コンタクトレンズを片手で素早くつけはずしするやり方

 僕は目がわるいです。裸眼だと書類を読むときも顔をおもいっきり近づけなくてはならないくらいです。ここ数年は家の中でメガネ、外ではだいたいコンタクトレンズを使っていますが、いつまでたってもつけはずしが上手くいかず、先日には「ぷぷっ、そんなに手間取って不器用だねー」と家族にバカにされる始末。腹が立ったので、どうやれば素早くつけはずしできるかを一所懸命かんがえました。

 そこで苦心の末に編み出されたのが下記の方法。というか、普通ならもうちょっと早く気付いてもよかったかも。両手を使うと手間取るので片手でぜんぶ片手で行うようになっています。自分が試した中では今のところはこれが一番早くできました。

つけ方
  1. まずコンタクトを中指に乗せる。
  2. 薬指で下まぶたを押さえてあかんべー。
  3. まばたきが起きにくいように目線は天井方向に。
  4. コンタクトの上辺を眼球と上まぶたの間に滑り込ませるように中指を曲げやや角度をつけて、ゆっくり位置を確認しながら入れる。
はずし方

 3番までの手順は同じ。次に薬指と人差し指を使って装着されたコンタクトに軽く触れて上から下へずらして眼球から浮かせた後、二つの指で挟みこんで取る。


 僕自身はとくに問題ありませんでしたが眼科で指導される両手のやり方からは少し外れる方法ですから、お試しになる場合は(なにぶん目という取替えの聞かないデリケートな部分に関することなので)慎重におこなってトラブルや違和感がある場合はすぐにやめてください。
 あとで時間のあるときに記事の内容を再編集して図も入れようかと思います。

ごしごしゴシゴシ

 真夜中だっていうのに、なぜだか妙に興奮して寝付けない。しかたないので前から気になっていたお風呂の水垢の掃除するか、と使い終わった歯ブラシ片手にごしごしゴシゴシ。じっくり見てみるとこのカビたち黒色だけじゃなくて赤色とか黄色とかが折り重なるように染み付いてやたらにビビッドかつカラフル。「腐海の森に棲む生き物たちは支えあって生きているのね」と感動しつつもごしごしゴシゴシ、そしたら綺麗さっぱり消えちゃった。

デコーダー

この世に生きる誰も、「自分の身体以外の感覚」を知らないんだよね。
認知以前の段階、五感の各感覚のデコーダーの差異。
そんな感覚の違いまで思いやれたら、他人の行動を許せる範囲もだいぶんと広がるんじゃないかな。

それで自分の気も楽になる。

TopHatenarをつけてみた

 画面右下あたりにブログパーツとしてTopHatenar(グラフィカルなブログランキング表示)を付けてみた。
 ブログをは初めて3ヶ月になるが、どんべたの原点にピッタリとくっついてピクリともせず、僕のブログがまったく人気がないことを表してくれる。ブログはTwitterと違って反応が少ないと聞いていたけど、ここまでナシのつぶてだとは思っていなかったよ!
 ちょっと恥ずかしいけど、今後の目標を見据える意味で置いています。もっと人気をだすためにはどうしたら良いのだろう。

自慢しない自慢屋

*なぜこの人はこんなに自信があるんだろう・自慢ができるんだろう

という感想を抱かせる人がいる。いきなり電話してきたかと思ったら、自分の自慢話を始めて聞く方がうんざりしてきた頃に「それじゃあ」といって一方的に電話を切ったりとか。
 面白いのは、そういった自慢屋の人たちが「自分が自慢をしているとは一切思わない。ただの体験を話しているだけなのに、周りが自慢と受け取ってしまう」と主張している点である。傍から見ると、明らかに自分をよく見せようという意図が感じられるのに。しかし、自慢屋の人はウソをついている風でもなさそうだ。この一見の矛盾をどのように解釈するか?

*「自慢していない自慢屋」

 そもそも自慢とは何だろう。辞書を引いてみると『自分で、自分に関係の深い物事を褒めて、他人に誇ること』とある。そこから自慢が成立する条件を抜き出すと、「自分」「自分との関わりある物事」「褒める」「他者」「誇る」の5つになる。「自分」「自分との関わりがある物事」「他者」の成立は、自慢屋と評される者と、自慢屋と評する者の間で明らかに共有されるだろう。話している人がいて、話を聞く人がいて、話している内容が話者に関係したものであるかどうか、そういった当然の理解が共通していなければ、自慢云々以前の問題である。というわけで、両者の認識のズレは残りの「褒める」「誇る」の成立/不成立の認識の違いによるものであるといえる。
 このような「褒める」「誇る」のズレはどのようにして起こるのだろうか。まず、「褒める」のズレが発生する条件とは、それはつまり物事の良し悪しの評価基準が違う場合である。ある人にとってはなんでもないことが、別の人にとってはすごいことになるかもしれない。今の日本で自転車に乗れることなんでもないが、自転車が普及していない時代の人にとっては曲芸に相当するすごいことだろう。そういった評価基準の違いにより、「自分を褒めてないが、褒めていると受け取られた」ということが起こりえる。
 つぎに、「誇る」のズレについてだが、その前に前提に戻って、ほんとうに二つが成り立たないと自慢にならないのだろうか。人が自身を褒めるか、誇るかの条件の違いによってどのように受け取られるかを場合分けで並べると

褒める、誇る :自慢
褒めない、誇らない :恥
褒めない、誇る :自虐
褒める、誇らない :?

