『主婦之友』的特攻生活

いよいよ空襲も始まり、配給物資も逼迫してきた昭和19年頃を境にして、雑誌「主婦之友」は、さまざまな決戦的銃後生活スタイルをしつこくご提案し続けた。特集タイトルをならべるだけで「大東亜戦争」の戦況がうかがえるほどの時局密着ぶりだ。


必勝の防空生活(昭和19年3月号)


戦う育児生活(同年8月号)


敵前生活(同年10月号)


突撃生活(同年11月号)


滅敵生活(同年12月号)


勝利の体当り生活(昭和20年1月号)

勝利の頑張り生活(同年3月号)


一億特攻の生活(同年4月号)


勝利の特攻生活(同年7月号)


 だんだんと自滅へと向かう青筋の立てかたに、思わず右肩上がりの折れ線グラフを書きたくなってしまうほどだ。個々のタイトルは、人口に膾炙した時局用語に「生活」をくっつけただけのシロモノで、それじしんまったく意味不明なコトバではあるが、無内容な雰囲気を扇動する言霊技術として見れば、まさに「神」の領域に達していると言えよう。
 昭和20年になると、「勝利の体当たり生活」「勝利の頑張り生活」「勝利の特攻生活」……と、もうヤケクソとしかいいようがない意味不明な特集が組まれている。ちなみに昭和二十年四月号の同誌には「一億総特攻の生活」と題して、矢野常雄防衛総司令部参謀・陸軍中佐が談話を寄せている。

特攻隊勇士のお母さんや奥さんのことを考えてみてください。この人達は自分の一番大切な子供や良人を、喜んでお国に捧げているのです。私はこの戦争が終わったら、華族の外に「特攻族」というものを制定してほしいと思っているものでありますが、とにかくこの人達のことを考えれば、とても自分だけよければという考え方や行為は、できないはずです。一身一家のための物欲は、今日からすっぱりと捨ててしまいましょう。これも特攻精神の大きな現れであります。こうして、国内戦線のわれわれが、今まで捨て切れなかったものを全部捨ててしまう。見栄も、体裁も、物欲も、浪費癖も、楽をした心も一切捨ててしまう。(七頁)

要するに「特攻生活」とは、個人的利害を「すっぱりと捨ててしまいましょう」と言うことらしい。それがどうして「特攻」なのかは突っ込まないことにしても、本邦初演の「特攻族」構想には笑った。すでに敗戦局面が目に見えている中にあって、自分たち軍人のヘタレぶりは無反省なまま、一億総特攻の精神で呼びかけている無神経さはどうにかならぬものか。

何くそという当今を奮い起こして、一人で二人前も三人前もの働きをする。一言にして言えば、今まで言うべくして行われなかったことを片っ端から実行する――これが一億総特攻の生活であります。

などとぬかしているのだから、内容的には結局これまで以上に気合いを入れて勤労動員にいそしめ、ということを言っている以上ではない。しかし「特攻」を冠することで、無私と殉忠の精神を思い起こさせ「おいらもがんばらねば」と国民が奮起するに違いない、とい考えているところが小癪である。
 こういう「特攻」権威主義を振りかざす根性は、戦後六十余年を経た今日でも連綿としており、「特攻」と聞くとパブロフの犬的になんだか感動して涙が出てきちゃう前々首相をはじめ、男根的東京都知事などは思いこみだけで「特攻」映画までつくったほどである。しかし『主婦之友』のこの記事にも明らかなように、「特攻」を尽忠のモデルとして全国民に「特攻」が押しつけられていたのだから、映画館でまぬけな感涙にむせぶ前に、国民を守ることもできない大日本帝国のヘタレぶりを十分に驚愕するところから始めた方がよいのでないか。