ラヴフール (www.lovefool.jp) このページをアンテナに追加 RSSフィード

2000-01-31 0175

ヤフオク

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僕の入っているプロバイダは、加入するにあたってクレジットカードが必要ないので、つい最近までネット上の決裁をしたことがなかったのでした。まぁ必要に迫られることもないし、なんか信用もできないし、っていうのもかなりの割合でありつつ、ね。


でもつい2週間前ぐらいからヤフーオークションなんかにどっぷりはまっちった。これは簡単に言うと、売りたいものがある人が、簡単な掲示板みたいのに書き込むわけだ。で、それを見に来た人が「お!」って思ったら、そこに書かれている額より大きい額を入れる(入札する)と、もっと高く買う人が現れるまで、仮にあなたのものとして名前が書かれる。うまくいけば、そのまま制限時間が来て「落札」。もっとお金を出しても欲しい人がたくさんいると、その品物はよりお金持ちを求めて価格と仮の落札者がどんどん移っていってしまうわけですな。1分1秒がスリリング。だってカウンターがついていて「あと締め切りまで15分27秒」とかって出るんだよ? 銀行振込と送料を差し引いた値段で本当にお得か?っていう判断を忘れて、ついついどんどん高い入札とかしちゃったりして、やばいやばい。メールアドレスさえあれば、そのオークションで売ったり買ったりできる権利がもらえる。実際にはオークション上で売ったり買ったりできるわけではなくて、オークション終了後に落札者と出展者にだけお互いのメールアドレスが提示されるので、あとはお互い仲良くやってよね、みたいなシステムになっている。つまりは信用第一。騙されても文句は言えない。そこがなんか湿っぽくていいんですわ。


僕は今はなかなか手に入らないゲームソフトなんかを中心に5つぐらいの品物を今までに落札し、品物を送っていただきましましたが、出展者から頂くメールのやり取りが「信用第一」であり「少なくないお金が動く」とあってか、めちゃくちゃ丁寧。納金後に送られてくる品物を見ても、デパートでもここまでやってくんないよってくらいの、最高に思いやりのある梱包がされてやってくる。品物もつい最近まで大事に使ってましたっていう愛を感じるぬくもりがある。いらないしお金になるから売っちゃおっていうより、もっと愛してくれる人のために仕方なく手放しますって空気。(もちろんそうじゃなさそうな出典もたくさんあるけど、そういうのは入札も少ない)ある人の送ってきた品物なんか手書きの手紙まで入ってたよ。もうね、人が知らない人に対してここまでちゃんとやさしくなれるんだったら、例えお金を介してだってオークションしてみた方がいいね、とかそんなことさえ思っちゃう。


もちろんそれには仕掛けがあって、オークションで出典・入札する度に、そこには自分の付けた名前が画面に(そこを覗くすべての人に)表示される。その名前の後ろには大抵(5)とかって数字がついている。そこをクリックすると過去にその人と取り引きした人の「評判」の履歴が見れてしまうんだな。だから、あこぎな商売や嘘なんかは少々抑制されるしくみであるらしい。


でもセキュリティの点で言えば、メールアドレスさえ手に入れれば、どんどん新しい人を装えるわけで、やっぱり「信用第一」っていう素朴で脆弱な契約がその便利なシステムを支え、また栄えさせているのは言うまでもない。オークションのジャンルは星の数ほどあって、最近気になるものを「×××」って打ち込むと、おあつらえ向きのオークションに連れてってくれる。「Razor」って入れれば、あのキックボードが手に入るし、ペコちゃんの幻キーホルダーも、大好きなアーティストのインディーズ時代のアルバムだって、買えなかったコンサートのチケットだって手に入る。これは社会人で、お店が開いている時間に帰ることができない僕としては、コンビニに代わるぐらいの便利さよ? いやホント。


もちろん、お金が集まるところには悪い人やずるい人もたくさん集まってくる。ゲームにしたってポケモンポケモンのデータを高く売ろうとする業者っぽい出典があったりする。けっこういやな気分だけど、そういう清濁が混じり合うところで「やっぱり信じてみよう」って一歩踏み出す感じがなんとも気持ちいい。

