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恐妻家の献立表 このページをアンテナに追加

2017-06-25

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歩行器につかまらないと歩けない老母をつれて、やっとの思いで見舞いに行くと、つい三日前、やがて眠るように息を引き取るはずと医師に言われた老父は五回目の奇跡の復活を遂げており、勝手に検査器具を外して自慢げな表情を浮かべたり、看護婦さんに愛想笑いをしたりしていた。

認知症で、もう話半分もわからないだろうわがまま親父に「納期が迫るたびに危篤になるのはもう勘弁してくれよ」と言い聞かせる。納期どころじゃない、四月には義父の葬儀にまでぶつかって、私ら夫婦はてんてこ舞いだった。いいかげんにしろ、くそ親父。

母を実家に連れ帰ると、頭痛がはじまり、しばらく実家で横になる。夕方、なんとか我が家をめざして帰路につくが、途中で頭痛がぶり返し、足も肩にかけたカバンもやたら重い。

こういう時はラーメンである。

バスを乗り換える調布駅前で、煮干しラーメンを食べる。美味い。醤油味のマイルドなスープとやわらかめの麺が「今日もお疲れ様」といたわってくれているように感じる。調布駅北口にはこの手のラーメンを出す店が何軒かあって、どれも美味い。そらまめや喜多方ラーメンも美味い。ついでに書いておくが、三鷹駅前の徳一という店の八王子ラーメンも美味い。流行りの豚骨どろどろスープは苦手なので、こういう店があると助かる。

[]弟

内容はほとんど忘れた。ただ老親の世話に忙しくて、あーあ、たまには弟がやってくれてもいいのに、と思ったところで目を覚ました。

弟と言えば、去年の秋、まだ私が父につきそって実家の近所の大学病院に通院させていた頃、帰宅してから父が私の顔をまじまじとながめて「なんだお前か」と驚く。「誰だと思っていたの?」と聞くと、「お前の弟と一緒にいたと思っていた」と答えたのには、こちらが驚いた。

私にも父にも弟はいない。

2017-06-20

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実家の老母に中華丼を作って食べさせる。母が中華料理を喜ぶのはなぜだろう?秋田の山村に生まれ育った母にとって、洋食にはマナーが煩わしい印象があるのかもしれない。その点、中華料理は箸とスプーンで気楽に食べられる御馳走なのかもしれない。

母の調子には波があるようで、認知症が疑われる日もあれば、ここのところは比較的元気で受け答えもしっかりしているのが有り難い。

私は、五回目の重態(呼吸性アシドーシス)に陥った老父の見舞いと、母の世話がたたったのか、胃炎を起こしている。食べすぎで太り過ぎているので、この機会に食を細くしたいところだが、胃炎は空腹時に起きるのでついつい何か口にしてしまう。水でも飲むことにしよう。

[] よしながふみ大奥』の13巻と14巻

老人を二人抱えて、仕事もしなければ立ち行かないうえ、(比喩ではなく)胃が痛いので、難しい本は読めない。書店に立ち寄って手にしたのは、よしながふみ大奥』の13巻と14巻。将軍・家定と篤姫のストーリー。これを寝る前に繰り返し読んでいる。

ところで、13巻の広告ページには、14巻が「2017年冬頃発売予定」となっているが、14巻は実際にはこの春に出た。半年以上前倒しだ。14巻の広告ページには15巻が「2018年冬頃発売予定」となっているが、どうかこれも前倒しにしてほしいものだ。待ち遠しくてならぬ。

2017-05-07

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実家の老母に皿うどんを作って食べさせる。母曰く、二十年くらい前このかた焼きそばが食べたくて近所のスーパーを何軒も見て回ったけれど、かた焼きそばは売っていたけれど、上にかけるあんを作るのがたいへんで作れなかったとのこと。

他に、一昨日が私の誕生日だったので、誕生日のケーキが食べたいと母が言い出し、バースデーケーキを買わされる。誕生祝いというのは祝ってもらうものだと思っていたで一瞬アレ?と思ったが、この歳になってみれば産んでくれた人への感謝の日ということでよいのかもしれない。

[]怪獣映画と時代劇

なんとか危篤状態を脱したらしい?(主治医はまだ厳重警戒だが)老父の見舞いと、老母の世話のあいまに仕事をしている有様で、毎日くたくた。ストレス解消のために、妻の留守のすきをついて大好きなホラー映画と時代劇をレンタルDVDで視聴。

