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2016-02-09 (Tue)

あくるひ



面白い人が上に立たないとこうも面白みが減ってしまうのか。

体感で面白いと言えない、周りの意見を聞いてしか面白いと言えない、お前の言葉はどこなんだ?な面白いとはとても言えない人が上に立ってしまうと、こうなってしまうのか。面白いが面白いなら面黒いは面白くないのか。ゲシュタルト崩壊気味。松崎しげるに失礼だ。



100の言葉を並べて、様々な語彙力披露してもそこはかとなく漂ってくる薄っぺらさ。色を表現したいと思った時に16色や256色では足りないと思って、例えば16,777,216色の名称を頭に叩きこんだとしても、ある名称を言った時に相手がその名称のRGB(YMCK)の値と色彩を知らなければその名称の意味は消失してしまう。どこまで相手に合わせてあげれば良いの?という事になるが、水準は引き上げるべきだし、伝えたいなら引き下げるべきでもある。折衷案、どこに置いておくべきか、時代と共に考えて行きたいですね。



石に刻むのが一番残りやすいからと、脈々と続く古豪達はそうしてきたのだけど、実は他の記憶媒体にも残してきたのではないかという仮定。世に蔓延するHDDやらは電気と読み取る仕組みがなければただのハードなディスクな訳で、神義などに使われたと言われる銅鏡と変わりない。つまりは銅鏡はデコレーションメモリデバイスだった可能性が微レ存。銅鏡に限らず植物昆虫やらも記憶媒体関連の具現化に近いものがある。大規模循環の一部に属している物はメモリデバイス関連の具象化であるとも言える。かなり後半ふわっとした文になってしまった。発想の末端は霞みがかっているものだと思う。…前も似た事を書いたな。



ある程度の年月が経ってくると、それまでの蓄積を再確認したくなって一箇所に集約したくなるのだが、長続きした試しがない。何故出来ないかって、それまでの蓄積の底の方を忘れてしまっている事が多いからだ。思い出す労力というのは想像以上に身体を削る。蓄積の大地に広がる原風景は忘れようもないが、生える一本一本の草を全て把握するには記憶力がいくらあっても足りない。その時その時の出会いの衝撃を絶えず書けたなら蓄積も多少は可能なのだけれどもなかなか難しい。書く事が許されない状況もある。過去の全てを掘り出して書き出すには有り余る時間という最大価値の至宝を手にしなければいけないので、まだまだ自分には到底手の届かない代物で。そして、また時を重ねて蓄積が増えてしまって掘り起こすのに時間がかかる様になり…平衡点に到達するのはいつの事になるのやら。



スカーフェイスの途中で外出してしまったので続きを観なくては…と思いつつ夢想にふけてたらこんな時間になってしまった。やってしまった。


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2015-11-30 (Mon)

意味消失

少しずつ発信していこう。そう書いた過去もありました。それから一年という長くてかけがえのない月日が黙り込んだまま過ぎ去って、自分は気付けばただの口だけ野郎へと成り下がっていたのです。しかし、そこには何の驚きもない、しょうもない理由がありました。天啓、いや天恵と言った方が良い、若かりし頃にありふれていた、そこいら中に転がっていたソレは、眠って起きて、眠って起きてを繰り返す内に、余計なお世話をしてくれている妖精さんにどこかへ片付けられてしまいました。気付けば周りは、何の反応もない、平穏で静寂、面白味の欠片もない、ただただ荒れ果てた平野が広がるのみ。わずかに生えたぺんぺん草が惜しいと執着し、吐き出す事もなく沈黙していたのでした。


前段の迷い、全くしょうもない旅行先で女流作家の書物資料を見て、そう思った。嘘と本当を混ぜつつ、その時々の心情や情勢を綴った、至極明解で直情な文字列旅行記の面白さ。こういうもので良いのだと、こねくり回した単語は別に要らないのだと、すんなり思えた。


暗室があった小屋はとっくに壊されてしまった。無くなる前は物置倉庫になっていたが、銀塩写真現像していた部屋はその面影がひっそりと残っていた。感光しない為のオンボロライトだったり、液に浸す為のソレだったり。技術が引き継がれた訳でもないので、その名前もパッとは出てこない。惜しい事をした、本当に。


ある時、庭先に分厚い凝った装丁のやや薄汚れた和洋画集がたくさん散らばっているのを見つけた。あまりに乱雑に置かれていたものだから、初めはこれらが本だとは気付けなかった。何でこんな扱いを……と困惑しながら、油絵浮世絵水彩画……様々な種類の絵が載っている書物の山をかき分ける少年。こんな本がこの家にもあったんだ……と驚きを隠せなかった。家のどこに、どの本があるのか、完璧に把握している……!と思い込んでいる井の中の蛙くんだったからだ。ガラスで閉め切られた書棚が全ての英知だと思っていた近視眼的少年だった。

