ユーザー構造から見る日本での共有ビジネスの可能性

『シェア』の書評にいただいた質問


前回、『シェア』*1のイベントおよび書評を書いたのだが、ネットでの反応はさほどでもなかったものの、身近な人たちからはいくつかの興味深い反応があり、中には非常に考えさせられる問題指摘や質問をしてくれる人もいた。皆が異口同音に語り、今非常に大きな関心を払わざるをえない興味の所在は、やはり、すっかり行き詰まって出口の見えない日本経済の現状における『共有ビジネス』『共有経済』『コラボ消費』の可能性と展望についてのようだ。



日本での『共有』ビジネスの可能性


日本におけるソーシャルメディア・ビジネスの現段階での成功の旗頭は、GreeDeNA(モバゲータウン)ということになるが、収益エンジンは、『ゲーム』であって、いわゆる『ソーシャル』が収益を生んでいるという実感が乏しい、というのが大方の人の正直な感想だろう。確かに昨今は、世界最大の SNSであるFacebookが日本でもネットリタラシーの高い人たちを中心に急速に広がってきていることに見られるように、『ソーシャル』の浸透が新しい次元に入っていることは間違いないのだが、いかに利用が高度化しても、普遍的な収益モデルが確立されたとは言い切るのは時期尚早と言わざるをえない。



もっと切迫した動機はないのか


前回私自身ブログで書いた通り、『シェア』の本に記載されている前提となる世界認識は、『自然環境/資源の限界』、および『過剰消費的な20世紀型消費(ハイパー資本主義)の限界』だが、これは日本にも大いに当てはまり、中期的には『共有経済』『コラボ消費』を促進する要因になることは間違いないと私も確信しているものの、今の日本企業の疲弊ぶりでは、環境要因であったり、ポストハイパー資本主義を意識する余裕は、本音のところほとんどないと言っても過言ではないだろう。これらは遠因ではあっても近因ではない。やはり現実のビジネスとしての活性化にはもう少し『必然』と言うべき、切迫した動機や理由が必要なのかもしれない。



日本のユーザー構造の変化


今回は少し観点を変えて、日本の市場のユーザー構造の変化から、上記の疑問への回答を模索してみたい。


下記の図をご覧頂きたい。


非常に雑駁な概念図だが、1980年代頃の日本経済の最盛期と現在を並べてみた。



一億総中流


一億総中流』と言われた1980年代当時は、所得の上下格差も小さく、消費者の興味や趣味もほぼ同一で、ライフスタイルもライフサイクルにも非常に同質性があり、マス・メディアによる需要喚起も容易なため、テレビ等で宣伝すれば自動車、電化製品などの消費材も飛ぶように売れた。当時すでに「個性の時代」とか「分衆」、あるいは「差異」がキーワードとなり、多様化の時代に移行していることが喧伝されてはいた。だが、今にして思えば、それはコアの同質性を前提とした上で集団内での関係性のあり方を明確にするための差異(記号)だったため、消費はむしろこの差異化によって一層喚起され拡大することになった。他者への羨望のまなざしが消費を拡大する強力なエンジンになった。


例えば、自動車という高額商品でさえ、セダンにクーペ、ハードトップ、1ボックス、エンジンもツインカム、ターボ等々、いくらでも差異のバリエーションを増やしていくことができた。それは集団内での自分のポジションをアピールする記号となり、集団内の他者に羨望され、新たな需要を換気した。思えば日本ではこの頃がプロダクト・マーケティングの最盛期だった。環境制約などほとんど気にすることなく、大量生産/大量消費を謳歌できた。いわゆる『消費は美徳』の時代である。



二極型島宇宙


では、2010年代に入った現在はどうだろうか。わずか一世代(30年程度)を経ただけで、これほどの変化が起きるとは想像もできなかったほど変わってしまった。まず、『夫婦子供二人』といった『標準モデル家庭』という概念に意味がなくなってしまった。単身世帯/子供のいない世帯の割合が急増し、一世帯あたりの平均人員も、1970年には3.41人だったのが、2008年には2.4人まで減ってしまった。所得格差も広がり、上下の差が開き、中下層が増加する。(窮乏化が進む。)しかも、非常に多種多様な価値観/趣味嗜好のお互いに関心のない小集団=島宇宙だらけになり、マス・マーケティングが機能しなくなってしまっている。


高所得者はもはや他者の視線や羨望を意識することなく、『体感できる本物』を求め、中下流の大多数のユーザーは、狭い島宇宙内の『空気読み』が最大の関心事だ。特に若年層のモバイルメールを利用した島宇宙内では、従来以上に『空気』と『嫉妬』が強く支配し、高額の自動車、海外旅行といった突出した消費には否定的だ。一方で価格と品質には非常にシビアーなので、製品販売はユニクロのような企業を志向しないと生残れる余地がない。


よって、下記のような変化が加速している。

・高額商品×大量購入  → 低マージン×頻度高い×大人数
・マス・マーケティング → 特定の島宇宙に向けられた
              個別マーケティング
・企業主導       → 消費者主導/口コミ重視
・イメージ/スローガン
 によるブランディング → 本物/本気しか通用しない
              企業ブランディング   

   ・・・・



日本でこそ


どう見ても、日本においてこそ、いわゆる『消費革命』が必至と言わざるを得ない。『共有ビジネス』『共有経済』『コラボ消費』等が広がる余地が多分にある。ビジネスを仕掛ける側としても、高度成長期的な製造業は日本ではますます窮地に追い込まれる可能性が高いが、Wegサービスやコンテンツビジネスには、日本経済が全般的な低迷期にあってさえ、拡大していけるチャンスが十分にある。



新次元のチャンス


もちろん、ビジネスの成功は、客観的な環境以上にビジネスマンの力強い意志やマインドのほうが重要で、それが萎えてしまっているようでは成功はおぼつかないことは言うまでもない。まだビジネスモデルがはっきり見えているわけでもない。だが、変化を受け入れずに強引に走る「高度成長マインド」を切り替え、「柔軟で合理的なマインドを持つ挑戦者には、新しい次元のチャンスがあると私には思える。


だから、そういう前提で、 新規ビジネス展開に役立てるべく『シェア』の本にある沢山の事例をよく研究して見ることには大いに意味があると考える。日本にも『地の利』と『時の利』がある、ということだ。以上、私にいいただいたご質問に対する回答としたい。

*1:

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