性はある(ただしその場合の事実認定は、より厳密に行う事になるだろうが)。しかしそのような人物は、東京裁判で起訴された被告の中にはいない。裁判での争点は、松井石根含む9人の前線で指揮を執った軍人に、間接的にそれらの残虐行為に加担(命令、授権含む)した事実があるか否かであり、それに対しパール判事は無罪としているのである。「訴追されているような命令、授権または許可が与えられたという証拠は絶無である」(パール判決書(下)より)

南京事件事後法で裁かれたのか否かを争点をするのであれば、「いやそんな事はないですよ」で済ませても良いのだが、藤原彩女さんが仰りたいのはやはり下記のような事ではないだろうか?

>「松井石根の罪」は事後法かもしれない。議論の余地もある。だが南京事件自体は「非戦闘員大量不法殺害」という、当時のハーグ陸戦条約観点からも、そしてなによりも、人道的や道徳的な観点からのれっきとした犯罪ではないだろうか。

これまで何度も取り上げて来た事であるが、人道的や道徳的な観点からその行為を非難する事は可能であるが、それを罪として裁こうするのであれば、その道徳が法に昇華した上で行わなければならない。

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「法による正義の優れている点は、裁判官がいかに善良であり、いかに賢明であっても、かれらの個人的な好みやかれら特有の気質にもとづいて判決を下す自由を持たないという事実にある。戦争の侵略的性格の決定を、人類の『通念』とか『一般的道徳意識』とかにゆだねることは、法からその判断力を奪うに等しい」
「どのような法の規則にせよ、それは流砂のように変転きわまりのない意見や、考慮の足りない思想といった薄弱な基礎のうえに立つものにしてしまってはならない」(パール真論:254ページ)

※パール判決書の原文ママ
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そもそも有史以来、道徳的責任の無い戦争など成立した試しは無い。

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「そりゃ日本の戦争にだって、道徳的責任はあっただろう。日本の戦争が無謬だったなんて誰も言ってない。それと同時に、日本と戦ったアメリカイギリスにも、ソ連は当然、そして中国にも、道徳的責任はあったのである」
「それなのに、他の国の不道徳には目をつぶり、日本にだけ「道義的責任はあった」とサヨクはしたがる」(パール真論:144ページ)

※筆者である小林よしのり氏の言葉
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勿論、藤原彩女さんが「他の国の事なんて知らない。日本の戦争に道義的責任はあったかどうかが重要だ」と思われるのなら、それは自由である。


締まりの無いエントリーではあるが、以上である。

※補足。パール真論からの引用で、パール判事の言葉と小林氏の言葉の区別が付き難いと判断した為

2012-05-19

雑記


id:rekihiko5さんよりトラックバックを頂いた。ブログツイッターを再開されたようである。

rekihiko5さんからは気にしなくて良いとのコメントを頂いたとは言え、私の無思慮なコメントが前回の閉鎖騒動を起こすきっかけとなった事は事実で、罪悪感を感じていた。

無事復旧されたようで、一安心である。

なお、今回トラックバック頂いた内容についての返信は、一旦控えたいと思っている。パール判事に関しての議論は(私の中では)やり尽くした感があるし、また不用意な事を書いてしまわないとも限らないからである。私はパール判事を尊敬しているし、その人格の高潔さをいささかも疑っていない。しかしそれを他者に対し理解させようとするのに、私の稚拙な表現力では難しい面もあるだろう。

君が代問題で争うべきこと


君が代がいやなら教員(公務員)を辞めればいい。職業選択の自由はあるんだぞw(ドヤッ

引用先の秋原葉月さんは、橋下市長に対して極めて批判的な意見をお持ちのようである。

私はこれまで何度か君が代問題を取り上げて来たが、かの「大阪府君が代条例」については余り触れて来なかった。触れる必要が無かったというのが正直なところである。

そもそもこの条例は、「君が代批判的な意見を持っていて、式典の場でそれを表明したい」教員に対してのみ効力を発揮するものであるという点に注目したい。元から立って歌っているその他の教員にとっては、「それがどうした」で済まされる程度の条例である。君が代問題を考える上では、君が代条例の是非よりも、そもそも国歌斉唱命令が妥当であるか否かが重要であると考える。これも断言するが、「国歌斉唱を思想・信条の問題と捉え、それを拒否する教員」がいない、言い換えれば「君が代問題」そのものが無ければ、このような条例は存在すらしなかったはずである。事実君が代問題は条例が出来る前から発生しており、条例の是非を中心に添えても余り意味は無いのでは無いかと言うのが私の意見である。

問題になっているのは、「式典での国歌斉唱時に、教員に対し起立斉唱を命令する」という職務命令憲法19条に違反しているのではないかという事である。要するに「歌いたくない教員にとっても強制で歌わせる事は、その教員の思想・信条を侵害する行為」であるという事のようだ。少なくとも、不起立の立場を取る教員がそのように主張している事は確かである。

