ラヴフール (www.lovefool.jp) このページをアンテナに追加 RSSフィード

2008-09-30

takanabe2008-09-30

増幅

|  増幅を含むブックマーク



吐くのも泣くのも眠れないのも飽きてきて、でもそれは飽きたところで止まんなくて、夜と朝の静けさの中で、取り残されてきた想いにそっと手を伸ばそうとばかりしている。それがどんな形だったのか、どんな手触りだったのか、もう正確には分からなくなっているし、今の自分の感覚とは一致しようがないけど、思い返せば思い返すほど、それには重要な意味があるような気がして、増幅した想いがどんどん現実と乖離していく。自分を嫌いになっていくのはそういう時だ。


通夜に出かけた同僚の話。残された小学3年生の子供が、集まった人たちに対して、母が死んだ事実に気づいていない振りをして、明るく気丈に振舞っていたのだそうだ。子供ってそうだ。関係を見据えながらいつも役割を演じてる。そうして意識的に社会に組み込まれてみて、自分は大人と同等の意味のある存在なんだってアピールする。そっか、子供に限らず役割を演じている人はその奥底に「一人前」として認められたい欲求があるのかもな。


僕が最近正義の話をしているのは、そこに自分で気づいちゃったからなのかもしれないな。承認の必要のない正義は「正義です」と誰かに言う必要もないわけで、そう考えると札付きの正義の出所っていつもきっとすごい寂しいところから来てるんだろうな。ダークナイトバットマンの孤独ってつまりそういうことじゃんね。

交渉の自然治癒力

|  交渉の自然治癒力を含むブックマーク

http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/archives/115

たとえば肝臓と脾臓が破裂して、多発肋骨骨折に血気胸、大動脈にも損傷が疑われる外傷患者さんが運ばれてきて、手術でこれを全部治すと、患者さんはそのまま亡くなってしまう。

「ダメージコントロール」の考えかたは、患者さんに「受容可能侵襲量」という考えかたを持ち込む。

受容可能侵襲量とは、患者さんがその状況で支払い可能なコストみたいなもの。「手術で直す」ためにはそれなりのコストが必要で、完治を目指す大がかりな手術を行っても、手術室で患者さんが「支払い不能」に陥ったら、患者さんは亡くなってしまう。

説得的コミュニケーション

|  説得的コミュニケーションを含むブックマーク

http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/archives/117

説得的コミュニケーションに熟達した人は、まずはメッセージの受け手の自尊心に脅威を与える
たとえば何かに罪悪感を感じさせたり、恥辱感や不適切感を喚起したり、自らが偽善者であるかのように思わせてから、それに対して一つの解決策を提案する。「解決案」に従うことで、メッセージの受け手の自尊心は回復され、認知の不協和は低減される

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/takanabe/20080930

2008-09-29

takanabe2008-09-29

ちょっとした

|  ちょっとしたを含むブックマーク



気温や気圧ががくんと下がる日は、痩せた女子社員が一斉に休む。僕もしんどいのでそういうもんなんだと思う。電車の中では変なボア付のベストやブーツ、毛糸の帽子や、分厚い白いニットのワンピースが溢れていて、ちょっとした狩人の集団みたいだった。モンスターハンターに出てきそうな。


2枚目の水彩画を描いた。ちょっと複雑なおもちゃを描いたら、簡単に時間切れになった。でも満足するまで描いちゃうと、次を描くモチベーションが損なわれるので、毎回多少の不満を抱えて終わるほうがいいんだろうなと思う。まずは5枚めまでそうやって描きたい。


下書き用にたまたま手元にあった、シャーペンとも鉛筆とも違う、三菱のノック式の芯ホルダーみたいなのを使ってて、ふと見てみたら「SUPERCAR HIGHVISION」って書いてあった。記憶にさえないノベルティグッズ。言われなきゃ気づかないし。三菱鉛筆ホームページにもなんて商品か載ってない。固さの違う替え芯が欲しいんだけどな‥。

iPhoneに青空文庫がやってきた!

|  iPhoneに青空文庫がやってきた!を含むブックマーク

http://alfabeat.ciao.jp/?p=809
サイト自体がすでにiPhone対応してるはずだけど‥。

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/takanabe/20080929

2008-09-28

takanabe2008-09-28

水彩

|  水彩を含むブックマーク



水彩絵の具一式を買った。ホルベインにしようと思ってたのに、ピンクやブルーなどのポスターカラーっぽい彩度の高いセットに惹かれてクサカベにした。6000円ぐらい掛かった。ゲーム一本分か。とっちらかりそうなので、描く絵にルールをちょっと考えた。


消しゴムなどで失敗を取り消す作業は禁止。
・スタートから完成まで1時間以内。完成してなくても時間切れで終わり。
・モチーフは2つ以上描く。ひとつは目で見て描けるもの。もうひとつは想像の産物。


何せ、手で描く絵なんか10年近くやってないから、リハビリからだな、こりゃ。


やってみた。


頭じゃなくて手が考えて描く感じが久しぶりすぎて新鮮。白い面積に萎縮しないようにA5ぐらいの紙サイズにしたんだけど、小さくて細かいとこが描けなすぎてちょっとショック。でも誰かに見せるための絵じゃないからいっか。あと1時間っていう制限が割とちょうどいい。何かをばっさり捨てて描かないとどうにもならないけど、ふと手を止めて考える時間がないわけじゃないっていうそういう時間。

