一つ目小僧

しばらく前の東京新聞高橋哲哉氏のインタビューが載っており、その記事に面白い追記があった。高橋氏の「犠牲のシステム」という議論について、諸星大二郎のマンガを連想したというのであった。
どなたかがブログに掲載しておられたのをブックマークしておいたはずなのだが、えーっと、どこだったっけ。
あった、あった、これだ。
http://d.hatena.ne.jp/eirene/20120202/1328115096
この記事の最後に、(牧)氏署名のデスクメモとして、諸星大二郎「礎(詔命)」という短編を思い出したとある。実は私も連想した。
そして、どこで読んだのか思いだせないのだが、確か、諸星氏はこの作品は柳田國男の一つ目小僧論に触発されて描いたと語っていたような記憶がある。
以下、御用とお急ぎのない方のみご覧ください。
さて、柳田國男「一目小僧その他」(柳田国男全集〈6〉 (ちくま文庫))を読み返した。
幼い娘さんに一つ目小僧について尋ねる書き出しが、ほのぼのとしていてなんともよい。

今まで気がつかずにいたが、子供の国でも近年著しく文化が進んだようである。
自分は東京日日のために一目小僧の話を書きたいと思って、まず試みに今年九つと六つになる家の娘に、一目小僧てどんな物か知ってるかと聞いてみた。すると大きい方は笑いながら、「眼のひとつあるおばけのこと」と、まるで『言海』にでも出ておりそうなことをいう。小さいのに至ってはその二つの眼を円くするばかりで何も知らず、そのおばけは家なんかへも来やしないかと尋ねている。つまり両人とも、この怪物の山野に拠り路人を劫やかす属性を持っていたことを、もう知ってはおらぬのである。
とうとう一目小僧がこの国から、退散すべき時節が来た。(以下略)

そして、父親の思い出にふれながら、一つ目小僧のイメージを描いている。

自分の実父松岡約斎翁は、篤学にして同時に子供のような心持の人であった。化物の話をしてくださると必ず後でそれを絵に描いて見せられた。だから自慢ではないが自分は今時の子供みたように、ただ何ともかともいわれぬ怖い物などという、輪郭の不鮮明な妖怪は一つも知っておらぬ。一つ目小僧について思い出すのは、たいていは雨のしょぼしょぼと降る晩、竹の子笠を被った小さい子供が、一人で道を歩いているので、おう可愛そうに今頃どこの児かと追いついて振り回って見ると、顔には眼がたった一つで、しかも長い舌を出して見せるので、きゃっといって逃げて来たというようなことである。

この後、柳田は「この妖怪が常に若干の地方的相異をもって、ほとんと日本全島に行きわたっている」ことに読者の注意を喚起し、各地の一つ目の妖怪伝説を博捜して、一眼一足から片目の魚、御霊信仰まで説き及び、そして次のような仮説を提出する。

曰く、一目小僧は多くの「おばけ」と同じく、本拠を離れ系統を失った昔の小さい神である。見た人が次第に少なくなって、文字通りの一目に画にかくようにはなったが、実は一方の目を潰された神である。大昔いつの代にか、神様の眷族にするつもりで、神様の祭の日に人を殺す風習があった。おそらくは最初は逃げてもすぐ捉まるように、その候補者の片目を潰し足を一本折っておいた。そうして非常にその人を優遇しかつ尊敬した。犠牲者の方でも、死んだら神になるという確信がその心を高尚にし、よく神託予言を宣明することを得たので勢力を生じ、しかも多分は本能のしからしむるところ、殺すには及ばぬという託宣もしたかも知れぬ。とにかくいつの間にかそれが罷んで、ただ目を潰す式だけがのこり、栗の毬や松の葉、さては箭に矧いで左の目を射た麻、胡麻その他の草木に忌が掛かり、これを神聖にして手触るべからざるものと考えた。目を一つにする手続もおいおい無用とする時代は来たが、人以外の動物に向っては大分後代までなお行われ、一方にはまた以前の御霊の片目であったことを永く記憶するので、その神が主神の統御を離れてしまって、山野道路を漂泊することになると、怖ろしいことこの上なしとせざるを得なかったのである。

