常識と偏見

ちょっと真面目な話。


自分が「当たり前」とか「常識」といった類の言葉の使い方、使われ方に疑問を持ち、常々どう使われているのかを意識するようになったのはいつからだっただろうか。
正確には覚えていないが高校、中学の時には既に常々考えてはいたはずで、大学に入り更に強く意識するようになり、社会に出ると更に意識する事になると確信している。


自分も含め「当たり前」や「常識」などという言葉は皆普通に使っている。今使った「普通」という言葉すらそれに当たるであろう。
確かに社会で常識という概念は存在するし、社会で生きるためには必要なことであるのは間違いない。
だがこの「常識」というもの、「普通」という事があくまで個人の偏見の上にあるものだという認識を常々持った上で使用している人が今の社会でどれだけいるだろう?



自分の大好きな言葉でアインシュタインの言葉にこういうものがある。
『Common sense is the collection of prejudices acquired by age eighteen.』

『常識とは、18歳までに身に付けた偏見のコレクションである。』



この言葉を知ったのは大学に入った後なのでかなり最近とも言えるのだが、それまで自分が考えていた事とピタリと同じ事であった。
自分なんかと比べるのは失礼な事かもしれないのだが、正直アインシュタインが自分と同じ事を考えていたんだと思うとなんだか嬉しい気持ちに今でもなる。

それは置いとくとして。つまり自分はこの考え、常識というものがあくまで個人の偏見に過ぎないという考えを全く意識すらせずに「常識」といった類の言葉などを使用したり認識したりしている人が今の社会では多いと思うのだ。


この言葉、考えから考えると一般に「社会の常識」と言われるものは個人の偏見が伝染して社会全体に染み渡り、大多数の偏見になって、それがそう呼ばれているに過ぎないとも言える。
この社会で少数派が「常識」と多くの場合で認知されないのは時と場合で良い事にも悪い事にもなるが、元を考えればどちらも偏見であるということを忘れてはいけないのだ。
だからこそ常識が社会において常に正しい事でもなければ上手くいく事だとも限らない。(正しいという事がどういう事は別の問題なので省く)


こんな事は社会を意識し少し考え社会に疑問が出てくればそれこそ誰もが「当たり前」に考える事であると思うが、
これを考えているとは思えない、意識しているとは思えない言動や文章を書く人間があまりに多いと感じるのである。



自分の「常識」「偏見」が社会の「常識」「偏見」、または他人の「常識」「偏見」であるかを考えれば使い方は容易に変化がみられるはずだ。
自分の常識は社会の常識ではない、他人の常識ではない。
他人の常識は〜
自分の偏見は〜
と考えればという事である。
自分も普通に「常識」とか「当たり前」という言葉を使うがあくまで自分の常識が偏見に過ぎない事と認識した上で使用している。
また「偏見」であろうとも強調したい事や、もはや社会の常識、偏見になっていると(あくまで自分が)確信していることにのみそのような言葉などを使う。
つまり理不尽な内容でこれらの言葉を使っている時はエゴであるとはわかっている。


例えばオタク的な言動で「〜を知っているのは常識」とも会話において使用したりもするが、自分がどこかで社会的常識ではなくとも自分を強調したいがためにあえて使っているという事はあるだろう。
それを自分のどこかで理解もしておらず、言動が社会的常識でもなく、他人にも認識されない使われ方であれば、もはやそれはその人の頭が悪い、知識が足りない、常識を知らないと言わざるを得ないし、言われてもしょうがない。
だが何度も言うようにそういう人が今の世で多いのだと言いたい。


『常識とは、18歳までに身に付けた偏見のコレクションである。』という言葉やこの内容を知っていて、これを軽んじておらず物事を考える事ができる人ならばなんら問題はない。
常識が偏見などの事について全く微塵も考えた事もない人にはあえて、
「当たり前」であるという事を強調するので軽んじずにここからこの考えについて色々考えてみて欲しいと言いたい。



常識は確かに存在してしまっているが、
「常識や当たり前な事などは全てにおいて存在しなくそれは偏見である」
と思い行動している方が今の自分は良い事だと思っている。
常識に囚われないという事はそういうことであり、その上で行動したい。
今の自分が社会で生きるためにもそれが「当たり前」であるとも思っている。
まるで「絶対は絶対ない」というような矛盾の繰り返しのようだが、そんな言葉遊びがしたい訳ではない。






この事は凄く昔から一度書こうとは思っていた話題である。
とても綺麗にまとまっているとは言えないのだが、自分の中で常々考え続けていて完全に答えの出る事のない矛盾を持った、それこそ「偏見」でもあるのでごちゃごちゃしてしまってる所もあるだろう。
この話題について実生活で真剣に議論を交わした事は少ししかないのでできれば多くの他の人の意見も聞きたいが、それ以上にこの記事の内容と、これを通しての自分を少しでも知ってもらえれば良いとも思う。
まぁ意見を求めたい、記事の内容や自分を知って欲しいというのはネットで公に日記やらサイトやらを公開している人にとっては「当たり前」であり、自分に至ってはいつも無秩序に日記やサイトを更新しているので今更なのだが。
それでもこの話題については特にそう思う所が強いのだ。


「何をそんな当たり前の事を今更くどくどと(笑)」と思う人もいるだろうし、笑われるような内容かも知れないとは思うが、
「当たり前」であると思ってもらえている時点でこの記事の意味はあるのではないかな。
あくまで記事をちゃんと読んで理解してもらえた事でもあるし、それはとてもありがたい事だしね。