名優ポール・ニューマンが死去、83歳

|  名優ポール・ニューマンが死去、83歳を含むブックマーク

http://netallica.yahoo.co.jp/news/49772
子供のころ、毎日「ニューマンズ ラグーピザクイック」食べてた。

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/takanabe/20080928

2008-09-27

takanabe2008-09-27

|  歌を含むブックマーク



「正しさ」について何度も考えてる。働いている人は何らかの形で自分が社会に貢献していると言うプライドを持ってると思う。それはそうだと思うし、その前向きな気持ちが日々を生きるためのエネルギーになるなら尊いなと思う。それによって少しずつ世の中も良くなると信じたいしね。


でもそれが「社会を正しく変えたい」という使命をあらかじめ持っている場合、どうなんだろうなー、という疑問がある。例えば(デザインっぽい例しか挙げられないけど)今不便と思うものがあったとして、それを新しい秩序で取捨選択して、新しい意味と機能を与える。今の自分にとってリアルで便利なものが出来上がる。でも、それが画期的であればあるほど、世界のルールの種類は増えて、より複雑化して、結果それがなかった時代よりもカオスを導いてるというような気もするんだった。


何か新しい秩序を作るってことは、過去の積み重ねを破壊するのと同義なんだけど、その過去の秩序のすべてを地上から一掃してしまうことはほぼ不可能な以上、実はバリエーションの多様化でしかない。そのバリエーションの中で、それが持つ絶対数のニーズから、決まった数のパイの奪い合いになるわけだよね。画期的じゃんって思ったライバル企業が、それを真似つつも、まんまパクリにならないように秩序をずらす。他の会社もまたちょっとずらす。ほらまたルールが増えた。もう少し砕いて言えば「正しさ」なんてデザイナーの数だけあるわけで、それってじゃあ「好み」という言葉と置き換えたとして、一体何が違うの?って思うんだ。


そういう変な使命感を抜きにすれば、ちまちました切磋琢磨は、正しさとは無関係に「文化のバリエーション」的な意味合いで、いいことだと思う。そういう真似とずらしの中から時折ものすごい個性的で画期的なものが現れたりするわけだしね。自分が信じる未来は、自分で設計しないとやってこないのも真実。


でもそんなことはさておき「歌」でいいじゃん、って思ったんだ。僕や君や誰かが、自分の「歌」を歌う。新しい歌を作るとき、古い歌を破壊してるわけじゃないでしょう。歌いたい歌を、歌える声で歌って、届く人にたまたま届く。込めたメッセージが伝わってるかどうかなんか、相手の頭の中をのぞけるわけじゃないから結局わかんない。でも「伝わったね」って満足する瞬間があって、それですべてなんじゃないかなぁ。


「正しい」からという理由で、自分が選び取ったものが、自分の生活の何%を占めているんだろう。見回して欲しい。僕は案外選んでないことだらけなんじゃないかなって思う。コンビニで売っているものは僕がすごく欲しいものじゃなくて、大多数が「それでいっか」「それは売ってなくてもしょうがないか」って思える閾値のものだ。365日3食ずつ食べたとして、今この料理じゃなきゃダメだって日が何日あった? 何度それを実現した? 毎朝今日着ていく服を完璧に選び抜いてる? iPodシャッフルで選曲に奇跡的なものを感じる瞬間があるのはなんで?


そういうグレーゾーンを、その日の気分や体調の揺らぎの中で、ほとんどの人が「選んでる」つもりで生きてるんだと思う。そんな中で、他の誰かの正しさがどう、新しい秩序の整合性とか、99%どうでもいいはず。出来の悪いものを見てイライラはしたくないだろうけど「新しいから」「正しいから」という理由だけで行動に移せる人はものすごい少数だと思う。大多数の人たちは「新しさ」でも「正しさ」でもなく、好きな歌を聴くときのような「気分」に、行動を左右されてる。


だから「正しさ」を大義名分に自分や社会を眼くらましをさせながら、ゴミの種類を増やしていくことに加担したくない。行動としては何も変わってないかもしれないけど、世の中に対して新しい秩序を加えることに「誠意」と「責任」を持って、自分の歌を、自分の声できちんと最後まで歌い続けるしかないんだと思う。「正しさ」はまったく関係ない。それは単にその人の好きな歌だ。でもきちんと歌えるなら、いつか誰かに届いたとき価値が生まれるかも。まれに「正しさ」が生まれることもあるかもしれない。それだけ。