貞子vs伽耶

ゴジラキングギドラみたいで面白かった。ホラー映画としては妖怪映画なのだろうが、怪獣映画に見える。

貞子と伽耶子を見ていると、お岩様とお菊ちゃんが混じっているのがよくわかる。一方で、因縁話の方はカット。理由なき呪いになっているところが、やっぱり怪獣映画だ。

超高速参勤交代リターンズ

痛快娯楽時代劇の王道。文句なく面白かった。続編映画ベストテンがあれば挙げたいくらいだが、あとの九作が思いつかないので言ってみるだけ。

話が大きくなって史実との辻褄が合わないところは御愛嬌。

役者はみな好演・熱演で、とくに今回登場した冨田靖子渡辺裕之はよかった。

2017-04-27

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鍋(スーパーで半額になっていた寄せ鍋のスープに冷蔵庫の残り物を投入)。

この季節に鍋?と思われるかもしれないが、体調不良となり、消化によいものが食べたくなった。

[]時ならぬ休日

昨日午後から、頭痛と腹痛でデスクワークもできないありさまとなった。

頭痛薬を飲んでもおさまらず、そのくせ横になるといびきを書いて寝入ってしまう。

妻が心配してくれて、今日一日休んでいるようにと言ってくれた。

幸い、入院中の老父については病院のソーシャルワーカーさんが「変化があればすぐにお知らせしますから」と請け合ってくれ、実家の老母についてはヘルパーさんとケアマネージャーさんの来てくれる日なので安心していられる。

仕事もひと段落したところだ。

妻の言葉に甘えて、今日は静養することにする。

2017-04-22

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味噌漬の豚肉を焼いたもの、納豆柚子胡椒和え(辛すぎた)、冷や奴、トマトアボガドのサラダ。

[] Web評論誌『コーラ』31号のご案内

先週、入院中の私の老父が三度目の危篤に陥った。主治医は今度こそだめだろうと脅す。加えて日曜には妻の父が急逝したとの報せが。

虫の知らせなんてなかった。しかも、本業の納期と重なった。緊急事態の連続に私ども夫婦は右往左往する羽目に。

看病のあいまになんとか仕事のめどをつけ、少し持ち直した老父に、明日帰ってくるからしっかり生きていろと言い聞かせて、大恩ある舅の葬儀に参列するために福岡に飛んだ。

私ども夫婦にとって、結婚以来、一番忙しい一週間となった。

てんやわんやだったので、告知が遅れたが、駄文を寄稿させていただいているWeb評論誌『コーラ』31号が発刊された。

私の〈心霊現象の解釈学〉は、旧稿のつぎはぎでお恥ずかしいかぎりだが、中原紀生氏の論考と寺田操氏のエッセイは素晴らしい。是非ご一読を。

 ■■■Web評論誌『コーラ』31号のご案内(転載歓迎)■■■

 ★サイトの表紙はこちらです(すぐクリック!)。

http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/index.html

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 ●連載:哥とクオリアペルソナと哥●

  第41章 和歌三態の説、定家編─イマジナル・象・フィールド

  中原紀生

http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/uta-41.html

 ■モネを超える試み、言葉のかたちをとる想念、レミニッサンス

 前章の末尾、筆が走って思わず書きつけた「生きる歓び」の語に触発されて、定家の歌の世界における「歓び」に関連する話題を二つとりあげ、定家をめぐる予備的考察をしめくくりたいと思います。一つは、プルーストの無意志的想起と定家本歌取り共通する、認識と言語にかかわる「特別な歓び」や「力強い歓び」について。二つ目の話題は、世阿弥典型とする日本の中世美論における「感」、すなわち「かたち」を通じて「もの」の「いのち」にふれた時に得られる「深遠な歓喜」をめぐって。 (以下、Webに続く) 

 

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●連載〈心霊現象の解釈学〉第9回●

  よく似た物語は同じ物語か

  ─―怪談の発生と伝播について

  広坂朋信

http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/sinrei-9.html

 前回(連載第八回、本誌26号)、「怪談の解釈学の目指すものは、体験を語る物語の類型が語られた体験に与える影響を、民話学などを参考にしながら中和し、「よくある話」「よく似た物語」から体験の異様さを救出することにある」と大見得を切った。大見得を切るところまではよかったが、そこからが難所である。私自身、それではどうしたら体験の異様さを取り出せるのか、正直言って考えあぐねている。ここからは手探りで考えることになるので、多少の論理の飛躍はこれまで以上にご容赦願いたい。(以下、Webに続く)

 

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 ●連載「新・玩物草紙」●

  夢の話/車中のひとは

  寺田 操

http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/singanbutusousi-35.html

 明け方よく夢をみる。たいていは断片しか覚えていないが、ときに「物語」を紡ぐように鮮明に覚えている。脳内に映像化されている箇所を書きだそうとするが、うまく表出できなくてもどかしい。ひとつひとつの場面は鮮明に思い出せるが、言語化には距離ができる。(以下、Webに続く)

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