これが一つ目小僧の由来についての柳田の仮説である。ところで面白いのはこの後だ。
「そのような事を言っては国の辱だ」という批判があるだろうと書いている。似たようなことを柳田も言っていたことがあった。礫川全次編著『生贄と人柱の民俗学 (歴史民俗学資料叢書)』によれば、加藤玄智が日本の古代社会に人身御供の習俗があったとしたのに対し、柳田は「掛神の信仰に就て」で「人の肉や血は何れの時代の思想にても我国では決して御馳走には非ず」と反発している。ところがこの柳田「掛神の信仰に就て」の内容は日本各地の人柱伝説を列挙して、それらはあくまでも伝説にすぎないと強調するものだが、素人目に見てもどうも説得力がない。案の定、加藤玄智から強烈な反論「本邦供犠思想の発達に及ぼせる仏教の影響を論じて柳田君に質す」を喰らってあえなく撃沈されている。
ちくま文庫版柳田全集の巻末には飯島吉晴による解説が付されていて、飯島によれば柳田の「一目小僧」論にはフレイザー金枝篇』の影響が見られるのだそうだ。加藤「柳田君に質す」には思い切り意訳すれば「柳田君も国学者みたいなことをいっとらんでフレイザーでも読んだらどうかね」という趣旨の文章があって、礫川は、柳田がフレイザーに取り組んだのは加藤との論争がきっかけとなったのではないかと推測している。実際、「神様の眷族にするつもりで、神様の祭の日に人を殺す風習があった」、「そうして非常にその人を優遇しかつ尊敬した」というところなど、『金枝篇』の「メキシコの神殺し」の章に挙げられている例を連想させる。それにしても国書刊行会の全訳版、いつ完結するのだろう。最終巻が待ち遠しい。
なお、飯島吉晴の文庫解説には次のような指摘もあって興味深い。

災厄は人と自然の調和が乱れ無秩序(カオス)になった兆候であるから、秩序回復(コスモス)のために、御霊を祀るのである。社会形成や文化形成の「起原」を考える際にほとんど例外なく、暴力が登場することは、今村仁司が『暴力のオントロギー』(勁草書房)の中で明らかにしている。一つ目の問題も実はこの文脈で考えるべきものであり、この点で柳田が神への生贄として一つ目を論じているのは興味深い。

今村の第三項排除効果論は、ジラールスケープゴート論とは別個に作り上げられたものとはいえ、ジラールとほぼ一致していることは今村も認めるところであり、ジラールスケープゴート論の枠組みがフレイザーの「王殺し」の仮説とほぼ一致することも明らかなので、フレイザーの影響下で書かれた柳田「一目小僧」論の文脈が重なるのも不思議ではない。ここでもう一歩踏み込むとたいそう面白いことになるのだが、語学音痴の私は『金枝篇』全訳が完結するのを待つほかない。
それはともかくとして、私は一つ目小僧についての柳田説には承服できない。
理由は簡単だ。片目は一つ目ではない。
柳田は「見た人が次第に少なくなって、文字通りの一目に画にかくようにはなったが、実は一方の目を潰された神である」と言っているが、我田引水の印象がぬぐえない。

一目小僧の目のあり処についても、考えてみればまた考える余地がある。通例絵に描くのは前額の正面に羽織の紋などのようについており、自分もまたそう思っているが、それではあまり人間ばなれがして、物をいったとか笑ったとかいう話と打ち合わぬのみならず、第一に眼といえば眼頭と眼尻があるはずであるが、左右どちらを向けてよいかも分らぬ。それだからなみ外れて真円な眼を画などには描くのであろうが、それにしても長い舌に始まって鼻筋の真通りに、一直線に連なっていては顔の恰好をなさぬ。

柳田はこのように言って「今もし両眼の一を盲しているのを名づけて一目というたとすれば、神様の一目も決して珍しい話ではない」として、一つ目を片目にすり替えている。柳田は、一つ目小僧という妖怪の輪郭を描き直すにあたって、はなからそれを人間に原型のあるものとして扱っているから一つ目が片目に変わる、いや、それが人間であることが前提となっている以上、必然的に一つ目が片目に変わらざるを得ないのだ。
なるほど、一つ目小僧が実は片目小僧だったと言えば、その顔立ちにはなんとなく人間らしい感じがするだろう。しかし「人間ばなれがして」、「顔の恰好をなさぬ」というが、一つ目小僧はあくまで妖怪であって、その顔の造作に二つ目の人間の常識を当てはめる方がどうかしている。一つ目小僧たるもの、目は断固として一つ目でなければ、そのアイデンティティが疑われる。一つ目小僧としては、ここは絶対に譲ることのできない一線だろう。「人間ばなれ」は一つ目小僧にとっては名誉の評価であるはずだ。
「一目小僧」は、味わいのある語り口といい、内容の面白さといい、柳田妖怪学中の白眉とも言ってよい傑作だとは思うが、肝心の一つ目小僧を取り逃がしているように思われてならない。