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2000-01-28 0174 このエントリーを含むブックマーク

takanabe2000-01-28
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2000-01-25 0173

リニューアル

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何がコドモかって、何かを企んでる時にそれを隠せないそわそわした仕種がまずコドモなわけですが、えっとねぇー、ラヴフールリニューアルを検討チュウですよ。つまり第3部!? 第2部の看板娘だったフレッシュちゃん(昔はフレッシュとトラッシュの二人組み)には引退して頂いて、なんと5人の乳キャラクター、もといニュウキャラクターを準備中。


と言っても、さっきそうしようって思ったばっかりなんで、実際カタチになるのはスピードの解散か、早くてもツレプテクーの発売日ぐらいだとは思いますが、全体像というよりはネジみたいな部品をチマチマ作っては、えへー、とか、にまー、とかしているシアワセな時間を過ごしています。なんにせよ、締め切りがないお絵描きってサイコー。第2部がやさしい色合いでちょっと繊細なヒトぶっていたので、原色バリバリのフチドリぎゅっぎゅって感じにしてみようかな。イメージだけどね。


そんな出口のない話しも程々に、最近わたくし「生活必需品」と「まったく無駄なもの」の中間に位置する「あったらあったでそこそこ便利だし、なんか生活のそばに置くだけで気持ちが潤うじゃん」ってものにちょっとラヴ。


まぁ、誰にでもわかるストライクゾーンど真ん中なのは「楽器」なんかがそうなんだけど、微妙に分けて考えたいのは「フェティッシュ」とは違うんだぞーって解釈。


例えば、おいしいお茶を飲むための茶器セットとかエスプレッソ・マッスィーン、様々なお香とか、ちゃぶ台とか、自分にぴったりお似合いの眼鏡、友達がくれた油絵、置物、オーダーメイドの枕、要するにあれだ、お金に戻せない価値(思い入れ)をあらかじめ含んでいて、それをヒトとヒトの間の置くことで更に新しい場ややさしい空気を生めるもの?


そう言った価値観からすると、今の携帯電話とか、パソコンとかの消費サイクルはとてもじゃないけど、そこには行きつく気がしない。コミュニケーションを司るものでありながら味気なく感じるのはそのせいかもしんない。モノが進化して行く過程で「多機能」や「高性能」が謳い文句の時期は、成熟度として起承転結を当てはめると「承」の最初の方だって思うね。ウォークマンを例にしてみると、その存在自体が発明としてニュースだった時が「起」、必要に迫られて、急激にサイズが小さくなり、ガム型充電池やリモコンやドルビーノイズリダクション、重低音のブーストなんかがつき始めたのが「承」、技術的には完成して、頑丈さを謳ったり、本体側の操作ボタンに蓋がついたり、ヘッドフォンの巻き取りやなんかの自己完結性が現われたのが「転」(別にひっくり返ってないですけど、ね)、で、それさえも過ぎて、次世代のフォーマットが現われた時に、もう一度その再利用的価値を問われるのが「結」、音質などのクオリティや高級感はMDに譲って、カセットのお手軽感、チープなかわいさを雑貨的な扱いで昇華したビーンズ・ウォークマンなんかが、ある種行きついた先だと思うわけです。


上に挙げたいくつかのものは、その観点からするとあらゆる可能性を過ぎて、これ以上の進化を特に必要としない「結」の状態であるものと言い換えることもできそう。かなりフェティッシュとも重なるグレーゾーンではあるけど、釣のための様々な道具や、キックボードとかにも含まれる部分はありそう。


消費のための消費にのっかっていくのは疲れたし、かと言ってブランド志向をひた隠しにした一点豪華モノ、一生主義とかもかなり疑わしい。要するにあれだ、毎日コンビニ弁当なんか食べちゃっている僕だけど、なんとなくちっちゃいデザートだけは欠かさないのは、少女趣味とか甘党だからじゃなくて「そうあるべき」だからなんだってこと。ホントは田舎のミカンとかの方がいいんだけどね。端折りすぎか。

