「敗因と」 第7章 --- 消極 --- P. 213〜

P. 213〜 (文:戸塚 啓)

《チャンスをいくつかふいにしましたが、クロアチアのほうが優勢でした。PKのシーンは本当に残念です。後半もこういうブレーをしていけば勝てますよ》
クロアチアのテレビ局の解説者は、後半への期待を言葉に込めた。リトバルスキーも同じ意見だった,

《ご覧のとおり、クロアチアのほうが断然いいです。日本には気迫が少し足りません。ハーフタイムに、ジーコが何か指示を与えてくるとは思いますが》

RTLの画面は、スタジアム内の放送ブースに切り替わっている。白いポロシャツを着た女性のコメンテーターが、リトバルスキーに聞く。
《私は両チームとも気迫が足りなかったような気がしますが、いかがでしょうか。クロアチアはもっとプレッシャーをかけてくると思っていたんですが……》
うんうん、と頷きながら、リトバルスキーが答える。
クロアチアはいつもこのような問題を抱えています。ブラジル相手にすごくいいブレーをしたあとで、次の相手が日本になったわけです。日本はまあ、それほど強い相手じゃないというので、あのような戦い方をしてしまっているんでしょう。逆に日本は、私の考えでは、相手をあまりにもリスペクトし過ぎている。恐れを抱いている部分がありますね」

トークが切れたところで、宮本がブルショを倒したシーンが流される。リトバルスキーが改めて解説をする。
《宮本はリベロとしては、一対一の局面であまりにも弱すぎるんです。日本代表にはちょっと問題がある。それは、坪井がケガをしていることです。彼のほうが4バックではいいフレーができるんですが。宮本は所属クラブでも常に試合に出ているわけではありません。昨年は、ベンチで控えとなっていることも多々ありましたしね。けれども、代表戦には出場しているんです。ジーコはたぶん彼のことが好きなんでしょうね。それで、代表に残しているんだと思います。現状を見る限り、宮本は日本代表にとって、明らかに危険な部分だと言えます》

二コ・クラニチャールのシュートがバーを叩いた、28分の場面もリプレイされた。リトバルスキーの表情に不安を察したのか、女性アナウンサーが問いかける。
《あなたは日本人の心も持ち合わせていますね? 何か言いたいことは?》
《もちろん、感情的な部分はあります。ただ、自分はできるだけ現実に眼を向けているつもりです。とにかくもっといろいろなことをしないといけませんし、なによりもアグレッシブさが欠けている。前半の終盤でもあったことなのですが、もっと積極的に一対一での勝負に打って出て、シュートヘ持っていかないと》

クロアチアのテレビ局では、解説者がオシムの言葉を引用した。彼を含めた3人のゲストコメンテーターは、ザグレブのスタジオで前半を総括していた。すでに後半が始まる直前で、センターサークルの手前では稲本潤一が準備をしている。交代選手を示す数字は「15」だった。
オシムは『日本はすごく疲れている』と言っていましたね。ですから、できるだけ日本の最終ラインにブレッシャーをかけなければなりません。福西は一番疲れていましたし、あまりいいブレーをしていなかったので、この交代はうなずけます。福西はとにかく走り回っていましたからね。それからオシムは、『前半の日本は非常に悪い出来だった』とも話していました。このままのブレーを日本が続けてくれるようでしたら、クロアチアは大丈夫です》

クロアチアのロッカールームには、クラニチャール監督の声が響いていた。
「チャンスは作れている。あとはゴールを決めるだけだ!」

キャプテンの二コ・コバチがチームメイトのモチベーションを高める。
「後半はもっと積極的にブレーしよう。攻めるんだ」

「敗因と」 第7章 --- 消極 --- P. 204〜

P. 204〜 (文:戸塚 啓)

腕時計が3時を指すのを待って、主審がホイッスルを鳴らした。
勢いよく動き出す選手たちの影が濃い。試合前の電光掲示板は気温25度、湿度37パーセントと伝えていたが、数十分前の情報がずいぶんと古いもののように感じられる日差しが、フィールドに照りつけていた。

(中略)

5分、宮本恒靖がへディングで跳ね返したボールが、右サイドのスペースヘ出る。DFを押し倒した柳沢敦がファウルをとられ、カウンターは成立しなかった。
クロアチアのテレビ解説者が、すぐに注意を促す。
《ここは柳沢がファウルをしてくれたからよかったですが、クロアチアはいまのような日本のカウンターを警戒しながら攻めなくては。日本はしっかり守ってカウンターをしてくるので、カウンターの芽はきちんと摘まなくてはなりません。そこでボールを奪えば、連続して攻撃できるのですから》

しかし、解説者はすぐにまた口を開かなければならなかった。バビッチが3人の選手に囲まれ、ボールを失ったのである。
《日本はこうやって、みんなでボールを取りにくるのです。そしてボールを取ると、その選手たちが素早く広がって攻撃を展開する。これは危険です》

ドイツのテレビ局RTLでは、リトバルスキーが日本のある選手に注目していた。
《希望が持てるのほ、いまボールを持っている加地です。右サイドで非常にうまくプレーできます。第1戦は怪我で休んでいましたが、彼は素晴らしい選手ですよ》

(中略)

試合開始から10分にして、リトバルスキーは日本の混乱を読み取っていた。のちに日本で行ったインタビューで彼はこう語っている。
「僕はピッチレベルではなく上から見ていた。上から見ていてもグチャグチャになっていて、誰がどこでプレーしているかわからない。ピッチに立っている選手はもっと分からないはずだ。とくに中盤がそうだった。チームとしてやるべきことができていなかったと思う」

(中略)

《両チームともにリスクを冒さないような戦いですね》
アナウンサーが言う。リトバルスキーが返答する。
《ボールを早い段階で前方に放り込み、ほとんど一対一の局面に入り込むことができません》
彼の不満は日本のMFへ向けられていた。
《中村も中田英寿もフリーな状態ではないために、自信がなく、逃げのパスばかりです。このようなプレーは、もっと年をとった人たちのものですよ,誰も前へ向かってボールを入れません。このようなプレーはつまらないし、これではゴールチャンスは生まれない》

リトバルスキーのトーンが変わったのは、18分の加地の突破だった。オフサイドラインぎりぎりで抜け出した加地のクロスは、背後を突かれたクロアチアの守備陣を慌てさせた。
《このほうがずっといいブレーですね。このシーンは彼のクオリティ、そのオフェンシブな能力を示すものです》

しばらく戦況を見つめていたクロアチアのテレビ局も、この場面には反応した。実況アナウンサーが声を張り上げる。
《左サイド(日本の右サイド)をケアしなければいけません。オシムが言っていたように 日本はサイドの攻撃が強いですから、気をつけなければいけません》

アナウンサーはもう、自国の選手に対する物足りなさを抑えきれなくなっている。
《日本はプレッシャーがきつくなるとボールを矢いますが、クロアチアはブレッシャーがきつくないところでもボールを失っているんじゃないですか》
解説者がなだめる。
《いやいや、日本がいつも自陣でばかりボールを持っているからですよ》
彼の意見はもっともだった。ほぼ同じ時間帯に、ドイツのアナウンサーはこう実況している。
《忍耐のいるゲームの様相を呈してきましたね。両チームともにリスクを冒しませんし、アイディアもほとんどなく、戦術面でのフォーメーションを守ることばかりで。まあ、相手のミスを待つということでしょうか》

このアナウンスは、数分後の出来事を見事に言い当てることになる。
クロアチアのGKスティペ・プレティコサのロングキックが、ワンバウンドしてぺナルティエリア左へさしかかる。バウンドしたポイントが三都主アレサンドロと宮本のほぼ中間だったためか、どちらも積極的に対応できていない。宮本がへティングでクリアしようとするが、正確に落下点へ入れずボールは後方へ流れてしまう。ブルショが反応する。追走する宮本と交錯する。青いユニホームの右足が、白いユニホームの左足に絡む。

