書評:『計算しない数学』根上生也/青春新書

数学本、としても非常に楽しむことができたが、それ以上に、数学教育というものを考えるきっかけとして読む価値のある一冊。

p.16
数学が好きか嫌いかは個人の趣味の問題だから、嫌いだってかまいません。でも、「数学が得意になるには計算練習をすればいいんだ」と、勝手に思い込んでいませんか。そして、その思い込みを子供たちに強要していませんか?

算数が数学になって、高校で習う高等数学はあまり面白いと思わなかった。でもその後、大学で(なんの因果か(;´∀`))主に統計学などを学ぶゼミに入ったりして数学とまた出会うことになって、数学が「計算するもの」ではなく「事象や構造を示すための便利な仕組み」となることを理解してからは逆に数学に対する抵抗感が薄れていった。

p.24
1+2+3+…+n=\frac{n(1+n)}{2}
これは高校の数学の授業で習う「総和の公式」と同じです。でも、高校の数学の先生はこんなふうには説明してくれないでしょう。

と、本書ではこの数式が「なぜ成り立つのか」ということを「計算しない」やり方で解説してくれます。「結果を出すことを目標とするのではなく、結果を出すための考え方を理解することを目標とする」この根底なしに数学はその「意味」を持ち得ないと思うのですが、日本での教育ではどうもそこの部分は抜けてしまっていると思うのですが…。
本書では、これ以外に三平方の定理など、様々な公式となっている数学を、計算せずにその意味を理解する解説が展開されています。大人にとっても意味があると思いますが、こうした数式に頭が?になっている状態の高校生にとっても本書は意味があると思いますね。

p.68
問題1
32チームで行うトーナメント。優勝チームが決まるまでに、何試合が行われるでしょうか?

この問いに対する考え方の紹介は、ある意味で目から鱗だった。計算するのではなく、「なぜそうなるのか」という考え方の発想を転換してみる。その重要さがよく理解できる設問です。

p.70
ここで注目したいのは、試合をするたびに、負けチームと試合が一対一に対応しているわけです。ということは、負けチームの数と試合数は同じだということです。そして、優勝したのは1チームしかないのですから、出場したチームの数から1を引いた値が負けチームの数、そして、その数がトーナメントの試合数になるのでした。

どうして日本の数学の授業ではこういった問題について1コマつかって考えてみるというようなことができないのでしょうね。学習要領なんて、必要な時間枠の半分ぐらいにして、あとは教師の裁量に任せてもいい気がするのですが。

p.146
もちろん、微分積分を頂点に置いたカリキュラムのよさもありますが、それを過度に推し進めてしまった末に生じた弊害だってあるのですよ…。
その辺の事情を踏まえた上で、私は次の三つの提言をしたいと思います。

  • 提言1 数学を「自由に考える部分」と「お作法の部分」とに二分しよう
  • 提言2 離散数学的な題材を活用して、「言葉で論証する」を実践しよう
  • 提言3 コンピュータの利用を前提に、参加できる数学の世界を広げよう

自由に考えるためのツールとして、離散数学を使い、そのためのツールとしてコンピュータを活用する。この著者の提言が本当に数学教育につながっていくといいのですけれども。

p.154
離散数学とは、有限で離散的な構造を対象に展開される数学です。二十世紀後半に情報科学の発展とともに急成長を遂げた分野なので、まだ広く一般の人には認知されてないでしょう。(省略) 離散数学といえば、構造や原理に注目して問題解決をする数学という意味合いが強調されます。

p.184
今までの数学の授業だと、いつも同じ人ばかりが褒められていましたよね。数学ができる人は、いつも数学ができる。しかし、この例が示唆するように、私が考える二十一世紀の数学の授業では、いつも同じ生徒が褒められているという構図は崩れていきます。学習する内容によって、得意な人もそれぞれ。ある単元ではしょんぼりしていた人が、別の単元に入ると元気になる。そういうことがあってもいいではないですか?

単に数学を学ぶということだけではなく、学問として数学を発展させていくためにも、様々な発想を持つ人が数学の魅力に惹かれていくということは必要な入り口だと思うのですが。
数学が、計算するものではなく便利で面白い言語になっているかどうか。少なくともそうした取り組みが始まっていることに、一人の数学好きとしても期待しています。