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/takanabe/20080927

2008-09-26

takanabe2008-09-26

スイッチ

|  スイッチを含むブックマーク



飲めないわけじゃないんだけど、ほぼ酒を飲まない。家の冷蔵庫に酒が入っていたこともない。よくイライラした人や失恋した人が「飲まずにやってられっか」みたいに言うんだけど、理屈はともかく、その体感的な気持ちがわかんない(別にそういう人に僕が付き合うのは問題ない)。僕なんか飲んでも言動やテンションが変化するほど酔わないし、眠くなるか頭が痛くなるだけ。体調的にも次の日丸々無駄にするから、どちらかと言えば飲まなくていいやって気分。単なる高いジュースを飲んでる感じ。だから気分よく酔っ払ってる人や酒の味が分かる人を見ると、すごくうらやましいなと思うんだよね。そんなスイッチ僕にはないから。煙草も吸うけど、別においしいと思ってないし、服や髪に煙草の匂いが付いてるのは大嫌いって言うわがままっぷり。何かに恒久的に依存する生き方を僕はいいとは思えない(夕飯にビールがないと許せないとか、煙草は1日2箱だとか)けど、気分をリセットするスイッチの数は多いほうが救われるだろうな、と思う。


関係ないけど、水彩画とか描こうかなって、今そういう気分。近所の文房具屋で一揃い5000円ぐらいでいけそうだった。心がある場所に行く状態を「酔う」と言うなら、文章を書いたり、絵を描いたり、音楽を聴いたりがそれに近くて、でもそれは常に一人でやることだから、あ、なるほど、だから友達がいないんだ! 納得した。

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/takanabe/20080926

2008-09-25

takanabe2008-09-25

元栓

|  元栓を含むブックマーク



起きてても座ってても寝ててもしんどいので、いっそ逆立ちあたりがいいんじゃないかって気がしてきた。ま、逆立ち出来ないけど。味がさっぱり分からないので、味以外の食感や匂いに置き換えたものをおいしいんだと頭で変換して食べてる。具体的には香料入りの紅茶とかミントガムとか。訳分からんタイミングで一日に何度も涙が溢れて困る。クラシアンに元栓を直させようか。

iPhone(12)

|  iPhone(12)を含むブックマーク



iPhoneにしてから2ヶ月が経って、様々な機能を実際のところどんなバランスで使っているかと言うと、結局iPodなのかな、と言った感じ。じゃあ、わざわざ20万/2年の契約をしなくてもiPod Touchでよくね?ってのが持ってない人のフツーの発想だと思うんだけど、通話とメールとちょっとした調べ物や確認がiPodと同じ機械でいつでもどこでも出来ることがやっぱすごくいい。ケータイとiPod Touch2台持ちの方が弱点が少ないっていう人も少なくないだろうけど、それは2つの機械を常に必要とするうえで根本的に僕のiPhone観とは別モノだな。ポケットに携帯する機械は常に1つだけで完結ってとこが重要。そのとばっちりとしてはPSPDS Liteを持ち歩くことがなくなったね(会社でいつでも触れるし)。仕事に行くにも、僕はもう鞄さえ持ってないからね。いつでも手ぶらです。


全体の使用時間を100として、僕の使用比率はこんな感じ
iPodで音楽を流す 70 (仕事中もドックに挿して外付けスピーカーで聞いてる)
iPodで動画を見る 10 (寝る前など)
ネット 7
メール 6
通話 4
アラーム 2
カメラ 1


で、案外全然使わないのが、便利ツールやゲームのアプリ。ほぼまったく使わない。無料で便利なものもたくさんあるし、ヘビーな使い方をする人ももちろんいるんだろうけど、僕自身はかわいらしいアイコンを自分が気持ちいい順番で並べて、1回起動してふーんって思った時点でほぼ満足して終了。ハック系も今はあんまり興味ない。


最初から入ってる「マップ」は時々便利かも。電話で住所だけ聞いて、入力したら簡易ナビしてくれて、そこまで一人で辿り着けたし。(すごい熱を発したけど)


つまりは「便利」を買ったんじゃなくて、今まで机の前でPCを相手にやっていたことを、小さくちぎってポケットに入れて、iPodも入れて、電話やメールも入ってて、それを実現するのはたった135gのシンプルな板だけですよっていう生活を手に入れたって感じ。テレビゲームが携帯ゲーム機に進化して、ゲームに対する関わり方(場所や時間やコミュニケーション)が大きく多様化したように、PCと机に縛られていたことが、駅のホームだったり、街中だったり、ベッドの中だったりに広がった感じ。ステレオやラジカセの前で聴いていた音楽が、初めてウォークマンで街に連れ出せたときの感覚と一緒。あれも便利とか必要だったんじゃなくて、そうする体験が気持ちよさそうだったってとこが大きかったもんな。縛られてると思っていたわけでもないのに開放された感があった。開放されたと言っても、iPhoneで実際にやってるのはトイレで誰かのブログを読んだり、駅でtwitterのログを確認してるぐらいのことなのかもしれないけど。


カメラは使用頻度は少ないけど、iPhoneのようにいつでもどこでも入出力が出来て、どこかのコミュニティぶら下がり続ける感じの機器には、GPSと同様、絶対的に必要なものだと思う。画面がでかいので、PCから取り込んだ写真をビューワーとしてただ見てるのも楽しいし、動画を見るのが圧倒的に楽しい。特に電波の入りが悪いところでは、そういうオフラインコンテンツを準備しておくことが重要だったりする。ストリーミング系の動画は、Wi-Fi環境でも僕にとっては汚い画質&待ち時間がうっとおしいので見ない。