リトバルスキーが即座に解説をした。
《宮本が一対一での競り合いでは十分な力を備えていないことが、ここでまた証明されました。とにかく愚かな行為です。自分の前に相手選手が割って入っているのですから。そうなれば、もうそれ以上突っかけたりすることはできないのに......》
主審がホイッスルを吹いた。ペナルティスポットを指す。PKだった。

キッカーのスルナは、日本にとっての中村俊輔のような存在である。クロアチアの選手たちは、すでに先制ゴールを奪ったような気分になっていた。キャプテンの二コ・コバチは言う。
「PKを得たとき、私たちのチームの数人はすでにゴールを確信して祝福していた」
だが、彼らは重大な過ちを犯したことに気づかされる。
ドイツのアナウンサーは絶叫した。

《スーパーセーブです! 前にも申し上げましたが、川口は決して大きなキーパーではありません。しかし、たった今、ゴールのスミへのシュートを左手で止めました!このプレーが日本の目を覚ますことにつながるに違いありません》

直後のコーナーキックを日本がしのぐと、リトバルスキーが実況に同意した。
《ときとして、問題になることがあるんです。FWがPKをもらって、いけると思った直後に失敗する。こうしたことで簡単に自信は揺らぎ始める。これをきっかけに日本が眼を覚まして、もっとアクティブになってくれればと思いますね》
日本のべンチも沸き上がった。「さすがだ!」と土肥洋一は思った。
「GKコーチのカンタレリが僕ら3人を試合前に集めて、スカウティングの和田(一郎)さんと一緒に、相手の特徴のビデオを観ていたんです。この選手はこうだから、と。こっちに蹴ることが多いとか。だからさすがだ、と思ったんですよ」
ところが、川口はミーティングのことを忘れていたという。それを聞いた土肥は「おいおい」と苦笑したが、それでも止めてしまう川口に改めて感服した。
「べンチは盛り上がりましたよ。アジアカップじゃないですけど。あのときも、まさか、まさか、で止めまくったじゃないですか。本当にピンチのときにはとんでもないことをやってくれますからね、ヨシカツは」
流れが変わった。さあ、ここからだ 土肥はチームメイトの変化に期待した。
だが、試合のテンポはいっこうに上がっていかない。
リトバルスキーの解説が厳しくなる。

中田英寿からいいボールが入りました。うまくスペースへ出して、そこでクロスだったのですが、ゴールキーパーしかいませんでした。高原はFWとしてもっと早く詰めていないといけませんでしたね。ちょっと遅すぎる。もうすぐ30分がたちますが、日本のFWはここまでひとつもいいアクションを起こせていません》

29分、パスカットした三都主アレサンドロが左サイドの小笠原へはたく。左コーナー付近でボールを収めた小笠原は、右足にボールを持ち直すとすぐにクロスを入れた。ゴール前へ詰めていた柳沢と高原の頭上を越えたボールは、DFにヘディングでクリアされてしまう。

このプレーが、リトバルスキーには我慢ならない。
《このようなシーンこそが私の言いたい場面で、彼は一対一での勝負に持っていっても良かったんじゃないでしょうか。Jリーグではそうしているのに、この場ではそのようなブレーができないんですよ。クロアチアのほうが、一対一での勝負をきちんとやっています》

クロアチアのテレビ局はここで、守備陣の混乱を指摘していた。バビッチがクリアした場面のスロー再生を観ながら、解説者がコメントする。
《バビッチはチームメイトからいろいろと批判されています。というのも、彼はいるべき場所にいないからです。彼がポジショニングをうまく考えないと、試合をうまく運べません》

(中略)

ふたつのテレビ局が、前半のうちにゴールシーンを伝えることはなかった。

「敗因と」 第7章 --- 消極 --- P. 194〜

P. 194〜 (文:戸塚 啓)

フランク・デ・ブリークケレという人物をご存じだろうか。
オランダ語、フランス語、英語、ドイツ語を操るこのべルギー人は、首都ブリュッセルから南西へ1時間ほど行ったところにあるアウデナールデという小さな街に住んでいる。テニスと旅行が趣味という彼は、大会期間中に40歳の誕生日を迎える幸せに恵まれた。 ジーコとその仲間たちが歩んできた4年間に、彼は重要な局面でかかわっている。

キックオフを目前に迎えた大一番の重みを、実況のアナウンサーはゆっくりとしたクロアチア語に込めた。テレビ画面は会場入りした日本の選手を映し出している。ハンディのカメラが、通路を歩くジーコをしつこく追いかけている。
《みなさん、こんにちは。イビチャ・オシム、チロ・ブラシェビッチ、シソ・クラッチャ、コスティマッツから試合についてのコメントをいただきました。『日本は前半からしっかり守ってくるので、ボールを奪ったらすぐに攻撃に移らないといけない』ということです。また、ドイツの新聞には『日本人は背が低い。背の高いDFはひとりしかいない』とありました。だから、そこを突かなければなりません。また、日本の前線はよく動くので、クロアチアのDFはしっかりついていくことが必要となってきます》

画面はスタジアムヘ切り替わった。両チームのサポーターが映し出される。アナウンサーは少しホッとした様子だった。

《両チームの応援が始まっていますが、クロアチアのファンのほうが多いですね:日本人のファンもたくさん足を運んでいるようですし、激しい応援です。『ブルーサムライ』、青(日本のファン)の熱狂的な応援に、赤(クロアチアのファン)も負けてはいません。クロアチアのファンの数は、日本のそれの倍はいるんじゃないでしょうか》

続いて両チームの前日までのトレーニングの様子が紹介される。きれいにつなげられたVTRは、クロアチア代表選手のインタビューへ移った。ヘルタ・ベルリンに所属する巨漢DFのヨジップ・シムニッチが、5日前の第1戦を振り返る。

《ブラジル戦では、始めのうちは緊張している選手がいました。ロナウジーニョアドリアーノロナウドと、ブラジルは有名な選手揃いですから、緊張するのも当然です。でも、ファンの応援がすごくて、助けられました。ブラジルには負けたけど、それは忘れて、次の試合に向けて一生懸命にやって勝つしかありません。日本の人たちには尊敬の念を抱いています。親切ですし、優しいですし。この試合は、簡単な試合にはなりません》

次に登場するのは、普通に考えればズラトコ・クラニチャール監督になるはずだ。しかしクロアチアのテレビ局には、監督の言葉よりも先に伝えなければならないことがあった。キャプテンの二コ・コバチが打ち明ける。
「ワールドカツブの開幕前に、9人もの選手がお腹を壊してしまった。私は大丈夫だったんだけど、彼らは熱を出して3日から5日ぐらい寝込んでいたよ。コンディションを取り戻すのに、誰もが時間がかかっていたんだ」

コンヂィションを確認するには、誰のコメントが必要なのか。クロアチアのテレビ局が選んだのは、チームドクターのゾラン・バヒティヤレビッチだった。恰幅のいい身体は、長身選手の多いチーム内でもひときわ目につく。

《選手はストレスが溜まっています。9人の選手がお腹を壊して、熱を出して、大変でした。ニコ・コバチはブラジルとの試合で右脇腹を痛めるケガをしましたが、いまは回復して日本戦には出場しますよ》
《どの選手のコンディションがいいですか?》と、インタビュアーが突っ込む。短髪と眼鏡が特徴的なチームドクターは、身体を少し後ろへ反らした。
《私はチームの健康状態を診ていますけど、選手を選ぶ権利はありません。その質問には答えられませんね》

ここでクラニチャールが登場した。
《世界のサッカーは、テクニックの面でもプレーのやり方の面でも、すごく進んできています。でも、クロアチアはいいサッカーをやることができています》

