哲学

しばしば、わけのわからないことを「哲学的」と表現する。基本的に哲学というのはわけのわからないことを扱いそれについて「わけがわからない」と結論付けたり、「こうにちがいない」と結論付けたりする類の行為である。
しかし、こういう哲学の性質に根ざさない「わけのわからなさ」が近代以降の哲学には見られると思う。それは、一言で言うと哲学者本人もしくは同じ時代を生きた人にしか分からないという意味でのわけのわからなさである。その著作を理解するには書かれた時代背景や著作者のおかれた状況を察する必要がある。
このような比較的新しい哲学のあり方は、よく言えば時代に対応しているということなのだろうがその分、世界はどのように構成されているのかとか人間の意識とは何かとか、そのような根源的な問いに比べて問題のスケールが小さすぎるのではないのか。現代においてそのような根源的な問いが宗教やオカルトにしか存在しないとすれば嘆かわしい話である。
物理学と神経科学を極め、宗教や社会に対し客観的な視点を持てる人材が居れば哲学が大きく前進すると思うのだが…。