まぁ、蛙少年の視野の狭さはどうでもよい事として、なぜ和洋画集が散らばっていたのかというと、その理由は……まぁ脱力もので、捨てるからとりあえず出した……だそうな。至極明解だった。引っ張る話でもない。……にしては勿体無い気もするが。勿体無い。そしてそのまま紙の束は燃えるゴミへと消えた。


怠惰が度を過ぎると隠居暮らし夢想が始まる。今のここは騒々しいし画一的で面白味のない風景だ。絵や映像に観た知らない土地に想いを馳せるのも結構だが、実際に足を運んで、その地域空気雰囲気を肌で感じ取るのが一番良い。そういう目的も込み込みで旅行に繰り出す。不純である。省みる気持ちもないが。

いろいろ巡り巡って求めているのは刺激と静寂と両立した土地だ。刺激といってもアドレナリン、ドバーッ!な快楽ではなく、創造(想像)感性を刺激する、これ見よがしな圧倒的個性だ。静けさのみではそのまま沈んで上がって来れない。

静寂もただ静かであればいいという訳では無い。圧倒的個性が有無を言わせないくらいの統一感を出した結果生じた凜とした佇まい。その空気感自分の求めている自然が合致した土地こそ、怠惰夢想の果てに辿り着いた隠居候補地である。極めて不純だ。楽しい夢想だ。

そういう旅行を重ねた結果、ダメ思想の終着点候補地を数箇所見つける事が出来ている現状である。これからも探したい。


一つ前にそこにあった建物を思い出す遊び。当たり前が建て替わって新しい当たり前になって一つ前の当たり前は記憶から消える。知っている者同士があーでもないこーでもないと語り合って、そのうち思い出して、それで別に何かが変わる訳でもないのだけれど。青空駐輪場家電量販店に。ラーメン屋居酒屋に。営業所ワンルームマンションに。ゲームセンターカラオケ屋に。本屋寿司屋に。駄菓子屋クリーニングショップに。古着屋がペットホテルに。ガソリンスタンド介護施設に。工場アウトレットモールに。たまには昔を思い出すのも良い。それで何かが変わる訳でもないのだけれど。戻って来る訳でもないのだけれど。

2014-12-29 (Mon)

誰の為の金かと沈黙を解いて開口一番言葉にする

沈黙は金なり、と誰かが言ったが、黙ってただ眺めていたら、気付けば声が届かなくなっていて、霞がかった存在に成り果て、干渉するものもいなくなっていた。言葉にするのが惜しくなるほど愛おしいものも見えなくなっていた。沈黙して言葉は消えて、気力も心も同時に消えた、と後から気付いたのだった。


良いところ探しを続けるあの人たちも、どうしようもない状況に嫌気がさして、もういいやって両の手を離してしまいそうで、沈黙しつつ応援している自分は、切っ先に立つあの人たちの背中を(文字通り)押してしまっているのではないかと不安になる。実のない言葉の応援で生じた結果にあの人たちが心を堕とすのは、とても見ていられないので、それはしないのだけれど、沈黙のそれと果たしてどう違うのかと考えてしまった。実入りはあれど、見渡す限りの荒野、安住の地は何処。


いやいや、あの人たちはそんなに弱くはない、荒野を歩いて新天地へ自ずと辿り着ける、過少評価で不遜な考えだ。と、内在個性の一人が意見だ意見だと騒ぎ出したが、それでもまぁ、そこまで心は強くないと説き伏せた。個性は確固たる信念の上にあると結論付けていても、それでも、時には揺らぐ。どうしても揺らぐ。揺らがないものに変化が付いてようやく先に進める。揺らがない変化のないものは条件分岐せず意思を持てない単純処理機械に任せればいい。


そして、今年は支える沈黙選択肢が主だった訳だが、どうにもこれは良くないというか、時代に合っていない、そして性分でもないと居心地がそわそわしていて悪かった。審美あれどもそれは幻想現実が崩れ去ったら元も子もない。審美ある幻想現実言葉に乗せていく事の重要性を今年と今までの差異で知る事が出来た。


沈黙は金になっても誰のための金か。芸術関係は無感動機械に必要ないの一言で破壊されてしまいがちで、得た金の価値も彼奴らには分からない。それなら少しでもいいから金が金であるという事を知らしめる為、沈黙を解いて、価値をあるべき水準まで引き上げていく支えの言葉をこの一年の締めとこれからの指針の一つとしてこの文字列と共に。


2015の並びはもう完全にSFだ。切り上げで20年代1920年代NYを想像するのは年寄りか。