勝利が求められるゲームの直前のコメントとしては、少しばかり緊迫感に欠ける。テレビ局としては、もう少し具体的な話がほしいはずだ。日本のマスコミにも多弁だったクラニチャール監督からすると、いつもよりロ数も少ない。
ひょっとしたら彼は、自国のメディアに多くを語りたくなかったのかもしれない。元浦和レッズクロアチア代表歴のある、トミスラフ・マリッチが言う。

「ヨーロッパの予選を通過してからワールドカップ開幕までの間に、マスコミから痛烈な批判を受けたんだ。ブラジルからクロアチア国籍を取得したダ・シルバを代表に選ばなかったことで、マスコミは激怒した。ダ・シルバは素晴らしい選手だからね。さらに監督の息子がチームにいることも、批判の材料になった そういうことがあってチーム内に不要な緊張感が生まれてしまったんだ」

(中略)

《この試合は日本にとっても重要な試合ですので、アグレッシブに戦ってくるでしょう。ジーコ監督もそのように戦わせるはずです》

練習前のロッカールームに、ジーコの声が響いた。大会9日目の6月17日は、フランクフルト、カイザースラウテルン、ケルンの3会場でゲームが行われる。フランケン・シュタディオンのロッカールームにいる日本の選手たちは、まだユニホームに着替える必要はない。キックオフにはあと1日と2時間ほどある。

「俺が全部責任を持つから、指示どおりにやってくれ」
オーストラリア戦の後半に運動量が落ちたのは、前線からボールを追いかけ過ぎたことに原因があるとジーコは分析した。事前のスカウティングによれば、クロアチアはボールを回してくることが予想される。身体能力が高いのはオーストラリアと同じでも、攻撃のパターンは違う。

そうはいっても、日本より身長は高い。どこかで高さを生かしてくるだろう。同点で終盤を迎えれば、クロスボールを入れてくるかもしれない。いや、最後には絶対にクロスを連発してくるはずだ。それならば、前線からブレッシャーをかけるよりも、センターサークル付近まで一度下がったほうがいい。明日もまた15時キックオフで、暑さのなかでのゲームが予想されることを考えても、スタミナを無駄遣いしてはいけない。

何よりも選手間の主張はぶつかりあったままで結論に辿りつけていなかった。衝突する意見を収拾させるためにも、「ボールを失ったら、とにかくいったん引くんだ」という指示をジーコは選手たちに与えた。

練習後の記者会見では、日本のメディアが漂わせる悲観的な空気に正面から抵抗した。
「自分たちのサッカーが間違っているとは思わないので、オーストラリア戦後の5日間は精神的な部分に費やした。時間が足りないということはなかった。いまさら新しいことをやろうとは思わない。やるべきことは全部やってきた。クロアチアは強いチームだが、選手たちの気持ちは吹っ切れている。残された道は勝つか引き分けるかのふたつしかない。そうでなければグループリーグ敗退となる。選手たちとも確認したが、相手が誰であろうと自分たちのサッカーをするしかない。意気込みは感じられる。その気持ちがついていかなければ、悲惨な結果になってワールドカップが終わってしまう。気持ちが萎えてしまったら勝負にならない。昨日のアンゴラのように、人数が少なくなっても最後まであきらめず、引き分けて3試合目に望みをつなぐこともできる」

オーストラリア戦を欠場した加地亮は、通常どおりのメニューをこなしていた。風邪による体調不良が囁かれる中村俊輔も、グラウンドで元気な姿を見せていた。

「加地はケガの少ない選手だったが、ドイツとのテストマッチで悪質なタックルで大ケガをした。もうダメだろうと思うほどの症状だったが、びっくりするほどの情熱を持って、治療とリハビリを行った。その気持ちが大切だ。最高の舞台でブレーするのだという強い気持ちがあれば、どんな困難でも跳ね返せる。ダメだと思ったらダメだ。中村はオーストラリア戦で負傷したので、1、2日休養をとって治療した。そのあとには発熱があった。だが、今日は熱が下がっているので心配ない」

フォーメーションは3-5-2から4-4-2へ変更されていた。オーストラリア戦で両足がつってしまった坪井慶介がべンチに下がり、代わって小笠原満男がスタメンで起用されることになった。
「基本的な戦術は変わらない。ただし、チャンスはしっかり決める。ボールを失ったときには全員で守る。これをしっかりやれば、無駄な失点をせずに得点できると思っている。クロアチア戦でもそれを繰り返す」

クロアチアの印象にも触れたが、ジーコが強調したのは自分たちがいかに戦うのかだった。オーストラリアに負けても、選手への信頼は揺らいでいなかった。
「日本代表を率いてこれまで70試合を戦ってきたが、チャンスが作れなかった試合はほとんどない。しっかりと気持ちの入った試合では、決定的なチャンスを作ることができていた。負けた試合というのは、チャンスを生かせなかったときだ。決定機を作っているのにフィニッシュが悪いのが日本の課題だ。それが解消されれば怖いものはない」

(中略)

クラ二チャールは試合前のロッカールームで選手に確認をしていた。
「絶対に勝たなければならない。この試合で勝ち点3を取るんだ。ブラジルはオーストラリアに勝って、グループリーグ突破を決めるだろう。だから我々は今日、日本に勝って、オーストラリア戦を有利に迎えよう」

日本の先発メンバーには、180センチを超える選手が3人しかいなかった。 クロアチアの先発メンバーには、180センチに満たない選手がひとりしかいなかった。 高さは有効な手だてになるはずだが、クラニチャールはそうした指示を出さなかった。
「特別なことはしないぞ。いつものようにパスをつないでいくサッカーをしよう。ロングボールばかり狙うのではなく、ブラジル戦のように自分たちのサッカーをするんだ」
その代わりに、日本を攻略するための具体的な戦略を授けていた。控え選手のひとりだったユリカ・ブラニエスは、監督の言葉をよく覚えている。
「スルナに対して、三都主のウラを突けと指示した。三都主は攻撃的な選手だから、前に行く傾向があるから、スルナはそこを突いてクロスを上げろ、と」
ラニチャールは試合の数日前に、DVDセッションを開いている。日本のスカウティングだ。5月30日のドイツ戦や昨年のコンフェデレーションズカップを、ダイジェスト版にまとめたものだった。コーナーキックフリーキックなどのリスタートをどのように蹴るのかが、分かりやすく映像化されていた。「それからもうひとつ、対戦相手は分からないがテストマッチの映像もあった」とフラ二エスは記憶している。

「監督は『日本を侮るな』と言った。『とてもいいチームだ。日本を侮ってはいけない。日本の選手は前方から走り回ってくるぞ。中田英寿や高原など、ヨーロッパでブレーしている選手がたくさんいる』とね」

クラ二チャールは「日本のスピードに警戒しろ」と繰り返したが、ブラ二エスとチームメイトはどちらかと言えば楽観的だった。「もちろん簡単じゃないけど、勝つことはできるだろうな」と思っていたのはダリオ・シミッチである。イゴール・トゥドールは「このクループのなかじゃ、日本が一番弱いだろう」と考えていた。「ここで勝ち点3を取れば、オーストラリア戦は引き分けでも大丈夫だな」と、チームメイトと話をしていた。

気がかりは暑さだった。ブラ二エスが振り返る。
「みんな、天気が心配だったんだ。もし暑くなれば、日本のほうが有利になると思っていたから」

「敗因と」 第6章 --- 齟齬 --- P. 183〜

P. 183〜 (文:木崎 伸也)

それにしてもどうして、日本の選手たちほこれほどまでに意見がぶつかり合ったのだろうか。2002年のワールドカップでは、当時監督だったフィリップ・トルシエが「ラインを上げろ」と指示していたにもかかわらず、初戦のべルギー戦で2失点したことを反省材料にして、宮本、中田浩二松田直樹の3人は自分たちで話し合ってDFラインを下げることを決断した。日本は決勝トーナメントの1回戦でトルコに負けてしまったものの、もし3人がトルシエの戦術にこだわっていたら、グループリーグで負けてしまった可能性もある。
4年前は自分たちで話し合ってうまくいったのに、今回は自分たちで話し合ったことでチームが分裂してしまった。