ただ「君が代条例」そのものが憲法違反を犯しているか否かについて判断するのは、教員でも学校でも大阪府でもなく、裁判所(厳密には最高裁判所)である。教員が「思想信条を侵害された」と主張しただけでそれが認められる訳では無い事は注意しておく必要がある。

過去の最高裁判決を見る限り、国歌斉唱を強制する行為が憲法19条に違反するという事実関係を認めた例は無いというのが実情である。まずもって学校行事の中での国歌斉唱は、あくまでも「慣例上の儀礼的な所作」という位置づけで、何らかの思想信条を押し付けている訳では無い。その為、教員個人の歴史観何ら直接的(又は明示的)に否定しているとは見なされないという内容である。

確かに最高裁判決は、教員の言い分を却下している。しかし良く考えてみれば、別に教員個人の思想・信条を否定するもので無い事は勿論の事、「国歌斉唱時に起立斉唱する行為」がそれを侵害していない事を認めている。要するに、教員が起立斉唱したとしても、自身の思想・信条を侵害したと感じる必要も無いという事を示しているのである。

まあ勿論、これで納得するのならこの問題がここまで泥沼化するはずも無い。ただ一つ言えるのは、まず「思想信条を侵害された」と主張する場合は、それを立証して見せる必要があるという事だ。例えば過去の最高裁判例によれば、そもそもその行為自体は式典の儀礼的所作の一つに過ぎず、それ以上でもそれ以下でも無い。そこに特定の思想を押し付ける意図などは無いという事である。要するに、まずは「国歌斉唱命令によって特定の思想信条を押し付ける意図(悪意)」を客観的に証明して見せなければ話にならないのである。それが証明されていない現状では、ただの儀礼的所作の一つに過ぎない国歌斉唱行為に、一部の教員がありもしない「特定の思想の押し付け」の意図を勝手に汲み取った挙句、そのような思想を職務の場に持ち出して式の遂行を乱していると見なされても仕方が無いように思えるのだ。

この問題は良く「国歌斉唱肯定する右派」と「国歌斉唱を否定する左派」の対立という構図として捉えられがちであるが、私からすると左派の一人相撲」にしか見えないというのが正直なところなのである。

2012-05-17

雑記


rekihiko4さんからトラックバックを頂いたので拝見しようと思ったら、閉鎖されてしまっていた・・・。

どのような記事であったかは分からないが、私がへこんでいる点について気にしてくださったようである。

もちろんこれは私の勝手な想像であるが、私のブックマークコメントがトリガーとなって、rekihiko4さんの過去記事削除やツイッターアカウント削除などを招いてしまったのでは無いかと考えた。

釈明させて頂くと、このブックマークコメントはrekihiko4さんを批判する目的で書いたものでは無く、「橋下市長が独裁者である」と主張して氏を非難している識者に対する批判のつもりだった(仮にrekihiko4さんを批判するのであれば、もっと言葉は選ぶ)。しかし余りにも言葉足らずなコメントであり、rekihiko4さんを非難したと捉えられても仕方の無いものである事は否定出来ない。

つくづく私は軽率だ・・・。

2012-05-16

雑記

悪い事をしてしまった・・・。

言葉足らずの批判などブックマークでやるべき事ではなかった。今後は本当に自重する事にしよう・・・。

2012-05-15

「道義的責任」の用法(私事な愚痴多め)


実家の母がパートを辞めた・・・。肉体的に限界が来たらしく、勤め先から身体を気遣う形で退職を勧められたようだ。年齢的にも引退する時期であり、仕方ないと言えば仕方ない。

現在母は自身の稼ぎと、私の仕送りで生活している。仕事を辞めた以上、私がその分仕送りを増やさなければならなくなる訳で、一層やり繰りが大変になる事は必然である。

ところでふと思いだした事があるのだが、私の家族は実質的な母子家庭であった為、母がひたすら働いて私を養って来た。私が学校で「生活保護」なるものがある事を学んだ時に、何故母がこれを受けないのかと疑問に思った事がある。当時私の家族が条件を満たしていたかどうかは分からないが、いずれにせよ母には申請する意思が無かった。当時子供だった私は生活保護を利用せずにわざわざ苦しい道を選ぶ母の心情が理解出来なかったのであるが、今の私にはその理由がはっきりと理解出来る。

