差別とは

たーぼーでございます。(´▽`)


夜にスーパーテレビという番組でホストの密着取材をしておりました。

やはり凄い世界です。一晩に数百万と使ってしまう人もおり、

数十万などザラな世界です。


さて、ホストや風俗の世界など、一般的に水商売と言われる世界は差別的な目で

見られています。知り合った相手の仕事を聞いて、風俗で働いていると言われたら

偏見の目を向けてしまう人は少なくないはずです。


なぜでしょう?体を売るなど言語道断、下賎な世界だ、金だけの汚い世界だ、将来を

考えていない、など様様な意見があるでしょう。「あいつらの目を見てみろ。ロクな

目をしていない」「頭の悪いやつらばかりだ」などという人もいるはずです。


さて、性を商売とするのは果たして悪いことなのでしょうか?彼らはあくまで自分の

体を資本としているわけであり、誰に迷惑をかけているわけでもありません。消費者

もそれを求めて金を払っているわけですから、しっかりと相手に利益を提供している

わけです。

所詮金の世界だという人も多いはず。では他の世界はどうなのでしょう?たしかに金を

投資して赤字経営を繰り返しながら、それでも消費者のためにと働いている人はいます。

それはすでに自分の生活を成立させるお金があるからできることでもあり、彼らは金

よりも消費者の喜びを得ることに意味合いを感じているわけです。しかしそんな人は

稀です。どの世界も「消費者にいかに金を使わせることに従事する」。この基本原理は

変わりません。でなければ企業経営など成り立ちません。料理屋の世界はどうですか?

普段からきてくれる常連客のためにいいネタを提供する寿司屋。これは普段金を使ってくれる

客に更に金を使ってもらうための投資であり、この両者はお金の絡んだ利害関係で成り立って

います。坊主の世界など凄いものです。お金を寺に多く寄付した者ほど位の高い戒名が得られる。

こんな寺がほとんどで、これほど分かりやすい世界もありません。

将来云々ともいいますが、将来が約束されている世界などどれほどあるのでしょう?

プロスポーツの世界など、体を壊したら終わりです。プロ野球にしたって、1千万単位の金を

稼いでいる人は一部であり、少ない年棒でいつ解雇されるかも分からない綱渡りをしている

選手の方は大勢います。


なぜいけないのか?なぜ偏見の目を向けるのか? 論理をもって説明できる人はいるのでしょうか。

「とにかく体を売るのは汚い商売なんだ」「世間的にも格好がつかない」


         これが、差別です。


親が悲しむからという理由をつける人もいるかもしれませんが、それは逆です。差別された

世界に身を置くことに対し、悲しみが生まれてくるのです。



こうなると当然このような疑問が生まれてきます。


     なぜ差別をするのか?


差別というのは何も相手を見下すためのみに生まれてくるものではありません。

相手を崇拝する心、相手を怖れる心、蔑む心、これらは実は密接に関係しているものなのです。


なぜ性商売は汚いのか?

なぜ屠殺の現場を見るのを嫌がるのか?

なぜそれについて口に出すのもはばかられるのか?

なぜ食事マナーは存在するのか?


人類についての歴史は差別の歴史に置き換えられるといっても過言ではなく、

その根本は「怖れ」から生み出されるものなのですが。

まあこれについてはまたの機会にということで。(*´x`*)