ラビンドラナート・タゴール生誕150年記念祭 IN 神戸

今年2011年は、アジアで初めてノーベル文学賞を受賞したインドの詩聖ラビンドラナート・タゴールの生誕150年にあたります。タゴールは日本に5度来日していますが、最初の来日は 1916年で、神戸に到着しました。その記念すべき神戸の地で、タゴール生誕150年記念の会を開催し、タゴールの目指した美の実現を“お話しとタゴールの詩の朗読・光の舞”を通して、皆様の心と響きあわせたく思います。

■「タゴールが目指した美の実現」
■日時:7月10日(日)14時〜16時(受付13時30分)
■場所:賀川記念館(神戸市中央区吾妻通5-2-20 078-221-3627)
■入場料:1,000円
■主催:タゴール生誕150年記念会、共催:国際平和協会、後援:インド大使館
■お申込み:tagore150japan@jaip.org 又は office@core100.net
■問い合わせ:090-9397-8727(事務局長 大場)

 第一部 14時〜15時 講演「タゴール哲学の現代的意義」精神のグローバリゼイションを求めて
               野呂元良・元コルカタ総領事
 【野呂元良】1947年3月三重県生まれ 慶応義塾大学法学部卒1971年4月 外務省入省国際協力局人道支援室長、在コルカタ総領事、在マラウイ初代常駐大使 2010年11月 退官2011年5月 現在 日本マラウイ協会副会長

 第二部 15時〜15時30分《タゴール詩の朗読と光の舞》
               光の舞 板倉リサ・詩の朗読 大場多美子
 【板倉リサ】タゴールとつながりの深い武蔵野女子大学文学部日本文学科卒業。帝劇などの東宝ミュージカル大地真央作品に数多く主要メンバーとして出演。2007年日印交流年では、日印親善大使を努める。以降日印共同制作によるボリウッド映画作品に主演し、現在は、ダンスワークアウトを通して 平和なる世界の誕生を目指している。http://members2.jcom.home.ne.jp/lisaitakura/    
 【大場多美子】色彩アーティスト。TAOとウパニシャッドを独自で研究し、五感開化による全人教育に取り組んでいる。現在は、タゴールの詩の朗読を通して、宇宙の調和の法則、自然界の調和と五感でつながるプログラムをしている。 http://www.radio-new-mumbai.com/

 第三部 15時30分〜15時40分  全員でタゴール詩の朗読

「タゴールイヤーに寄せて [板倉リサ ]

 ボリウッドダンサーの板倉リサさんがブログに書いている。
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 あるテレビ局のエグゼクティブプロデューサーに「一昔前なら日本人のだれもがその詩をそらんじることができたんだよ」と聞いたけれど、今、ほとんどの日本の大学生たちに聞いてもわからないと答えるでしょう。「ボリウッドってなあに?」って言うのと同じく「タゴールってなあに?」……代表作「ギタンジャリ」、知ってたらスゴイぞ〜〜!

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 http://news.indochannel.jp/column/clm0000225.html

坪内隆彦が語るタゴールと天心

元日経記者の始めた「アジアの声」は「坪内隆彦『維新と興亜』研究ノート」に改変された。もちろん東日本大震災がひきがねであろう。その中で坪内氏はタゴール岡倉天心に共通する「アジア」を見いだしている。ホームページから転載したい。
http://www.asia2020.jp/tenshin/tagore-j.htm

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タゴールは、天心に極めて近似した思想をもっていた。1902年にインド滞在中の天心がタゴールとはじめて出会って意気投合し、影響をあたえあったのは偶然ではない。ともに二人は国際人であるとともに、アジアの伝統に価値を見出す国粋主義者であったからである。
 かつて評論家の竹内好は、天心とタゴールをともに「美の使徒」と位置づけた。
 タゴールは、天心と同様、アジア的価値観を高く評価し、たとえばこんなふうに語っていた。