仮に当時、生活保護を受給したとすると、恐らく生活は厳格に監視される。母当人は勿論、子供である私も窮屈な生活を強いられた事だろう。また支給そのものに対する負い目のようなものもあるだろう。生活保護支給額だけを見ると結構恵まれている印象を受けるかも知れないが、実際に支給されている家庭はそんなに楽ではないと思われる。「必要最低限の生活の保障」であるが故に制約は多いはずで、自分で稼いで生活を維持出来るなら、それを選ぶ受給者も相当数いるのでは無いだろうか?私の家庭は貧しかったが、母の尽力もあってギリギリ生活保護に頼らず乗り切る事が出来た。自身のプライドも関係したのかも知れないが、今にして思えば私が将来それを負い目に感じる事を怖れた事が一番の理由では無いかと思われる。

勿論私は現在生活保護を受給されている方々に対して、それを負い目に感じろなどと失礼な事を言うつもりは毛頭無い。人それぞれに事情がある。生活保護を拒否し続けた私の家庭の価値観を他者に押し付けるつもりなど無いし、それを自慢するようなつもりも無い。ただ私には、生活保護に頼らずに私を養った母を、どんなに苦しくても生活保護に頼らせずに養う「道義的責任」があるという事だけは確かである。本来、法的にそこまでの義務は私には無いのかも知れない(私の年収なら「養育は無理」と言って生活保護を申請しても通るとは思うし(申請した事が無い為、ただの想像だが))。しかし申請が通るか通らないか以前に、私がそれを道義的に是としないというだけの事だ。勿論この考えは、他者に押し付けるようなものではないし、共感も同意も一切求めない。ここで主張したいのは「道義的責任」とは自らの良心が決定するものであり、他人がそれを義務として押し付けるような性質のものでは無いという事である。

「戦前日本はアジアを実質的に侵略した。その道義的責任がある」などと安易に「道義的責任」を用いて戦前の日本を非難している左派には、その意味を良く考えてみて欲しいものだ。

まあ、やり繰りが今後大変になる事は確かであり、頭が痛い事は事実である。同居ならともかく別居だし、家賃や水道光熱費等も別々に取られているというのが痛い。私の少ない収入では如何ともしがたいのも否定出来ないのだが、切り詰めるだけ切り詰めていくしか無いなあ・・・。

生活保護についての知識は例によって全く無いので、間違いや勘違いがあれば申し訳ない。

2012-05-14

雑記


リハビリついでにパール判事の言葉を紹介したい。

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「われわれは自由なる人間であり、自由なる人間のために法をつくった。これらの法は、人間の手によってつくられたがゆえに、おのずからそこには、欠陥も、誤りもあり、失敗もあり得る。しかしながら東京及び各地で、連合国によって行われた軍事裁判は、故意に不公正が行われ、故意に誤りがおかされた。このことは人類の法的正義にたいする信頼感を侵害したもので、今次大戦の最大の災害であったと思う。(パール博士「平和の宣言」162ページ 1952年11月11日の巣鴨拘置所における講演より)
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東京裁判肯定する者の意見で多いのが、「東京裁判は確かに不備も多いが一部は認められる部分がある」というものである。考えをめぐらせて見ると、人間がつくったものである法は不完全であるとは言え、その時点において絶対的な判断基準である事も確かだ。要するに東京裁判が法的見地から不完全であっても、その意義が全て否定されるものでは無いという意見は一見成り立つように見える。しかし上述のパール判事の意見を見ればそれが詭弁である事は一目瞭然であろう。法が不完全であるが故に東京裁判に法的不備が生じたのでは無く、連合国側が故意に法を無視して裁判を行った事を問題視しているのが、パール判事の見解なのである。

後、「東京裁判を否定するなら、日本が何の法的違反行為を行っていない事を証明してみせろ」といった主張もたまに見かける。立証責任を負っているのが検察側で、国家の犯罪を立証出来なかったからパール判事無罪判決を下したという前提が理解出来ていないのか、それともある殺人罪に問われた被告又は弁護士に対し、検察が「殺人を犯していない事を証明してみせろ」と主張する事を是とする立場を取っているのだろうか?

2012-05-12

悪循環


本格的に復帰するかどうかは決めていないが、気になる記事があったのでエントリーを挙げることにする。

キム・テヒ、CM降板を要求ロート製薬を強要容疑 元市民団体関係者を逮捕」
http://alfalfalfa.com/archives/5491324.html


逮捕が妥当かどうかなどは私の判断する事でも無いが、いずれにせよ論外の抗議内容である。

キムテヒさんという女優がどういう思想の持ち主なのか全く知らないが、思想を理由に活動を制限するような事はあってはならない。彼女が日本での活動を通じて自身の政治的目標を達成しようとしているというのなら問題だろうが、そんな事実関係は特に挙がっていないし、そもそも彼らの抗議内容は、簡単に言えば「自分達が気に食わない人間をCMに起用するな」と言うようなものであり、そんなものが通る訳もない。会社側からすれば、「知るかそんなもん」の一言で片付けられる問題だ。

こんな事ばっかりやっているからネット右翼は馬鹿にされるんだろうが!