感覚としては202X年に実現される設定の「電脳メガネ」の2008年バージョンのプロトタイプを買った感じ。要らない人には要らないだろうって思うし、202X年が待ちきれない人には未熟な部分に多少目をつむったって、心底たまらないものなんだって思うよ。

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/takanabe/20080925

2008-09-24

正しさと公平さ

|  正しさと公平さを含むブックマーク



もういい加減ベテランだし、いいオトナなので、客観的な正しさや公平性みたいなものを求められると感じるシーンが少なくない。他の人がそういう場面でどうやってるか知らないけど、慣れる前までは自分が想像する理想のオトナを頭の中に召喚して、生理的な反射や好みの部分は可能な限りミュートして、そいつにしゃべらせていた。


でもふと我に返った。それって「僕」が言う必要のあること? 僕の中にそういう別の価値観の人がいるのは判断材料のひとつだからいいとして、本来の僕を差し置いてそいつに言わせてるのって、一体何なの?って思うようになった。


映画のレビューが載っているCinemaScapeというサイトに書いてあるコンセプトを幾度となく思い出す。

元来映画の好みは人それぞれで、客観的な評価は難しいものです。むしろ、主観的で思い入れの強いコメントの方が読んでいて面白く、しかも正直な意見として価値があるといえます。

つまり僕は、一般論的な意味での正しさ、公平さを重視するつもりで、主観や思い入れをスポイルさせて、見せ掛けの客観性を獲得したつもりでいたんだけど、それって、そもそも誰かのために役立ってるんだろうか。価値があるの?


「赤信号でも渡るってどうですか?」
「赤はそもそも今渡るなって意味だからね、渡るべきじゃないよね」


正しいし公平。でもそれ、僕のテンションがよくわかんないし、赤信号の意味をまったく理解してない人の説明としてしか役に立ってないよね。僕個人に意見を求めた時点で、一般論で受け答える必要なんかどこにもなかったんじゃないの? あ、打ち合わせで語尾に「と思います、個人的には」ってエクスキューズするやつが苦手だったのはそのせいか。じゃあ「個人的に」が付かないときの君は何者なの? そういう不確かさだ。


小津安二郎は言ったんだそうな。

「どうでもいいことは流行に従い、大事なことは道徳に従い、芸術のことは自分に従う」

名言だと思うけど、多分、僕らがいつも頭を悩ませているジャッジはこの「道徳」と「芸術」の間にあるグレーゾーン。客観と主観のせめぎあいだ。倫理と生理のせめぎあいでもある。


「赤信号でも渡るってどうですか?」
「赤は赤だからね、胸を張って行け!とは言えないけど、それで起こりうるすべてのリスクを背負って最初に渡ろうって人は好きだよ。一番まずいのは隣の人が歩き始めたからあたしも渡ったのに、見たら信号が赤で車に轢かれましたとか文句言う人。それって判断力も責任感もないもんね。でもそういうミスリードによる事故が0.001%含まれるとしても、赤信号だからって物理的に全員が渡れなくなる道路にするっていう設計にはしたくない」


「好きだよ」とか「したくない」ってとこが重要で。一見正しいとか公平さとは違う個人の感性のレイヤーにずらしてるんだけど、じゃあそれに従ったスタッフの責任は誰が取るかと言うと、僕が全部取るという覚悟がある時点で、オトナ度は「渡るべきじゃないよね」っていう僕よりきっとずっと上。


小津安二郎の言葉を僕のテンションで言いなおすと

「どうでもいいことは若い奴に決めさせる、大事なことは自身の道徳と情熱に従う、芸術かどうかはお客さんが勝手に決める」



まとめると、強い主観や思い入れが含まれていないものに、絶対の覚悟なんか含まれっこないんじゃないの、ってことです。正しさ、公平さをその論拠としてる指針は、その人の経験やスキルに裏打ちされていない借り物の知識から発していて、突っ込むと底が浅いことが多いのがばれがち。もちろん強い主観だけ裸で突きつけられても困るわけなんで、若い人は個人のスキルも、説明のスキルも、常識のスキルも全部磨いておくべきだけどね。

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/takanabe/20080924

2008-09-23

いやだ!

|  いやだ!を含むブックマーク



しんどいことが続くと「何だこれ、何かの因縁か?」と、つらさに意味を求めずにはいられなくなるけど、現象は単なる現象で、それ自体にはまったく意味がない。ただそういうトラブルというタイミングでふと足を止めて、世界と自分の関係を再定義しようとする行為自体はやっぱ毎回意味があるなと思う。


僕という狭い部屋にちょっとした風が吹きこんで、駅で「ありがとう」と二人の手を握って別れた。高揚と緊張が静かに解けてゆき、入れ代わりに疲れと痛みと熱がどっとやってきた夜に、例えこれで未来が縮むとしたって、今日という日が生きれてよかったと涙した。


考えはいつまでもまとまらなくて、言いたいはずのことは言ってるそばからこぼれて消えて、眠らない子供に「アンパンマンの歌」を歌ってと言われて、歌ってみて、出だしから泣けすぎてぐしゃぐしゃになった。

なんのために 生まれて
なにをして 生きるのか
こたえられない なんて
そんなのは いやだ!



