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京都寺町法律事務所はなれ RSSフィード

2012-10-11 裁判に対する姿勢

多重債務者生活再建という視点で、本来事件処理されてしかるべきですから、過払いだけを一人歩きさせている、今の拝金主義弁護士司法書士のあり方はきわめて残念です。

どうやって、生活のためのインフラを残したままで、再建を支援する手続にするかという視点は忘れ去られているし、何より、現行の法制度の不備を指摘していくのであれば、その限界事例を知らなければならないのに、創意工夫もなく、ただ、自分たちが頭を使わなくても、楽して金儲けできる制度にすべきだ、などと声高に叫ばれても、鼻で笑われて終わるだけでしょう。

貸金業者に対抗していくためには、当然、会社組織に対する理論武装も必要なはずです。会社法すら知らずに、ただただ、寄せ集まって、これだけの被害者がいるのだから救済するのが正義だ、と

路上で、シュプレヒコールをするなら、誰も文句は言いません。表現の自由ですし、結社の自由ですし、集会の自由でしょう。

しかし、特定の裁判を念頭に、裁判所前でのシュプレヒコールは、意味が違います。「きわめて有害」でしかありません。

あと何回敗訴したら、期日ごとに意見陳述だ、被害者の意見表明だ、傍聴席を被害者で埋めるだ、などに、神通力など存在しないということを認識するのでしょうか。

考えてみたら分かるでしょう。

上記の手段に本当に御利益があるなら、相手方だって同じことをするでしょう。まして、経済力で言えば圧倒的に上なのですから、アルバイトを雇って、毎回傍聴席を満席にすることも出来ます。

なぜしないのでしょう?理由は明白です。何の意味もないからです。

そんなことをしなくても、公衆の耳目を惹く裁判なら自然に傍聴人は集まります。

私は依頼者のために、最善を尽くすべきという認識なので、裁判の冒頭で、本件は消費者事件であり、救済が社会的な要請だ、みたいな発言をする人と一緒に裁判は出来ません。

同じ理由で、被害者で傍聴人を埋め尽くすのが裁判所に対する圧力になると考えている人と一緒に裁判は出来ません。

前に一度ブログで指摘したことがありますが、上記はほぼ確実に逆効果です。

裁判所は公平に事実だけを見ようとしているところへ、被害者の前で、被害者を蔑ろにする判決が書けるか、みたいな圧力を感じたら反発するのは当たり前でしょう。被害救済のためには「勝訴判決を書け」みたいな言われ方をしたら、本当に勝訴させるべき事例ですら、圧力に屈したかのように受け取られたくないという裁判所の公平感を被告に有利に傾けるだけじゃないのでしょうか?

私は自分の裁判遂行能力を過信するつもりはないので、裁判に際して、わざわざ相手方にハンデを与える必要などないと思います。それでなくても、情報格差を埋めるために、対等ではない裁判を強いられるのです。その上相手にハンデまで与えて、どうやって裁判に勝てというのでしょう。

追伸

今日もなんかえらいアクセスが増えているなと思って見に行ったらやっぱり、他のブログに引用されてましたね。

別に昨日のブログで名前を列挙した業者の「急所」を握っている訳ではなく「試してみたい」手続があるだけです。

言及しただけでお金を返してもらってしまっているので、実際有効なのかどうか分からないので。

「やってみないと分からない手続」なので、その業者だけ、という訳にはいかないのは、前から説明しているとおりです。

なんか、放置している弁護士司法書士からお金を取り戻すところまでセットで出来ないのかという話がありましたが、他人の委任関係に口出したと逆ギレされて、逆に他の弁護士司法書士との信頼関係を損なう行動で品位を欠くとか言いそうな弁護士会がありそうな気がするので、あくまでも他の弁護士司法書士との委任契約が終了しないと、依頼を受けることはできないのです。