「先取り」概念によるサブプライムローンの分析

「先取り」は、あくまでも認識のための道具概念であって、私は、それ自体が真実であると主張しているのではない。しかし、「先取り」概念を使うと、事象を正確に認識し、分析することができる。そこで、米国で行われたサブプライムローンの問題とそれを引き金にして起こった金融崩壊、経済危機を例に挙げ、「先取り」概念を使って認識、分析してみよう。

  サブプライムローンとは、低所得者向けの高金利住宅ローンである。すなわち、信用力が劣り、返済能力に疑問がある収入の少ない人々に、住宅を購入させるために組まれるローンである。

 米国における住宅ブームは、最初は高級住宅地で起きたが、需要を掘り起こすため、次には中産階級、さらにサブプライム層(低所得層)がターゲットにされるようになった。本来サブプライム層は、なかなか住宅資金を借りられなかったが、ローンが組みやすくなったので、念願のマイホームを持つことができるようになった。

最初の住宅ローンの貸し手はレンダーというが、レンダーがサブプライム層の人々にローンを組ませる手口は、次のようなものがある。すなわち、まず元利払いの返済が所得の5割あっても融資できると借り手に誘いかける。これに不安を持つ借り手には、住宅価格が値上がりするから、買った住宅を担保にして次の融資を受け、ローンの元利払いに充てればよいと説得する。つまり、不動産担保融資を利用して、借り換えができると勧めるのである。さらに、最初の2年は元本の返済が不要で、金利も安くすることにして、いっそう借りやすくする。この場合、最初の2年が過ぎると返済額は一気に跳ね上がるが、そのころには住宅価格も間違いなく値上がりしているから、住宅を担保に借り換えをすれば大丈夫だと説明する。

 この話に乗ったサブプライム層の人々は、ローンを組むという方法で、自分の将来の収入を「先取り」したことになる。この段階ではまだ個人レベルの「先取り」であるが、個人レベルとはいえ、おそらく長い将来の収入の半分に及ぶ「先取り」であるから、借り手の一生を拘束するに違いない。しかも、これが少ない人数ならともかくとして、非常に多数に及んだときはどうなるのだろうか。オバマ大統領が7兆円の公的資金を使って支援する住宅所有者が最大900万人と発表されているから、支援対象にならない数を含めると、少なくともその何倍もの規模の「先取り」が行なわれたことになるだろう。こうなると、それだけの規模の人々が何年も働いて生み出すべき富や価値の半分を、「先取り」によって吸い上げてしまったことになる。しかも、その富や価値はまだ生み出されていないのであるから、「先取り」された時点では中身のない空っぽのものである。私はそれを、「虚の価値」と呼んであるが、要するに数字上のものであって中身はない。

 では、吸い上げられた「虚の価値」は、どうなるのであろうか。

 住宅ローンは、貸し手であるレンダーから大手の貸し手へ売却される。レンダーはその売却によって資金を手にし、次の融資に回す。そして、売却された大量の住宅ローンは、投資銀行の手で束ねられ、「住宅ローン担保証券MBSモーゲージ・バックト・セキュリティ)」として証券化する。こうして、「先取り」された虚の価値は、空っぽのまま転々と移転し、証券の中に埋め込まれるのである。

 さらに、高度な金融工学の手法を使い、サブプライム住宅ローン担保証券を、格付けの異なる住宅ローン担保証券や住宅ローン以外の証券と混ぜ合わせるなどして、新たな債務担保証券(CDO=コラテライズド・デッド・オブリゲーション)と呼ばれる証券がつくられる。つまり、サブプライムの住宅ローンで「先取り」した虚の価値を粉々にして新たな証券に埋め込み、リスクを少なくしたように見せかけるのである。そして、捏ねまわしているうちにリスクが見えなくなり、いつの間にか最上級の証券に仕立て上げられて、それを世界中の投資機関が買い漁る。投資機関の側は、先進国全体の金利が低いため、有利な投資先を鵜の目鷹の目で探しているときに、CDOのような証券化商品があらわれると、ときには年率10%の高利回りになるので、その金融商品に飛びつくのである。

 ここで明かになることは、個人レベルの「先取り」に始まったサブプライムローンが、企業レベルの「先取り」の方向に展開した事実である。

 しかし、「先取り」された虚の価値は、どこまで行っても空っぽのままであるから、細分化しても危険であることには変わりがない。いや、細分化すればより広く行き渡るのでいっそう危険である。因みに、1997年には、デリバティブの価格算定方式を完成させた2人にノーベル経済学賞が与えられたが、私は、近未来小説『デス』の中で、主人公Nに、次のように言わせている。

  「デリバティブは、前世紀を5分の1ほど残す頃に宇宙局や軍需産業から転職した連中が開発した金融商品だといわれている。だから、出自からして、雲をつかむような話で人を欺くことや、人のものを奪い取ることを、何とも思っていないわけだ。」

 さらに問題なのは、レバレッジをいかに高めるかという競争が起こることである。レバレッジというのは、「てこの作用」のことであるが、小さな力を使って大きなものを動かす比喩として使われる言葉である。小さな自己資本を信用にして資金を借り入れ、大きく膨らませて、運用して利益を上げようと企むのである。市場では、10分の1の保証金で10倍の金融商品を購入することができるから、このレバレッジによって、「先取り」される虚の価値は一気に大きくなり、ますます亢進する。

