心の病が治る、ということ 「セラピスト」最相葉月を読んでみた

セラピスト

セラピスト

ある読書会の課題図書でこの本を読んだ。

精神疾患になる、そしてそれが治癒するってどういうことなんだろう、
と思いながら頁をめくっていった。

しかし精神疾患の治療の歴史と、箱庭療法、絵画療法が順番に説明されるだけで
なかなか「治癒すること」の本質が見えてこない。

そうするうちに時代の変化につれ、精神疾患の現れ方や治療も変わって来たこと
いまは行動療法中心であることが語られる。

そして最終的には著者自身が病だった、という形で話が収束される。

8人ほどで話しながら、ほぼ全員が「2/3ほど読んだところで、読み進めなくなった」
と言った。

著者自身が、書いていくうちに目的を見失ってしまったような気がする。

心、という目に見えないものが病む、ということは本当に捉えどころが無い。
病む人自身が自己治癒する過程を、セラピストと共有することが治療そのものになる。


どんな人でも心が病気になる可能性がある。
だからその治癒過程を理解したかった。

でもそんな風に簡単に原因と結果の因果関係がわかるほど、
心もその病も単純なものではない、ということを知った本書であった。

小僧のLINE教室 最速のコミュニケーションツールを手に入れた私達


LINEの便利さを聞いたのは、
出井(元)ソニー社長の講演での事でした。
2012年だったと思います。

LINEを開発したのがソニーを独立した元社員であること、
東日本大震災のときにもっと早くより簡単につながる手段を、
という発想から開発されたという話を聞いて、
なるほどそれは使ってみなければ
と思ったのでした。

私には16歳の甥がいます。
とっととスマホに変えたこの小僧おかげで、随分鍛えられました。
何しろもたもた入力していると「遅っ!!」
と言われるからです。
その結果、体感したこと。

●とにかくレスポンスが早い

宛先指定して、文字入力して、送信ボタン押して、
といった段階的な手順を踏むことなく
内容が行き交います。
ほとんどチャットです。

「送信」をタップすると同時に届く。
そして瞬時に返信が来ます。
こちらのメッセージが既読表示になるので
相手が読んだことが直ぐに分かります。


●スタンプは表意文字

更にコミュニケーションを早くするのがスタンプ。
絵文字より表現力の大きいスタンプで
言葉数より多くの感情を伝えることも出来る。

漢字と同様、表現力の大きな表意文字として
機能します。


●メールは郵便、LINEは会話

こうやってLINEを使っていくと
以前使っていたメールは
ほとんど郵便と変わらないのでは、と感じてしまいます。

手紙を書いて、
封をして、切手貼って、投函して相手に届く。

相手は開封して、読んで、返事を書く。
これが電子的に行われていくのが旧来のメール。

LINEはより会話に近いです。
オンデマンドな会話ツールと言えます。


●これだけ早いコミュニケーションツールがあると

これだけスピード感のあるツールがあると
コミュニケーションの仕方大きく変わる気がします。

豪雨からの避難にいち早く役立ったという話や
高齢者の見守りツール利用から、犯罪に使われるケースまで。

しかし今更LINEの無い時代には戻らないでしょう。
功罪はさておき、一度手に入れた便利さは無くならない。

そんなことより記的に感じるのは、
いまだ旧態依然とした意思決定方法に依存する、
企業経営層の感覚のマヒです。

紙にいっぱいハンコを押すことで、権限の誇示や責任の回避にいそしむ。
社内の意思決定なんて、電子的にフローまわせば十分なんです。
でもそれをしない。

小僧に「遅い!!」と鍛えられて、
スピードをもったコミュニケーションを体験すると
もはやこの早さが世の中の常識になりつつあるのだ、
と認識せずにはいられません。

拝啓、上野千鶴子様  そしてご家族介護中の皆さまへ


そのとき、私が感じていたのは孤独でした 。

今年の夏休みは何もしませんでした。
ずっと実家の家事と母の世話をしていたからです。

用事はあれこれ済ませました。
暑い中我慢していた伸びた髪を切ったし
加圧トレーニングに行って、1時間あまり走ったし
前のWI-FIルーターの解約もしたし
銀行にも行きました。