「ここでわたしは、国民と国民との間に存在する唯一の自然の絆、緊密な友情の絆により、ビルマから日本にいたる東アジア全体が、インドと結盟していた時代を、諸君の知性に紹介せずにはいられない。そこには、人類の最も奥深い要件について、われわれの間に意見の交換を可能にするような、生きた心の通じ合い、一つの精神的な繋がりができていた。われわれの間はお互いの警戒心によって邪魔されることはなかった。相手を抑制するために、お互いが武装し合うことはなかった」、「〈われわれの関係は自己本位の関係や、お互いに相手の懐中工合いを探り、掠め取ろうとする関係ではなかった。〉〈観念や理想を交換し合って、最高に愛すべき贈り物をしたり、もらったりした。〉〈言語や習慣の相違はお互いの心と心との接近を妨げなかった。〉〈人種的誇りあるいは肉体的、心理的な優越感の傲慢さによって、われわれの関係が傷つけられることはなかった。〉〈われわれの美術や文学は心と心との結合という陽の光の影響の下で、若葉をのばし、花を咲かせた。〉〈そして土地、言語および歴史を異にする各人種が、至上の人間の一体性と最も深い愛の絆に感謝した。〉」(蝋山芳郎訳、「日本におけるナショナリズム」)

Ore Grihobashi タゴール

オ〜レ クリコバシ


さあ、みんな扉を開け放ち、躍りましょう
大地に、小川に、森に、全てが躍りだす
扉を開け放ちましょう、さあ一緒に

春を呼ぶオショークやポラーシュが咲き誇り
暁に染まりゆく 雲の共演
新芽の舞が はじまりを告げる
扉を開け放ちましょう さあ一緒に
緑の森を さらさら流れる南風
蝶たちは 野の草に舞う
蜜蜂は飛び交う 花から花へ
羽音をふるわせ 趣くままに
マドビの花園が 甘い香りに包まれる
扉を開け放つのです さあ一緒に

訳 By Yuka Okuda

Bipode More Rokka Karo タゴール

タゴール 果物採集 訳 石川拓治


危険から守り給えと祈るのではなく、
危険と勇敢に立ち向かえますように。

痛みが鎮まることを乞うのではなく、
痛みに打ち克つ心を乞えますように。

人生という戦場で味方をさがすのではなく、
自分自身の力を見いだせますように。

不安と恐れの下で救済を切望するのではなく、
自由を勝ち取るために耐える心を願えますように。
成功のなかにのみあなたの恵みを感じるように、
卑怯者ではなく、失意のときにこそ、
あなたの御手に握られることに気づきますように。

この偉大な宇宙の中に タゴール

この偉大な宇宙の中に
巨大な苦痛の車輪が廻っている
星や遊星は砕け去り
白熱した砂塵の火花が遠く投げとばされて
すさまじい速力でとびちる
元初の網の目に
実在の苦悩を包みながら。
苦痛の武器庫の中では
意識の領野(りょうや)の上に広がって、赤熱した
責苦の道具が鳴りどよめき
血を流しつつ傷口が大きく口をあける
人間の身体は小さいが
彼の苦しむ力はいかにはてしないか
創造と混沌の大道において
いかなる目標に向かって、彼はおのれの火の飲物の杯をあげるのか
奇怪な神々の祝宴で
彼らの巨大な力に飲みこまれながら――おお、なぜに
彼の粘土のからだをみたして
狂乱した赤い涙の潮が突進するのか?
それぞれの瞬間に向かって、彼はその不屈の意志から
かぎりない価値を運んでゆく
人間の自己犠牲のささげもの
燃えるような彼の肉体的苦悩――
太陽や星のあらゆる火のようなささげものの中でも
何ものがこれにくらべられようか?
かかる敗北を知らぬ剛勇の富
恐れを知らぬ堅忍
死への無頓着――
何百となく
足の下に燃えさしを踏みつけ
悲しみのはてまで行く、このような勝利の行進――
どこにこのような、名もなき、光り輝く追求
路から路へと辿(たど)る共々の巡礼があろうか?
火成岩をつき破るこのように清らかな奉仕の水
このようにはてしない愛の貯えがあろうか?