「そんなのはダメだ!」じゃなくて「いやだ!」ってのが、自分を律する強くまっすぐな意志を感じさせて本当にすごい。やなせたかし、まじすごい。

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/takanabe/20080923

2008-09-22

takanabe2008-09-22

共生

|  共生を含むブックマーク



部屋に帰ると、玄関の壁を自分の掌より大きな蜘蛛がワシャワシャ這っていた。背中に髑髏みたいな模様がある蜘蛛だった。そんな大きな蜘蛛を見たのは10年ぶりぐらいかな。自分が管理している空間に、普段見ない種類の生き物がやってくると、何かのメッセンジャーかなってちょっと思う。


最近読み始めた同じ病状の人たちのブログ。同じ治療をしながら、ここ1週間で再燃したり、癌に進行したり、副作用に耐え切れなくて治療を中断したりする姿を見て、涙がこぼれる。前向きな意志や、苦労の度合いと、結果との間にはほぼ相関関係がない。特に西洋医学は、患部の値の上がり下がりしか気にしていないから、数字に表れない部分に小さなダメージが積み重なって、つい心や体の支えが折れたときに、薬がまったく効かなくなったり、違う症状が一気に噴出するんだと思う。


木に竹は接げない話と同様、一度掛かった病気は数字上治ったように見えることはあっても、なかったことにはならないというのを感じる。薬や外科的な処置で仮に患部の症状が完治したとして、それは短期的には喜ばしいことだろうし、周りの人も安心して喜ぶだろうけども、そのコストは全身に負荷を掛けているので、それは病気になる前の体を取り戻したことにはならないんだ。長期的には、一度病気を経た体と共生してしくという姿勢を、必ず受け入れざるを得なくなる。それは病気に限らず、人が生きる過程すべてに言える原則だと思う。

感性を疎外しない関連

|  感性を疎外しない関連を含むブックマーク

http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20080920#p2

企業のくだした情勢判断に基づく選択に、外部が寄ってたかって「正しさ」「美しさ」などの思想やストーリーをラッピングしていく過程は興味深いが、それがラッピングに過ぎない以上、彼らの夢見る正しさも美しさも一過性だ。

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/takanabe/20080922

2008-09-21

takanabe2008-09-21

そばにいる

|  そばにいるを含むブックマーク



祖父に会いに行ってきた。病室が変わってなんだかすごい器具が外されて、明るい部屋になっていた。雨が降っていたので心細いだろうなと思って、ずっと横に座っていた。僕だと分かるようだった。手も前より温かかった。病状は横ばいで、退院はできそうもない。でも月末には転院しないといけない。励ますとか、がんばれとか、早く治ってね、とかそういう言葉は怪我以外の病人には意味がなくて、単にプレッシャーだ。何かして欲しいことがあるわけじゃないのも分かってる。だからただそばにいて手を握ったり、目が合ったら笑ったりして過ごした。自分の力で誰かに会いに行くことができないのだから、それが今の僕にできるベストだと思う。そうして一人の夜に考えてしまうどうしようもないことをちょっとだけ和らげられたらと思う。祖父は何も言わない。握り返してくるその手のやさしさで伝わってくる。時々看護師がやってきて何か言っても、内容に関わらずうなずくだけ。でもその目は悲しそうにも不満そうにも見えなくて、その強さが他の同室の重病人たちとは明らかに違っていた。


同日の『今日マチ子のセンネン画報』が偶然、同じ気分だった。(画像)
http://diary.jp.aol.com/juicyfruits/1567.html

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/takanabe/20080921

2008-09-20

小さい死

|  小さい死を含むブックマーク



小さい死が立て続けにやってきた。


同じ日にもらった父親からの手紙には「悔いのない人生を」と書いてあった。


それを読んで、今までの選択がすべて成功だったとはとても言えないにせよ、別に後悔してるようなことはないな、と思った。意志決定した時間までもう一度巻き戻ることができたって、僕はきっと初回と同じ選択を繰り返すだろう。瞬間の身のこなしがその人となりを作ってると常々感じる。


後悔とは違うにせよ、この先、後悔しないように今すべきこと、今できるはずことができないことが一番嫌だ。「現在→未来」のベクトルが閉じられたら、それだけで生きてる意味が損なわれる。僕らが直接選んで変えられるのは永遠に「現在」のみだから。


体調の悪さによって選択できることが極端に減ると、必ずしも今しなくてもいいことってのは、かなりクリアに分かるようになる。今に追われて一生懸命になってるつもりでもそれはただの自転車操業だ。現在をつむぐすべての行動は、欲する未来から逆算されるべきだ。そしてそのヒントは過去から今日までの軌跡の中にある。それを無視することはできない。過去を何もかも背負い込む必要もないけど、木に竹は接げないことだけは事実だと思う。


みんな自分のことだけでいっぱいいっぱいになってる。抱え切れなくて逃げ出して、その勢いで手からこぼれて砕けて消えたものをずっとずっと悔やんでる。逃げなきゃこぼれたりなんてしないのに、その時は逃げずにいられなかったんだと思う。


iPhoneの陰陽占いを見てみたら僕の項目には「今までの行いが正しくない者は、2009年を生きて越えられない」とはっきり書いてあった。占いなのに「死ぬ」って言い切られた。2010年を見たら「生き地獄」とも書いてあった。自分なりに踏みしめてきたつもりの地面を振り返ったら、それは道になんかなってなかったっていうそういう恐怖。でもその実感が主観的なものだとしたら、別に怖くなんかない。


