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2017-05-28

ポニーテールのキャラに与えられるヒロイン力

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ポニーテールは振り向かれない
TYPE-MOON作品にはアルクに両儀式に遠坂凛弓塚さつきとセミロングやツインテールのヒロインはいますが、ポニーテールのヒロインはイラストを担当する武内崇さんの趣味なのかいません。ポニテに分類されそうなのは佐々木小次郎、蒼崎橙子、ロマニ、リーズバイフェとヒロイン力が低い人ばかり。

そこから思考を巡らせていて気が付いたのですが、ポニテヒロインの不人気はTYPE-MOON作品に限らず色んな作品に当て嵌まる話ですね。現実でも使われる髪形だけあってポニテが登場する頻度は決して少なくありませんが、メインヒロインに使われ難い髪型ではあります。ハーレムラブコメにおいてポニテのキャラはサブヒロインに配置されればましな方で、主人公を奪い合う舞台に上がれないこともしばしば。ポニテは知名度も歴史もあるのにどうして待遇が微妙なのか、それをポニテに抱かれる印象から考えていきます。

運動に適したポニテと併せて付与される要素としては剣士、活発、強気があります。まあそれだけ言われても実感が沸かないかもしれないので、具体的に上記に該当するキャラを幾つか挙げていきます。ポニテは侍の髷に似ている故に剣士の中で特に刀を扱うキャラに使われやすく、篠ノ之箒、神裂火織、壬生紗耶香、三枝わかば、トウカがそこに該当。

ポニテは侍から発展して剣道に弓道と武道も連想させる髪形であり、武道を学ぶ者は己を厳しく律して精神を鍛える傾向が強く、それを連想させるポニテは九条凛、上野錐霞、宗谷ましろ、此花ルチア、如月ツバサと委員長系の真面目なキャラの記号にもなります。これらのキャラのポニテはボリュームのあるぼさぼさやふわふわした感じではなく、凛とした真っ直ぐ下ろしたポニテの割合が高め。ちなみに海外作品に疎いので推測になってしまいますが、侍不在の西洋では女剣士なら真っ直ぐに下ろしたポニテという文化は弱い気はします。

さて先に書いたようにポニテは運動に適した髪形であるところから、運動を好まない内向的な文学少女と真逆で物事を難しく考え過ぎないサバサバした性格のキャラが多く見られます。松浦果南、ヨーコ、キュアマーチ、マージョリーなど姉御肌のキャラやセーラージュピター我那覇響佐倉杏子など口調が女の子らしくないキャラが印象的。そうしたイメージがポニテに定着していることは「ひぐらしのなく頃に」の園崎魅音園崎詩音のデザインに表れています。あの作品はおじさん口調で姉御肌の魅音がポニテ、敬語口調でお嬢様風の詩音がロングなんですよね。もちろんこれは傾向であるのでポニテのキャラに必ず当て嵌まる訳ではありません。
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「WORKING」の全巻を読んでいない為に真相は違うかもしれませんが、ぽぷらがポニテを選んだ理由は動物が威嚇する際に直立して自分を大きく見せようとするみたいに、ポニテにして髪を頭より高い所に置いてコンプレックスの低身長を誤魔化したいからではないかと思っています。それとどうでもいい話なんですけど、ポニテのキャラが男性の場合は美形率がやけに高いですよね。

話を戻しますが、ポニテのキャラは男性が求める女の子らしさと縁の無い性格にされがちです。ヒロインは男女平等の時代に合わせて守られるだけではないキャラも増えているとはいえ、それでもヒロインは根本的な部分で主人公より幼く弱い方が未だに好まれているので、ポニテにありがちな姉御肌や武士系のキャラは属性的にメインヒロインとして選ばれないようです。これがポニテが髪形として好きな人が多い割にメインヒロインに使われない大きな要因と考えられますが、その他にポニテはロングやセミロングのメインヒロインがイメージチェンジに使う為に恒常的に使われない側面もあると思います。

