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所長サンの哲学的投資生活 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2011-10-30

格差についておもうこと。

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ぼくはフィリピンに住んでよくおもうのだけど、
格差をなくす社会 とは、いったいどんな社会なのかな。

ぼくらは、自己のしあわせを追求するために生きていて、それとおなじか次くらいに家族や友人のしあわせを願っています。
その範囲を無限に広げられないのは、社会システムにおいて、
短期的には誰かに富が移動すれば誰かの富が減ることをぼくらは知ってるからだよね。

人類は進歩もするので、長期的には、前時代よりもひとりひとりの富が増えてるけども、
同時代の社会システムを構成する者どうしでは、ひとつの富の総量のなかでぼくらはゼロサムゲームをしてるんだ。

いまの社会システムは貧困層なしでは維持できないことはまぎれもない事実で、
けっきょく、いまの社会システムを維持しながら、課題を解決することに矛盾があって、
矛盾をかかえながら、ぼくらはしあわせになれるひとの範囲を規定するしかない。


池田信夫氏のブログではThe next 4 billion2007の引用をのせていて、
ぼくらの漠然とかんがえる所得価値にズレがあって興味深いので転載します。
The next 4 billion2007によれば、こう規定してます。

高所得層は年収2万ドル
中所得層は年収3千〜2万ドル
BOP層は年収3千ドル以下



これでいくと日本は「富裕層になりたいと願う高所得層」がたくさんいる国なんだね。

世界の富の総量を世界人口で割って、それにたいする所得重心はぼくらの思い込みといちじるしくズレていて、
日本に生まれたということは、それだけでそうとうな既得権益ということがわかります。

かりに年収100万円のかたが日本のなかでしあわせになれないことを嘆いても、
世界では「笑わせるな」とおもうBPO(ベースオブピラミッド)と呼ばれるひとが40億人も存在するワケで、
ぼくらがよくいう富裕層の規定は年収100万ドルとかいうけれど、それって、
先進国に住むぼくらが規定したもので、世界ではごく一部の人間がかんがえる世界観での規定なんだよね。

いまのレートなら、年収150万円で、世界人口重心からみれば高所得層。
日本人のほとんどが、この既得権益を手放して、貧困層をすくうことを格差是正と世界では言うことになりますね。
格差是正をさけぶかたの多くは“是正される側”ということは興味深い現実で、
ピープルパワーというのは、あいまいなもんでもOKだということが解ります。
この場合に大切なのは、すべて正しいことではなくて、変えなきゃいけないものを変えること。

さて、ぼくは格差については、こうかんがえてます。

じぶんがどうするか?だけです。


自己の境遇に不満なら自己を変える。
アフリカがかわいそうだとおもえばなにか行動する。
日本政府の方針に不満があれば、変えさせる努力をする。または日本を選ばない行動をする。

格差について、他人のかんがえをただすことに正義はないので、米国のよくやる他国への干渉は嫌いです。
格差社会は、ぼくにはふたつの仕組みがあるようにみえています。

・利益配分の差
・身分の差



利益配分については、先に書いたようにじぶんが納得するかだけ。
公平なチャレンジができないとおもえば、できるように運動するか、できる地域へいくか。
現実的に効果の高い選択をすべきとはおもいますが。

身分の差については、ヨーロッパ諸国では社会に「ふつうに」制度としてあるので、あまりこれを是正する運動は聞いたことないです。
身分の重い者が、責任も重いということでバランスがとれている?のか知らないけど、
階級制度のない国でも、たとえば社会的な階級だけを糾弾することはあまりないですね。

なので、格差是正とは、つまりは利益をよこせということでしょう。


もちろん努力に見合わない利益しかまわってこないことは、不公平ではあるけど、
世界は、おなじ労力でも対価が等しくないことで、いろんなビジネスが成り立っていて、
いいかわるいかは別にして、日本でぼくらが享受するサービスや製品にもそのギャップトレードの恩恵を受けているのは事実です。

たとえば、フカヒレ目的の乱獲は悪だから、フカヒレ取引きを糾弾し、フカヒレを食べないというかたがいるとします。
それとおなじように、格差は悪だから、その恩恵をうけた途上国でつくられた製品を利用しない、というわけにはいかない。
ぼくらは格差の恩恵を社会のすみずみまで享受しきった生活をしているので、
これを維持したまま格差をなくすことはできないという矛盾をかかえてるんだよね。

で、日本では、こんだけ努力してるのに、就職先がみつからない、とか、
退職金がぼくらの世代はなぜこんなにも低くなるんだ、とか、
いうなれば日本が負けていることに起因する結果について文句をいうのは正しくないんだけど、
ぼくは年金もこうした日本負けのひとつかもなあ、とおもい始めてます。

日本が制度を時代に適応化できないことに問題はあるにしても、
ぼくらひとりひとりが所得を海外からでも引っ張ってこれる甲斐性があれば、日本が負ける要素をつぶしてゆける可能性があるでしょう。
日本をつくっているのは、ぼくらひとりひとりであって、個人が勝てば国家も負けるはずがない。
個人が負けていることに目をつぶっていないか、ぼくらは謙虚になったほうがいいかもしれないよね。
もしみんなが所得を2倍にすることができれば、理論的には人口が半分になったって問題はないんだから。

政府に責任をおしつけることは、もっともかんたんで、かつもっとも効率的ではない手法。
なにが問題か?ではなく、じぶんがなにをできるか?のほうがよほど大切なことだとおもうのです。

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