4年間の記憶を遡るようにして、中田浩二は言った。
「ベルギー戦では、上げることばかりに集中してたんですよ。特にツネさんは後半の途中から入ってきて。2点目なんか誰もプレスに行ってないのに、ツネさんが上げようとして2列目から走ってこられた。あのとき俺は見えてたんですよ、2列目からきてるのが。オフサイドは絶対に無理だから、やべえ戻らなきゃって思って、戻ったんだけど、追いつかなかった」

ベルギー戦の翌日、宮本、松田と3人でラインの高さについてじっくりと意見をぶつけ合った。練習は完全非公開なので、雑音に惑わされることなく、ピッチの上で納得いくまで話し合える。
中田浩二は宮本に伝えた。
「日本のサッカーは研究されていて、どんどん2列目から飛び出してくる。ベルギーがやってくるんだから、他もやってくる。無理して上げるのはよそう」
松田も同じことを考えており、3人の意見はすぐに一致した。

「無理して上げるんじゃなくて、1個クリアできたら上げようってことになったんです,そこまで混乱することもなかったですね。チーム全体としての守備の基礎はできているので、最終ラインの3人だけが修正すれば良かった。前に負担がかかるわけでもないし。ボーンってクリアしたら上げるけど、無埋に上げるのだけは止めようという話だった」

トルシエ時代には、守備の基礎があった。たとえば、ボールを蹴られそうになったら、5メートル下がるということを繰り返し練習し、ロングボールに対しては、フラット3のうち1人が競って2人がカバーするという戦術も徹底してやっていた。
みんなで話をするうえで、基礎があるのとないのとでは、大きな違いが出てくる。土台ができあがっていれば、あとは細部をすこしいじるだけでよかったのかもしれない。それに対してドイツ・ワールドカップのチームは、話し合わなければならない範囲があまりにも広すぎた。

「今回は、DFと中盤とFWの関係だから、難しいといえば難しいんですよ。そこの幅が長いじゃないですか」
中田浩二は、前と後ろのポジションに、国内組と海外組が分かれてしまったことも、マイナスに作用したと感じた。
「あんまり国内組、海外組って使いたくないんだけど……。でも、求めているサッカーは違うと思いました。それが今回は、攻撃と守備できれいに分かれちゃったから。たとえば高原はヨーロッパのDFに慣れてるから、味方のDFにもそうしてほしいわけだし。でも、日本のDFからしたら、FWはもうちょっとボールを持って時間をかけてやってくれよ、って思う。そのへんのボタンの微妙な掛け違いかな」

中田浩二は20O5年1月に鹿島アントラーズからフランスのマルセイユに移籍した。図らずも国内組と呼ばれる立場から、海外組と呼ばれる立場に変わったのである。それだけに、両者の間にある考え方の違いを身をもってわかっていた。

柳沢は2006年1月に日本に戻ったものの、イタリアで2年半プレーしていた。高原はドイツで、中村俊輔はイタリアとスコットランドで、中田英寿はイタリアとイングランドでプレーしてきた。3-5-2の布陣で言えば、攻撃の選手全員がヨーロッパでプレーした経験を持っている。それに対して3バックと守備的MFの福西は、ヨーロッパでの経験はない。
前と後ろで「経験」という線引きが存在した、と中田浩二は考えている。
「ヨーロッパに来てまず気づいたのは、FWだけじゃなくDFも前に運ぶということ。あと一対一の考え方が違う。一対一はその2人だけの勝負っていう考え方をする。カバーリングはしない。でも、日本は組織でしっかり守って、っていう感じでしょ。そのへんでDFライン+福さん(福西)+ヒデさんっていう組み合わせでいうと、ヒデさんはもともとボランチの選手じゃないから、福さんにすごい負担がかかってたと思う。ヒデさんがどんどん飛び出してたからね。でも、ヨーロッパで言ったらそれが普通なんですよ」

トルシエのやり方をすべて肯定するつもりはないが、ジーコのやり方はあまりにもトルシエと正反対だった。トルシエの基礎工事の上にジーコの攻撃サッカーを上乗せさせられれば良かったが、トルシエ時代はほぼひとつだった日本人選手の価値観が多様化したことも重なり、2002年と2006年のチームは全く別物になってしまった。

食事会の翌日、日本はクロアチア戦に向けて守備練習をしていた。
ハーフコートの片側に、相手FWを想定して小さなゴールを2つ置く。サブ組はボールを回して、その2つのゴールにボールを入れれば勝ち。一方のレギュラー組は、それを阻止する、という練習だ。レギュラー組はできるだけコースを消しながら、ボールにプレッシャーをかけて、高い位置でボールを取らなければいけない。

だが、なぜか選手の身体が重い。なかなか意思統一ができず、選手の動きも落ちていった。
ジーコ監督は、就任して以来、初めて選手たちに激昂した。
「まったく意欲が感じられない。何のためにこの練習をしているのかわかっているのか! 草サッカーの世界大会に来ているんじゃないんだ。プロとして、国をかけてやってるんだ!」
そばにいた鈴木國弘通訳は、こう振り返る。
「チームがバラバラになっちゃっているというかね…。意欲がないわけじゃないんですよ。選手があまりにも守備のやり方をどうしようか、どうしようかという議論で疲れちゃっていて。それをジーコが感じたんで、練習を止めて怒ったんです」
ワールドカップという特殊な緊張状態で、答の見つからない論争が起こり、選手は自分の立ち位置すら見失いかけていた。

「オレたちは引いて、ボールを取りたい」
「前でとった方がもっとチャンスができる。ラインを上げてくれ」
「前から行ってくれないと、上げれない」
「いや、上げてくれ」

中澤はどうにかしようと最後までもがき、相手の意見を聞こうとしたひとりである。しかし、ワールドカップという短期間の大会では、一度できてしまった流れに抗うことはできなかった。 複雑な記憶の中から、彼は辛そうに言葉を搾り出した。
「いろいろ意見は出るんですよ。議論するんですけど、それの答が出ない。それとこれを足したイコールは何って? でも、どうしても答は出てこない。結局、中途半端なままだから、ゲーム中も、意思統一は難しい感じがしました。もう最後は、後ろはこうやって守りたいって、前に伝えるしかなかったんです。誰の答に賛同するのかって言うよりも、それ(DFライン)の答を自分の中で勝手に決めて、伝えるしかないっていう…。まあこれは僕の意見ですけど、ある程度ラインを決めて、前から追えなかったら下げる、追えてたら上げる。そのように前もって決めておくと、もう少し迷わずできるのかな、っていうのはあったんですけど……」

ラインを上げてほしいという中田英寿の意見もよく分かったが、中澤には自分が今まで積み重ねてきたものの延長線上にワールドカップがあるという思いもある。それを仲間にうまく伝えられなかったことが、いま、残念でならない。

「ワールドカップを経験している選手と、経験してない選手がいるなかで、そこに意識の違いがあったのかもしれません。これまでワールドカップに出てない選手には、ワールドカップをどのように戦えばいいのかわからない部分もありますよね。多分、ヒデさんからしたら、いろいろ経験豊富だから「こういうふうにやったほうがいいぞ」というアドバイスだったんだと思う。だけど、僕たちワールドカップを経験していない選手にとっては、やっぱり本質は難しいですよ。いま考えれば「俺はこうやって戦ってきたんだ。アジアカップにしろ何にしろ、こうやって戦ってきたんだ」とか、きちんとコミュニケーションを取れば良かったのかもしれない」

