モハメド・アリ(カシアス・クレイ)死す!

6月4日(土)08:21〜09:22、トワ(永遠)の散歩。

薄青い空に薄雲が伸びる…。
燦々とした陽射し!

自宅発
⇢平成通り
→公園東通り[午前8時31分、スズ(とHayashiさん)に会うcf.Sep.29,2013、Apr.30,2015、Jun.3,2016→午前8時36分、小春(とTakahashiさん)に会うcf.Oct.10,2013、Mar.23,2015、Jun.3,2016] 
井の頭公園「公園東通り」側出入口
井の頭公園“散策路”[午前8時42分、約1年8か月半ぶりにクリ(とSugimori夫妻)に会うcf.July6,2013、Sep.16,2014]
井の頭公園・夕やけ橋
井の頭公園三角広場
井の頭公園・夕やけ橋
井の頭公園“散策路”
井の頭公園「公園東通り」側出入口
→公園東通

※私はトワを抱っこしながら、公園東通り⇒<みずき小路との曲がり角から><「公園東通り」側出入口まで>の坂道(下り坂)を下る
→トワはのんびりとした足取りで、「公園東通り」側出入口を通り抜け、“散策路”をぶらつき、夕やけ橋を渡り、三角広場の西端の公衆トイレ付近まで歩く
→トワは三角広場・公衆トイレ付近を数分ぶらついた直後にUターン、軽やかな足取りで、≪三角広場・西半分→夕やけ橋→“散策路”→「公園東通り」側出入口≫を歩く
→トワはゆったりとした足取りで、公園東通り⇒<「公園東通り」側出入口から><みずき小路との曲がり角まで>の坂道(上り坂)約30mを上る(cf.Feb.29、Mar.1、2、6、12、30、Apr.3、May4、30、Jun.3,2016)。

→平成通り
⇢自宅前(約10分、前足+後足のマッサージcf.Feb.27,2015、Jun.3,2016)
→帰宅。

◎「Kawakatsu宅」の新築工事58日目(cf.Mar.13、15、Apr.28、Jun.3,2016)。

●今日の東京の最高気温27.2度、最低気温16.3度。

★あのモハメド・アリカシアス・クレイ)が亡くなった!!
60〜70年代の彼は文字通り、世界を揺さぶった。当時の思い出が私の魂の中に鳴り響く!

モハメド・アリ氏、死去 元ヘビー級王者・徴兵拒否 プロボクシングの元ヘビー級王者、モハメド・アリさんが3日、米アリゾナ州の病院で死去した。74歳だった。米NBCが報じた。リングの外でもベトナム戦争への反対や人種差別、信仰の自由をめぐる言動で注目を集め、20世紀の米社会を代表する人物の1人だった。
1942年、カシアス・クレイとして米ケンタッキー州ルイビルで生まれ、12歳からボクシングを始めた。60年のローマ五輪で、ライトヘビー級の金メダルを獲得したが、自伝によると、米国へ帰国後に黒人であることを理由にレストランで食事の提供を拒まれ、川に投げ捨てたという。 
プロ転向後の64年にヘビー級王者に挑戦。前評判では不利とされたが、「チョウのように舞い、ハチのように刺す」という言葉通りにソニー・リストンを破り、世界王者となった。同じころ、黒人指導者のマルコムXらの影響を受けてイスラム教に改宗し、名前をモハメド・アリに改めた。
プロとして無敗のままだった67年、信仰とベトナム戦争への反対を理由に米軍への入隊を拒否。ボクシングライセンスを剥奪(はくだつ)され、王座も失ったが、「私とベトコンの間に争いはない」との言葉が有名となるなど、世論に影響を与えた
70年にライセンスを再び取得してリングに復帰。74年に、当時無敗の世界王者だったジョージ・フォアマンに勝利し、7年ぶりに王者に返り咲いた。78年にレオン・スピンクスに敗れたが、同年の再対決で勝ち、3度目の王者となった。
81年の引退後は人道的活動に力を入れ、国連の「平和大使」にも指名されたが、パーキンソン病を発症し、次第に活動が難しくなった。96年のアトランタ五輪では、病気の影響で手が震えながらも、聖火点灯の大役を果たした。近年は体調が優れず、入院を繰り返していた。(ダラス=中井大助)》
朝日新聞東京本社版2016年6月4日付夕刊1面)