「アースダイバー」読了

アースダイバー

アースダイバー

自分が中沢新一を読むときの典型的な経過をたどった。
最初、「おっ、スゲェー本ジャン!!!」と手にとってワクワクしながら読み始め、
読み進めるに従って「?????」と引っかかり始め、
読み終わる頃には最初の熱もすっかり冷めてる…

イヤ、今まで読んだ中沢の本の中では読み終わったときの落胆の度合いが一番少ない本だったと思う。
けれども、やっぱり、読み始めたときの期待に較べると、読み終わったときの「なぁんだ…」感は、何というか、余りにも「落差」が激しい…

結局、いつも思うのだけど、中沢新一は自分にとって「夜店で売ってる怪しげな緑のヒヨコ」だ。
一目見て「おお、スゲェ!!!」と私は思う。こんな生き物が本当にいるはずがない。しかし今この目の前にいるものは何だ! イヤ、本当のことを言うと、かなり怪しい状況であることは、心の底では分かってはいるのだ。でも、それを認めたくない。私は「緑のヒヨコ」が本当にいて欲しい。「緑のヒヨコ」こそが私の願望するものなのだ。だから、自分でもバカなことをしているなと思いながら、ついついその緑のヒヨコを買って家に持ち帰ってしまう… すると、当然のように、翌朝には冷たい死骸になっていたり、生き延びたとしても、二三日するうちに絵の具が剥げて普通のヒヨコに戻っていたりするのだけど…
「ああ、やっぱりなぁ…」と私は思う。やっぱり世の中にはそんな不思議なことなど起こるはずもない… やっぱり自分はバカなのだ… 夜店のオヤジを恨む気にもなれない。夜店のオヤジに本物の「緑のヒヨコ」を期待する方が間違っている。オヤジが売っているものが「祭の夜の一夜のファンタジー」であることは「大人の常識」というものだ。「魚心あれば水心」みたいなもんだよなぁ… むしろ自分は、一瞬の心の高揚を味あわせてくれたことを夜店のオヤジに感謝しなくてはいけない…

…というわけで、中沢先生ありがとう。
とても楽しかったです、読んでいる時間のうちの少なくとも半分ぐらいは。

それに、読み終わったときにも、すべてが夢と消えたわけでない。
今回に限っていえば、東京の縄文・現代重ね合わせ地形図が手元に残ったし…
この地図は使える…
これから東京に散歩に行くときは必ず持ってゆこう…