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2000-01-21 0172

takanabe2000-01-21

負けないチカラ

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RATTLE BOX(ここ)のさとうけいこさんから頂いた年賀状。お子さまが描いた絵だそうな。僕は子供のやることを手放しに誉めたりすることにかなり慎重な、と言うかソートー疑り深いヒトですが、これには声もでなかったですよ。ありがとうって言うより目が覚める感じ。負けないチカラでがんばるよ。

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2000-01-16 0171

takanabe2000-01-16

「巨人のドシン1(ロクヨンDD用ソフト)」

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2000年現在、ゲームってもうちょいってところでまだ止まっている気がするのね。例えば、コマーシャルでやっているみたいな「映画みたいな」壮大なゲーム。そういうのを見る度にがっくりしちゃう。だって映画見ればいいじゃん、それだったら。ゲームはゲームでしか味わえない「何か」の為にあるのであって、そこにはまだ誰も体験したことのないものがたくさんたくさん詰まっているはずだし、短いサイクルで最先端技術が惜し気もなくつぎ込まれている現在、その価値や可能性が最もあるジャンルだとみんなが感じているはずなんだよね。


じゃあゲームでしか、味わえないものを端的に言うとなんでしょう。一つは「新しい場の提供」です。オセロ将棋に見られるようにそのルールを共有することで、誰もが一度対等の関係になり、同じ時間を楽しく過ごせるということ。またベーゴマ、メンコにも見られるように、同じルールを守ることを前提に、それぞれのツールを交換したり、カスタマイズしたりっていう創意工夫の軸を加えたりって言う方向もあります。これは任天堂が主に「ポケットモンスター(参考)」などを通じて目指しているヴィジョンですね。


それともう一つ。「ゴミを出さずに異世界の来訪者になれる」こと。あるいは「体験そのものをつくりだす」こと。一昔前の言葉で言えば「ヴァーチャル・リアリティ」ってことになるかも知れません。画像の上では実写に迫るクオリティもそろそろ見えてきた今日この頃ですが、僕が言いたいのは解像度的なCGの話しでも、自然現象のシミュレーション的な再現性のことでもなく、純粋に異世界に「触れること」を目指すベクトル


これはねー、テーマが短く端的なほどいい感じ。壮大な物語とかエンディングとか一切不要。映画と間違うはずなんかないですよ。例えば「通常の何百倍もの脚力でジャンプができるようになるゲーム」とか「何にも乗り物に乗らないで空を自由に飛びまわるゲーム」とか「数センチの小人になって自分の部屋を探検するゲーム」とかね。そこにはダイナミックな体験とそれに伴った表現や演出があっても、根本的に映画とは違うものでしょう?


でもね、そっち側の代表選手ってなかなか現われなかったんですよ。それもまた映画と比べられる要因の一つだったと思うんだ。「ピカチュウ元気でチュウ」とか「シーマン」とか「どこでもいっしょ」みたいな「ペットと話してみたい」っていうような方向性が脚光を浴びたりしたのはホント最近のことで、それまではせいぜい市長になって街を盛りたてるシミュレーションをしたり、熱帯魚を育てたり、牧場主になって育てたサラブレッドでG1優勝したり、ちょっと毛色が違っても神様になって、別の宗教を信じる人間を絶滅に追い込むまで虐殺したりとかっていうかなり殺伐とした感じだったりとかね。


でもやっと出ました。つうかずっとずっとこれを待ってた。それがこの「巨人のドシン1」ですよ。三年越しでロクヨンDD(参考)を待ちこがれた僕の、待ちくたびれた理想のコイビトのような新しいおもちゃ!