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手軽でかつ機能的に優れたポニテはツインテと異なり運動の時、料理の時、暑い時に自然な流れで使える髪形。これを千反田える、戦場ヶ原ひたぎ、加藤恵のようなロングやセミロングのメインヒロインが用いることで普段と一味違う魅力を作り出せます。言うなればポニテはメインヒロインのサブウェポン。そういえば京アニの作品は原作で描写があるものから、そうではないものも含めて女性の髪形が作中で何度も変わりますね。この点に関しては京アニの映像表現に対する拘り方に加えて、外見に気を使う女性が力を持つ社風も無関係ではないかもしれません。

その話は置いといてメインヒロインに新たな魅力を付与する意味でポニテは役に立ちます。その効果を軽減させない為に競合相手となる普段からポニテのキャラの登場を控えるのは戦略的に有り得るのではないでしょうか。そこまで先の展開を考え抜いてデザインする作り手は少数派な気はしますが、キャラとキャラが被る状況を避ける為にある程度は考えていると思います。

女児向けアイドルアニメと男性向けアイドルアニメから見える美少女のデザイン - アニメ見ながらごろごろしたい

2017-05-21

「モアナと伝説の海」魔女を倒す英雄も守られるプリンセスもいない

最近のディズニーアニメは「ベイマックス」や「ズートピア」を見れば分かるように観客の予想を外そうとして物語が二転三転する傾向が見られますが、「モアナと伝説の海」は上記作品と比較すれば終盤に意外な真実が明かされる以外はストレートな構造の物語でした。島の外に出たい夢と村を救う大義が重なりマウイを探す為の旅に出たモアナ、基本的にモアナとマウイが旅を通して精神的に成長する物語。

3DCGによる本物以上に本物に見える壮大な自然の美しさには心を奪われましたが、物語に関しては大傑作「ズートピア」と比べて些か弱い印象を受けました。個人的にキャラも微妙でモアナは海に出たいと言う割には航海の方法を陰で勉強していないし、モアナはマウイに従来の王子様を待つだけのプリンセスとして見られることを嫌がりますが、夢を叶える努力をしている姿が見えない点でプリンセスと変わらなくて、不可能と言われても決して諦めず前に進むジュディのように応援したいとは思えませんでした。ただ「モアナと伝説の海」はモアナとマウイの成長が中心ですから、序盤が残念に見えるのはスタッフの狙い通りという気もします。


他者を必要としない自由な生き方
先程はモアナは従来のプリンセスと変わらないかの様な書き方をしましたが、それはあくまで自分の主観で作中におけるモアナの役割は決してプリンセスではありません。ディズニーは大衆に受ける事を意識している故に考え方が保守的で白人男性に都合の良い作品が多く、過去には黒人に対する差別的な描写を批判された経験もありましたが、男女平等を推し進める近年のアメリカの作品だけあって「モアナと伝説の海」も女性が男性と同様の活躍をしています。

それは女性であるモアナが父親から次の村長になるように命じられていることにも表れています。モアナに与えられた使命は村人を守ることであり、女性だから結婚して子供を産んで家を守れなんて言われたりはしません。今時の作品らしい展開は他にも幾つか見られるのですが、個人的に凄く良いなと思えたのはモアナとマウイが共に暮らさないこと。「アラジン」や「美女と野獣」など数十年前のディズニーでは苦難を乗り越えた男女が結ばれて幕を閉じるのが物語の基本型でした。

ところが「モアナと伝説の海」ではモアナとマウイは結婚しなければ、「ズートピア」のジュディとニックみたいにバディを組んで行動もしません。親に捨てられ孤独に生きたマウイなんかは人々からの愛に飢えていたので、モアナとの冒険を終えた後は彼女の村に迎えられてもよさそうなものですが、あえて他者と距離を置いて孤高に生きる道を選択します。その答えは単純でマウイはもう他者を必要としないからです。