ここで問題なのが、「?」マークがついた「褒めるが誇っていない」という場合である。「自分に関わりある事柄を褒めるが誇っていない」という心理状態はあまりピンとこない。従って共感を受けることもあまりない。褒めていれば必ず誇っているとみなされることが多い。齟齬の大きな要因はここにあるのではないか。
 以上のことから、「自慢しない自慢屋」が成り立つ条件とは話す側と聞く側の「褒める」「誇る」のズレ、つまり物事の評価基準、または「自分を褒めるが誇らない」心理に対する認識、この2つの違いによって発生するといえる。

*「自分を褒めるが誇らない」心理とはなにか?

 「褒める」のズレ、事柄の評価基準のズレは環境・文化の違いであり、それが生じる可能性があることは相手の身分を知ることである程度予測かのうである。正体不明で予測できないのが、「誇る」のズレ=「自分祖褒めるが誇らない」という心理である、これは一体何だろうか。この問いはつまるところ、「誇る以外で自分の好評価を他者に知らせる」動機とは何かに置き換えることができる。
 誇る以外で自分の好評価を他者に知らせる」動機。すぐに思いつくところでは、高評価を伝えることによる影響(主に集団からの評価など実利的なもの)を得ること。たとえば、面接を受ける人間は自身の高評価ばかりを話す。しかし、そのような状況は周囲にも容易に認識されやすく、「自慢屋」が生まれるために必要なズレがあまりない。
 では、それ以外の動機とは何か。結論、

「思いつくこと、話すことがそれしかない」

 思いつくこと、話すこと、その選択肢のほとんどが自分の好評価で埋め尽くされているような状況であれば、上記のような状況に陥り、「誇る以外で自分の好評価を他者に知らせる」動機が生まれる。そして、そのような動機は理解され難く、自慢屋と評される者と自慢屋と評する者の間でズレが容易に生ずる。
 「自慢屋」の人が記憶するエピソードはそのようなものばかりであり、記憶を作り出す認知・認識のアンテナが自身の、高評価の事柄ばかりに向けてチューニングされているのではないだろうか。それゆえ、話すべきエピソードが限られ、“まったく意図せず・誇らず”自身の高評価の話ばかりしているという状況が成り立つと推測する。

*おまけ

 本記事の結論を応用して、自信がなく努力を積み重ねて能力を身に付ける余裕がない人に向けて、自分の高評価ばかりを記憶する「自慢屋」認知による手っ取り早く簡単な自信獲得方法を簡単ですが提案します。

  1. 興奮する
  2. 自分のこと、できることだけを見る
  3. 自分ができないことは、知らない・価値がない・なんとかなる
  4. すごい自分を思い出して興奮する

半自動化された工場と工夫の話

数年前、製造工程の統一化徹底化された商業用インクジェットプリンタの生産工場を見学があったが、そこで興味深い話を聞けた。
(下記はおぼろけな記憶を補完して書いてあるので、誤情報が含まれている可能性があります)
その工場には、幅2mくらいプリンター一台あたりに六畳弱程のスペースを割り当てられた作業セルが何十台分も並んでいて、ベルトコンベア式と違い、そのひとつのスペースの中で一人が一台を担当して、最終検査まで基礎の組み立て以外のほぼすべての工程を行う。そこには、工程ごとに図入りの解説が映し出された液晶モニタや、同じく工程ごとにネジなど二、三十種類の部品トレイの中から必要なものだけが出てくる装置が設置されており、ドライバーなどの電動工具もすべて無線通信で使用回数の記録からトルクの管理までされている。
それはもはや、人をロボットアーム代わりにした完全な半自動化であり間違える隙がなく(間違えたときのリカバリー作業もガイドが出る)、新人の教育もごく短期間で工具の扱いに慣れた人なら即日実作業に移ることができるレベルのものであった。(しかし、ライン方式の作業に比べると、一台丸ごと組み上げることで、まるでプラモデルのような楽しさがあるらしい)



そこで面白かったのが、作業にかかる人のほとんどが女性であったこと。この理由を尋ねたとき、回答として給与関係の事柄を予想したがはずれた。その答えは、この作業には圧倒的に女性が向いているからというものだった。
男性が向いていない理由は、

「男性はどうしても余計な工夫をしようとするから」

 男性は工夫をする、工夫を積み重ね熟練した者の何人かははこの半自動化された生産方式の平均を超える成果を挙げるが、工夫する男性全体の成果はこれを超えられない。余計な無駄がでるから。そのため、工夫を排した自動化だそうだ。


以下、その一人一台セル生産方式(正式名称は「屋台システム」、「D-shop」というらしい)について載っているページです。
"都田事業所での製造工程/ローランド ディー. ジー." *作業中の動画があります。
"取組み/活動:会社情報/ローランド ディー.ジー."
"ローランド ディー.ジー. リクルート"
大胆な生産方式にあっさりGOサインを出したり、技術をオープンにして見学を受け付けたり、こちらの会社の企業精神は素敵です。