高世仁の「諸悪莫作」日記

2018-11-15 めぐみさんに謝るべきは

 きょうは、横田めぐみさん北朝鮮に拉致された日。41年が経ち、めぐみさんは今、54歳になっているはずだ。

 新潟日報が「両親から娘へのメッセージ」を載せた。http://www.niigata-nippo.co.jp/feature/rachi/page03.html

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(4月に入院する前の2月撮影/滋さんの名前は早紀江さんが代筆=新潟日報

 《めぐみちゃん。本当にごめんなさい。41年間も助けてあげられていないままで。このお手紙はお母さんが一人で口述しています。だけどお父さんと二人で書いたものと思ってください。

 お父さんは4月4日から入院しています。パーキンソン症候群です。入院前から高齢のため食べ物を飲み込む力が弱くなっていました。当初は点滴で栄養を補っていましたが、次第に難しくなり、胃に直接栄養を送る「胃瘻(ろう)」に切り替えました。》

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 と始まるメッセージはあまりにも悲しく、読むのがつらくなる。

 最後はこう締めくくられている。

 《今、二つの気持ちがあります。一つは「家族としてやれることはやり尽くした。あとは政治家のなされることを見守るしかない」という気持ち。もう一つは、やはり「まだ助けてあげることができなくて、ごめんね」という気持ちです。

 間もなく41回目の冬が訪れます。新潟も寒いですが、北朝鮮はもっともっと寒いことでしょう。どうかお体には気を付けて。希望だけは持ち続けてくださいね。お父さんとお母さんも、希望を持ち続けています。》

 早紀江さんは、冒頭でもごめんねと言っているが、ほんとうは、めぐみさんと家族に謝らなければならないのは、政府と私たちである。はたして政府はこれまで最善を尽くしてきたのか。国民の生き死ににかかわる問題である。

 北朝鮮では、表面上の南北融和の下、底の方で現体制をゆるがす芽が育っているように思える。政府には、いくつもの条件の組み合わせを研究し、あらゆる知恵と資源を動員して解決にあたってほしい。

 早紀江さんの「希望」を裏切らないように。

2018-11-13 拘束されたカメラマンを右翼が救出

 安田純平さんの救出がどのように実現したのか。その事情は今後明らかになっていくだろう。彼の友人たちを中心に手弁当で奔走した人々がいた一方で、日本政府は最後まで救出に消極的だったように私には見える。

 かつて、安田さんと同じフリーランスのカメラマンがフィリピン反政府武装勢力に拘束され、日本政府が全く動かないなか、純然たる民間の努力で救出された興味深いケースがある。

 まずは、拘束されていた石川重弘さんが帰国しての記者会見の動画(3分ほど)を観ていただきたい。

https://www.youtube.com/watch?v=YB8z2GuQge8

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 会見で解放を祝し、涙にくれる石川さんと母親の肩を抱いて「親孝行しなさいよ」と声をかけるのは、右翼の大物、笹川良一氏。(写真右)

 そして、石川さんの口から救出に尽力してくれた恩人として名前が挙げられたのは、笹川氏の他、元三代目山口組直系組長の黒澤明氏、民族派右翼野村秋介氏、「石川重弘君を救う会会長」は人権弁護士山口組代理人でもあった遠藤誠氏。いったいどんな救出劇だったのか・・・

 事件のあらましはこうだ。

 1985年1月、カメラマンの石川重弘さんがゲリラの撮影のため、フィリピンのホロ島に向かったところ、イスラム系反政府ゲリラ「モロ民族解放戦線」(MNLF)に拘束された。同行した現地ガイド2名は、MNLPにスパイと見なされ射殺された。

 MNLFは身代金約7000万円と重火器を要求日本政府はこれに全く対応できず、外務省は石川さんの家族に「死んだと思われたし」と通知したという。(なお、当時の外相安倍首相父親安倍晋太郎氏だった。)

 そのころ、ヤクザから足を洗った黒澤明氏がフィリピンを訪れた。山口組・一和会分裂を気に黒澤組を解散し引退した彼は、旧知のマニラ在住の貿易商、ヒロ山口から事件と日本政府が放置していることを聞いた。即座に救出を決意した黒澤氏は、野村秋介氏、遠藤誠氏らの協力を得て、救う会を作った。

 MNLF側の要求は、現金約7000万円と武器だったが、ヒロ山口のムスリムコネクションで直接交渉した結果、3000万円分の医療物資支援という条件で妥結し、石川さんは1年2か月ぶりに解放された。3000万円を工面したのは、山口組四代目直系組頭の後藤忠政氏とされている。黒澤氏や野村氏は表に立ちたくないと、日本船舶振興会笹川良一会長が会見で挨拶することになったという。

 日本政府は当時からフリーのカメラマンなどを保護することに熱心ではなかったようだ。そこで、右翼人士とヤクザを中心とする民間のグループが、一肌脱いで、政府とは全く関わりなく救出することに成功したのである。