マウイが抱えていた孤独感と自意識の問題は旅を通して無事に解消され、モアナと過ごした日々は思い出としてマウイの記憶と肉体に刻まれた。それさえあればマウイは昔のように人々の望みを叶えて英雄視されるなどの他者承認が無くとも生きる力が湧いてきます。マウイが本当に自立したと観客に伝える為にもモアナと村に住んではならない。別れても心に残せるものがあるなら構わないというのは「Fate」を思い出します。この安易に仲の良い男女を結婚させない展開に好感が持てますね。

人と人との関係は共に生きて愛し合う以外にもあります。大切な人から学んだ知識を次世代に継承することは相手を生かして人生に意味があると肯定することでもあります。モアナにはマウイから伝授された航海の技術が残されており、それは彼女を通じて村人に共有されていきます。マウイと離れて暮らしても彼と共に過ごした日々は無駄にはなりませんでした。ちなみにモアナがマウイから与えられた贈り物が他所から奪われたものではなく、彼自身の持つ知恵なのは大きな変化だと思っています。


神の掌で踊らされるモアナとマウイ
マウイが大昔に盗んだ命の女神テ・フィティの心を返して世界を元に戻す。それがモアナとマウイの旅の目的で、その道中に溶岩の悪魔テ・カァと戦います。実はこのテ・カァの正体が心を奪われたテ・フィティで、テ・カァは自分の心を取り戻そうとしていたと終盤に明かされます。この衝撃の事実を聞かされて、ある疑問が湧きました。それはモアナとマウイがテ・フィティの心である石を返しに行かなければならないのかということです。というのも石には意思と不思議な能力があるらしくて、海を操りモアナの場所まで自力で移動してきたり、役目から逃げるマウイを捕まえたりします。これだけ自由に動けるなら石が本気を出せば目的地まで行けそうなんですよね。

テ・カァは理性を持たない化物に見えて、その行動原理は無くした心を取り戻す事にあり、その証拠にモアナがテ・カァの胸に石を戻す際には大人しく受け入れます。テ・カァがモアナとマウイに攻撃していたのも彼等が真実を知らずにテ・カァから逃げていたせいなんですよね。これらの情報を合わせるとテ・フィティの心が海から飛び出してテ・カァの胸に戻ろうとすれば解決したのではという気がしてならない。

それが可能だと仮定した場合、モアナとマウイの旅は世界を救う意味では本来必要の無いもので、あれは彼等を成長させる為にテ・フィティの心が無理矢理やらされたものと考えられます。目的がそれだから海を操る力を持つ癖に変な所で非協力的な姿勢を貫いていたのでしょう。ちなみにテ・フィティの心が世界を戻す役目をモアナとマウイに任せて、長年海底でふらふらしていた所為で沢山の島々が滅んだみたいです。マウイを成長させる為にそれ程の犠牲が出ても気にしない価値観は非常に神様らしいですね。

ちなみにこの作品は敵を倒す場面は基本的に見られません。カカモラ戦もタマトア戦もテ・カァ戦も逃げるばかりで、悪い奴を倒してめでたしめでたしにはならないんですよね。冒険譚では派手に倒す方が観客に爽快感を与えるのは目に見えているはずなのにしない。戦うべき相手は悪役ではなく己の弱い心。このマウイという男性を悪役を倒す英雄にしない点も昔のディズニーと違いますね。

ところでTwitterをしていたら「モアナと伝説の海」がギルガメッシュを召喚した衛宮士郎の物語に例えられて話題になっていたんですが、個人的にはキャラの能力も性格も似ているとは思えなくて発言の意味がさっぱり分かりませんでした。同意する人が多いので共通点はあるはずなんですけど見当もつかない。

「アナと雪の女王」のトロールの罪は重い - アニメ見ながらごろごろしたい