夏休み中に済ませなければ、と
リマインダーにメモしていたタスクは
ほぼ終わりました。

大物の洗濯もしたし
毎日、母が生協で買いこんだ食材を減らすべく
色々料理もしたし、
いずれも両親は喜んで食べました。
普段はレトルトとか、冷凍食品とか
なんだかおいしくない半調理品を
食べていることが多いのです。

猛暑の中、体力を維持すべく
きちんとしたご飯を食べさせたかった。
だから目的は果たしました。

しかし。
私が手を動かさない限り、家のことは何も進みません。
休みも終わりかけたある夕方、
スーパーの買物の帰り、18時半頃でしたでしょうか。



今帰っても、何も夕飯の支度は出来ていないんだなあ
と思ったらなんだか途方にくれた気分になりました。

誰ともこの気持ちを共有できない。
誰も助けてくれない。

呼吸不全から復活して帰って来た母にも
病院通いから、人工呼吸器の切り替えまで
毎日まめに面倒見てくれる父にも
感謝しています。
何の不満もありません。
せめて自分が出来ることはやって
2人を楽にしたいと、そう思っています。

もっと過酷な介護をしている方はたくさんいるし
そうしたご家族と比較すれば、
意識もあって自分でトイレにも行ける母の介護は
そう重い負担ではないのも認識しています。


でも、孤独なのです。
誰も助けてくれない。
長女である自分ひとりにかかる負荷を理解したり
軽くしてくれる人がいない。

夕方の空を見ながら、
知り合い2人にメールしました。
何のことはない、近況メールです。
2人に、「元気ですか」と送信しました。

頑張っても何かが変わることはない、
いつかは1人になる。
自分のことを何もしていない。

そんな、諦めと、焦りと、虚しさと。
そうした感情が入り混じっての孤独感は
なんとも救いようがない、
そんな夏休みでした。

上野千鶴子が聞く  小笠原先生、ひとりで家で死ねますか?

上野千鶴子が聞く 小笠原先生、ひとりで家で死ねますか?

人生相談三連発 「オタクの息子に悩んでます」「身の下相談にお答えします」「女の絶望」

オタクの息子に悩んでます 朝日新聞「悩みのるつぼ」より (幻冬舎新書)

オタクの息子に悩んでます 朝日新聞「悩みのるつぼ」より (幻冬舎新書)

うちの部署の新人ほかに
「考える技術を学べ」と読ませた
「オタクの息子に悩んでいます」。
大ウケでした。目からうろこが落ちる、
膝を打つ回答とはこのこと。
賢く、暖かく、
「読者と同じ温度の風呂に入る」
名回答の数々。

本書は言わずと知れた朝日新聞の人生相談。
本書に掲載された回答以外にも、
岡田斗志夫氏のホームページで、
順次、紙面掲載の悩み相談が読めます。
FREEexなう。 朝日新聞・悩みのるつぼ


しかし。
人生相談の名手は他にもいます。
同じく、朝日新聞の回答者、上野千鶴子氏。
岡田氏のライバルですね。

これはもう、何と言うか、
何歳になっても人間の悩みというのは
変わらないんだなあ、と「人類不変の法則」
に、唸らされるような悩み事ばかりなんです。

「既婚女性とやばい感じです」
「妻のカラダに触れたいのに」
「33年前に別れた恋人と再会し」
「家庭外で好きな人がいても寂しい」

それに対する上野先生のお答え。
「トキメキや性欲はたしかに人生の醍醐味の
1つです。ただし、そのコストは高くつきます。
その覚悟があるのなら、
いまから人生を味わいつくそうと思っても
決して遅くはありません」

なんと素敵なお答えじゃありませんか。


女の絶望 (光文社文庫)

女の絶望 (光文社文庫)

こちらは遠くカリフォルニアと熊本を、
親の介護のために往復していた
詩人の伊藤比呂美氏が
西日本新聞で連載していた人生相談。

こちらもより深刻な親と子、男と女の問題に
じわっと分け入った名回答の数々。

親の介護、夫との関係、子供との関係に
翻弄され、その負荷を一身に背負う
女性の心と体の相談に、
心の奥まで分け入って答えた
身につまされるものばかりです。
生きていくっていう事は本当に重くて
大変なんだ、とその重量感に涙します。
年を経るほどますます重くなる。

