平成十九年三月八日木曜日

午前中までぐだぐだして午後は部屋の片付けをして、その後青春18きっぷで歸宅。札幌驛で電機屋廻りをしたかったのだけど、乘換へ時間がなかったのでビックだけで濟ました。汽車に乘込んで坐れる席を探してゐたら、偶然同じクラスの友人がゐて聲を掛けられた(目のまへにゐたのに全く氣付かず驚いた)。その友人は北大を受けてゐて、無念にも合格ならず落膽してゐたところだった。別に咽いでゐたわけではなかったが、心なしか涙目だった氣がした。ずっと何者かとメールをしてゐたが、折を看て話しを聽いた。頭も佳い奴だったので北大にもきっと行けるだらうと思ってゐたところだったので、意外ではある。話すべきことはいろいろあった氣がしたが、失意の人間には酷だらうと思ったので岩見沢で乘換へのときに彼女と別れた。

康煕字典体もどき:追記

「?」と「醗」よりもさらに有名な問題に文藝家がよく取り沙汰してゐた「?」と「掴」がある。鐸木能光さんの「鐸」をめぐる旅(5)によると、それが、ワープロが登場し、当初の十六ドットフォント印字では解像度が足りなくて、手偏に國という正字の「掴」が印刷できず、苦肉の策で、それまでは使われていなかった「掴」という字を作り出すことになった。それをいいことに、八三年のJISコード改定で、漢字制限論の学者が勝手に「掴」をJISコードに取り入れ、正字を追放してしまった……。とのこと。前述の字も、これと同じやうな事情があったのかも知れない。

文字コードの問題を知らない方は、「鐸」をめぐる旅(1)からの一連は參考になると思ひます。