梅雨(つゆ)という言いかたは、もとは西日本の方言だったのだ/台湾の梅雨とバナナ。芭蕉野分して盥に雨を聞く夜かな。

 まだ梅雨があけないらしい。はやくすっきりと夏になってほしいもんである。
 梅雨イメージ図(先週のハマスタ
 ところで、自分は二十数年前に生まれてからほぼずっと神奈川県東部にすんでいて、両親の実家は東京都南部である。そして思うんだけど、このへんの人は今の雨の時期のことを、さいきんはみんな「梅雨(つゆ)ですねえ」というふうに言うけど、自分が小さいころは、入梅(にゅうばい)ですねえ」または「梅雨(ばいう)ですねえ」という大人が圧倒的に多かったような気がするのだ。
 この場合の「入梅」というのは「梅雨に入った」という意味合いではなくて、雨季がおわる今ごろの時期でも「まだ入梅がぬけませんねえ」というように、季節全体をさす言葉として使われていたように思う。自分の幼稚園や小学校時代の先生、クラスメイトの家族の大人も梅雨のことを「にゅうばい」や「ばいう」と言っていたし、いまでもある程度以上の年齢の地元のひとは、近所の人やお店などの人、いわんや自分の親や親類のなかにも、そういう人が多い。そして、この「入梅」や「梅雨」は、「梅(ばい)」の字に「黴(ばい)」という字をあてていたふしのある人も、割といた気がする。
 しかし「入梅」というのは、本来は雑節のひとつで、大辞林によると、7月19日のエントリー的に表現すれば「太陽の黄経が80度のとき」らしいんである。今年の太陽黄経が80度に達したのは気象庁のサイトによれば日本標準時の6月11日15時54分で、いっぽう実際の(日本標準時だから近畿地方の)梅雨入りは6月14日だったらしい。三日ぐらいずれているけど、大体そんなもんなんだろう。とにかく「入梅」といったら、漢語的にはこのへんの時期をさす言葉のはずだと思う。
 そんなことを思いながらさっき大辞林をみていたら、なんと「入梅」の項には以下のような記述もあるのを見つけた。

にゅうばい【入梅
(1)雑節の一。太陽黄経が八〇度に達した時。暦の上で梅雨期に入る日で、六月一一日頃。また、梅雨(つゆ)の季節になること。つゆいり。→出梅 [季]夏。(2)梅雨期を表す、東日本での言い方。

 うわーやっぱり! と、意味はないけどなんだか無性にうれしいw。やっぱり東京というか関東地方の方言では、「梅雨」を「つゆ」とは発音しないのだ。「つゆ」という読み方は、きっと大阪や京都かどこかの「上品ではんなりぃ」としたことばなんだぜ。うんうん。
 喜んでぐぐっていたら、以下のようなページまでみつけた。

[16555] 2003 年 6 月 10 日 (火) 00:43:54 Issie さん
(略)終点の鉾田から鹿島までは北浦沿いに走る路線バスに乗ったのですが,鉾田で乗り合わせた地元のお婆さん,運転手に「もうすぐニューバイだから…」などと話していました。
ニューバイ…,漢字で書くと「入梅」となるのですが,この言葉を生で耳にしたのは初めてでした。「つゆ(梅雨)」という表現が(たぶんマスコミを通じて)一般化するまで,関東地方では「にゅうばい(入梅)」という方が普通だった,と聞いたことはあるのですけどね。(略)
[16590] 2003 年 6 月 10 日 (火) 22:49:11 ken さん
(略)いや,どうも東日本方言では「ニューバイ」が“雨季そのもの”,つまり“イコール梅雨”という用法だったらしいのですよ。
徳川宗賢先生の日本の方言地図を久しぶりに引っ張り出しましたが、梅雨を何というか

で、基本的に愛知以東の東日本方言は「ニューバイ」なのですが、標準語は西日本方言のツユが採用されてています。
徳川先生はこのことについて、関東・東京でも方言レベルではニューバイであったが、「梅雨」そのもののことを指して使っているが、文字は「入梅」である意識もあって、本来「梅雨入り」のことなのではないか、という意識が根底のどこかにあったのではないか。
その意識が西日本方言形であるツユを標準語として、受け入れる素地となったのではないか、と分析されています。
東海から和歌山・三重南部のツイリも、本来ツユイリから来ているものであろう、されています。
また、この分布からはツユが古形でニューバイが新たに出来たものかどうかは特定できないが、一般的な「長い雨」を意味するナガメ・ナガアメが東北と南西諸島に分布していることから、少なくとも、ナガメ・ナガアメが古形で、ツユ・ニューバイが新しいことは想像できるとしています。(略)
http://uub.jp/arc/arc.cgi?N=418

