今日のその他

澁澤龍彦異端の肖像』(桃源社河出文庫

 今日の弁当の友。狂王ルドヴィヒ、ロベール・ド・モンテスキュー伯爵、ジル・ド・レエほか、7人のあやしい人たち。ラストのヘリオガバルスだけは、『神聖受胎』からの再録であったのは残念。この人の、この皇帝についての文章はもっと読みたかった。巻末の「新版あとがき」に、「私が採り上げた人物たちも、(初版を出した)十年前とはくらべものにならないほど、一般に知られてきているのではないかと思う。」「アルトーの『ヘリオガバルスあるいは戴冠せるアナーキスト』も美しい日本語で読めるようになった。」とあるが、この『ヘリオガバルス』の訳者・多田智満子さんは、『ヨーロッパの乳房』の文庫解説を書いていらした。
 1967年というと、著者39歳の本。晩年(?)のような融通無碍さ、軽やかな文体よりも、哲学的な文体。正直言えば、もっと後の『幻想の肖像』『幻想の彼方へ』『ヨーロッパの乳房』エトセトラの方が読みやすい。これはこれで、結局は著者のこれらの人物に対する興味と愛を哲学しているのかもしれない。その気持ちが読み物として面白い―――ということはこれは正にエッセイなんでしょう。かつ、この方が色々な変わったジャンルに没頭していて凄い理由は、そういうとことん変なものが大変にわかりやすい文章になるということです。以前も書きましたが、今時の軽い「エッセイ」という言葉に収めたくはない、でも、学術書にするには勿体ない…
 モンテスキュー伯爵については、私は『失われた時を求めて』のシャルリュス男爵のモデル、として知っていて、好きなのですが、ご本人とは大分違うことがわかりました。違っても何となく繋がっていて、どうしても想起させるのでしょう。著者曰く、「文学的真実は、人生の真実よりももっと真実なのである。」…一つの真実が違う真実になって永遠に生きていく。それに相応しい個性の持ち主だったようです。まあこの小説においては、プルーストの体験も人物観察も割とごっちゃごちゃに反映されているので、モデル論は元々あんまり意味がないらしい、というのが大方の研究書の傾向のようです。
 図版も載っているのですが、ヘリオガバルスの項、彼の彫像はこの本に書かれているほど美しいとは思わないですが(18で死んだ割には老けてるし!ショック!)、ハドリアヌス帝が熱愛した美少年アンティノス(という名前のレコード会社、どういう意味でつけたのだろう)は、本当に少女漫画みたいな顔してますな。腐○子がキャーキャー言いそう。泰西には本当に本当の「美少年」というものがいるのですな(フェリーニの「サテュリコン」を見た時もつくづくそう思った)。
 今更ながら、Wikipedia澁澤龍彦
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BE%81%E6%BE%A4%E9%BE%8D%E5%BD%A6

筒井康隆『壊れかた指南』(文藝春秋

壊れかた指南
 短篇集。作家ネタ、演劇ネタ…などなど、どれもリアルで作者の体験が透けて見えて面白いな〜、なんて感想は当たり前ですね。でもどうしてもそう思います。
 前半の不条理系より、中盤のショートショート集と、「狼三番叟」「耽読者の家」といった普通めのものが私には面白かったです。すみません。

おまけ

 何故か、私の住む区内の図書館には、澁澤本の文庫の在庫が少ない。文庫版が出ていても単行本しかないものが多いのである。
 頼むから、文庫があったら文庫も入れてくれ!
 我儘だろうが私には死活問題なのだ。
 今週は本当に、この重さに苦しんだ。
 しかも割と装丁のしっかりした本が多かったから、重いのごついの何の。
 本当に頼むよ。帰りにスーパーで買い物しなくちゃなんないんだし。
 あと、ごくごく普通の澁澤本で、置いていないのもある。丁度1年ほど前に出た、夫人の回想録『澁澤龍彦との日々』(白水社)や、同じ頃の『澁澤龍彦初期小説集』(河出文庫)なんて、敢えて買わない理由こそわからない(後者は確かに他の本とだぶる作品もあるが、そんな例はいくらでもある)。それでもリクエストしておいた。多分他区からでも相互貸借で取り寄せてくれるだろう。