手紙「関東大震災時朝鮮人虐殺・千葉フィールドワークに参加して」

 5月24日、「関東大震災朝鮮人虐殺の事実を知り追悼する神奈川実行委員会」が主催した「千葉フィールドワーク」に参加した。その時の感想を実行委に送ったので転載する。

【千葉フィールドワークをどこで知ったか。参加のきっかけなど】
 2012年9月、久保山墓地で行われた追悼式に参加し、その際メールアドレスを記していたので、時折お知らせを送って頂いていました。13年9月には川崎教育文化会館で開かれた「関東大震災90周年記念シンポジウム-関東大震災から学ぶ多民族共生への道」に行き、田中正敬氏(専修大学教授)の講演を聴いて「いわれなく殺された人びと」(青木書店)のご紹介を受け、衝撃を受けました。→掘り起こされた朝鮮人虐殺の歴史と語り継がれる日本人名士の美談 - 緑の五月通信
 今回の千葉フィールドワークが何とか参加できる日取りだったのと、あの本の「舞台」になった場所に何としても行きたくなり申し込みました。
【千葉フィールドワークの感想】
 これまでいくつかの催しや集会、講演会などに参加してきましたが、屈指の内容の濃さ、有意義さでした。1週間経ちましたが、今も反芻しています。このような素晴らしい企画を立てて下さった神奈川実行委の皆様に感謝します。
 そして何よりも現地を案内して下さった千葉の実行委の皆様、ありがとうございました。同書の著者である大竹米子さん、平形知惠子さんが直接ご案内して下さるとは知らず望外の喜びでした。

 私は、この「いわれなく殺された人びと」や「風よ 鳳仙花の歌をはこべ」(教育史料出版会)を読み、「震災後にパニックで自然発生的に流言飛語が流れ、自警団が過剰に反応して朝鮮人を殺してしまった」というよくある見方から、「実は軍が関与した国家犯罪の側面があるのではないか」という考え方に変わりつつありましたが、今回のフィールドワークとその前週に鑑賞させて頂いた呉充功監督の映画「払い下げられた朝鮮人」を見て、「軍関与」というより「軍主導」であり、「はっきり国家犯罪と言うべきだろう」と考えるようになりました。本を読めばそう理解できる方もいるでしょうが、私の場合、このフィールドワークを通じ、実感をもって考えられるようになったということです。

 船橋の無線塔記念碑に始まり、習志野騎兵連隊跡地、習志野毒ガス学校と、「軍都・船橋」「軍郷・習志野」という、この地域が負わされた歴史の「大枠」について見学した後の、軍が収容所から朝鮮人を払い下げ、村人に殺させた「現場」である「なぎの原」での大竹さんの遺骨発掘についてのご説明は、その荒れ野のような殺風景さと併せて忘れられないものとなりました。
私たちが立っている辺りを指し、「そこから(遺骨が)出たんです」と切り出し、「掘っている間、住人の男性たちは外を向いて発掘作業を見ようとしなかった。たぶん怖かったんだろう。しかし、作業をしていた人たちが出てきた遺骨を洗い始めると、彼らも一緒に洗骨に加わった」と大竹さんが話された時は時間が止まったかと思われるほど引き込まれ、味わったことのない感情を覚えました。

 すなわち、軍は収容した朝鮮人を自分らで虐殺するだけでなく、村人たちにも殺させたという関係こそが、戒厳令を敷き、機関銃まで使用して朝鮮人を殺戮しながら、一方では住民たちに自警団を組織させ、煽り立てて殺させたという歴史の事実を象徴していると言うべきではないでしょうか。

皆さんの活動に敬意を表します。重ねて、ありがとうございました。