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所長サンの哲学的投資生活 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2014-05-27

投資は生き方とおもいます。

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投資は行為でなく生き方だとおもうのです。

たとえばぼくの仲間にも、ずっと本を読んでるかたがいる。
暇さえあれば本を買う。毎日数冊買うくらいの勢いです。
いったいぜんぶ読み切れるのか?という心配はまったくしない。
これはぼくも同じ感覚があって、

読まない本は経費。

くらいにおもってるわけです。
タイトルだけ見て、感覚を刺激されたり、
行為を促されたり、なにがしかの発見があればいい。

お金を出して本を買い、そのときは興味があっても、
翌月にはまったく読む気がなくなるものもあるんですが、
これは「タイミングを逃す」勉強をしています。
もっと深読みすると、興味の持ち方が甘かった、とかもある。
逆にすぐ動かなくて正解!とかもある。
それが千円で学べるのならお買い得な投資です。

大切なのは、興味をそそられたとき、
千円出して「ツバをつけれるか?」でしょう。
損するか得するかもわからない。
まあ、お金は減りますが少なくともぼくらは損するとはおもってない。
お金は取り返せる。けれどチャンスは取り返せない。
本を読むのもそういう投資です。

それと。
本と向き合って生きてる感覚は、ぼくは人間にも当てはまる。
ただ、いろんな引き寄せがあるんで、誰もかれもと会うことはしないけど、
会おうと行動するときの費用は投資ですね。
いくらかけても会いたいかたもいる。

本もひともそうだし、
食べ物も。
住む土地も。

なんでも量が途中から質に変化する。
ムダを踏まないと質がよくならない。ムダにも感謝します。
だからちょっとした機会が追い風になったりすることも偶然とおもわなくなる。
まいにち保険をかける生き方では流れとか勢いが判らない。


***


経験的にモノにお金を払うかたはお金が増えない。
体験にお金を払うかたは投資家という「生き方」をしているなあとおもう。
なぜ体験という投資に惜しみなく金をかけられるかというと、
答えは簡単。体験は流用できる。
アイディアだけでお金はあとでいくらでも取り返せる。

投資的生き方においては、体験は客観的でないほうが尚いいとおもう。
主観で問題の設定をしていく。
みんなが肯定しないものが投資。とおもうようにする。
逆にみんなが愉しむものに参加することを消費するといいます。

なので、あまり繋がらない日常がすっきりして気持ちいい。
ぼくが海外に住むのは、単に遮断した日常が好きだからでもあります。
ネイティブでない言語圏に住むと、日常が透明になる。
行動が選べる。想わないと行動しない。
すべての行動に価値をかんがえてやってるわけじゃないけども、
少なくとも日本にいると想わない行動やつきあいがある。
これだけ情報があふれると「捨てる」技術のほうが大事でしょう。
遮断するのは効率的な投資のひとつとかんがえるわけです。

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