これがどんなおもちゃかというと実は説明がものすごく難しい。パッケージにはジャンル説明として「ア・ゲサ・ゲーム南国風」なんて書いてある。これはその辺の気持ちを巧みについた一種のいじわる、あるいは照れ隠しの愛嬌なんだろう。「全く新しいゲーム!」って書きたくないんだろうね。


プレイヤーは南国の島で黄色い巨人を操作する。島には原始的な人間達が住んでいる。巨人はその人間達に住み易いように、島の地面を引っ張って盛り上げたり、ジャンプしてへこませたり(つまりアゲサゲ)、文明を築き上げる力の源である「木」を運んできてあげたり、竜巻や山火事などの災害から島民達を守ったりする。巨人は最初、人間達の3倍程度の身長しかなく、力もさほど強くないんだけど、島民達に親切にする度に「ハート」がもらえて、それが一定量集まるとぐぐーん!っと体が大きくなる。何度か体を大きくしていくと、ついにはその体は画面からもはみ出してしまう。歩く速さも、ものを持ち上げる力もどんどん大きくなる代わりに、足下が見づらくなって、ちょっと気を抜くと島民達の家を壊してしまったり、島民そのものを踏み殺してしまったり!


諸刃の剣ってコトバがあるように、このゲームには最初からそんな哲学的なジレンマを組み込んでいる。「いい巨人」を気取って、島民に親切することに飽きてしまったら、真っ赤な「悪の巨人」に変身して破壊の限りを尽くしたり、島民無視で、延々散歩を繰り返したりも自由。


その操作には一切説明がいらない。この手のゲームにありがちな画面端に意味不明のアイコンずらーりって言うのもないし、状態を常にチェックするバロメーターもない。電源スイッチを入れて、コントローラーを握ったら、自分が感じるように好きなように歩き出せばいい。あとはナレーションが適当なタイミングで操作を教えてくれるんだ。島の語り部であるおじいさんの声を借りてナレーションされるんだけど、落ち着きのあるいい声。「あぁ、そういえばこんなことを巨人ができるってことを思い出したんだけど、なんならやってみるのもいいかもね」って具合の不思議な言い回し。これがまたいいんだ。やさしい気持ちになる。


体が大きくなったり、つまづいて転びそうになったりする度に今度は囁くような女の人の声がする。この声の役どころははっきりしないんだけど、アフレコ緒川たまきが担当しています。感情を抑えた平坦な声色で「おっきくなったね(語尾ハート)」とか「わぁ、すっごい(同)」とか「あ、あぶない!」って言ったりする。これが若い男の子にとってどういう価値があるかって言うのは、えーっと、言わずもがなですな。


ゲーム自体は何があろうと30分で1プレイが終わる。それは島の日の出から日の入りに対応していて、日の出と共に新しい巨人が海から現れ、日の入りと共に巨人は動きを止め、冷えて固まってしまう。どんな大きくなっても次にプレイするときには、小さな最初の巨人に戻っているわけです。


で、すごいのは、次のプレイするまでの空白の時間。これが同じようにゲームの中でも流れるづけているんです。ちょっと忙しくて1週間ぶりに島に戻ったりするともう大変。島の夜明けをバックに、いなかった空白の時間に島で起こったことを 誰かの日記として 延々読むことになる。「巨人が消えてから6日目」「家が焼けちゃったウェルダン」とか「木が増えたような気がする」「お腹空いたな」とかね。最後には「あーあ、今日もアイツ現れないかな」とまで言っていたりとか。


その時に起こる感覚、または久しぶりに村を訪れたときに島民が投げかけてくる愛(ハートマーク)に、何とも言えない感情が体を吹き抜けていく。それは「今まで放っておいてゴメンね」だったり、「また帰ってきたよ、ただいま」だったり、「今日はどうだい? いい一日かい?」が混じり合ったそんな気持ち。いつのまにか巨人と一体化している自分に気づく。


それはあたたかくて、やさしい気持ち。映画じゃない入れ物でしか味わえない体験。触っていないのに、触ることができているような、そんな気持ちのやり取り。


ゲームとしての目的はある。島民達の生活を手伝い、文化レベルを上げていくと島民達は「モニュメント」と呼ばれる建築物をつくる。モニュメントは村を構成する人種の混じり具合や、その他の条件によって16種類に分類されるので、そのすべてのモニュメントを島民が作ったとき、島には「なにかすごいこと」が起こるとされている。


