本当はアマチュアも無償で商品を作ってはならない

いろいろな条件つきではあるけれど、根本的な部分においては、アマチュアも無償で物を作ってはならないと思う。「プロは無償で商品を作ってはならない」という有村悠さんの問題提起を読みながらそう思った。
有村さんのエントリに対してはさまざまな観点から批判が加えられ、有村さんも「自己批判」エントリを書いている。「プロ」についての議論はひと段落していると言えるだろう。
ここで私はブログで寝言を垂れ流している「文章のアマチュア」としての立場から議論を提起しよう。
有料の同人誌などをつくって配布するときに、印刷にかかった原価だけのような値段のつけかたをすべきではない。不当に高い値段をつける必要はないが、かけた手間に応じて相応の対価を求めるべきだと思う。
文章を書くのにかけた時間を無償としてはならない。「無償で商品をつくってはならない」というのはそういうことである。
なお、ブログはプロモーションなどの他の利益があるときにあえて直接現金はとらず、無償で提供するものであるが、本論とはあまり関係がないので触れない。
ここで私の言うアマチュアという言葉の定義を明らかにしたい。私は流通形態によって形式的に「商業」「インディーズ」などという分類はしない。その代わりにここでは「資本主義の論理で動いており、かつ、実際にその活動によって生計を立てることができている」ということをプロと定義したい。アマチュアはいずれにもあてはまらない存在である。
ちなみに、資本主義の論理で動いているが生計を立てそこなっているのは「ワナビー」(WANNABE=want to be 転じて、なりたいだけの人)であり、資本主義の論理では動いていないにも関わらず、生計を立てることができているのは「(売れっ子)芸術家」であるが、ここでは詳述しない。
対価を求めろといいながら資本主義の論理で動いているのではないのがアマチュアだというのは矛盾しているように見えるかも知れない。しかし、後述のようにそれは矛盾するものではない。そして、この基準で考えてみたほうが、プロとアマの違いをより良く理解できると考えるのである。
「買う人がいないから値段を下げる」という行動は資本主義的な論理である。それは需要と供給のバランスという市場メカニズムに基づくものだからだ。商売の原則としてあまりにもあたりまえのものであるから、それが資本主義の論理であると分からない人もいるかも知れない。
そして、自称アマチュアの人たちが無償でモノを提供するとき、本人の主観はどうあれ、実はこの資本主義の論理に飲み込まれてしまっていると考えられるのである。
道楽でやっているから無償で、あるいは安い値段で提供する──このような物言いはよく聞く。しかし、なぜ趣味や道楽でやっているものは値段が下がるのか。
趣味や道楽でやっているものは商業よりも質が劣るから値段が安くなるという言い方もあるかも知れない。本当に道楽や趣味でやっているものが品質的に劣るのかどうかはともかく、仮に趣味や道楽でやっているものは品質が劣るとしよう。ではなぜ品質が劣るものの値段が下がるのかというと「質の低いものを買う人は少ないから」値段が下がるのだということになる。
すなわち、需要と供給のバランスによって価格が設定されているということである。
自称アマチュアのひとたちは無償かそれに近い形で製作物を提供することで、プロと一線を画していると思うかもしれない。しかし、意識的か無意識的かは知らないが、資本主義の論理に組み込まれてしまった人たちを、本当のアマチュアとは呼びたくない。
労働の対価を求めるのは、プロ、アマを問わず当然の行為である。それは資本主義とは直接関係がない。
共産主義は生産手段の共有によって資本家による搾取を防ごうと考えるが、労働の対価そのものを否定しているものではない。無償での奉仕を善とするのは、なにかの宗教である。
ではプロとアマの違いなんだろうか。それは、労働の対価を求めた結果として、それを実際に得られるかどうか、そしてそれで生計を立てていける金額に達するかどうかの違いである。すなわち、プロとアマはその結果において異なっているのであって、行為において違うのではない。アマチュアが時間をかけて物を作ったのなら、その労働時間に見合った分の値段をつけるべきである。
値段をつけた結果、売れなかったら苦しいかも知れない。痛みを感じるかも知れない。しかし、そうすることでしか、なにかを生み出すことの喜びが生まれないのではないかと思う。
自分が製作したものを有償提供するインフラは整っている。それはコミックマーケットコミケ)などのイベントである。コミケにおいては、漫画のみならずさまざまな自主制作物を出品することができる。「情報・評論」というジャンルで評論誌を販売している事例もある。
コミケへの出展は、自分で出版社を起業して書店に営業周りして……という苦労をせず、はるかに簡単に製作物を販売することができる。動画や音楽ならCD―ROMに焼いて販売する。
また、コミケによらず、インターネットをつかって通信販売をするということもできるだろう。
残念なことに2ちゃんねるニコニコ動画などは資本主義の論理によって動いている。以前のエントリで書いたように「疎外」から解放することも可能であるが、ひろゆき達による「搾取」の構図はそう簡単には崩れないだろう。2ちゃんねるは、大量の人が集まることで談論風発、そしてネタを触発するインフラである。これを握っているひろゆきは強い。
いっそのこと、2ちゃんねるコテハンをつかって宣伝・営業をする場だと割り切ってしまったほうが気分が良いかも知れない。
さて、結論をまとめる。アマチュアだからといって対価を求めないという姿勢はやめよう。自分がかけた製作時間に応じて値段をつけ、売ることによって対価を得るという構えを見せよう。そうやっても生計を立てられるほどのお金を得ることはできない。それがアマチュアだ。そこで売ろうとして資本主義のルールに乗っかり、安い値段で製作物を提供してはならない。

関連エントリ


プロは無償で商品を作ってはならない 三浦健太郎氏がイラスト作成を無料で引き受けたことに対する有村悠さんの批判。

自己批判してみるよ 上記エントリに対する批判を受けて書かれたもの。

「嫌儲」と「疎外されたネタ生産」 2ちゃんねるなどの出版では、参加者が「疎外」されているとする、俺のエントリ。