なお上記記事と直接の関係は無いのだが、id:rekihiko4さんのブログツイッターに、hyogiさんという方のコメント(?)が非常に印象に残った。

>今夜はなんだか、反日に転じる在日が生まれる理由がわかった気がする。在日反日教育してるのは朝鮮学校なんかじゃない、一部の愚かな日本人だよ。本当に一部だよ。

率直に言って心を打たれた気分である。私が嫌韓を生み出したのは韓国反日感情では無いかと以前書いた事の裏返しで、結局日本の嫌韓感情が反日感情を生み出す事も十分あり得る話である。上記記事がそれを証明してしまっているでは無いか。最近の嫌韓感情は、「○○だから韓国が嫌い」では無く「韓国だから嫌い」になってしまっている。これでは、反発して反日に転じる在日韓国人がいても無理は無い・・・。

私は恐らく嫌韓カテゴライズされるだろうが、それには私なりの理由がある。決して「韓国人だから」無条件に嫌ったり、彼らに差別感情を持っているつもりは無い。しかし上記のコメントで、視野が狭かった事も認識させられた。反日感情嫌韓感情を生み出すと同時に、嫌韓感情が反日感情を生み出しているのだ。この悪循環を断つ為には、やはり双方の歩み寄りが必要である。韓国反日感情を改めれば解決する」などと言う以前の私の認識は撤回しなければならない。

※なお、先日韓国反日感情について書いた記事があったが、今回の一件で反日感情だけを幼稚だなどとする書き方はフェアでは無い事が分かったので削除した。

2012-05-09

三光作戦をどう見るか?


三光作戦をどう見るか」
http://d.hatena.ne.jp/rekihiko4/20120508/1336489233


更新休止するつもりだったのだが、rekihiko4さんからのトラックバックを頂いたので、一応そちらに返答した上で改めて休止に入りたい。身体的にも精神的にも余り余裕が無いので、極力要点に絞って返答させて頂く事にする。

最初に申し上げておくと、かなり辛らつな文章になっている(rekihiko4さんの今回のトラックバック文に、少々悪意のようなものも感じ取っている事も関係しているのかも知れない)。今度こそ本当に絶縁されるかも知れないが、それはそれで仕方ない。

>パールは三光作戦や、シンガポール華僑虐殺粛清)などを知らなかったようだ。パール意見書が当時の限られた時間、限られた史料で作られた以上仕方ないことだが、現在これを用いて「日本に国家的虐殺命令はなかった」というのはあまりにも稚拙かつ粗雑である。

知らなかったも何も三光作戦東京裁判訴状に挙がっていない。事実認定がどうのこうの以前の問題であり、文句があるなら東京裁判検事団にでも言えば良いだろう。

正直申し上げて、私はこの三光作戦の実在そのものに疑問を持っている(被害者数は特に)。ただ事実関係についてrekihiko4さんと議論出来る知識は無いので、この点は保留する。ここでは、三光作戦東京裁判訴状に上がったと仮定して、それを「国家による非戦闘員無差別殺戮命令の証拠」とパール判事が見なしたかどうかを推察してみたい。

まずパール判事は、意見書の中で第一次世界大戦中にドイツ皇帝ウィルヘルム二世がオーストリア皇帝に宛てたとされる書簡を紹介している。その内容は、以下のようなものである(抜粋)。

「余は断腸の思いである。しかしすべては火と剣の生贄とされなければならない。老若男女を問わず殺戮し、一本の木でも、一軒の家でも立っていることを許してはならない。・・・」

戦争を早く終わらせるためにフランス人無差別殺戮の政策を採った証拠であるとしてパール判事は紹介しており、このようなものが被告(A級戦犯)の所為には見出しえないと結論付けている。

これを踏まえ、rekihiko4さんが挙げられた三光作戦の命令書の内容を見てみたい。

>「1、敵および土民を仮装する敵 殺戮」「2、敵性ありと認むる住民中15歳以上60歳までの男子 同上」としている。はっきりと怪しげな男性は殺し尽くせといっているのだ(山田朗歴史修正主義の克服』129ページ)。」

まずもって(非戦闘員を対象とした)「皆殺し命令」などと称するのには無理がある。結局の所戦時における戦略の一つであり、この命令書単体ではそれ以上の意味を見出せない。「こんな命令が下されたら、とりあえず現場としては「とにかく男子は殺せ」となるだろう。」と別エントリで言っているが、rekihiko4さんの想像の域を出ていない。これを元に、戦闘員無差別殺戮が政策として行われた証拠としてパール判事が受理するとは思えないのである。