でも、そんなのは「とりあえず」の理由付けでしかない。だってこの島には、巨人としての自分がそこに存在するだけで、なんだかウキウキしちゃうぐらいに楽しくて、何度日が沈んで「今日はここまで。また遊んでね」って緒川たまきに言われても、えーもう終わりー!? もっとー!ってなって、すぐさま2回目、3回目のプレイをはじめちゃうんだよな。


なぜなら、そこにやさしい空気があるからだ、としか言えない。効果音を含めた音楽、画面の端に現れるちょっとしたタイトルロゴ、島民達のプリミティヴな反応。木々のざわめき、波を蹴る音、遠くに羽ばたいていく鳥達。突然に盛り上がり噴火を始める活火山。今までのゲームにはまっていたときの「楽しいんだけど、動作がや気持ちがどんどん機械的になって、感情がどんどん切り捨てられていく感じ」がここには全くない。むしろ日々の生活よりやさしく温かかも!なんていう危険で甘い錯覚まで起こしそう。


「ゲームに触れたことのない人にこそ〜」っていうのは僕の常套句だけれども、自信を持ってそう言える新しいおもちゃがやっと現れたよ。会員制ゆえ、まだ5万人ほどしか体験していないこのゲームを、嫌って言うほどみんなに触らせたくて仕方ない。僕的には「ゼルダの伝説 時のオカリナ(参考)」と双璧で、テレビゲームっていう入れ物が作ったすばらしい到達点のひとつだと思います。今すぐぼくんちに遊びにおいで。

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2000-01-13 0170 このエントリーを含むブックマーク

takanabe2000-01-13
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2000-01-10 0169

キックボード

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あけました。おめでとう。ちゃんといい子にしてましたか?


遅ればせながらアレよ。キックボード(VIZA Razor)に乗りました、わたくし。しかも仕事で。この寒い中、最寄り駅の一つ前で降りて白い息はきはき国道なんか走っちゃったもんね。イエーイ、社会人4年目でーす。


で、感想。めっちゃ疲れます。見た目のかわいさ、手軽さに裏切られるねー。クリアの車輪の径が小さいのがかわいくもあり、気になってたとこでもあったんだけど、予感的中。もうちょっと荒い感じのアスファルトで転びそうになるし、段差なんかもっての外だし、マンホールの蓋が見えるたびにびくびくしちゃうような感じ。よほど程度の整った舗装の道や緩やかな下り坂じゃないと気持ちよくないので、自転車みたいな便利な移動器具の代用にはならないね。


でもねー、これいいよ。アリアリ。だって楽しいもん。まずね、いつもの通勤通学の風景がガラッと変わって見える。これ重要。ウォークマンとか地べたに座ってだべるのや厚底ブーツとかが風景を異化するように、キックボードも風景を異化する。目新しさとピカピカのボディからか、みんな見るし、漕いでて楽しいし、見た目なんか呑気だし(でも漕ぐのは必死)。こりゃ、やめらんないねー、はぁはぁふぅふぅぜぇぜぇぜぇ‥。


でもどうなんだ? これって長続きしないんじゃないか? 凧上げは楽しいけど、お正月しかやんないみたいに、移動を異化するものでありながら、ちっとも「便利ではなく」、かと言って、スケートボードやインラインスケートのように、技術を極めていく「スポーツでもない」微妙なポジションがまず怪しい。ううーん、かなり先行き不透明。要するにこれってかっちょいい雑貨じゃん。フローリングの上にピカピカに磨いて飾っておくと様になるってタイプのシロモノじゃん。まだそんなに仲良くない女の子を家に呼ぶための口実じゃん。


でもそれでもいっかと思えてしまう。なにせ、1万5000円(前後)。実用品の自転車よりは安いぐらいの値段だし、おもちゃとしてはぎりぎりお買い得のいい線をついている。折りたためるから邪魔なら車のトランクやベッドの下にも入るし、その実用性や使用頻度を差し引いてもなお余るくらいの、このきらびやかでシンプルなデザイン! キュートなクリアの車輪。おうおう雑貨で充分。インテリアで充分。その上、気が向けば乗ったりもできるって考え方はどうだろう。