国立新美術館に飾られた父の絵を見に行った。見慣れているつもりでも100号はめまいがするほど大きくて、キャンバスの面積をただ塗りつぶすだけでも、今の僕には簡単には選べない選択だった。思いを刻みつける熱量って、それだけで見る相手を揺さぶる。多少の未来を削ってでも今を刻む行為を選んだその輝きなんだと思う。iPhoneのカメラで写真を撮ると何度やっても四隅にピントが合わなかった。デジタルデータに簡単に要約してくれるな、と言われている気がしたし、めまいそのものを写しているかのようにも思えた。


先週観た「トニー滝谷」の監督が亡くなったんだそうだ。あのタイミングであの映画がものすごく僕を呼んでいたのが、なんか納得できた。DVD大事にしよう。

2008-09-19

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/takanabe/20080919

2008-09-18

2008-09-17

伝えない

|  伝えないを含むブックマーク



祖父のことを考えていて、つらいと口にしたりとか、悲しい顔を見たことがなかったことを思い出した。普段自分の気持ちを話さないから、祖母がなくなって出棺のときに、祖母の腕に巻いてあげたビーズの腕輪を自分が作ったと言うことを主張したのと、最後に「綺麗な顔だね」とだけつぶやいたのが、すごい印象に残った。それくらいよほどのことがない限り自分の気持ちを伝えない。伝えない、と言うのはすごい。他人に期待しないということだからだ。お腹がすいたら時間や量を関係なく食べるし、眠かったら寝ちゃう。それ自体はいいとして「感想や感情を共有しよう」「共有したからさっきよりちょっと安心」という弱さがない。一人で歩こうとして途中でしんどくなったら、しんどさが去るまで黙ってその場でじっとしてる。興味があるものがあったら、ただそれをじっと眺めている。その対象に近づくわけでもないし、おいでと呼ぶわけでもない。近づくのも、遠ざかるのもすべて相手の気持ちと行動に委ねている。自分は黙ってただそこにいる。


孤独というのは悲しいことなんだという響きがある。伝え続けることはお互いにとって大事なことなんだという考え方がある。だから毎日「ここにいるよ」という小さい叫びを僕なんかは積み重ねる。「ね? そうでしょ?」って顔を見て言いたがる。物を作る仕事だって、不特定多数と分かり合いたくて、その延長の中で選んだ気もするし。でもどんなにあがいても、むしろあがけばあがくほど孤独を受け入れざるを得ない瞬間は幾度となく訪れる。だとしたら誰かに何かを期待しないで、そこにあるがまま、求められるがままを受け入れるっていうのは、つらいけど、有用で現実的で立派な在り方のひとつだと思う。他者によって成り立つ自分があるのは誰でも同じだとしても、そこを拠り所にするかどうかの選択は大きな違いだ。そう考えるとうっすらと悲しくつらい日々は、そこに達するための訓練(モラトリアム)みたいな気もしてくるんだった。僕にはまだ遠すぎる境地だ。未熟さを知る。

やりたかったことの五分の一くらい

|  やりたかったことの五分の一くらいを含むブックマーク

http://d.hatena.ne.jp/zoot32/20080916#p1

ガープの世界』でアーヴィングが書きたかったことは、「人は、やりたかったことの五分の一くらいしかできずに人生を終える」ということではないかとおもった。きわめてリアルにそうおもった。

2008-09-15

意思決定と性

|  意思決定と性を含むブックマーク



90を超える祖父が倒れて入院した。それでも元気に院内を歩いて、毎日「帰りたい」と言っていたらしいから勝手に大丈夫なんだと安心してた。ところが老人はどこか一箇所でもガタが来ると、他の場所もドミノ倒しのようにいっせいにガタが来るらしい。患部とはまったく関係のない血尿が止まらなくなり、安静を求められたたった2、3日の間に、完全に寝たきりの人になってしまった。意識も朦朧として、言葉も発しないし、見舞いに来た人が挨拶しても誰だか分からない。認知症もあるので、ふと目が覚めたときについ家に帰りたくなって勝手に点滴などを外してしまうため、投薬中は手足腰をベッドに固定されてしまっていた。寝返りも打てない。ただ寝て弱っていくだけ。それって本来の意味で治療なんだろうか? でも結局すべての時間、そばについていられる人なんか現実的にはいないから、そういう強行手段に頼らざるを得ない。悲しい。


先週連れて行く予定だった子供(曾孫にあたる)を抱えて見せると、返事はなかったけど、明らかにさっきまでと違うやさしい表情を見せて、お互いずっと黙って見つめ合い手を繋ぎ合っていた。とても長い長い時間だった。90歳近い年の差の、物言わぬコミュニケーション。誰に何と言われようともっと早く連れてくるべきだったと後悔をした。祖父のしわくちゃの手はなぜかやたらに冷たくて、僕の熱のせいかもと思ったけど、子供もそれを察するかのように「冷たいね」と僕の顔を見上げた。