最後には意見をすることさえ、許されない雰囲気になったと、ある選手は振り返る。
「もうグチャグチャな感じでした。なにか言うと、怒られる。怒られるというか、お前が言うなよ、というような空気がありました。『もっとこうしたほうが、僕らは紅白戦で相手をしていてイヤだよ』と言ったんです。でも、「だから何?」みたいな空気が流れて……。はっきり言ってサブ組のほうがまとまってましたね。チームが23人で、ぱっくり割れてた」

互いに主張するだけで、譲り合おうとしない。いくら話し合っても決着はつかないことに嫌気がさし、聞いているふりをすることでやり過ごす選手もでてきた。
ミーティングが終わって部屋に戻るとき、中田浩二はヒデに問いかけた。
「こんなんでいいの?このまま終わっていいの?」
クロアチア戦の前日、ジーコの我慢も限界に達していた。

二ュルンベルクのフランケン・シュタディオンで最後の練習をやる直前、ドレッシングルームからスタッフを追い出し、狭い部屋の中に選手を集めた,ジーコはうなるようにして言った。
「船頭は私だ……。私が全部責任を持つ,私の指示通りやってくれ」
ジーコが選んだのは、宮本たちの意見だった。
「柑手ボールになったとき、一回全部引け。2トップはハーフウェイラインのセンターサークルの近くまで引け。オーストラリア戦と、同じ轍をふみたくない。そこから呼吸を整えろ。相手に繋がれたってかまわない。回させとけ。相手がヤナギのところまで入ってきたところで守備を始めろ」

試合前日の日本代表は、セットプレーの確認とミニゲームをやって終わることがパターンとなっていた。勝負の前日にじたばたしても混乱を招くだけだ、いままで指揮官はそう考えていた。
しかし、このクロアチア戦の前日に限っては、ジーコは就任して以来、初めてフォーメーション練習を始めた。マークの受け渡しの仕方、プレスのかけ方。
4年間のツケを、たった1日でとりかえそうかというように。
選手としてワールドカップに3回出場し、98年大会ではセレソンのテクニカルディレクターとしてべンチに座ったジーコでさえも、平常心を失っていた。
混乱することを通り越して、ただ悲しかった、とある選手は振り返る。
「どうしてジーコは、最後の最後でやり方を変えたんでしょうか。それだけはいまだに納得がいかないんです」

DFライン云々の問題ではなくなっていた。互いに信頼できず、助け合えず、譲り合うこともできない。鹿島アントラーズ時代からジーコを知るものとして、中田浩二はそれが残念でならなかった。
「余裕がなかったのかなって。試合の中で意見を出しあっても、譲り合いみたいなものがなかった。ジーコにもある程度の形ってものがあるじゃないですか。そこをうまくみんなで理解してやるべきだったのに、ワールドカップではできなかった。ほんと前と後ろで意見が合わず……。そんなにDFラインが低かったと思わないし、前もキープしている時間帯はキープしてたと思うんですよ。ただ、それがちょっとうまくいかないから、FWは後ろに文句を言うし。DFは下がりすぎってことに敏感になり過ぎて。それを見て攻撃陣が、また言い過ぎる。そのへんなんじゃないかな……」

もはや敵はクロアチアでも、ブラジルでもない。
自分たちのなかにあった。

「敗因と」 第6章 --- 齟齬 --- P. 179〜

P. 179〜 (文:木崎 伸也)

前と後ろの意見が噛み合うことのないまま、6月12日、オーストラリア戦のホイッスルが鳴った。
日本のDFラインは、比較的、高い。前線からのプレッシャーがかかり、チームとしてまずまずの組織を保っていた。日本の先制点が幸運だったとはいえ、中村が深い位置からフリーでクロスを上げられたのも、それだけ相手を押し込んでいたからだった。
しかし、後半になると相手がひたすらロングボールを蹴る作戦に出たことで、日本の選手は消耗し始めた。
瓦解へのカウントダウンが始まった。

高原と柳沢が相手DFをチェックに行っても、中盤からの押し上げがないため、相手は簡単にサイドチェンジをしてしまう。それを追わなければならない高原と柳沢は、不必要な疲労を蓄積させていった。
一方、身長188センチのマーク・ビドゥカに加え、I94センチのジョシュア・ケネディが投入されたことで、DFラインはずるずると下がった。こぼれ球を拾うために、ボランチも引っ張られた。
前線から最終ラインまでは大きく間延びして、真ん中に大きなスペースができた。
地元の人は、カイザースラウテルンのスタジアムのことを「地獄釜(ヘクセンケッセル)」と呼んでいる。日本にとっては、中盤に開いたその穴こそが地獄になった。 投入された小野も、そのスペースに飲み込まれた。

たった8分間で3矢点。

今まで抱いてきたワールドカップへの期待、やってやろうという戦う気持ちがすべて粉々になり、気がついたときに残っていたものは、チームの内側に向けた負のエネルギーだった。
打ちのめされた弱い心は、戦犯探しに走った。
キヤプテンの宮本は、いたずらにボールを失った攻撃陣に納得がいかなかった。なんで時間を稼いでくれなかったんだ、と。

ベンチから惨劇を目撃した中田浩二は、試合後、宮本と敗因について話しこんだという。
「俺が思うに、オーストラリア戦の敗因は、ボールをキープすればよかったところでキープできなかったこと。オーストラリアが前に来てスペースがあるから、簡単にボールをつなげばいいところで、勝負にいって、結局取られてしまった。オーストラリアの攻撃って、ただ蹴って、デカいのに合わせてセカンドボールを拾うという仕掛けじゃないですか? オーストラリアの方がキープしてる時間が長いんですよね。日本はずっと動かされて、消耗していました。ボールをせっかく取って一息ついたときも、前が攻めに行ってしまっていた。暑さもあって、イージーミスを繰り返してしまった。ゴールキーパーにそのまま行っちゃったり、センタリングをミスしたり……。それがまたオーストラリアのボールになる。ロングボールを何本も何本も蹴られて、DFは精神的にきつかったと思う。ツネさんもそう言ってたから」

後半、オーストラリアのDFラインの裏には大きなスペースがあった。攻撃陣はその誘惑にかられて、もう1点を取りにいった。だがロングボールで窒息寸前だったDF陣からすると、少しでも一息つく時間を稼いで欲しかったのだ。
逆に攻撃陣は、ずるずると下がったDF陣に不満をもった。
中田英寿テレビ朝日で放送された引退特番でこう振り返っている。
「前半にしてもラインが低くて、後半もずっとぺナルティエリアの前。あれをやっていたら、FWと中盤は大きなスペースを走らなきゃいけない。それが一番のミスだったんじゃないか。ラインを高く保つのは、攻撃するためにじゃなくて、自分たちができる限り矢点を抑えるため。低くするほど、誰がどう考えても点はとられやすくなる。それはもう、どんな理屈があろうとも明白。高さが恐ければ、ラインをあげればいい。いくらへディングで負けようが、そのままゴールに結びつくことはない。低ければ、リスクは高くなる」

前へ行きすぎる攻撃陣。
後ろに引きすぎる守備陣。
初戦に負けて追いつめられたことで、人の意見を尊重するという余裕が次第になくなっていき、最終ラインにまつわる論争は泥沼にはまっていった。
あまりにラインに執着する先発組に、温度差を感じる選手もいた。

「ラインの話を練習のつどするようになった。早く言えば、ツネさんとヒデさんのトップ会談ですよ。僕らサブ組は、その話し合いには参加していません」

そんななかで、キャプテンの宮本は論争の当事者ながらも、事態を収めようと中田英寿や高原とのコミュニケーションを続けようとした。
だが、答のない問いに、言葉を注ぎ込もうとすればするほど、こぼれ出てくるのは齟齬や誤解という副作用ばかりだった。