 この過程で、証券を購入するための資金を調達するために、銀行その他の金融機関が動員される。さらに、リスクをヘッジ(回避)するために、保険会社も参画する。ここで、クレジット・デフォルト・スワップCDS)の仕組みを見ておこう。

 債務担保証券(CDO)はリスクが分かりにくいため、ほとんどの場合、一種の保険がつけられていた。したがって、CDOに損失が発生したときには、保険会社がその損失分を補償してくれるようにしたのである(保険料は通常数パーセントで、住宅ローンなどの債権は長期間のものが多いが保証期間があまり長期だと保険期間もリスクが大き過ぎるから、通常は5年程度の契約になる)。保険会社は、いろいろな投資家、投資会社、投資家である金融機関と保険契約を結び、巨額の保険料が入る。このことは、一見「先取り」によるリスクを回避するための仕組みに見えるが、実際は、CDSを組み込むことによって、投資家にCDOを購入してもらいやすくするための役割を果たす。このCDSの普及によって、サブプライムローンによる「先取り」は、いっそう助長されることになった。

 こうして、この企業レベルの「先取り」は、とてつもない規模に成長してしまったのである。しかし、サブプライムローンの成長は、企業レベルで止まるわけではない。さらに国家レベル、国際レベルに発展するのだ。私は、「先取りは先取りをよぶ」、「先取りはそれ自体の拡大再生産をよぶ」という公式を作ったが、その公式どおりに展開するのである。以下に、その生態を見てみよう。

 さまざまな仕組みによって膨らみ、いろいろなところに潜り込んだ虚の価値、すなわち空っぽの価値は、泡のように消えてしまうわけではない。空っぽの部分を埋めようとして実に異様な力を発揮するのである。すなわち、虚を実にしようとして、暴れまわるのである。これが、私の言う「先取り」の拘束力である。

 何事もなければ、「先取り」した虚の価値をたらい回ししていればすむことかもしれない。しかし、そうはゆかないのである。

 サブプライムローンで見たように、この仕組みを維持するためには、地価が上昇し続ける必要がある。また、「先取り」によって膨らみ過ぎた資金は投資先を求めて、世界中を駆け巡る。資金を受け入れたところは、増資をして設備投資をする。こうして、見せかけの景気上昇が起こるから、消費者の購買力も増加し、消費は増え続ける。

 しかし、この上昇気流がいったん下降に向かうとどうなるのであろうか。

 2008年3月、サブプライムローンの破綻によって資金繰りが悪化したアメリカの投資銀行ベアー・スターンズが経営に行き詰まった。同年7月、住宅市場の低迷から政府住宅金融機関のファニーメイ(連邦住宅抵当金庫)とフレディマック(連邦住宅貸付抵当公社)が破綻の危機に陥るが、政府の管理下に置かれることになった。

  そして同年9月、投資銀行リーマン・ブラザーズの破綻を迎え、金融危機は世界中を覆いつくすことになった。アメリカの5大投資銀行のうち、破綻したリーマン・ブラザーズ以外の投資銀行は、商業銀行に業態を変え、ウォール街から投資銀行は姿を消した。この間、世界最大の保険会社アメリカン・インターナショナル・グループ(AIG)は、サブプライム問題の影響で経営危機に陥っていたが、こちらの方は救済措置がとられて、事実上政府の管理下に入った。

 この金融危機はやがて、実体経済に影響を及ぼしてきた。アメリカの住宅ブームによって、家計の過剰消費、過剰借り入れ体質が強まったので、耐久消費財、とくに自動車をローンで購入するニーズが増えていた。しかし、住宅ローンの返済などに苦しむようになると、耐久消費財の販売額は急速に萎み、アメリカ産業界のリーダーであったGM(ゼネラル・モーターズ)、フォード、クライスラービッグスリーが経営難に陥り、政府の救済措置を仰ぐようになった。この自動車のニーズの落ち込みは、ビッグスリーだけでなく、輸出に依存している日本の実体経済にも甚大な打撃を与えることになった。日本を代表するトヨタ自動車でさえ、対アメリカの輸出台数が激減し、赤字決算に追い込まれ、人員を削減するところにまで追いつめられているのである。

 このように、サブプライムローンという仕組みによって「先取り」された虚の価値は、金融市場でレバレッジが効かされて巨大なものに膨れ上がり、あちこちの金融機関や実体経済の中に潜り込み、拘束力を発揮して、経済を破壊しつくすのである。

 そして、「先取り」の無責任性によって、誰も責任をとらない。サブプライムローンのレンダーが責任をとったという話を聞いたこともないし、デリバティブを開発した人間が責任をとったという話も聞いたことはない。

 しかも、「先取り」の無責任性の特徴は、とんでもないところ、「先取り」には何らの責任のない人のところに結果があらわれるということである。例えば、アメリカで行なわれたサブプライムローンによる「先取り」が、めぐりめぐって日本の労働者を失業に追い込む。言うまでもなく、失業に追い込まれた労働者には何の責任もない。これが「先取り」の無責任性の恐ろしさである。

 このように、「先取り」概念を使って分析すると、ものごとが正確に見えてくることが分かるであろう。サブプライムローンは、「先取り」に一例に過ぎないが、手を替え品を替えて、同じような「先取り」が同時並行で行われている。そして、次回に見るように、「先取り」の恐ろしさは、さらに先に展開するのである。(廣田尚久)


※本エントリは2010/03/24にCNET Japan ブログネットワークに掲載されたものです。
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