一緒に行った母親(娘にあたる)が「人間死ぬ間際ってみんな一人なのね」とため息をつく。死に近づくというのは、意思決定と性があやふやになっていくことなんじゃないかとここ数日間は思うようになった。たとえ健康な人であってもそれを失っていたら、それはすでにどこか死んでるのかも。逆に言うと、子供が自分で意思決定の自由と性(セックス、対外的な存在価値)を獲得し、自らの哲学で再定義するまでの過程を「成長」と呼んでるのかもしれない。


久しぶりに好きな映画「トニー滝谷」を観なおして、彼が言う孤独な牢獄であるところの人生の意味を前よりちょっとだけ深く理解できた気がした。そううそぶく彼の、最後のアクションが一方的に連絡を閉ざした相手に掛けなおす電話のシーンであるところが興味深い。その迷いが精神的な性のくすぶりであるように思えて、それ自体が彼の(弱いながらも)生きる意志そのものなのだと感じられた。その結果が希望とも諦めともどっちとも取れるように描いているのも、その先の彼の人生の続きを観客に委ねているようだ。


もう一度病室をのぞくと祖父は気持ちよさそうな顔でいびきをかいていて、生まれたての赤ん坊のように見えた。もう一度、声を聞けたらいいなと思う。

ゲーム「newtonica(iPhone用ゲーム)」飯野賢治

|  ゲーム「newtonica(iPhone用ゲーム)」飯野賢治を含むブックマーク

http://sankei.jp.msn.com/entertainments/game/080913/gam0809130759000-n1.htm

偉そうに言うことでもないが、このソフト、僅(わず)か数人で、実質1カ月で開発したのだ。ちょうど、僕の夏季休暇の直前に開発は終了し、1週間の旅行から戻ると、ソフトは発売された。久々の短期間でのゲーム開発に関わることよって得た「熱」がまだ残っているように感じた。そして、その熱の温(ぬく)もりが作品にも残っているうちに、70カ国以上の人々の手に届いたことに驚きを覚えた。

2008-09-14

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/takanabe/20080914

2008-09-13

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/takanabe/20080913

2008-09-12

Jobs がマーケティングの天才だという点には異存無いが

|  Jobs がマーケティングの天才だという点には異存無いがを含むブックマーク

http://raurublock.tumblr.com/post/47255104

Jobs がマーケティングの天才だという点には異存無いが、それは消費者の満足度を高めるために設計しているのではなく、「消費者の満足とは何か」を Jobs が定義して消費者をそれに従わせてしまうところこそ彼の天才と言われる所以。それに続く iPhone キラーは、結局 Jobs の作った土俵で勝負することになるので、負けて当然。

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/takanabe/20080912

2008-09-11

体重計

|  体重計を含むブックマーク



今週はラッキーなことに熱が控えめ。でも久しぶりに体重計に乗ったらここ20年ぐらい見たことない数字が現れてちょっとショック。仕事中にがんばって間食しまくる。味わかんないんだけど。

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/takanabe/20080911

2008-09-10

残り

|  残りを含むブックマーク



ちょうど1年になった。

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/takanabe/20080910

2008-09-09

ずれ

|  ずれを含むブックマーク



体質が変わると、味覚も変わってくるので、今まで好きで毎日食べていたものでもまったくおいしく感じなくなったり、今まで目も向けなかったものが突然おいしく感じたりする。外的な要因によってそれが移り行くこと自身には意味がないのに、その傾向の積み重ねによって生活や意志や行動は確実に前とは違ったものに変化していく(していかざるを得ない)。その反復の中で自分が自分だと認識している好みや信条と、実際の自分が乖離していく。その「ずれ」が大きくなってしまうと、そもそもそれは「ずれ」だったのかどうかも分からなくなって、本来の「自分」なんてものがはっきりと存在したんだろうか?と疑問を持つ。そんな迷いは、物を作る職業にとって、あるいは僕に作られるものとそのお客さんにとっても大きな問題に思える。

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/takanabe/20080909

2008-09-08

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/takanabe/20080908

2008-09-07

CD「archive」sleepy.ab

|  CD「archive」sleepy.abを含むブックマーク

archive
archive
posted with amazlet at 08.09.08
sleepy.ab
3d system(DDD)(M) (2008-02-06)
売り上げランキング: 24983

暗い歌が好き。もっと言うと暗いけどその中に優しさを感じる歌が好き。


このアルバムはインディーズで4枚のフルアルバムをリリースしているsleepy.abのベスト盤。abの部分は読まなくて「スリーピー」というバンド名だ。アブストラクトを意味している。札幌を中心に活動している4ピースバンド。


冷たいぐらいに的確に自分の境遇と感情を捉えた詞、そして浮遊感のある音が連ねる死と許しの匂いが、とにかく美しい。残酷なことが度を過ぎると時に甘美であるように感じてしまうように、重なる不幸に拗ねたり、生活が退廃的であることはとっくに通り過ぎた先の「死線の向こうから振り返る生」という高いレイヤーからの視点を感じる。絶望から振り返るが故に(現実は変わっていなくとも)今この瞬間に希望に似た光を放つ、そういう美しさ。アルバムを重ねるごとに、冷たい音から徐々に暖かい音に転向してきているのも、興味深い。