>別にトルーマン大統領だって「民間人を皆殺しにしろ」と命令したわけではない。原爆投下を命令しただけだ。

実際にトルーマン大統領が「原爆投下による民間人の被害を想定していなかった」と主張するならそれは自由だろう。三光作戦の命令書と同質であると取るかどうかなどはrekihiko4さんが自由に解釈されれば良いが、いずれにせよ子供の屁理屈の域を出ていないと言わざるを得ない。いずれにせよ、民間人虐殺の意図がその命令に含まれているかどうかなどは、極端な話当人にしか分からない。そのような「悪意」を裁判所で認定する事自体が本来困難である事を示す事例でしかない。

最後に、

>この点については「違反行為の防止怠慢」も国際法違反で、国家犯罪である、という反論をトラックバックしたが、返信はなかった。

意図して無視したつもりは無いが、それは申し訳ない事をした。
実は「不作為」だけでは東京裁判の管轄外になってしまう為、南京事件段階で検察側はかなり無理な主張をしている。日本政府戦争犯罪の行われていることを「知っていた」と断定し、それを「止めなかった」という事実から、戦争犯罪政府の政策だったと見なせたというものである。この主張に対しパール判事は、「南京残虐行為」の報告が東京政府に届いていたことは認めるが、政府がこの問題に関する処置をとり、司令官は交代し、残虐行為も2月初旬までに終息したことから、残虐行為が政府の政策の結果とすべき理由が無いと却下している。また、政府関係者以外に、南京陥落時の司令官だった松井大将など軍隊を指揮していた軍人が「A級戦犯」の中に9名いたが、そのいずれに対しても、関連した事実を検証した結果(パール判決書(下):611〜620ページまでの範囲)、不作為責任に問われるべき被告はいないと結論つけている。
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南京に続いて広東、漢口、長沙、桂林からフィリピンに至るまで検証は続くが、結局のところ、不満足な証拠によって散発的な事件が語られているだけで、全く何も証明していなかった。「勝者をふくむどのような列強の、どのような軍隊でも、おなじようなさん発的事例が起こらなかったことはほとんどないのである」とパールは言う。(パール真論:336ページ)
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結論として、rekihiko4さんの主張からはっきりと分かるのは、「悪く思おうと思えばいくらでも思える」と言う事だけであり、ここまで来ると「好きにすれば良い」としか言いようが無いのだ。似たような事は以前にも書いている。

ネット右翼では左派に太刀打ちできない」
http://d.hatena.ne.jp/syachiku1/20120128/1327736249


結局長文になってしまった・・・。返答として不十分かも知れないが、私からは以上である。

2012-05-07

更新休止


rekihiko4さんとの議論は不発に終わった。

というよりも、トラックバックを頂いた私が勝手に一人で盛り上がっただけだった。意気込んで書いた記事も、過去記事の焼き直しみたいなもので、確かに何の新鮮味も無い。お恥ずかしい限りである。

やはりしばらくは日誌の更新は控える事にする。丁度書きたい事も無くなってきた訳で、良い頃合いだ。

どっと疲れが出た・・・。

「通例の戦争犯罪」を裁く場としての東京裁判の意義


rekihiko4さんよりトラックバックを頂いた。拙ブログにたまにでもお越し頂けるのは本当に有難い。

東京裁判の歴史的意義」
http://d.hatena.ne.jp/rekihiko4/20120506/1336303007

>私の東京裁判に対する見解を簡単にまとめておくと、「A級=平和に対する罪」が正当かどうかにはもっと議論が必要だろうが、「B級=通例の戦争犯罪」「C級=人道に対する罪」は厳然と裁かれるべきであったし、そこだけに限れば有意義であったと断言できる、というものだ。

東京裁判で焦点とされた「共同謀議」はもともと最長2年の刑しか課す事の出来ない軽罪だった為、死刑判決を受けた7人はいずれも「通例の戦争犯罪」についても有罪にして刑を上乗せされた。

しかし「通例の戦争犯罪」で有罪とするのであれば、当該行為の戦争犯罪について被告が「命令、授権、許可」した事実が存在しなければならず、そのようなものがないからパール判事は無罪としたのだ。

ここでパール判事が生前最後に来日した際の発言を一つ紹介したい。

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「あの戦争裁判で、私は日本は道徳的には責任はあっても、法律的には責任はないという結論を下しました。法というものは、その適用すべき対象をあれこれと選ぶことができないものです。あれを罰してこれを罰しないということは出来ません」(パール真論:143ページ)
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パール判事法律観そのものである。これは「日本も悪いが、他の国も悪い」とか言った単純な相対論ではない。日本の戦争犯罪を裁く以上、同様の犯罪行為が戦勝国にある場合はそれを裁かなければならないのである。それを平然と無視した東京裁判が「暗黒裁判」である何よりの証拠である。以前ある左派が「他国戦争犯罪を挙げへつらった所で、日本の戦争犯罪の事実が帳消しになる訳では無い」とか言っていたが、法的にはそのような論理は一切通用しない。東京裁判で日本の戦争犯罪を裁く以上、連合国側(特にアメリカ)の戦争犯罪も審理の訴状に入れる義務があったのである。