責任感の強いキャプテンを見ていて、土肥はいたたまれなくなったという。
「辛そうでしたね……。そんなに背負わなくてもいいのに、と思って。監督と選手の板ばさみになって、すべてを背負っていたというか」

2002年ワールドカップではともにフラット3を組んだ中田浩二も、宮本を心配していた。
「あのときラインに対して一番敏感になっていたのはツネさんなんですよ。あの人は頭がいいし、キャプテンだし、抱えるところがあったんじゃないかな。だから、僕はヒデさんよりも、ツネさんのケアをしてあげればよかった、って今になって思うんです。ヒデさんは言いたいことを言うけど、ツネさんは立場的にもそれを受けなきゃいけなかった。性格的にもそうだし。あのひとが一番ラインのことでナーバスになって……。それまでは自信を持ってやっていたと思うんだけど、あまりにそのことを言われて、考え過ぎてしまったところもあったのかもしれません」

遠い日本では、三浦淳宏がともに最終予選を戦ったひとりとして、宮本が背負っているものの重さを感じ取っていた。三浦はあるムードメーカーの不在を惜しんだ。
「マコ(田中誠)は、ちょっと面白い存在だった。俺なんかもからかって、バスの中なんかでもすごい盛り上がってたしね。マコがいなくなったってのは、やっぱり大きいかなぁ。年齢的にはオレの下にマコがいて、その下にツネとか福西がいる。マコがいたら、ちょっと変わったかもしれない」

オーストラリア戦の3日後、中田英寿が提案して、日本食レストランで決起集会を開くことになり、食事会は大いに盛り上がった。しかし、一度の食事会で完治するほど、チーム内のしこりはやわではなかった。

「敗因と」 第6章 --- 齟齬 --- P. 168〜

P. 168〜 (文:木崎 伸也)

ボン合宿が始まった3日目、宮本恒靖中村俊輔高原直泰の3人がピッチにあぐらをかいて座っていた。
ペットボトルが5本、芝の上に立てられている。高原がひとつを手に取って位置を変えると、それに対して中村が「もっとこうしたほうがいいでしょ」とばかりにペットボトルをずらす。ペットボトルを選手に見立てて、チームとしての動き方の相談をしているのだ。

3人は楽しそうだった。やっとこういう話し合いができる、この問題さえ解決しておけばワールドカップで日本は勝てる、という確信が身体から湧き出してくるように。

のちにこの問題が、チームを分裂させるきっかけになるとは、3人とも考えもしなかっただろうが・・・・・・。

2002年のワールドカップを肺血栓塞栓症で逃した高原にとって、今大会にかける思いは誰よりも強いものがあった。ついに健康な身体で開幕を迎えられるという充実感は、本人にしかわからないものがある。
2004年のアテネ五輪オーバーエイジ枠で召集されるはずだったが、5月のA代表のマンチェスター遠征で病気を再発させ、五輪出場を逃した。この再発以来、高原は飛行機に乗る前に必ずトイレに行き、血が固まりにくくなる薬をお腹に注射するようになった。もう再発は許されない。もし再発すれば、引退どころか、命を失う危険すらある。

血栓が肺にできると、息をするたびに内側からナイフで刺されたような痛みが走る。もし血栓が脳に行けば、脳溢血で死ぬかもしれない。治療中はシュウ酸の入っているキャベツは食べられない。血栓を溶かす薬を飲むので、人と接触するスポーツはできない。もちろんサッカーも禁止される。待っているのほ、走るだけの単調なトレーニングである。

そういうことを乗り越えて、やっとワールドカップに出場できるのだ。今大会は自分が普段プレーしているドイツで開催されるのも大きい。もし日本がグループリーグを突破できれば、いままで自分のことを批判してきたドイツ人を見返すことができる。
そのためにも高原は代表の合宿が始まったら、あることをやろうと決意していた。ワールドカップ直前の「ナンバー」誌のインタビューで、彼はこう語った。

「強い相手に対して、自分たちがどういうふうに守って、どういう意図でボールを奪いにいくのか、もっと明確にしないと。今の中途半端なままでは、簡単にやられてしまうだけだと思う。今はなんとなくボールを追い込んではいるんだけど、そのへんはもつと明確にしてやらないと、上のレベルでは闘えない。それをちゃんとみんなで、話し合ったり、もっとこうするべきだというのをやらなければいけない。やらなければ大変なことになる」
日本代表にチームとしての守備のやり方がないことに、危機感を持っていたのである。

2006年2月、日本代表はドルトムントで、ボスニア・ヘルツェゴビナと親善試合をした。前半終了間際に中村のコーナーキックを高原が頭で押し込んで、先制することに成功する。だが、後半になるとサイドを崩され、57分、67分に立て続けに矢点してしまった。後半のロスタイムに中田英寿が同点ゴールを決めたものの、あきらかに日本の守備は組織だっていなかった。なんとなくブレスをかけるタイミングや位置は決まっているのだが、「なんとなく」のままでは本大会で勝てるわけがない。
開幕がいくら近づいても、いままでと同じようにジーコは守備の約束事を作ろうとしない。ならば選手たちでやるしかないじゃないか、と高原は思ったのだ。

不安は現実のものとなる。
5月28日、ボン合宿の3日目、ワールドカップの登録メンバーが集まって初めての紅白戦が行われたのだが、レギュラー組は1−0で勝ったものの、内容ではサブ組に圧倒されてしまったのである。
レギュラー組は3−5−2。GKは川口能活、3バックは坪井慶介、宮本、中澤佑二、両ウイングバック加地亮三都主アレサンドロ、守備的MFは中田英寿福西崇史、トップ下に中村、そして2トッブは高原と柳沢敦が人る。
サブ組は4−4−2。GKは楢崎正剛、4バック右から駒野友一遠藤保仁田中誠中田浩二ボランチ小野伸二稲本潤一、攻撃的MFは右から玉田圭司小笠原満男、そして2トップは巻誠一郎大黒将志がコンビを組む。
中盤を支配したのはサブ組だった。チェコ遠征とマンチェスター遠征ではレギュラーだった小野と稲本を申心に右に左に小気味良くボールをまわし、レギュラー組の中盤はなかなかボールに触ることができない。9分に小笠原が、12分には小野が、34分には右サイドバックの駒野までもがシュートを放った。

サブ組のひとりは、こう振り返る。
「あのときは僕たちが手を抜くことはチームにとってよくないと感じていたし、それでスタメシ組が気がついてくれればいいと思ってやっていた。だから一生懸命やりましたし、ディフェンスに関しては激しくいったところもありました」

この3日後、ジーコは田中のケガが完全に治ってないと判断して、日本に帰国させている。代わりにハワイヘバカンスに行っていた茂庭照幸が急遼招集された。それほど田中の状態は良くなかったということだ。それにもうひとりのセンターバックは、MFが本職の遠藤。ケガ人と急造DFを相手に1点しか取れないのだから、事態は思った以上に深刻だった。

紅白戦の後、ピッチで宮本、申村、高原が緊急ミーティングを開いたことは冒頭に書いた。3人だけでなく、全員で話せばよりチームとしてまとまるはずだ。 その練習後、選手全員でミーティングを開くことになった。
ミーティングの一番のテーマは、
「DFラインの高さ」
をどうするかということだった,
中田英寿や高原ら攻撃陣は、「高くするべきだ」と主張した。

高原はミーティングで言った。
「とにかく最終ラインをなるべく高く保ってほしい,そうしたら前線でブレスをかけられるし、プレスがかかれば相手はロングボールしかなくなると思う。あとはロングボールを競ったあとにセカンドボールを落ち着いてさばけば、全然恐くないはずだ」