それにしても。
どんなにネットが発達しようが
ガジェットが発達しようが、
LINEが便利だろうが
男と女の関係は、親と子の関係は、
変わらないんだなあ・・・

まーくん。ピンポン。あまちゃん。に見る二人の運命の逆転劇

2006年夏。甲子園の勝者は斎藤君だった。
決勝引き分け再試合を制したマウンド上のエースは、
人生の勝者に見えた。
最後の打席で三振を喫した田中投手は、さわやかな笑顔で
準優勝チームの選手の列に並んだ。

あれから7年後の夏。
それぞれプロ野球の選手となった2人だが
プロとしての成績は、高校時代とは対照的になった。

田中投手はプロ野球新記録となる16連勝をあげ、
斎藤選手はケガからの復帰戦となる2軍の試合で
7失点という結果に終わった。

互いに切磋琢磨するライバルがいて
力を磨き、観客を魅了する名試合が成立する。

そのとき、一旦は着いたかにみえた力の勝負が
時として逆転するのは、皮肉なものだ。

ピンポン (1) (Big spirits comics special)

ピンポン (1) (Big spirits comics special)

映画にもなった松本大洋の「ピンポン」にも
宿命のライバルが登場する。

幼馴染の星野裕(ペコ)と月本誠(スマイル)。
幼いころから卓球の才能を誇るペコと、
いじめられっ子でペコに守られてきてたスマイル。

そのスマイルがちょっとしたきっかけで卓球を始め
才能を伸ばしていく。
仲の良かった二人の関係が卓球の才能の逆転によって
思いがけない変化に晒される。
自分が守る側だと思っていたペコが、スマイルの卓球の才能に
追い詰められていくのだ。

あまちゃん」の主人公2人も
運命の逆転に晒される。
素朴でひっぱられる側だった「アキ」が東京にでてアイドルを目指し
自他共に可愛さを認める、上昇志向の強かった「ユイ」が
父の病気と母の失踪で三陸に留まり、海女になることを選択する。

運命の二人がその後どんな人生を歩むのか。
三者からみるとドラマティックなストーリーにしか感じられない。

しかし当人たちにとっては、
それだけ存在感の大きい、自分の人生に影響する他者がいる、
ということは限りなく豊かな人生の源泉になることだと思う。

他人がどちらが勝った負けたと、
とやかく云う事ではないのだろう。

夏休みの男の子

私が通勤で使う地下鉄は、ラッシュ時の乗車率が200%近い。
うっかり変な所に動ていくと、息が苦しいくらいの最悪な状況になる。

ある8月の朝、そんな電車の出入り口近くに
小学生の男の子が一人、手すりにつかまって立っていた。
野球帽をかぶり、背中にリュックサック、
片手にはお菓子のはいった紙袋を下げている、
小学4年生くらいの男の子。

1人で電車に乗って、おじいちゃんちに行くんだなあ。
かわいいなあ。えらいなあ。

しかし、何しろ大人でさえ過酷な通勤電車だ。
横に立っていた私は、まずいなと思った。

案の定、途中で男の子は乗ってくる大人たちに360度囲まれて
ミツバチに囲まれたスズメバチみたいになってしまった。
(ミツバチはスズメバチに襲われると、多数の集団で
取り巻いて熱死させる)

大丈夫かなあ。パニックだろうなあ。
と思っていたら、若干の乗客が降りる駅で、
奇跡的に私の前の席が1つ空いた。

私は席を確保しつつ、
背後にいた男の子を引っ張り出し、
背中を押して座席に座らせた。

彼はちょっと会釈する様子を見せて座った。

やれやれ、これで大丈夫だろう、と思ったのもつかの間、
あっというまに彼は船を漕ぎだすと
頭をがっくり落として寝入ってしまった。

これは困った。
もう数駅で私は降りる。
眠ってて乗り越さないのか。

どこで降りるか聞いてみようか。
しかし誘拐だと思われてもなあ。
個人情報保護の時代だし。

結局私は彼を起こさず、乗り換え駅で降りた。
多分途中の通勤客が乗降する駅より、先の駅にいくのだろう。
そこには東京の西側、人気の住宅地がある。

それともどこかで乗り換えなきゃいけなかっただろうか。
無事おじいちゃんちに着けたかなあ。

8月に通勤電車に乗っていると
この男の子のことを、時々思いだす。
生意気盛りのうちの甥の姿と重なるのだ。