4thアルバム発表時のインタビューで、作詞作曲の成山は次のように答えている。

いま生きている人って、特に具体的ではなくても、ほとんどの人がたとえば、みな漠然とした不安みたいなものを感じながらその中で生きていると思うんです。不安な気持ちってみんなにあると思うんですが、それはたとえ日々の小さなことであってもとても切実なことだと思うんです。そんななかで、ときには逃げられる場所とか、立ち止まったりすることって大事だと思うんだけど、逃げられる場所や環境って本当にあるんだろうか。不安なことが問題なのではなくて、本当は逃げ込める場所がないことこそが問題なんじゃないかって。だから、僕たちは音楽を作るなかで、僕たちの音楽を聴いている間だけでもその不安から開放されて欲しい。そんな想いで『fantasia』を作りました。

例えば日本語のロックであり、叙情的な音ながら、恋愛を想起させる内容が極端に少ない。もっとも死の匂いが強く、代表曲でもあるのは「夢の花」。

一人のぼる夜 夢の色 残される僕は
白い空にただ溶けてゆくままに


生き永らえる前提 静かに揺れる幻想
そのままの君に理由を与えられるように


もう二度と帰らない影は 薄れて延びていくだけ
連なる想いは花となりて死ぬる

音からして天に召されちゃってる感じ。
「夢」は、現世との対比、地続きだけど触れないものとしての死の隠喩なんじゃないかな。


この場合の「花」は、僕は「生きて紡ぐものすべて」じゃないかと思っていて、死んでも忘れないような、鮮烈な今を紡ぎたいという祈りだと思うんです。でも死に対する憧れや許しとは異なるところに、この歌は魅力があって

もう一度限りある世界に触れて移りゆくだけ
連なる思いは花となりて生ける


夢にまで鮮明な色蘇る言葉教えて
夢にまで鮮明な君蘇る音を奏でる

とまとめるように、たくさんの想いを、死に対しての花として束ねて残したいんだという確かな意志にあるんだと思います。だからこそ、死も生も、絶望と希望も、実際には不可逆でありながら、それぞれにかけがえのない価値を持ったものとして輝きだす。まるで等価値であるかのように境界を甘くしていく。


「毎日はそれぞれ新しい別の日だ、だからそれぞれに別の新しい可能性がある」というのは簡単で、今の僕にはそれをつるっと鵜呑みには出来ないけども、残された時間を逆算していくときに、絶望のルーティンの中で、今この瞬間に持っている限られた可能性や選択肢は、明日にはもう保障されていないことを自覚したら、今日という日はまだそれが損なわれていないことの自由を否応なしに知るはず。それができる内に、それを選べるうちに、自分の足で歩いて君がいるところへ行き、声に出して好きだと言って、その時そこにしかない温度や匂いや光を感じる。そうして共に過ごしてくれた時間と気持ちにありがとうと言う。


その連なりが小さくともいくつかの花として残っていけば、と思うんです。ここにいなくなる寂しさなんてたぶんきっと一瞬。そういう意味で最後にリフレインする「I think everything going well」っていう大らかな希望の結びは、届けるべき気持ちをすべて届け終えて天に帰る魂そのもののように聞こえるんです。


amazoniTunesで買えるのでよかったら聴いてみて下さい。

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/takanabe/20080907

2008-09-04

宛てのない

|  宛てのないを含むブックマーク



毎晩、熱でうなされてつい「たすけて」と口走る。でもそこには誰もいないのでそんな声は誰にも届かない。どんなに順調に進んでも、あと1年以上これが続くのかと思うと気が狂いそう。同じ症状で悩む人たちの日記を見ても、途中で断念したり、治療終了後、再燃してる人ばっかだし。宛てのない未来より、今をちゃんと生きるほうを選んだ人たちの気持ちは良く分かる。

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/takanabe/20080904

2008-09-03

希望

|  希望を含むブックマーク



希望ってなんだろうな。明日を待ち望むこと? でも今の僕は今できるはずのすべてを犠牲にして、とりあえずの未来を、先送り、延命してるだけだ。それってなんなんだ。それは誰にとって大事なことなんだ? 希望って分かち合う相手がいないと今が成り立たないんだってやっとわかった。

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/takanabe/20080903

2008-09-01

働くママさん、ポニョに癒される。

|  働くママさん、ポニョに癒される。を含むブックマーク

http://webmagazine.gentosha.co.jp/mama/mama.html

なんだか、子供を産む前に障害があってもわが子を愛せるだろうかと自問自答する妊婦みたいだ。「生まれてきてよかった」というキャッチコピーや、「母なる海」をイメージさせる豊かな海の描写からして、これはラブストーリーというより生命が誕生するまでの物語なんだろう。

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/takanabe/20080901
1995 | 11 |
1997 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
1998 | 03 | 04 | 05 | 06 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
1999 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2000 | 01 | 02 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2001 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2002 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2003 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2004 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2005 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2006 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2007 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2008 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2009 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2010 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2011 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2012 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2013 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2014 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2015 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2016 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2017 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2018 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2019 | 01 |