東浩紀氏の新著『弱いつながり』が誘う『自分の似姿の世界』の外側


時代の変調を察知する『カリスマ』


今年に入って何度か、2013年という年は『ゼロ年代のインターネットの夢の挫折の年』だったとブログに書いてきた。私のような市井の者がいうまでもなく、最近では、ゼロ年代にインターネットシーンを強力に引っ張って来た『カリスマ』の面々が皆、異口同音に語ることでもある。それぞれに変調に戸惑い、現状を嘆き、暗中模索する様子が明らかに見て取れる。そのような人達を順不同でリストアップしてみると、まさにそうそうたるメンバーがずらりと並ぶ。(敬称略)

東浩紀(思想家)、川上量生ドワンゴ会長)、津田大介(ジャーナリスト)、佐々木俊尚(ジャーナリスト)、宇野常寛(編集者)、宮台真司社会学者)


皆、時代の風を微細に感じることができる鋭敏な感性を持ち、行動力も抜群だから、インターネット、特にWeb2.0以降のソーシャルメディア全盛の時代に、それ以前にもましてプレゼンスを高め、確固たる知名度を得た面々だ。だが、その鋭敏さゆえに時代の変調にも真っ先に気づき、普通の人に先んじて暗中模索を始めている。そして、先陣を切って、これからの身の処し方について語り始めてもいる。



平易だが奥は深い


最近、発刊された、思想家の東浩紀氏の『弱いつながり』*1も、そのような『独白もの』だし、『世界をどう変えるか』というような大掛かりな問を突き詰める前に、まず現代人はどのように生きていくのが賢明なのかという点について、非常に率直に語られている。文章は平易で、分量も多くないから、あっという間に読めてしまう。


だが、簡単に読めるわりには、なかなかに奥深い。個人の生き方/仕事の仕方に関するライフハック/ノウハウ本の体裁だが、その前提としての、インターネットによって変わる(変わった)世界についての洞察がとても鋭い。ただ、あくまで『チラ見せ』だから、この論点を引き取ってその先を自分でよく考えてみることが肝要だ。しかも、どうみてもターゲットは、かなりディープなインターネットユーザーなので、昨日今日フェイスブックを始めた感じの人には、本当のところ何が語られているのか理解することは難しいかもしれない。だから、その中間を埋める役割も必要だとすれば、私が書評を書いておくことに一定の意味もありそうだ。



SNSは弱いつながりを広げる?


社会学者のマーク・グラノヴェッターは、1970年代の初め頃に、個人が発展していくための情報(求職等)については、親友や家族のような緊密な社会的つながり(強いつながり)によってもたらされる情報はほとんど役に立たず、単なる知り合い(弱いつながり)から得られる情報のほうがはるかに有効であるとの説を展開して、高い評価を得た。


この説は、ミクシィフェイスブックのようなSNSソーシャル・ネットワーキング・サービス)が出てきて再び強い脚光を浴びることになる。SNSは、狭くなりがちな日常の交友関係を大きく広げ、無限といってもいいほど、知り合い(弱いつながり)を増やすことができるツールであり、これからの時代の勝ち組は、この『弱いつながり』を広げて、有用な情報を収集することができる者のことをいう、という言説が一時期ビジネスシーンを席巻した。


情報選別力および発信力のある『強い個人』と、SNSで関係を持つことができれば、自分の情報収集能力をはるかに超えた、貴重な情報を数多くもたらしてくれる。その環境で得た、情報/キーワードを高度にインデックス化されたグーグルの検索エンジンに放り込んで探求すれば、さらに質・量ともに圧倒的な情報を収集し、深堀することができる。狭い日常の、会社や家族、視野の狭いマスコミ等からもたらされる限定的な情報だけに頼った、旧来のビジネスマンは、ほどなく負け組に転落するとされた。


ところが・・



極端な『パーソナライズ化』


グーグルにしても、フェイスブックにしても、昨今はいわゆる『パーソナライズ化』が進んでいて(進み過ぎていて)、各人の趣味嗜好に沿った(とサービス側が判断した)情報ばかりがこれでもかと言わんばかりに届く。そうではない情報や発言には目に触れることさえなくなる。これがユーザーの利便性を上げ(たとえユーザーが気持ち悪いと思ったとしても)、サービス側にマネタイズの機会をもたらすため、グーグルやフェイスブックに限らず、今日のネットサービスは大抵、程度の違いこそあれこの『パーソナライズ化』に取り組んでいる。そして、技術進化が日進月歩の現代では、実際には、どのサービスもかなり高いレベルで『パーソナライズ化』を実現している。その結果、ウェブの世界は全体としてものすごい勢いで、『パーソナライズ化』が進んで来ている。これでは確かに『蛸壺化』の進行もまた避けられないだろう。 



