いいところわるいところ

 よし、いろいろ書いたけど全部消した。
 いいところとわるいところがあった場合、まずいいところを指摘できる人に私はなりたい。
 Maay@sでかなり意識して私が取り組んでいるのが6年前くらいに作った批評テンプレート。
  1.挨拶。
  2.よかったところ
  3.わるかったところ
  注:よかったところは具体的に
  注:よかったところ:わるかったところ=3:1
 まぁいいところをたくさん見つけられる人になりたいなってことなんですけど。
 
 小説投稿サイトっていろんな人がいて、処女作は技術的にメタメタで読めたものじゃないんだけど魅力はある、みたいな人が意外と多くいたりします。でもそんな人のほとんどが、ここがダメ、ここ直して、ここ違うという指摘どおりにダメなところを直しているうちに「ダメじゃない作品」しか書けなくなっちゃったりする。
 何の漫画だったかな、忘れたけど
「間違ってないことをしようっていうのはすごく後ろ向きな気がする。正しいことをしようと思える人になりたい」
 みたいな台詞があったような気がするのですけど、
 私たちが指摘することで、他の人をサポートできるとするのなら「ダメじゃない作品」を書けるようなサポートじゃなくって「いい作品」を書けるようなサポートができるようになりたい。細かく見えてくる粗をひとつづつ潰すよりは、キラキラ光ってるところをぐんぐん伸ばしてあげたい。
 傲慢な考えだとは思いますけどね。
 「面白くなくない作品」なんて誰も読みたくないわけで、そりゃ「面白くない作品」よりはいいけどさ。
 それよりも私たちが求めてるものって「面白い作品」でしょ。
 だったらそれを相手が出してこられるように協力するべきだと思うの。自分のためにね。
 
 ここダメそこダメダメダメダメって言われたら萎縮して、楽しく作品書けなくなっちゃう。
 やっぱり褒められたほうが嬉しい。そのほうが次はもっといいの書こうって思える。
 作者が楽しんで書いたってわかる作品のほうが読んでいて楽しいし。 
 だから、もしわるいところを指摘するときでも、ここをこう直せばここがこうよくなるよって言えるようになりたい。
 これはネット小説界隈での話だけれど。
 そのためには、どこがどうだったらいいのか、どこがどうだからいいと感じるのかっていうのを本当に真剣に考えないといけないし知らないといけないし勉強しないといけない。そんなに簡単なことじゃない。
 見返してみてもぜんぜんできてはいないし。
 でも、そうしたいと思う気持ちを持ち続けるのが大事だと思う。
 
 そんなことを顔文字漫談の人こと、カズマさんのブログでの批評と批判関係記事あたりを読みながら考えました。
 あちらのお題は、ニコマス関係者同士でなんでもっと交流しないん?っていうのがメインだとは思いますけど。