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「「通例の戦争犯罪」は、日本だけが犯したものでは当然無く、戦勝国にも存在する。東京裁判では、冤罪で10名が有罪になり、うち7名を死刑にしている。戦勝国が犯したものは一切裁かれず、日本兵を裁いたBC級戦犯裁判でも杜撰極まりない審理で1061人が処刑された。」(同:152,153ページ)
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パール判事東京裁判批判したおそらく最大の理由は、戦勝国敗戦国を裁くだけでは、「勝てば官軍」という最悪の教訓しか残さない、という点だった。

東京裁判判事戦勝国だけから選ばれた事に対しての批判の声は多い。しかしパール判事はあくまでも「各判事は個人として裁判にあたっており、出身国は関係ない」という認識である(言うまでも無いが、判事達に「普通の誠実と正直より以上の「道義的節操」が不可欠」であるときつく戒めている前提においてであるが)。パール判事東京裁判批判は、一般的に流布されている東京裁判批判よりも深い意味を持っており、「勝者の裁きだから駄目」だと言って後の思考を放棄するような事はしていない。いずれにしても、東京裁判肯定するにせよ否定するにせよ、パール判事の存在を無視(あるいは軽視)してそれを論ずるのは本質的に無意味である事は確かである。


これも何度も言ってはいるが、パール判事は戦前日本の政策が正しかったかどうかなどには一切の判断を下していない。パール判決書に書かれているのは、あくまでも当時のグローバルスタンダードに基づく客観的な日本の評価であり、それが良い事だとか悪い事だとか言う視点では書かれていない。「法律上での罪」と「道徳上の罪」を混同しているのが、パール判決書をミスリードする(中島岳志氏のような)一番の原因だろう。「戦争=悪」などという単純な価値判断基準を抱いた状態では、パール判決書は絶対に理解出来ないのである。

パール判決書に従う限りにおいて、日本は無罪である。それでもなお日本が有罪であると主張するのであれば、パール判決書を真っ向から否定して見せなければならない。あるいは法を無視した人民裁判をやるかである(2000年に開かれた「女性国際戦犯法廷」という模擬法廷はこの類だろう(※))。

東京裁判は例え一部であろうが肯定出来ない。「通例の戦争犯罪」で国家そのものを裁く裁判であるにも関わらず、明確な戦争犯罪であるアメリカ原子爆弾投下を意図的に無視して行われた東京裁判は、根本的に裁判と呼べる代物ではないのだ(ただしパール判事は、同時に日本政府原爆投下に匹敵するような戦争犯罪を犯してはいないと言う判断も下している)。


日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%BB%8D%E6%80%A7%E5%A5%B4%E9%9A%B7%E5%88%B6%E3%82%92%E8%A3%81%E3%81%8F%E5%A5%B3%E6%80%A7%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E6%88%A6%E7%8A%AF%E6%B3%95%E5%BB%B7

2012-05-05

「A級戦犯」は無罪だ


過去記事において、「A級戦犯」として起訴された下記4名について記事を書いた。

 「東條英機
 http://d.hatena.ne.jp/syachiku1/20120419/1334846708

 「松井石根
 http://d.hatena.ne.jp/syachiku1/20120422/1335051935

 「広田弘毅
 http://d.hatena.ne.jp/syachiku1/20120422/1335096695
 http://d.hatena.ne.jp/syachiku1/20120423/1335188850

 「重光葵
 http://d.hatena.ne.jp/syachiku1/20120429/1335661909


東京裁判の多数判決において、上記の内東條、松井、広田には死刑判決が下り、重光には禁固7年が言い渡されている。

東京裁判を支配していたのは言うまでも無くGHQであり、「極東国際軍事裁判条例(チャーター)」により強力な政治介入の下実施されていた。判事団11名の内、9人についてはマッカーサー傀儡同然の存在だったと言われている。

そんな中、「チャーターには拘束されない」と意見表明したのは、オランダ代表のレーリンク判事と、言わずと知れたインド代表のパール判事だけであった。

これまで余り名前を挙げる事は無かったが、レーリンク判事は上記被告の内、広田と重光に対し無罪を言い渡している。しかし残念ながら国際法には専門外で、東京裁判においては政治的現実との妥協を強いられ続けた事も事実である。国際法専門家として、毅然と政治を排して法の真実のみを追及したのは、パール判事ただ一人という事になる。

