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所長サンの哲学的投資生活 ( フィリピン攻略篇 ) このページをアンテナに追加 RSSフィード

2012-01-25

中央がだめなら、じゃあ地方から。

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投資家I氏と投資家兼宗教家のK氏が浜松に遊びにきてくれた。
いつものうなぎ屋で白焼きと重を食べる。
次回は西安で報告会しましょう。

さて、橋下さんの大阪から日本を変えるという思考にぼくは賛成だ。
BLOGOSとかはさいきん左巻きがきつくてハシズムキャンペーンをさかんに打ってるんだけど、
マスゴミの仲間入りだ。くだらなすぎてもう見なくなった。

地方から国家を変革する。

この発想はじつは古くから成功率の高い革命の手法で、
日本では、幕末に高杉晋作のクーデターで事実上幕府から長州藩が独立した。
そのあと薩摩と手をくんでやった“討幕”ってのは、ようは、地方都市vs国家の戦争だ。
その結果は国家が負けた。

中国では清朝末、孫文や革命党が武昌で蜂起し、広州や西安などの地方都市をつぎつぎと独立宣言させたのが辛亥革命だ。
事実上崩壊していた清朝はこれで消滅した。
孫文は亡命先の日本から中国の中央政府でなく地方各省へ革命を働きかけた。
革命は地方からおこり成功した。

国家って地方都市の連合で、地方都市が揃って反対したら国家は存在できないんだ。

クーデターっていうと、二・二六や五・一五のように、軍部と結託した勢力が中央をいっきにひっくり返すイメージだけど、
この手法は意外にながつづきしない。

歴史的に、地方が結託して蜂起する手法が成功率が高いのは、民意を得てるかどうかによるのだとおもう。
民意の後押しをうけた勢力にたいして、国家は国家でなくなり、さいごはおかしな為政者だけ残るって構図が多い。


*****


日本の政治家の行動原理はおもしろい。

政権を担当しないと、国民のためにしたいこともできないらしく、
そのためにやることは相手の政権の足をひっぱることだ。

戦国時代なら嫌でもなんでも相手をつぶして誰かがひとつにまとめなきゃいけなかったので、
競合相手をひとつひとつつぶしていくことは最終戦略に適う。いっけん不毛にみえることでもしなきゃいけない。
でも民主政治では競合相手をつぶしてなくすことはできない、ということで意見の集約をしなきゃいけないんだけど、
いまの日本では、誰もが部分最適を主張するから、全体最適がとれないのは明白で、かならず権益を失う側が反発する。

全体最適を決断する方法はただひとつ。

権益を失う側の怨嗟の叫びを黙殺して実行することだ。

それができないから日本はなにも決定できずにいる。

それと、もうひとつ決定できない理由は、何が最適決断なのか政治家だけでなく国民も判りにくくなってることもある。
たとえば、消費税の議論がそう。国家歳入を増やさなきゃいけないのは承知してても、
公務員を減らすなど歳出をカットするほうが優先なのか、またはどっちが有利かなど「答え」なんてないのだ。
この「答え」のないことを決定することが日本人はできない。

いまは答えのない時代なんだ。
だから、決定して行動にかかるときは良いも悪いも評価しにくいわけで、
そんなある意味テキトーでもやってみることが日本人はできないというか、政治家にさせてあげる度量がないのではないか。
政治家の行動のアルゴリズムは支持者がにぎってるんだよ。
決定できない政治家を支えるのは決定できない国民にちがいない。

そんななか、すくなくとも決定できるひとがいて、そのひとりが橋下知事だとおもう。


橋下知事の決定は、良いも悪いもない。
決定することで変化することのほうがいまの日本には貴重な体験で、どんどん景色が変わっているはずだ。
動けば、変わらなかったことまで変わるということをぼくらはとても新鮮に気づいた。
これまでどんだけ日本が動かなかったかということだね。

反対する勢力はなにも動いてほしくないひとたちなんだからほっとけばいい。
動いてほしくないひとたちは、いともかんたんに行動し景色を変えてゆくリーダーを嫌がり、
「ファシズム」という不穏当なことばを使って駆逐しようと必死だけど、
橋下というリーダーは民意に支えられてゆけば、大阪を蜂起の拠点にして国を変えられるかもしれない。

公務員がBLOGOSなどに反橋下キャンペーン記事を投稿するような志の低さは、すでにネット読者は周知のことで、
大々的にレッテルキャンペーンを打つ多くのメディアからも心が離れてとうぜんなんだよね。

「国は意外に地方から変えられるかもしれない」

そう気づいただけでも、大きな進歩であり変化だよね。
でも橋下さんだけでは足りない。
国が変わるときにはもっと人手がいるし、そのためには日本はまだ苦しまなきゃいけないのかもしれない。
理屈で国は変わらない。行動でしか国は変わらないとおもう。

じぶんが勝てる場所なら海外でもいいとおもう。
日本は勝てる人間をすこしでも増やさなきゃいけない。
勝つ努力を放棄して国のせいにするひとは最低限の保障だけうければいい。
ただし、そういうひとは国政に口出しすべきでなく、
国もそういう「すすんで国家の庇護に入るひと」の意見を参考以上に聞くべきじゃない。
親が子どもの言うことをすべて聞き入れたらいったいどんな子ができあがるのか。
消費者の主張をきいて国をひっぱれるワケがない。

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