マンション管理士試験な日々(マン管&管理業務主任者試験)

2009-03-12

貧しくて学べない

こんにちは

昨日のNHKのクローズアップ現代では、「貧しくて学べない」高校生が急増しているという話が取り上げられておりました。

NHKのホームページからの引用になりますが、以下のような内容です。

『 深刻な経済危機の中、家計が貧しいことで学校に通えなくなる子どもが急増している。

愛知県の高校では、自動車関連の仕事に就いていた親達が次々と仕事を失い、中退を余儀なくされたり、授業料を払えず高校を続けられるか不安に揺れる生徒が相次いでいる。

景気の悪化で顕在化した、"貧しくて学べない"子ども達。社会の格差が広がる中で、すでに深刻な状況となっている。

埼玉県内の高校では、入学した生徒の半分近くが卒業までに中退する。中退後の生徒を見守り続ける教師は、背景に貧しさから来る無気力や、将来に希望が持てない刹那的な思いがあるという。

中退した子ども達が社会的に孤立し、生活の糧を得るため犯罪組織や風俗業など闇の世界に引き込まれるケースも多いという。

親の世代の貧困が、子どもの学ぶ機会を奪い、貧困の再生産につながる社会の歪みを教育の現場から伝える。 』


番組を見た感想としましては、

「ああ、とうとう来てしまったか・・・」

というところでした。何ともいえない無常感がありましたね。


どういうことかといいますと、世界一の貧困大国でもありますアメリカ合衆国では、「親の世代の貧困が、子どもの学ぶ機会を奪い、貧困の再生産につながる社会」というのが何十年も前から問題となっていて、その貧困層は年々拡大していく一方であるとされております。

つまり、ごくごく少数しか幸福に生活できず、多くの人々は貧困と犯罪の中から抜け出すことができないような社会が進行している、というのがアメリカの現状であるようです。

そして、どうやら、日本もそういう社会へ近づきつつあるということですね。



親の世代の貧困による貧困の再生産

若年層への麻薬の浸透

未成年シングルマザーの増大

凶悪犯罪の増大および犯罪検挙率の低下



年々、日本とアメリカが悪い部分でよく似てきているというのは残念でなりません。

私は、アメリカドラマを毎日のように見ますが、最近のアメリカドラマ上で起こっていることは、日本で起こっても不思議でないことが多くて、残念なリアリティがあります。

まあ、アメリカのことは置くとして、「親の世代の貧困が、子どもの学ぶ機会を奪い、貧困の再生産につながる社会」というのは、とても悲しいのは言うまでもないですが、とても危険であることの認識が必要だと思います。

なぜなら、

僻みではなく本気でいいますが、貧困層が貧困の再生産を繰り返す限りは、富裕層としては自らのポジションが安泰であるという意味があります。

ということは、社会を動かしている富裕層が、貧困を解消する手立てを考え実行してくれる?とは考えにくいですよね。逆に動くと考えるのが自然です。

新資本主義による格差社会の拡大がいわれて久しいですが、生活できる範囲の中での格差社会であれば許容できる余地は十分にあると思いますが、大多数がまともに生活できなくなる貧困層となってゆく格差社会というものの進行していってよいのでしょうか?

どこまで堕ちて行くのかは分かりませんが、貧困の再生産という状況は、その貧困から永遠に抜け出せないという悲劇があります。

その悲劇を決定づけてゆくのが、教育が受けられないことなのです。

それは、学歴のある人にはわからないでしょうが、学歴がないことによる就職差別は、驚くほど広範囲にあります。

まさに、教育が受けられないことは、貧困から脱出する機会を大きく奪われることとなっているのです。



なので、

今後、進行してゆくであろう貧困による悲劇に対して、私は何ができるのであろうか?ということを昨日の番組を見て考えさせられました。

講師を12年やってきて、基本的なポリシーとして「学ぶことの大切さ」を訴えてきたものとしましては、この状況に対して、何らかの努力をしなければならないと思います。

というより、強く、決意した。というところでございます。

なぜなら

「学び」ということに真摯に携わっているものが、こういう社会の危機的状況について何ら行動せず、声をあげることもないとすれば、それは「学び」というものを尊重するようなフリをして、実は金儲けの道具としか考えていない拝金主義者にすぎないということになるのではないでしょうか。

資格スクールというところは、学校ではなく株式会社ですから、基本的には教育機関ではなく拝金主義でございます。

私もそこに12年もいたのですから、それを批判できる立場にはないのですが、今はフリーになったことですし、今後は、社会が貧困の再生産を進めてゆくことに対して抵抗する立場を明確にして、多くの人々に「学び」を提供すべきと思いました。



さて、どうするか・・・

具体的なプランは今後、少しずつ決めてゆくとして、基本方針としましては、

「貧困により学ぶ機会を奪われた人々」に対して、資格試験がベースにはなりますが、何らかの学ぶ機会を提供できますようにしたいかなと思いました。

資格が学歴の代わりになるかどうかは分からないですが、資格には人生の再チャレンジという要素があるのは事実です。

そのために、「貧困により学ぶ機会を奪われた人々」に対して、資格はある程度は役にたってくれるのではないかという期待はあります。



そうですね。

具体的なプランはまだないので、もし、読者の皆様でよいプランやご意見などがありましたらアドバイスいただければ幸いです。



ということで

何か、自分の能力とか経験が社会の重要な部分に対して貢献できるような予感を感じましたので、この春は、いろいろ楽しみではあります。

実現のため、がんばるしかないですね。

では