信義則とは

信義則というのは一般の私人間を越えて社会的に特別な接点を有するにいたった私人間において、法律行為を規律する上位規範であり、意思表示にも優先する概念であるということをまず、基本として理解しておく必要があります。

もうこの時点で一般向けのブログではなくなってますね。

あ、さてー(高速道路のSA・PAのトイレで流れる道路情報風に)

信義則が適用されるというのは、すでに何らかの理由で上記の接点を有するに至った当事者間での法律行為について、ということです。
信義則≒禁反言の原則と、ここでは理解のために前提とすることにいたします。両者は完全には一致しませんが(信義則の適用対象のほうが広い)、ほぼ同じものと理解してください。
そうすると、以前同じ人に対し、なんらかの先行行為があって、初めてそこに、相手方に対する信頼が生まれる。これが信義則の基礎となる、相手方が自らの行為によってその後の行動も予測のとおり進むだろうと考えることは社会一般に見ても通常といえる場面があります。ところが、その期待を裏切る行動に出ることで、信頼が損なわれること、これが信義則に反するという状況なのです。

クレサラ対協の弁護士は何べん説明しても、この部分がまったく理解できない。
理論として理解しようとせずに、感覚的に理解したつもりになっているから、消費者に不利益=信義則に反すると思っている。

宇都宮簡易裁判所の判決は上記の理論の流れに即して解釈していけば、ポイントとなるのがどの部分なのかは自ずと明らかだと私は思うんですけどね。
誰かの準備書面や判決の言い回しを右から左の前に、理解しろよ、依頼者ごとに事例は違うんだから、なぜ同じ解釈をたどるのかという規範となる事実の認定に対し、どのような事実と証拠をもって臨むかというのが弁護士として重要だということをずっといい続けているのですが。