ラインを高くすれば、全体がコンバクトになるので、ボールを奪うチャンスも増えるし、より高い位置でボールを奪える。2006年5月にチャンビオンズリーグ決勝を戦ったバルセロナアーセナルもDFラインは高い。ラインを高くするということは、ヨーロッバの強豪クラブではもはや常識だった。他のことでは高原と意見が合わなかった中田英寿も、ラインのことについては同意見だった。

これに対して、キャプテンの宮本が自分の意見を述べた。
「前からプレスに行ってもらわないと、押し上げられない。もちろん、上げられるときは上げるけど、無理なときだってある。そのときは前も下がってほしい」

ワールドカップで矢点することのリスクを考えると、むやみにラインを上げたくない、というのはDFとしての当然の防衛本能だろう。
この日、結論が出ることほなかった。とはいえミーティングを続けていけばきっとチームとしてのやり方を決められるはずだ。「チームとしてはそんなに悪くないし、今後も継続的に話し合っていこう」。そんな雰囲気で初回は手打ちになった。

しかし――――――。
その2日後、日本がドイツ相手に2点を先制し、結果的に善戦したことで、攻撃陣と守備陣の発言権のパワーバランスが崩れることになる。
5月30日、レバークーゼンで行われたドイツ戦は、日本にとって強豪に胸を借りる意味合いの強い親善試合だった。矢うものは何もない。FWは前からがんがん激しいブレスをしかけ、DFライシも高く保った。日本は中盤でボールを奪うと素早くパスをつなぎ、カウンターから高原の2ゴールが生まれた。
その後2点を返されて、同点に追いつかれたのは残念だったが、日本の攻撃陣は自分たちの主張は間違ってないと自信を深めた。

2得点をあげた高原は、試合後に言った。
「全体をすごくコンパクトにできた。いいプレッシャーがかかっていたし、その中で個人の技術を生かしたり、ボールを走らぜたり。いいサッカーをできたと思います」
当然のことながら、結果を出した者の発言は、チーム内で重きを置かれるようになる。ラインを上げることを主張するグループが、やや優勢になった。

GKの土肥洋一は、チーム内の微妙な空気の変化に気がついた。
「紅白戦をやるとサブ組のほうがいいサッカーをするから、レギュラー組のFWの選手は「ディフェンス低いよ」って言ってしまう。それに対して『行くときは行くから、ちょっと待ってくれよ』と守備陣は返すわけです。何がしたいんだろう、と思いながら見ていた。でも、僕はキーパーだから、ディフェンスの立場もわかるだから、ツネに『もっと主導権をもってやったほうがいいよ』と言ったんですけど、彼は『そやなあ......』と言って考え込んでましたね」

ドイツ戦のあとに合流した茂庭も、チーム内に意見のすれ違いがあるのかもしれないと感じた一人だ。
「僕が来る前にそういう議論があったようで、合流したときにはもう『どうするんだよ!』というような雰囲気がちょっとあった。何が起こってるの? って思いましたね」

練習に参加してみると、茂庭はだんだん両者の言い分がわかるようになってきた。自分自身はDFだけに守備陣の気持ちもわかる反面、攻撃陣が言っていることも間違いではないと思うようになった。
「ツネさんは、ボールを取られたら引く。逆にFWは追いにいく。だから、ぽっかり申盤が空いてるから、そこでワンツーをされたりすると簡単にやられてしまうことがあるんです」

誰もが一生懸命にプレーしているし、勝つために考えをめぐらせているのだが、選手たちが想像していたほどに、ラインについて意見をひとつにするのは簡単ではなかった。
今さらそういう細かな議論をすることに、積極的ではない選手もいた。
川口能活は、みんなの前で言った。
「オレは本能でやってるから。そういう話は、あんまり」
川口からしてみれば、そんな細かい話をするのはやめようよと、伝えたかったのかもしれない。試合が始まったら、やるしかないじゃないか、と。
ただ、基本的にはぺナルティエリア内にポジションが限定されているGKとは違って、フィールドプレーヤーたちは、そんなにどっしりと構えていられるはずもなかった。今までの今フェデレーションズカップや親善試合では、あいまいな部分にも目をつぶることが許されたが、4年に一度のワールドカップという大舞台では、対戦相手の意気込みもまるで違ったものになってくる。
いまさら個人技術を上げることはできないが、チームとしての完成度をあけることならできる。
DFラインについて議論することは、チームのためにプラスになってくれるはずだった。

ここでひとつ忘れてはいけないことがある。
基本的には、攻撃陣と守備陣のどちらの主張も正しいということだ
リスクを負って、勝負するか。
リスクを避けて、勝負するか。
そこにあるのは、戦術への嗜好の違いである。
ヨーロッパでも、ラインが高いチームもあれば、低いチームもある。05-O6シーズンのチャンピオンズリーグ王者のバルセロナのラインは高いが、イングランド王者のチェルシーは比較的ラインが低い。

たとえば05-O6シーズンのUEFAカップで優勝して注目を集めたセビージャのファンデ・ラモス監督は、監督という職業についてこう語っている。
「どこからプレスをかけるか。ラインの高さをどこに設定するか。そういうチームの勝敗を左右するディティールを決断するのが、監督の仕事だと思っている」

しかし、ジーコは就任して4年が経とうというのに、それをやろうとしない。狙いがあるのか、ただ無策なのか。
日本代表が20O4年にマンチェスター遠征に行ったときのことである。スタンドにいた解説者の風間八宏氏が疑問を投げかけたことがあった。
「監督には、やるべき仕事が2つある。まずひとつ目は、どの位置からプレスをかけるかということ。ハーフラインのちょっと前でも、相手のDFラインのところでもいい。プレスをかける位置が決まれば、自動的に自分たちのラインの高さも決まる。ふたつ目は、リスタートのとき選手がどこに戻るかという基本ポジション。ピッチの上にバランスよく選手が散らばっていれば、そう簡単に崩されることはない。混乱しても、まずは決められた基本ポジションに戻ればいい。マンチェスターで行われたアイスランド戦とイングランド戦を見る限り、日本にはそのふたつがない。少し監督が指示してあげるだけで、随分良くなると思うのだが」

こういう約束事を選手が自分たちで決めるなどということは、ヨーロッパ中を見渡しても異例のことだ。1974年のワールドカップで、西ドイツのキャプテンだったフランツ・ベッケンバウアーが、大会期間中にシェーン監督から全権を奪い、自分の好きな選手と戦術で優勝まで上りつめたことがあった。だが、それはヨーロッパ最優秀選手に2度輝いたベッケンバウアーという才能があったからこそ。設計図もなしに基礎工事を丸投げすれば、選手が頭を抱えるのは当然のことだった。

ワールドカップ後、多くの選手がこう口にした。
「監督がどういうふうにサッカーをしたらいいかっていう道標を示してくれれば、あとは選手たちがやるけれど、道標も何もないのに選手たちだけでやれと言われても、そんなのまとまるわけがない」
「ヒヂさんとツネさんの意見が分かれても、決めるのは僕たちじゃない。そこでどうするかっていうのは、監督ですよね。選手同士でミーティングすることもありましたけど、それは揉めますよ。言い合いになったとしても、どっちも正論なんだから」

なかには、
ジーコじゃなければ、グループリーグを突破できた」
と唇を噛んだ選手もいる。
これだけの混乱を招いてしまったのだから、ジーコは日本という国を率いて監督をやるうえで、何かが欠けていたことは間違いないだろう。
だが、あえてジーコの立場になって考えると、根幹にあるサッカーの概念が、日本の選手とは全く違ったのかもしれない。
ワールドカップ後、ブラジル代表の左サイドバックジウベルトは、こんなことを言っていた,日本戦でジュニーニョ・ペルナンブカーノの"揺れるシュート"を、彼がアシストしたときのことだ。

