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感情レヴュー

2006-12-06

[]著作権保護期間延長の動きについて、文学は何をしてるの?(2) 16:09 著作権保護期間延長の動きについて、文学は何をしてるの?(2)を含むブックマーク

著作権保護期間延長の問題に関して、反対派賛成派考察派をふくんだ動きが、僕のような素人にも目に見える形で活発になってきている。文学研究学会のひとつ「現代文学会」では著作権をテーマにしたトークショーを行うようだし、なにより、様々な分野の研究者・作家が横断的に連携した「著作権保護期間の延長問題を考える国民会議」が発足された意味は大きい。これまでこの問題を地道に粘り強く検証してきた人たちの芽が開いたということだろう*1

「国民会議」総勢74人の発起人のなかには、中原昌也氏と仲俣暁生氏、寮美千子氏といった文学関係者がくわわっていて、74人中3人という割合には満足できないけれど、10月18日の日記に書いたことが杞憂となる可能性が出てきた。とくに仲俣氏は、ご自身のサイトでこの問題を取り上げ、日本文藝家協会の動向に疑問を呈している(「海難記」)。

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アメリカでは、かつて1998年に、「ミッキーマウス保護法」とも俗称される「ソニー・ボノ著作権期間延長法」によって著作権の延長期間が20年延びることになった(参考サイト)。この法律を不服として闘われた裁判が、「CODE」「コモンズ」の著者として日本では有名なローレンス・レッシグもくわわった、いわゆる「エルドレッド裁判」である。

この裁判では、インテルをはじめ、経済学者法学者が延長反対の支持を表明したが、そのなかには、全米作家協会(National Writers Union)がくわわっていた。彼らの見解は、作家の死後50年からさらに20年間引き伸ばすことは、作家個人としては、経済的に不合理であり、次代の作品を創造するという文化的な意味においても害あって利なし、というものだった(NWU Supports Eldred In Supreme Court Copyright Case)。延長で得をするのは、既成の遺産で利得を得る大企業・出版社でしかない、と。

それでは、作家個人はどう考えたらいいのか? 『著作権とは何か』の福井健策氏が言う通り(エッセイ1エッセイ2)、ほとんどの個人作家にとっては、存命中の経済的な被害がない限り、死んでしまったらデジタル・アーカイヴに収納され、容易に誰の目にも届くようになった方が「著作者」としては――「著作権者」として、ではない――生き延びることができるのである。

死んでからも多くの人に読まれ、経済的な利益を上げる作家はほんの一握りなのであって、そのようないわゆるベストセラー作家が著作権延長に賛成することはその合理的判断ゆえに、僕はなるほどと思うけれど、そんな自信もない作家が延長問題に賛成したり関与しないことには、疑問を感じる(自分の作品なんて死蔵してもかまわない、デジタル化してまで自己主張したいと思わないという、ある意味まっとうな意見をお持ちの作家もいると思うけれど)。

むろん日本文藝家協会は大所帯ゆえに、抱え込む作家の利害を統一させることは困難だろう。『ウェブ進化論』(梅田望夫)の言葉で言えば、個人が死んでも利得を落とす永年のベストセラー作家が「恐竜の首」派で、彼らは作家全体のなかでもおそらく数パーセントにすぎず、逆に、死後はほとんど著述に見向きもされない、というか存命中も出版するなり忘れられるような作品の著作者の方が圧倒的な多数派で、これをいわゆる「ロングテール」派という*2

日本文藝家協会はどちらの利益を代表するか。延長に賛成している現時点では、もちろん「恐竜の首」側であるが、しかしよく考えるまでもなく、「恐竜の首」の著作権の、延長された分の利益は作家の子孫か出版社に落ちるだけで、協会は何も得をしない。協会が保護すべき作家の多くも得をしない。

作家の大部分を占める「ロングテール」は、経済的にも、文化的な評価という観点からも、死後の著作権フリーからが「第二の青春」を謳歌できるのであり、デジタル化されることによって死蔵を免れ、生き延びるチャンスが開かれるのだ。これはまた、次世代の作家や批評家や、他の創作者たちが新たな作品を生み出すチャンスも広がるということである。

現に僕は文学研究をする上で、「青空文庫」をはじめいくつかのデジタル・アーカイヴサイトに助けられている。いままで文学研究者は、図書館に土竜のごとく日々潜り込んで、物理的にぼろぼろになりかけた雑誌や新聞など著作物を検証し、半ば死蔵された作品や作家を日の目にもたらしてきた。この地道な作業は今後も続けられるだろうが、一方で、このような作業によって明らかになった著作物がデジタル・アーカイヴに収納されることが望ましい(発掘した研究者論文自体がほとんど公にされることなく、たちまち死蔵されることが多いから)。もちろん、これから著作権フリーになる著作物や、今後生み出される作品についても同じことが言える*3

作家個人の経済的・文化的利益および価値を損なわないために(作家の子孫や作家の出版社ではない)、いま作家・文芸家の団体は何をすべきか。作家個々人はどう考えるのか。今後誕生するだろう作家を含んだ「文学・文芸」トータルの利益とのバランスをはかりながら、より合理的な判断をくだすべきだと考える*4

*1:今回も、「Copy&Copyright Diary」さんの貴重な情報および見解を参考にしました。「Copy&Copyright Diary」

*2:『ウェブ進化論』は、2000から03年のネットバブル崩壊・調整過程を編成し直したリーディング企業の共通点として、不特定多数無限大の「ロングテール」情報人口への注目を指摘し、「恐竜の首」(少数のヒットメーカー)を軸にした従来の情報産業の価値観とは別種の世界編成が現在起こっている、と見なす。

*3:といってもまあ、死蔵したらしたでかまやしないんだけどさ。

*4:当然のことだが、当該保護期間延長の問題は、図書館における公貸権をはじめとするレンタル店・新古書店マンガ喫茶・教科書二次利用等での著作権問題とは別の問題であり、しばしば問題になる、著作権発生期間内における著作物のデジタル化に対する危惧云々の話とも別の問題である。デジタルメディアを含むメディアの再編過程にあって、色々な問題がごっちゃになり、とにもかくにも闇雲に権利権利を主張しているような気がしてならない。自己の権利侵害(の可能性)に対する危機意識が生じた場合、いかなる問題であれ、その原因と結果を合理的・功利的に判断する冷静さをもたなければならないことが大前提で(自己の利得さえ見失いかねないのだから)、次のステップとして、公共性をその判断材料に取り入れてくれることが、とりわけ公的団体には期待されるのではないか。


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