2010-02-08
■今週のお題「春が来たら」
先日天気が良かったのでカメラ片手に散歩してきた。主な任務がサッカー撮影のペンタックスK-Xではあるが、たまにはサッカー以外のものも撮っておかないとね。
サッカーがオフシーズンで使わないでおいたら、このままではホコリかぶるぞ!とK-Xが訴えかけてきてしぶしぶまだ寒い県北を歩いてきたのでした。
ほんとに良い天気だったけど、さすがに風は寒い。しっかり着込んで正解だった。まだまだ春は遠いなあ、と飼われている牛に話しかけてみたり。
あんまり長い距離は歩かなかったので写真の方は不作。もう道路が凍結する日は少なくなったし、今度カメラかついで遠出しましょうか。
ほどよい寒さのこの時期は大好きだけど、暖かくなったら春の風景を相棒とともに撮りに行くのが今から楽しみ。
2009-12-28
■[日記]いつのまにか
だしたはてなアイデアが検討中になっていた。
http://i.hatena.ne.jp/idea/23624
ランダムに出てくるようになったということ。でもさっきから何回か開いてみてるけどなかなかお題が出てこない…
こういうお題ってのは、日記を書きたくてもなんのアイデアも出てこなくて迷っているダイアラーのためにあるんだろうから、編集画面からダイレクトでお題がわかるようになってないとダメだと思うのだけど
2009-03-23
■[日記]10代の時に読んだ富野由悠季の小説で
Zだったかνだったかわすれたのだけど
親父はいい時に死んでくれたんだよな。というようなセリフがあって、未だに頭の隅にこびりついている。
もっとも近しい他人である親との関係がわずらわしいのは当然であろうと思うけど、歳をとるたびに悩ましさが増してくる。いや、今まで見えなかった問題が見えてきてしまう、いやでも実感してしまうというのが近いのかな。
およそ孝とは縁遠い人間であるわけで、人に会えば生きててすいませんとあやまるしかない自らを思うと、親はこれから生きてても良いことなんてないよな、と思わざるをえない。自分の老いを自覚し始め、思うように動かなくなる体をもって自らの未来はもう無いのだと思い知らされる時に映る風景とはどんなものだろう。
その風景には映ってほしくないな、と思わずにはいられないのだが。親子とは因果なもので。
風景に映る不孝な我が子は、既に青年ではなく、自分が信じた未来への幸せを増やしてくれそうにない。そんな景色は絶望ではないのだろうか。
憎んだこともあった。だが、殴り殺すことはなかったので結局はたいした憎しみではなかったのだろう。嫌悪したこともあった。しかし、相手の破滅を願ったことまではなかったので結局はたいした嫌悪ではなかったのだろう。最後に残ったのは、ただ親子であるという関係のみだ。
血の濃さなど感じたことはない。親子だけのつながりなど知らない。
でも、親子という関係はなくならない。
アムロのセリフを思い出す度に、不孝な子にとって親の災息は絶望なのかもなあ、とぼんやり思う。もっとも、ろくでなしのくせに悪人になれない自分が卑怯なだけだという気もする。
2009-03-22
■[日記]伊藤計劃さん
http://home.att.ne.jp/iota/aloysius/someone/days/days0903.htm
虐殺器官は近年読んだなかでも、かなりおもしろい物語だった。
残念だ。