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「国際軍事裁判と称して、ニュルンベルク東京で裁いた彼ら(連合国)の二つの裁判、これに適用した二つの法律が『実は二つの裁判所に限った法律であった』ということを、いまになって言い出すのは、法律を侮辱するもはなはだしいといわなければならない。法律という名に値しない法律である。いいかえれば、一部の者にたいする法律は、法律ではなくして、リンチ(私刑)に過ぎない。」
「彼ら(連合国)はニュルンベルク東京裁判は、チャーターによって定められた法律で裁いたという。このように勝手にチャーターをつくって、勝手に人を裁いたというなら、裁いた判事自身こそ、本当の犯罪―法を曲げた違反者として裁かれなければならぬ。これが今後に起こるべき問題ではないだろうか。私のこの解釈は、あの判決のときも、いまも、不変である。」(1952年1月2日 大阪弁護士会館でのパール判事の講演内容(抜粋))

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恐らく現在、東京裁判全面的肯定する者など左派の中にもそうはいないだろう。しかし彼らにはパール判決が直視できない。挙句の果てには、パール判決を「少数意見だから価値がない」「(パール判事が)右寄りだから中立とは言えない」とか不当に貶める者まで出る始末である。失礼ながら、以前議論にお付き合い頂いたid:Apemanさんのパール判事観はそれに近いと言える。

http://d.hatena.ne.jp/syachiku1/20120212/1329042782

パール判決を少数意見としたのは、紛れも無く東京裁判の政治判断である。「パール判決が少数意見であるが故にその法的価値を認めない」のであれば、それは東京裁判肯定しているに等しいのではあるが、そこまで強くは言わずに「東京裁判もおかしいが、パール意見書が全面的に正しいとは言えない」などとお茶を濁しているのが特徴的だ。彼らにとっては、戦前の日本が(法的に)無罪であるとはどうしても認められないのだ。細かい所をつついていけば、日本を有罪に出来る要素があると信じて、その目的を達する為に日本(だけの)戦争犯罪を細かく調べ上げているのが、現在における日本の左派の主流である。


パール判決を法的見地から否定出来た識者は、私が知る限り皆無である。よってパール判決書の法的根拠は揺るがない。その前提の下、パール判決に従い、東京裁判で「A級戦犯」として起訴された28名は、その全員が無罪であると改めて主張する。

世界史コンテンツ


一時期ネット上で世界史コンテンツというものが流行っていたようである。

アニメキャラを使って対話形式で歴史の解説を行うというもので、中々読みやすい。以前たぬたぬさんからご紹介頂いたサイトもその一つでは無いかと思われる。

テッサ先生の補習授業」
http://iroiro.alualu.jp/sekaisi/tessa/Sekaisi01.html


数多くある世界史コンテンツの中で、恐らくこの方の記事が一番最初では無いかと思われる。何と言っても分かりやすく、覚えやすい。まあ私の立場では問題ないが、左派からすると、若干右寄りの論調になっていると思われるかも知れないが、、、

ソフィア先生の補習授業」
http://iroiro.alualu.jp/sekaisi/ww2/ww2-01.html


上記記事も興味深い。どちらも登場しているアニメキャラについてはさっぱり分からないが(フルメタ?)、、、、


私もこういう形式で記事を上げる事が出来れば良いのだが、文章力は勿論表現力も要求される為難しい・・・。

2012-05-04

「若者の車離れ」なんて言われても


昨日は夜中1時まで仕事だったが、何とか乗り切る事が出来た。体調もようやく持ち直して来ているので、後はこの土日でゆっくり静養する事にする。
GWはまだ厳密には終わっていないとは言え、結局体調不良で寝込んでいるか、仕事をしているかだけで何もしなかった(元々予定も無かったが)。


「新型スポーツカー「86(ハチロク)」、若者向けのはずが購入者はシニアばかりに」
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1710562.html


車には全く疎い私でも、「ハチロク」と聞けば嫌でも白黒のカローラレビンを想像してしまう(笑)。

一番安いグレードでも200万円というのは、新車スポーツカーとしては安いのかも知れないが正直手は出せない(「価格も30歳前後の収入でも手が届くよう、売れ筋モデルは200万円台に抑えた。」って、無茶言わないで欲しい(笑))。

私が自動車を所有しようと思った場合、車両価格、燃費、維持費など全ての要素を総合して軽自動車一択である。スポーツカーとかセダンへの憧れが全く無い訳では無いが、私の現在の収入では高望みが過ぎる。

若者の車離れは深刻だそうだ。その原因は色々指摘されており、「若者の価値観が変わった」とか「最近の車のデザインに魅力が無い」とか言われているが、どう考えても直接の原因は若者の懐具合だろう。就職難もそうだが、入れたとしても成果主義だ何だで給与はろくに上がらない割に、年金だの保険料だのは引かれる分はしっかり上がっていく。こんな状態の若者に「車を買え」なんて言われても無茶というものだ。車を買う一時金があったとしても、それを維持していくのには継続した収入が必要である。その意味では、雇用の非正規化も悪影響を及ぼしているのだろう。

