頣和園

今日は王さんを誘って、朝から頣和園に行った。

この頣和園とは清代の乾隆帝が建設した清猗園が基礎になり、彼の全盛期には他のいくつかの庭園と合わせて三山五園と呼ばれる広大な離宮となった。しかしアロー戦争(1856年)の天津条約批准の際、調印に訪れた外交使節団への砲撃を口実に英仏連合軍が天津を占領後、北京に向けて出兵。その際にこの清猗園は完全に焼き払われ廃墟と化してしまった。結局、不平等で屈辱的な北京条約を締結させられて事は収まった。その後、西太后が権力を握ると、海軍の軍費を流用して清猗園を修復し頣和園と改名し現在に至る。日清戦争で清国・北洋艦隊が日本海軍にあっさり敗北したのは、こうして軍備費が減額されていたためとも言われているらしいけどどうなんでしょ。また、1998年にユネスコ世界文化遺産に指定され、現在は多くの観光客が訪れている。

 王さんと記念写真。仁寿殿という政治を執る場所だったところにて。










 両手にでっかい筆を持って左右対称に文字を書くすごいおじさん。人だかりができていた。









 庭園の中央にある昆明湖ではボートを漕いでのんびりしてる人達がたくさん。奥に見えるのは仏香閣とよばれ頣和園のシンボル的存在。








 園の北部にある蘇州の街並みを再現した蘇州街。完全に観光化されていてちょっと残念だった。









この頣和園は、「中国で最も完全な形に保たれた最大規模の古代皇室の庭園」なだけあって、丸一日かけて歩き回らないとすべてを見ることはできないと思う。なんて、言っておいて俺と王さんは、ある程度歩き回ったところで疲れきって帰っちゃったんだけどね・・・