訳 山室静

タゴール氏のことども 横山大観

 
 印度の名門、プリンス・ドワルカナート・タゴールに二人の子があって、兄をデベンドラナート・タゴール、弟をナーゲンドラナート・タゴールと云った。デベンドラナートの方に七人の子供があって、長男がデゼンドラナート・タゴールと云って、これは目今、最も有名な哲學者で、末子をサー・ラビンドラナート・タゴールと云って、今回来朝された、ノーベル賞を受けられた世界的大詩人であります。この兄弟は何れも名高い有為な人々である。弟のナゲンドラナート・タゴールの方には二人の子供があって、長男をガガネンドラナート・タゴール、次男をサマレンドラナート・タゴール、三男をアバニンドラナート・タゴールと云ひ、これ又有名な方々であるが、殊に長男と三男とが名高い。

 このタゴール一家は印度に於ける名門であるが篤めに、英國女王ビクトリアが一門の棟梁に謁見を仰せ付けられた時も印度の礼式に従ってならば、其望に應じやうと云ふことで、女王の前で印度式の趺坐をなし、水煙草を呑みながら拝謁したと云ふことである。
 岡倉党三先生がタゴール家の一族なるシュレンドル氏の宅を訪問したのは、今を去ること十三年前のことで、英國の雑誌記者と同伴したのである。此時に岡倉先生はタゴール氏と會見した。タゴール氏は先生の談話を詩いて、いたく感服したと云ふことは、氏自から之れを談って居る。岡倉先生が印度の眠れるを慨し、其詩的にして印象深き言葉を以って、印度人の覚醒を叫んだ。印度の青年は酔へるが如く之れを傾聴しシュレンドル家は此等青年の集まる所となり、岡倉先生を圍繞して大に啓發せらるゝ所があった。岡倉先生が「東洋の理想」を著はされたのも、此時である。叉印度を風刺したる小冊子を著述して、印度人を鼓舞したが、此小冊子は英國官憲を憚って、焼き捨てゝしまった。岡倉先生が印度の思想界に投じたる火は焔々として、燎原の大火となった。英國の官憲はしきりに岡倉先生の行動を物色して、之れを怠らなかった。先生は佛陀伽耶の霊蹟を保存せんとして、白から金を寄附して霊蹟の買収をされやうとしたが、英國官憲は之れを妨げた。又亜細亜に於ける佛敦徒の大會を日本に開き、東洋人の精神統合を計らんとして、シュレンドル家も寄附金を出したが。此時恰も日英同盟の成らんとした際であった為めに、其事を果すに至らなかった。
 バルマのチバラの王子はタゴール氏が其師傅となって、敦導して居たが、岡倉先生は氏と共に、此地を訪ひ、王子の宮殿装飾を一切日本人の手に依って為すことを約束し、其がために私と菱田春草が岡倉先生の知せにより渡天することになった。然るに上陸すると英國官憲の注視があったがために、一ヶ月ばかりカルカッタの商人の家に伏し、其後シュレンドル家に寓しこゝにてタゴール氏に始めて會見した。シュレンドル家に寓すること一年ばかりの間に、私どもは同家の為めに数十幅の繪画を画いた。ビヂットラの美術學校はタゴール家の私設であって、岡倉先生の啓發によりて成ったものである。此度タゴール氏の将来したる印度繪画を見てもわかるが、印度の新繪書は旧美術院派とペルシャ画の影響を受け、之れに西洋の水彩画を加味したものである。
 タゴール氏の来朝の目的は日本國民の内的生活を見やうと云ふのであるらしい。日本の山水、日本の古芸術品を見るのは其目的でなくて、日本國民の精紳状態、國民性の基くところ、精紳的文明の進度を見たいと云ふ希望である。此う云ふ目的であるから、皇上への拝謁をも願はず、歓迎の煩をも厭ひ、都會的生活よりは寧ろ田舎生活、僧房生活などを味はうとしてゐるのでどこまでも詩人であります。(談話)(『人文』大5・7)