不思議なのは、若者の車離れを取り上げるニュースは多いのに、識者の意見の中で、「若者に金がない」という根本的な原因を挙げる事が妙に少ないように思える事である。気づいていないのか、敢えて目をそらしているのか・・・。


私は車を所持していないしその予定も無いが、田舎にある実家では必需品である。私が入社まもなくしてローンを組んで買わされた自動車をぼちぼち買い換える時期に来ている。月々の仕送りに車のローン分も上乗せして払う日々が始まると思うと、今から憂鬱だ・・・。

2012-05-01

雑記&rekihiko4さんのコメントについて


夜中の2時位に熱が出て目が覚めた・・・。熱冷ましを飲んで、次に寝付けたのが朝5時だった・・・。もう無茶苦茶だ(笑)。

運が良い事に、今日は行き着けの病院が診察を受け付けていた(GWは休みだと思っていたので)。即刻駆け込み、点滴と薬を処方して貰った。そのせいか、幾分か調子は良い。

ここ数日、体調不良のせいでまともに記事が上げられなかったが、改めてrekihiko4さんのコメントについて書きたい。

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 syachiku1さんが自称ネット右翼であり、私がおそらくリベラル左派に属する以上仕方ないことでしょうが、失礼ながらsyachiku1さんの記事に異論をはさんだらキリがない。私から見て、批判すべき点が多すぎる。キリがないんで、閉鎖して新しくブログを立ち上げたのを機に、syachiku1さんとの関係を絶つ――言葉は悪いですが、無視する、絶縁する――ことにしたのですが、やはり個人的に興味深い記事もあるのでコメントしました。
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やはり前回の閉鎖の原因は私のブログだったようだ・・・。重ね重ね申し訳ないと思う次第である。

私が基本的にネット右翼の立場である以上、私の書く記事はほぼ全面的に右寄りな記事になっている点は否定出来ない。にも関わらず、明らかに思想が異なるrekihiko4さんには、これまで何度も誠実な反論や意見、時には賞賛の声を頂いた。「30代リーマン」時代を含め、ここまで誠実にネット右翼の私に応対して頂いたのは、虹の日記のどろさんと、rekihiko4さんだけである。お世辞でも何でも無く、rekihikoさんは拙ブログを一番盛り上げてくれた恩人である。

ただrekihiko4さんも心身ともに苦しい立場におられる為、流石に限界を感じたのだろう。私自身、rekihiko4さんの度量の深さに甘えすぎた格好になったのかも知れないと反省している。

私はネット右翼であると自認している(別にネット右翼になりたいとかそう言う意味ではない)。では他のネット右翼の意見と比べてどうなのかという点については、正直考えた事も無ければ殊更興味もない。ネット右翼同士で仲良くしようだとか馴れ合おうだとか思った事など一度も無い。ところでrekihiko4さんはツイッターもやっておられ、最近歴史問題での議論をやられていたようである。ツイッターの読み方が良く分からず、相手がどういう意見の持ち主なのかも把握出来ない(多分右派的立場なのだろうが)上、会話の流れも良く分からないというのが正直な所ではあるが、本来rekihiko4さんと議論しようと思えば、ある程度はまともな歴史知識を身に付ける必要が本来はあるはずなのである(相手の主張は分からないが、rekihiko4さんがまともに応対しているという事は、少なくとも私よりは歴史知識に精通した人物であると推察出来る)。ほとんど自分の感覚だけでものを書いている私などは、そもそもお門違いな存在であるという気が改めてしている(ただし私は「パール判決」を根拠に、南京事件事実関係はともかく、それが「国家の犯罪」に定義されるようなものでは無いと言う認識であり、「戦前日本の国家的な犯罪行為」を追及する目的としての南京事件研究が有効なのかについてはどこまでも懐疑的である。なおそれとは別に、たぬたぬさんからご紹介頂いた南京事件まとめサイトについては今度読みたいと思う)。


今後の日記の更新について、方向性など(閉鎖するか、休止するかも含めて)についてもう一度改めてじっくり考える事にしたい。歴史問題などは余り扱わずに、時事ネタ等に限定した方が良いだろうか(ただそこでもネット右翼の自が出るかも知れないが)・・・。


 ※本来であればrekhiko4さんに対しIDトラックバックを送るべきなのかも知れないが、これまでの経緯からあまりコメントやトラックバックと言った、(人によっては)返答を要求されるように受け取られてしまうような行為は避けた方が良いと思い、送らない事にした。勿論個人的にrekihiko4さんのブログは興味深く読ませて頂いているし、これからもそのつもりである。


薬の副作用なのかは分からないが、さっきから妙に暑苦しくて汗が止まらない。健康になりたい・・・。