「あの場面では、まず右サイドのシシーニョがクロスをあげて、それが流れて左にいたロビーニョが拾ったんだよね。僕はオーバーラップして、ロビーニョからパスを受けた。日本の選手はそれに反応して、僕は素早く囲まれてしまった。でもね、ブラジルにはこんな教えがある。『まわりを囲まれたら、必ず遠くにいる人はフリーになっている』とね。予供の頃からミ二サッカーをやっているから、こういうのは身体にしみついているんだ。右を見ると、中央のジュニーニョがフリーになっていた。迷わずパスしたよ。まあ、ゴールが決まったのは、彼のシュートが素晴らしかったからなんだけど」

まわりに「いる」か、「いない」か。ただそれだけ。
ヨーロッパの戦術が「ライン」という線で見ようとしているのに対して、ブラジルはピッチを面として感じている。
ジーコにとってみれば、日本の選手たちがなぜDFラインにこだわるのか、その理由さえも分からなかったのかもしれない。
三浦知良はワールドカップ直前に「ナンバー」誌に掲載された中田英寿との対談で、以下のように語っている。
「サッカーというのはこういうもんだっていうのがブラジル人のなかにはあるんですよね。なんていうか…・・・口葉で説明できないんだけど、僕もブラジルにいたから、ジーコのコメントを聞いてて気持ちがわかるんですよね」

たとえば、ジーコはこう語っていた。
「戦術はあるけれど、ひとつの形にハマッたものではないんだ。咄瑳の判断でそこを変えなきゃいけない部分はあるし、必ず相手あってのことだから、マニュアル化されるものでもないんだよ。右から攻めろと言っても右に敵がいれば、左から攻めなければいけない。でも、左から行くんだと戦術が教えてくれるかというと、それは違う。そこは選手の判断によるものだからね」
サッカーは数学のように初めから答が決まっているのではなく、その場のひらめきでやるものなんだ。ジーコはそう伝えたかったのかもしれない。

「敗因と」 第5章 --- 晩餐 --- P. 160〜

P. 160〜 (文:木崎 伸也)

6月22日のブラジル戦に負けた翌日、小野伸二中田英寿のふたりが『かみじょう』にやってきた。ブラジル戦の翌日に日本代表は解散になり、ほとんどの選手がその日のうちに帰国の途についたが、小野と中田の2人だけはボンに残っていたのである。

午後6時、まずは小野が母親、娘、弟とともに店にやってきた。今まではジャージ姿しか見たことがなかったので、短パンにサンダルというラフな服装がやけに新鮮に映った。
小野は店の奥にある席に向かおうとしたが、すでにそこは「予約」というプラスチックの小さな板が置かれている。

「大将、ここ予約が入ってるんだね。誰?」
「8時から、中田くんと事務所の人たち」
「えー!ヒデ来るの?」

こんな短いやりとりにも、代表内の人間関係が垣間見れるようで、食事会に立ち会った者としては意外だった。
小野は中田英寿が来る前に店を出た。

午後8時、入れ替わるようにして、中田が暖簾をくぐった。この日は白い絹のシャツに黄色いスカーフを首にまき、夜なのに黄色のフレームのサングラスをしている。

「まるで雑誌から飛び出てきたような格好でしたよ。昨日ピッチで大泣きしたのが嘘のように、晴れ晴れとした笑顔をしていて」

中田は自分が食べたいものを注文するでもなく、まわりにどんどん食べるのを勧めた。アルコールも手伝って、だんだんと上機嫌になっていく。
「大将!こっちに来ていっしょに飲もうよ」
席へ向かうと、そこには同じ事務所に所属している前園真聖がいた。

上條は前園に訊いた。
「前園くんさあ、マスコミが報道する中田くんと、今の中田くんはどっちが本当なのよ」

実はこの日、上條は不思議な光景を目にしていた。
日本代表の大ファンで、今大会も日本戦を3試合とも観たという日本人の年配の夫婦がカウンターに座っていた。彼らは店に入ってきた中田一行に気がづき、「握手してください」と呼びかけた。
しかし、中田英寿は何も見えてないかのように無視をした。

上條はこれまでに中村や遠藤が快くサインに応じている姿を見ているだけに、驚かされた。あの冷たい彼と、自分の知っている明るい彼は、どっちが本当なのか?
前園は答えた。
「今、話しているヒデが本当だよ」

打ち上げが盛り上がってくると、中田英寿は従業員に頼まれて、いたるところにサインをしまくった。エプロン、ワイシャツの肩、サムライブルーの旗に。
そして、「大将、いっしょに写真を撮ろうよ」と肩を組んできてくれた。
上條は素顔の中田英寿に触れられた気がした。

「彼は自分の大切な何かを守るために、外の世界からは距離を置いているんだと、いまは思います。決して悪気があるわけじゃない」

ただ、ちょっとした会話の中で、プライベートでは気さくに話せる若者が、自分の職業であるサッカーの話になると複雑な一面を見せることがある。
上條はふと「食事会のときは、ここに宮本くんが座っていたよね」と話を振ってみた。
中田英寿は冗談っぽく笑った。
「あいつはダメ」

食事会でふたりが仲良く話していたのを見ているし、別に人間的に嫌いだといっているわけでもなさそうだ。いったい何がダメだというのか。
そのときは発言の真意を測りかねたが、後日、日本で放送された中田の引退特番をビデオで見て合点した。
サッカーのことで、意見がぶつかり合っていたんだ、と。

あの食事会から3ヶ月後。
もうボンの街に、日本代表の青いユニホームを着たサポーターはいない。サポーターと報道陣のための情報基地が置かれていたG-JAMPSはもとの美術館に戻り、日本代表のために約4千万円をかけて改築された練習場も今までどおり市民がスポーツを楽しむ場になっている。

『かみじょう』の店内に、もう日の丸は飾ってなかった。
「いまだにわざわざ日の丸を見にくるお客さんもいるんですけどね。いろんな報道で誤解を生んでしまいましたから・・・・・・」

『かみじょう』は選手だけでなく、報道陣の癒しの場にもなっていたので、編集者やテレビ局の人が大会終了後にたくさんの雑誌やビデオテープを送ってきてくれた。自分が目撃した食事会はあれほどまとまっていたというのに、なぜ不仲説が流れているのか不思議に思い、雑誌を読み漁り、ビデオテープの映像を記憶に留めた。

「少しは問題があったんですかねえ。実際どうだったんでしょうか・・・・・・」

上條は遠くを見つめながら言った。
「もっと早くうちに来てくれれば、良かったんじゃないかなあ。雰囲気がダメになってから来るっていうんじゃ、遅いですよね。負けてから、後がなくなってから来るのではなく、余裕があるうちに来てほしかった。もし次のワールドカップに出られたら、悪い状況になってから何かをするのではなく、もっと早い時期にあの時のようにまとまることのできる場を設けてほしいと思います」

今回のワールドカップにおいて他国の代表に比べて特殊だったのは、あまりにも選手が公にさらされ過ぎていたことだった。すべての練習が公開され、同じホテルに一般客が泊まり、選手だけのプライベートな空間といえるのはそれぞれの部屋くらいだった。

一応、ホテルの地下にリラックスルームは置かれていたが、ほとんど機能していなかったとある選手は告白する。
「リラックスルームにはビデオとかクッキーとかコーヒーが置いてあって、対戦相手のビデオが流れるんです。誰か来るかなと思って待ってるんですけど、食事を終えてから寝るまで誰も姿を見せない。ツネさんは対戦相手を研究しまくってたから、よく来てましたけど」

そんななか、この日本食レストランだけが、チームとしてリラックスできた唯一の場ではなかったのではないか。
もっと早く来ていれば、結果は違ったかもしれない。しかし、もうこのとき、日本代表の時計の歯車は巻き戻すことができないほどにひび割れていたのである。