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凍てつきと煌めきの南島

このブログは、奄美大島生まれ鹿児島本土育ちの徳之島二世が、
幼い頃に離れた島とそこに住む人々、そして南国全体について感じる事を綴ってます。


2011-10-03

昔日の奄美における豪雨災害と鹿児島の島んちゅの声

f:id:syomu:20111003115656j:image:left 先週9月25日(日)夜から26日(月)にかけて奄美大島を襲った豪雨災害は、昨年10月下旬の豪雨災害を思い出させるものだった。河川の氾濫やがけ崩れ、床上・床下浸水などが相次ぎ、残念なことに一人の方が亡くなり昨年に引き続き大きな被害の爪痕を残した豪雨災害となった。

徳之島生まれの身内によると、昔から「奄美大島はひと月のうち雨の日が40日もある(冗談交じりの大げさな表現で)」と言うぐらい雨が多いイメージのある島だという。鹿児島奄美会が一昨年2009年末にまとめた鹿児島奄美会誌に大正末、昭和元年の奄美の豪雨災害にふれた記事があるので引用したい。

明治から大正にかけて島からの移動の自由を獲得し、鹿児島に渡った島の人間が島に残っている親族に対する救済を訴える願いが垣間見られる。


大正15年(昭和元年)(1926)

在鹿大島郡人会(鹿児島奄美会)

(大暴風雨の被害状況及び鹿児島県等の救済対策)10月2日

 9月16日夜半から17日に奄美大島全島を襲った台風被害概況は郷土誌奄美大島(10月号)に掲載されている。特に大島本島・徳之島がひどく、風攻め、水攻め、火攻めの大惨害であったと言う。鹿児島県は9月30日対策協議会を開き、救済調査会を設置し、徹底的救済方法を講じることになる。在鹿大島郡人会も10月2日夜、易居町満寿屋旅館(主・名瀬町出身、隆義吉氏)において救援対策方法等協議する。

・巻頭語 郷土の惨禍  郷土誌 奄美大島(10月号)

▽9月16、17夜稀有な大暴風雨は、またもわが奄美大島の全土を襲ふた。火災、水災亦之に伴て、大島本島及徳之島の二ケ島は、到るところ目もあてられぬ惨事が数知らず演じられた。

 塵死溺死者50名、家屋(全壊・7,766、半壊・10,923、焼失・189、流失69)、この農作物をはじめ、宅地、耕地、道路、橋梁、家畜等の流失、破壊等著しき数に上がっている。實に空前の大惨事である。

▽先年の風害の創痍未だ癒わず、加ふるに重要生産物の不振その極に達し、疲弊の叫び天下に普き、わが郷土に又もこの大惨禍ー風攻め、水攻め、火攻め苦しみを與ふ。われ等遠く異郷にありて、不運の同胞が陸に海に不慮の最期を遂げた惨事を聞き、我が揺監の満目荒変り果てた光景を想像して、あまりに恵まれない郷土たるを悲しみ同情の念禁ずるに能ざるものがある。

▽この報畏くも天総に達し、御救恤として御内幣四千圓を下賜された事は天恩無遜、有難き限りある。而して今回の風水火災は、その惨害の未曾有にして、しかも疲弊の叫び高き奄美大島の変事たるがために、社会に強き衝動を与え、県はかって例のない多数(八名)の視察員を急派して視察調査せしめ、鹿児島の両日刊紙は廣く義捐金の募集を企て、又県内県外より相当纏また寄付申込みあり、尚農林省或は政友本党も近く特に調査員を派遣して対策を講ずといふ。われ等は政府及県当局が此際姑息枝葉の小策を弄せず、徹底的復興策を講ぜられたく希望するものである。

▽徹底的方策の内、郡民が馨(注:ママ)を大にして主張する必要ありと認めるものは、應急救済資金は別として、此際、大島国税の全部を以って復興計画を樹てられたく、政府に要望し、以て今日の国費偏重から免れる事である。これは、郡の輿論と、識者の奮起を以ってせば必ずしも不可能でないと信ずる。一方今日の急場を救うがためには、他力に求めると同に、隣保互助の自力を以ってしなければならぬ。吾等は、郡内有志はいふまでもなく、郡の同胞有志が、應分の見舞金を郷党のために提供されんことを希ふものである。

2011-09-25

海果つる島、陸果つる島

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島と言われないシマ、南国土佐を後にして南国鹿児島に戻って参りました。

潮に流されているのか、抗っているのか、南国をあまくまあまくま(島口:あっちこっち)目に入る景色はどこか似ているようで似ていないパラレルワールドを漂っているようです。

昔話の人たちも潮の流れにまかせるままに、時には抗いながら、たどり着いた土地で根を張って生きていたのでしょうか。

南国をキャッチフレーズにしている土地には太陽があり、海があり、気候が温暖で南国らしさが確かにあります。「南国産」にとっては南国ならどこでも生きていけそうな予感がある土地ばかりです。


しかし、土佐の海を眺めていると不安で孤独がありました。なぜ?

なぜなら海の向こうに島がないことをはっきり分かっているからです。

鹿児島に戻ってきて海を眺めてもそのような不安感はありません。海の向こうに島が連なって人が生活していることをはっきりと感じるからでしょうか。

上陸したことのある島はその島の姿が何もない目の前の海から浮かび上がるようです。


島と呼ばれませんが島の姿が目の前に浮かんでくるような鹿児島は、島の始まりでもあり島の終わりの土地ではないでしょうか。

島を考える時に島だけで考えて答えの出る時代は幸せだったのかもしれません。日本も島国ですがやはり島の集合体として単独で生きていくことは現代では出来ません。アジアの大陸の国々との関係、アメリカの大陸との関係、陸との関係を考えることは絶対に必要とされます。

同じような島と陸の関係は世界中にあります。

キューバと北アメリカ大陸、スリランカとインド、韓国と済州島、オーストラリアとタスマニア島、いくらでも探せる気がします。アルゼンチンとフォークランド諸島もそうでしょう。島と陸の関係は需要であるからこそ紛争が起きたわけです。

沖縄の先島は「海果つる」島でありますが、これは海がそこで終わっていることではありません。果てしない望洋とした海が続く始まりの場所であるということです。

同じように鹿児島は「陸果つる島」と言いたくなります。これは海からやって来た人間がこの地にやってきた時に望洋とした果てしない島の終わりでもあり陸の始まりと感じる場所であるという意味です。

望洋とした海の向こうからやって来るニライカナイの神様、望洋とした陸の向こうに目を光らせる鹿児島の土地柄、これはどうでしょうか何か共通していることはあるでしょうか。

南島を考える時に鹿児島はどういう捉え方をすればいいのでしょうか。

シンポジウム南島の文学・民族・歴史

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