 そういうわけだったのか! ちなみに自分の曽祖父は鹿児島の出身なんだけど、いまでも鹿児島の親類は、たしかに梅雨のことを「ながし」という。たぶん「流すぜ/流れるぜ!」というような意味なんだと思う。いちど梅雨の時期に鹿児島の親類のところへ行く予定があったんだけど、「今日雨で空港がながれたこつ、来らんとよかとー」というおそろしい電話をもらってビビりまくりつつ中止にしたことがあるし、id:TERRAZIさんは鹿児島のかたらしいんだけど、なんだか雨がものすごそうだ。豪雨地帯のかたの毎年のご息災を願うばかりである。
 台湾にも梅雨(メイユウ)があるんだけど、もうそれは梅雨というよりはスコールだ。自分がいた台北でさえ、毎日がバケツをひっくりかえしたような大雨だったんだけど、南部の高雄のほうなどでは、台風でもきたのかというような雨が連日にわたって降りまくるらしい。シトシトとしずかな雨音の風情にアジサイを愛で……とかいうどころではない。じっさい、台北にも日本から移入されたアジサイがあちこちに植わっているんだけど、あまりにも猛烈な六月の雨の勢いに、ほとんどの花が咲くどころではなく散ってしまっていた。そして、台湾の梅雨の時期には、その雨と伯仲のいきおいをほこる暑さと日射しの中に、ものすごい勢いでバナナが育つ。首都のまんなかにある大学や会社の構内や人んちの庭さきに、黄色いりっぱなバナナがバーンとたわわに実っているのだ。日本の人は、雨季にはゆっくりとした雨音をききながら心静かに軒下のアジサイの色うつりを楽しむけれど、台湾の人はお祭りのような豪雨の音に血わき肉をおどらせながら、庭先のバナナの青から黄色への色がわりを愛でる。これは自分にとっては、とても楽しい経験だった。なにしろアジサイと違って、バナナは黄色くなれば、とってきておいしく食えるんである。
 台湾のバナナはものすごく甘くておいしいので、もしもバナナがだいすきな横浜ベイスターズの金城選手か日本ハムファイターズセギノール選手が台湾を訪れたならば、喜びのあまりホームランを打ちまくってくれるにちがいないなあ。郭泰源郭源治は、完熟バナナをたべたから強いピッチャーになったのかなあ。台湾ではバナナのことを香蕉というので、松尾芭蕉がもし台湾人だったら松尾バナナだな。とか、バナナの木のうしろに見える台北野球場を雨がたたきつける蒸し暑いバスの窓からみながら、梅雨のときはいつもそんなことをぼんやりと考えていた。
 芭蕉野分して盥に雨を聞く夜かな 松尾芭蕉

三国時代の呉にもバナナがあった(7月30日追記)

 上の記事について、吉本芭蕉(ryさんから以下のようなことを教えていただいた。いつもありがとうございます!

吉本芭蕉 『すみません、嘘です。いつもの長文の人です。
今回も超長文ですいません。


ほうほう、と思いつつバナナについて調べていたら
品種とかいろいろややこしくて、ど壷にはまりました。


とりあえずわかったことは、
現在の日本では、食用に適さない物は「芭蕉
食用の種類を「バナナ」と呼んでいるようですが、
中国の古い時代での「香蕉」こと「バナナ」の呼称は、
「甘蕉」・「芭蕉」の名称が混用されて、
現代日本のように実が食用できるかどうかで区別はしていないようですね
(「甘蕉」の方は実が甘いことから来た名前だと思うけれど)


芭蕉自体はかなり古くから中国に知られていたようですが、
バナナとして食用されたのはいつ頃から記述があるのか調べようとしましたが
異名・出典が多くて調べきれずに断念。
とりあえず目に付いた物としては


三国志》呉志・士燮伝に
燮毎遣使詣權、(中略)、奇物異果、蕉・邪・龍眼之屬、無歳不至。
とあり、交州(現ベトナム)を治めた士燮が毎年孫権に蕉・邪・龍眼之屬を
送ったとの記述がありますが、奇物『異果』とあって、龍眼と並び称されているからには
ここの蕉は果物としてのバナナの可能性が高いんじゃないでしょうか


また竹林の七賢のケイ康の孫にあたる、晋のケイ含の『南方草木状』という書物に
芭蕉・バナナの詳細な記録があり、


甘蕉…、(中略)、著茎末百餘子、大各爲房、相連累。甜美、亦可蜜蔵。
(中略)、一名「芭蕉」、或曰「巴苴」。剥其子上皮、色黄白、味似葡萄而脆、
亦療飢。(中略)、交・廣倶有之。(句読が間違ってたらごめん)


実の皮を剥いたら黄白色なんて、まんま現代のバナナですよね。
ちゃんと甘いようですし。
バナナという横文字から古代中国には関係ないもんだと思っていたけど、
三国時代でも少なくとも呉の人間ならバナナを食えたかもしれませんね』 (2007/07/28 04:11)

syulan 『うはwwありがとうございます!


へえー! むかしの中国の人もバナナを食べていたんですね。
バナナは実芭蕉ともいうらしくて、漢語ではあまり芭蕉と区別されていないみたいですね。
孫権三国時代の呉の重臣たちは、貢物のバナナをよろこんで食べていたんでしょうかw。


ケイ康の孫というと、忠義息子のケイ紹の息子ですね。
いっぱい実が房になって甘くて、皮をむくとうす黄色くて、
ブドウに似た味だけどもっと脆くて、食うと腹がふくれるなんて、
まるっきりバナナですね! すごい。
東晋の時代から、バナナの皮にすべってころんだ中国人もいたんでしょうかw。』 (2007/07/30 17:53)

 さらに追加して教えて頂いた(7月31日追記、一部略)。ありがとうございます!

吉本芭蕉 『ケイ含はケイ紹の従子(甥)で、
ケイ紹の子供ではないみたいです
(略)』 (2007/07/31 02:48)

syulan 『ありがとうございます!
ケイ含さんは、ケイ紹の甥なのですね。


Wikipediaのバショウの項(http://en.wikipedia.org/wiki/Musa_%28genus%29)をみてみたら、
バショウ(Musa basjoo)は「もっとも耐寒性があり、食えないバナナの一種」という扱いみたいですね。
英語だとa plantainかa (japanese) banana plantという名で、どちらもバナナの一種という扱いになるので、
松尾芭蕉英語圏にいったら、本格的に「松尾バナナ」になるっぽいですねw。
(略)』 (2007/07/31 03:18)