ただ僕は工業デザイナーの端くれなんで一つだけ注文をつけたい。折りたたんだ時、手に持っている以外どうしようもないって言うのはどうなの? 折りたたむと小さな足が出て地面にすっと立つような仕組みにぐらいしておいて欲しい。そんだけ。実際使ってみると駅なんかで困る時って多いんだよね。その際もパーツ点数は増やさずにお願い(値段も一緒ってことです)。なんなら僕設計します。(っつうかもう考えたんだけど)


そんなわけで、この時代から半歩以上遅れながらもキックボードを大推薦するっていう中途半端なラヴフールで、2000年は始まるのだった。今年もほどほどによろしく。

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2000-01-08 0168

2000

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1999とか2000とかの年号の世界は子供科学雑誌とかノストラダムスの本とかでしか見たことがなかったので、ふつうに育っていたら自分は27才でそれを迎えるんだなぁって計算しながらも、子供だった僕はなんか架空の国での年齢の換算をしているみたいで変な感じだった。とかなんとか言っている間に、高校を卒業したり、浪人したり、美大に入ったり、ゲーム会社に入ったり、泣いたり笑ったり恋して、今日という日をぼんやりと迎えたしまった現実って言うのは、子供の頃の自分に対してこれまた変な気持ち。いいとか悪いとかじゃなくて、ただ変な感じ。


思い出すに、小学生あたりの僕は2000年を迎える僕に対してこんな感じだろうと思っていました。

 

デザイナーになっている
デザイナーだからお絵かきをして毎日を楽しく過ごしている
・すらすらかっこいい絵を描けるので女の子にモテモテ
・秘書の眼鏡っこもホントは僕に惚れてる(←関係ない)
・オープンカーとか、風変わりで役立たずな車に乗っている
・コンピューターがバリバリ使える
・奥さん確定って感じのコイビトとラヴな毎日
・オトナだから誰にもしかられずにファミコンやりほうだい
リニアモーターカーで各地に出張
・チューブの中を自動操縦の車がびゅんびゅん走っている
・ゲームは全部ホログラフィーで空間上に立体画像
・ゲームとか音楽はパッケージじゃない部分にお金を払っていて自由に編集してそれを遊ぶ。
・映画もライブ感覚で、観客の好みによって結末がどんどん変わっていく
・髪の脱色は割とふつうになっている
・学校にはほとんど行かずに授業は遠隔通信教育カリキュラムは成績によって個人個人ことなる


年末の同窓会とかでそのころの友達に会うと必ず言われるのが「一番自分の夢を叶えたのがお前だよ」ってセリフ。それはステキでとてもうれしいことなんだけれども、自分的には50%も行ってない気が。


まぁ、2000年だからって今までのことをリセットしてみたり、急に目標を立てたりすんのも変なんだけどさ。いつか自分の子供とか、親戚の子供とかに、「ねぇねぇ2000年ってどうだった?」って聞かれたときに、当時一番イキイキしてたポジションで世界を見渡せたはず僕らの世代が、はっきり何かを言えないような状態にしておくのもなんかしゃくなので、少しずつ毎日を濃い感じに密度を上げていこうかな。そういうふつうに新年らしい決意を割とちゃんとした部分でしたい感じ。


なんでこんな話しをし始めたかというと実は今日ね、大掃除してたら、卒業制作展の時にみんなにひとこと書いてもらったノートが出て来て、それを読んでたら涙がこぼれた。


ナベちゃんが本当に作りたいものを自信をもって作り続けて下さい」


生き方の指針を含めて、これ以上のコトバはなかなかない。励まされるし、がんばれるし、その気持ちを裏切れないよなって思うと、いつもどどどーって涙が溢れ出てくる。感動と反省と勇気の涙。はい、そうします。そういう風になります。今年も来年も再来年も。そう思って鼻をかんだ。

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