言い慣らされてゐる言葉のやうに僕もやはり有りふれた言葉をつげよう。再び出遇はない星に対しては〈アデユ〉を、また遇ふべき星に対しては〈ルヴアル〉を用ひて。(エリアンの感想の断片)

吉本隆明が亡くなった。3月16日の金曜日だそうだ。私が働いているデイサービスの近所の日本医科大学病院に入院していてそこで亡くなったらしい。なにも知らなかった。
吉本さんが亡くなったと知ったのは18日の日曜で副島隆彦の学問道場というホームページの副島隆彦の追悼の文章で知った。一瞬動揺した。吉本さんの思想が生み出されない世界が始まるということに動揺したのだと思う。しかしどうなるものでもない。
わたくし事だが昨日高校時代の友人が昨年末に亡くなっていたということを知った。私は彼をちゃん付けで呼んでいたが、成人になってもちゃん付けで呼んでいたのは彼ともう一人の小学校時代からの友人だけだった。そして二人とも亡くなってしまった。
吉本さんの死とその友人の死で自分のなかの何かが落っこちてしまったような気がする。しかしどうなるものでもない。
吉本隆明の死に対して一読者としての私が言う言葉を探してみたが、心から言えるのはやはり「ありがとうございました」という感謝だと思った。吉本の表現や思想に出会えなかったら、どんなにか生きづらかっただろうとほんとに思う。いや生きづらいのは同じかもしれないが、現実に対して考えるという構えを持つことができるということが、心の苦しみとしては半分解決したようなものだ。その考える構えをもつことを吉本隆明に教わった。吉本が考えたことを追うときに、考えるということが自分を取り巻く社会に対しても、もっと大きく歴史や文化に対しても、また自分の処世の卑小なさまざまな悩みや疑問に対しても、家族や男女の苦しみや喜びに対しても、そしてもっと自分の内奥の心や身体につきまとう不可解さに対しても浸透していくことが分かった。これは吉本さん自身の根本的な感覚なんじゃないかと思うが、自分という存在が赤ん坊のように不可思議な環界にぽつんといて、環界のすべてが異和であるという感覚である。その不可思議な環界はすべて等価に考える対象とならざるをえない。ひとりでゼロから考えるように考えることをせざるをえない。学問の対象だから考えるとか、仕事の対象だから考えるとか、時代の思潮だから考えるということではない。生きていること自体が異和を感じさせてしょうがないからいつのまにか考えているというような感じだ。吉本の本を読むときにだけそういう赤ん坊のようなぽつんとしたあてどのなさに触れることがある。きっとそれが私という一読者の心を癒した。そして自分の根底にある感覚を基にして考えることをすることをするようになったと思う。それがたぶん「自立」ということだ。私は凡庸なにんげんに過ぎないし、吉本の思想にも誤りはあるであろう。しかしそのことはさほど問題ではない。自分を基にして考えることができるという構えを身につけることの重要さに比べればだ。
副島隆彦の追悼文は優れたもので、学問道場というホームページの「重たい掲示板」というところに述べられているから興味のある方は読んでみてください。これが政治的知識人であり、一文筆家、一大衆という立場を守っていくたびも社会現実に立ち向かい敗北を繰返した吉本隆明の姿を描いた一級の文章だと思う。ただ私には政治的知識人であった吉本を描く資格はない。それができるのは政治的支配層から忌避されいじめられ冷飯を喰わされ続けるほど影響力のある政治的な主張を貫いた人物だけだと思う。この世にはそんなにんげんもいる。
昨年の福島の原発事故についての吉本の主張が最後の吉本の社会的主張になったのではないかと思う。それについては前に書いたので触れないが、さすがに吉本の主張の正しさと一貫性は各種の原発論議のなかで群を抜いていた。吉本隆明は思想的に衰えることなく、にじるように這うように進み続けてその人生を終えた。そのことがとても大きい。こういう人生があるのだということを同時代に体験できたことが一読者としての私にとっての宝ものだと思う。その原発問題の主張が載っていた週刊誌で吉本はたしか「原個人」という概念を使っていたと思う。「個」という言葉は吉本がよく使ってきた用語だが、原個人というのは新たに用いた造語だと思う。原個人というのは、その人の育ちや生き様や個人的な感覚のすべてがこもったような個人の概念だと思う。そこに立ちかえって考えることの重要さを語っていた。それがつまり自立という概念なんだと思う。私はなんとなく吉本がいいたかったことがわかる。私の仕事であるデイサービスのなかで下町のおじいさんやおばあさんがやってくる。しわのなかにシミのなかに長い人生がしみこんだような人たちだ。こうした人たちは原個人というような気風をもっている。しかしそんなおじいさんたちおばあさんたちが語ることがすべて原個人的であるわけではない。(それはテレビや新聞で支配層が植えつけた考えにすぎないよ)と思うような考えを述べたりもする。もしもいつかこの世界がましになるとすれば、こうしたおじいさんおばあさんが語るこの世界のすべてに原個人というものが生き生きと投影される世界になることだと思う。吉本はそうした世界を生み出すながいながいたたかいの中で前を向いたまま倒れたのだ。それはかって吉本が賞賛した夏目漱石の生き様と同じものだった。
あ、そうか初期ノートの解説だったんだよね。しまった。アデユというのはフランス語で「さよなら」でしょう。それは知ってるけどルヴァルというのは知らない。たぶん「またね」みたいなことじゃなでしょうか。まあこれはロックの歌手が「イェー」とか「ベイベー」とかいうのと同じで外国語がカッコイイと思ってるんだよな。若いんだからしょうがない。
「母型論」を書く余裕がなくなってしまった。まあでもまた書いてみたいと思います。吉本の思想の展開をもう読めなくなったというのはとても悲しいことだけど、吉本が残してくれた存在の感覚が自分にあるうちは考えることができるはずだから。吉本隆明さん、ありがとうございました。安らかに。