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所長サンの哲学的投資生活 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2012-04-21

アウトプットから始める意味。

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ぼくはレバーペーストが好きだ。
肉は臭みのあるほうがいい。ふつうの肉に飽きると獣肉や内蔵の臭みがクセになる。

クセといえば、途上国の生活もけっこうクセになるものかもしれない。
ノウハウを積み上げることで明らかにリターンに変化があらわれるからだ。
やるかやらないかでリターンに差がでるので、困難が多いほど中毒性がある。

ハマるためには「いろんなことを自分でやる」必要がある。
語学とおなじで自分がどれだけ「どっぷりつかる」かでしかない。
非効率なことを業者やメイドにやらせる前に、まず自分が非効率の苦しみを味わったほうが発見が多い。
初めからなんでもメイドにやらせるかたもいらっしゃるのだけど、とてももったいないとおもう。
メイドの使い方に熟練するのと引き換えに、歪みを体験する機会を手放してしまうからね。
ルールのちがう国で生活することのなかで、ぼくは不都合なことを日常にしてゆく過程がとくに愉しい。
あたらしい解をみつけるたびに、「またひとつ自由になった」とおもう。

途上国ではいろんなトラブルに出くわす。
フィリピンでよくあるのは、ローカルの仕事能力が低いために起きるトラブルで、
現地生活者のブログにはローカルへの愚痴をつらつらと書くかたもいる。
「あちゃー」で終わらせて、生産的な行動にとりかかればいいけども、みずから解決を拒み後ろ向きに進みたいひともいる。
事業をしてるかたにも否定的な文章ばかり書くかたがいて、「そうまでしてなぜこの国にいるの?」とおもってしまう(笑)けども、
ぼくがいちばん気になるのはそのひとの視点です。
「こうあるべきもの」が「そうならない」ということにカチンときているようで、本人が「善悪」のジャッジをしている。
ビジネスをするのならそんなことにはあまり意味がないでしょう。
当人は「自分がいかに正しくて、相手がどれだけ間違ってるか」を必死に書いてるけども、
誰が正しいかではなく、現実が正しい。


*****


生活空間を移動するというのは、とても刺激的なトレーニングだ。
ずっと同じ場所にいて、ネットや本から知識を得る作業は、その知識がどんなに価値があってもそれはスタディだ。
ともに「学び」にみえるけど、まったくちがう。
いちばんちがうのは、トレーニングにはアウトプットがあることだ。

途上国に住みながら、苦労してでも自分でゼロからやってみることは素晴らしいトレーニングになる。
困難をどう処理するかは、すなわちアウトプットのトレーニングで、
途上国ではまずアウトプットから始めるのが正しい。とぼくはおもってます。
自分の持ってるものを出しきって、それでも通用しないことがあるから、初めて「学び」がある。インプットはそこで生まれる。

さきにインプットすることに意味がないということは、過去のインプットもたいして意味がない。
だからまずアウトプットしてみることで、どこまで通用するかをオンタイムで見切る。
何か足りてない。どんどん変化してるから、足りないことを知ったら、同時にやってしまう。
それが、今のインプット法ではないかな。

途上国での新生活は、初めはいろんな労力がいるけども、ここがもっともトレーニングになるところで、
いくつか国を移動してると、なんとなく自分なりの最適環境づくりができるようになる。
チャンスを求めて積む労力は、やればやるだけ少なくてすむようになる。これもレバレッジでしょう。
機会費用を惜しんではいけないとおもう。
惜しまず、繰り返すことで、結果的には日常生活を送りながら機会費用をほとんどゼロにしてゆく。

アウトプットをすればするほど、インプットになる。
インプットから始める手法は変革期にはむいてない。
アウトプットから始めよう。

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