ネットは階層を固定化する


こういう現状を前提にして、東氏は述べる。ネットは人が所属するコミュニティの中の人間関係をより深め、固定し、そこから逃げ出せなくするメディアだと。ネット依存度が高くなればなるほど、自分の似姿ばかりに囲まれてしまい、その結果『弱いつながり』をつかむことができなくなってしまう。そして、自由に検索しているつもりでも、じつはすべてグーグル等が取捨選択した枠組みの中に閉じ込められ、他者の規定した世界でしかものを考えられなくなる。ネットでは自分が見たいと思っているものしか見ることができないのだという。


これは何とも逆説的というか、皮肉な話だ。SNSの良さは、『弱いつながり』にこそあったはずで、リアルの生活では『強いつながり』ばかりが強化されてしまうから、SNSに参入して、積極的に『弱いつながり』を広げることにメリットがあったはずなのに、実はそのSNSを含むネットこそ、『強いつながり』をさらに強化するというのだから。


しかしながら、ネットによる関係から完全に抜け出れば、また、会社や数少ない友人との強くべったりとしたつながりと、マスコミの定番で決まりきった(競争に勝てるだけの付加価値のない)情報の世界に逆戻りしてしまって、元の木阿弥ではないのか。いったいどうすればいいのか。



新しい検索ワード


東氏の回答はシンプルだ。『場所を変えよ』と。

検索ワードは、連想から生じてきます。脳の回路は変わりません。けれどもインプットが変われば、同じ回路でもアウトプットが変わる。連想のネットワークを広げるには、いろいろ考えるより、連想が起こる環境そのものを変えてしまうほうが早い。同じ人間でも、別の場所でグーグルに向かえば、違う言葉で検索する。そしてそこには、いままでと違う世界が開ける。世界は、検索ワードと同じ数だけ存在するからです。 同掲書 P6

環境を意図的に変えることです。環境を変え、考えること、思いつく事、欲望することそのものが変わる可能性に賭けること。自分が置かれた環境を、自分の意志で壊し、変えていくこと。自分と環境の一致を自ら壊していくこと。グーグルが与えた検索サードを意図的に裏切ること。環境が求める自分のすがたに、定期的にノイズを忍び込ませること。 同掲書 P11


現在、そして、今後とも、インターネットの利便性は圧倒的で、これを上手に使いこなすことが、厳しいビジネスシーンを生き抜き、プライベートの人生も豊にするという前提は変わらない。だが、『ネットにどっぷり』だけでは、検索ワードが単調で、代わり映えしないものばかりに囲まれることになる。それは、その人の世界自体を貧困にすることにつながる。だが、環境を変え、欲望することが変われば、従来とは違った検索ワードに囲まれるようになる。そうすると、その検索ワードの先に(検索を通じて)、別の豊饒な世界が広がるというわけだ。単なる、ネット嫌いでも、ネット否定論でもなく、その使い方、底のさらい方のノウハウを刷新せよということだ。『グーグルの予測する言葉の外側に飛び出せ!』『ネットに支配されずに、ネットを支配せよ!』ということ、といってもいいかもしれない。





意図的な『切断』


そして、その一番有効な手段として、東氏は旅を推賞する。但し、全てをなげうった放浪の旅を勧めているのではなく、付かず離れずのお気楽な『観光』くらいの距離感が一番いいという。そして、そのお気楽な距離の取り方は、普段の生活でもそうで、会社、趣味の仲間、ネットの仲間と、コミュニティを広げていっても、日本人は往々にしてそれぞれで濃密な関係に浸り、ガチガチの『村人』になってしまう。だから、もっと意図的に『切断』することも必要(=『強いつながり』を『弱いつながり』に置き換えていくこと)、というのが、今回の東氏の一番大事なメッセージの一つといってよさそうだ。



蛸壺化から抜け出そう


私自身、身につまされる思いがする。仕事でも趣味嗜好でも、昨今はネットに没入すると非常に深く、大量の情報にあっという間にアクセスすることができる。それなりに理解も深まり興味も出て来るから、さらに探求しようとすると、膨大な読むべき情報が大量に目の前に積み上がる。最新の関連情報も次々にやってくる。その関連の情報を提供してくれる仲間も増える。そうすると、他に何かをする時間もなくなるから、とても旅どころではなくなる。いつの間にか、『蛸壺化』へ一直線というわけだ。


本書では観光がお勧めということだが、東氏の指摘の含意を汲めば、『環境を意図的に変える』ためには、それ以外も色々できそうなことはありそうだ。私も、先ず旅に出て、そして、それを機会にこの数年の自分のことを反省し、自分のライフスタイルの変革に取り組んでみたくなってきた。

*1:

弱いつながり 検索ワードを探す旅

弱いつながり 検索ワードを探す旅