身近な”米”の新しい可能性〜ポタージュのお粥仕立て

 みなさん、こんにちは。
先週まで雨続きでしたが、週末から梅雨が明けたかのような青空の東京です。土曜日の鎌倉教室も、そんな暑さの中、大勢の方たちが集まって開かれました。鳴きはじめた蝉が夏本番を感じさせ、時折風に乗ってくる鴬のさえずりがなんとも清々とした気持ちにさせてくれました。


いろいろなスープをつくっていると、季節によって欲するものが変わってくることに気付きます。寒い時期は、濃いめのしっかりしたものが多く、この時期は澄んださっぱりとしたものが中心に。我が家では自然とじゃがいもと牛乳を使うポタージュは出番が少なくなる傾向がありました。


常日ごろから、風土に寄り添った生き方食べ方ということを辰巳先生が口にされているのはご存知だと思います。今回の教室で、お米を使うことを、食べることをぜひ見直して欲しいと熱弁されました。太古の祖先達は、様々な穀物を食し育てることを試してきた中で米を選び、安定して収穫できるよう少しずついろいろな改良を積み重ねて今日がある。その米は今、生産者の高齢化、後継者の問題、消費の減少、海外からの安価な輸入などで危機的な状況にある。私たち一人一人ができることは、米の扱いを拡げることを含め、米を使い、生産者に感謝を伝えることではないか…と。


 「お粥仕立て」のポタージュは、知っていながらそのようには向き合ってこなかった新しい形の発見であり、いくつもの食材が摂りやすい状態になったポタージュの性質はそのままに、日本の食の基本食材である米を用いることで、暑い時期に適した優れものを出現させる提案がされた…のだと感じます。辰巳先生は以前から、"お粥は日本のポタージュ"と位置づけてこられました。それが、いわば東西ポタージュのいいとこ取りにつながっているのだと思います。人参のポタージュに使われる米、玄米スープ…ご飯として炊いて食べる以外の可能性があるのに、なかなかそちらへのもう一歩が踏み出せていなかった自分の目からうろこが何枚もはがれた気分です。


ちょっと興奮気味に書いてしまいました…みなさんは、どんなことを感じられましたか?