 いま安田純平さんをバッシングしているのは主に右翼系の(とくにネトウヨと言われる)人々だが、かつての右翼は、困難にある同胞を放ってはいけない、政府がやらないならオレがやると行動を起こしていた。

 実は私はこの事件にはちょっと因縁がある。石川さん解放のとき、フィリピンにおり、交渉に動いた人たちも知っていた。そういえば、安田さんと似たケースだったなと思い出し、いろいろ考えさせられている。

2018-11-12 アメリカ―赤と青の分断

f:id:takase22:20181109150242j:image:w280:left 9日、安田純平さんが日本外国特派員協会で会見にのぞんだ

https://news.nifty.com/article/domestic/government/12136-121839/

 安田さんからは、ごく短い挨拶があっただけですぐ質疑に入った。最初の質問が、「なぜ謝罪するのか。本当に謝罪をする必要があると思っているのか。歓迎されるべきではないか」というもの。おお、いきなり来たか。

 私の向かいの席にいたジャーナリスト江川紹子さんと目が合い、「外国人記者はやっぱり違うね」と笑った。

 最後の質問も厳しかった。「イラクで拘束されたフランス人(オブナさん)が解放された2004年12月、シラク大統領バカンスを切り上げて、ラファラン首相と2人で空港で歓迎した。安田さんの歓迎されたエピソードを聞かせてほしい」。

 これ、安田さんに言わせるのか・・安田さんは言葉を選びつつ、苦しげに答えていた。ごくろうさまです。

 これで2回の会見、連日の朝から深夜までの取材という嵐のような時期がそろそろ一段落した感じだ。これから安田さんは、これまでの自分の仕事、特に3年4ヵ月の拘束と本格的に向き合うことになるのではないだろうか。

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 米国では「赤と青の分断」が深刻になっているという。

 《「いま米国保守リベラルが一つ屋根の下で暮らすのは泣きたくなるほどむずかしい」。数年前、サンフランシスコ郊外に住む夫婦からそんな嘆きを聞いた。夫は警察官で筋金入りの保守派。妻は反戦が信条のリベラルな作家である。外食先で食べるのは、妻が有機野菜で夫はステーキ。休日に妻が美術館行きを提案すると、夫は釣りに誘う。犬をしつけるのに、しゃがんで全身をなでる妻と、どやしつけて服従させる夫。リベラル保守とでは暮らしの趣向がかくも異なるものかと驚いた。(略)かつては互いに寛容さもあったのに、近年は嫌悪の情が前面に。ついに憎悪にまで至ったというのが米中間選挙を見ての偽らざる感想である。》

 分断が深刻になったのは、トランプが憎悪を煽ったことが大きい。トランプ型のリーダーがブラジルなど他の国にも出現しているようで、これから世界は紛争が多発することになるのではと心配だ。

 ところで、この保守リベラルの違いだが、以前、このブログで、右翼左翼の「統合」がいかにして可能か、などという問題を書いていたときに触れたことがある。

アメリカでは、生活スタイルや外見で支持政党がすぐ分かると言われる。

例えば、典型的な共和党支持者は;愛車はハマーやポルシェカントリー音楽を聞き、スポーツはロデオ、カーレース、男性はスーツに整えた短髪、女性は量感たっぷりの髪形、好物はフライドチキン、バーベキュー。

一方、民主党支持者は;プリウスボルボに乗り、音楽はジャズ、ラップ、好きなスポーツはテニスやサッカー、男性はカジュアル系の服に長髪で髭を生やし、女性はさらさら風の髪で、寿司や菜食を好んで食べる。》

http://d.hatena.ne.jp/takase22/20110121

 ちょっと前のスタイルだが、つまり、保守リベラルは、単に政治という限られた分野の好みの問題ではなく、人格の基本的なレベルにまで根をもつということではないか。

 早慶戦のライバル感覚などとは全く異なる。

 7年前は、ここまで書いて、難しいところに差し掛かって「つづく」。そのまま(いつものように)ほったらかしにしたのだが、右と左の問題はもうちょっと追及してみたい。

(つづく)

2018-11-08 明らかにされなかった事実はないと同じ

説明を尽くす純平せぬさつき 

 一昨日の朝日川柳に選ばれた一句(東京都 三井正夫)。もちろん安田純平片山さつきを対比したものだが、安田さんは今も連日取材に応じて拘束時の様子を語り続けている。25日、成田空港で妻が代読した「可能な限りの説明をする責任があると思っています。折を見て対応させて頂きます」という自身の帰国最初のメッセージを実行しているのだ。

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 きょう、第一回「本屋大賞2018年ノンフィクション本大賞」の発表があり、大賞に角幡唯介の『極夜行』(文藝春秋)が選ばれた。角幡さんは以前から注目している冒険家・作家だが、受賞のスピーチで、安田さんバッシングにかかわる本質的な論点に触れていた。

 「今は何かを知るということに対しての錯覚というか、価値が置き去りにされてきている気がします。ネットを開いて、検索すればそれなりの答えが返ってきますが、情報や事実っていうのは、ものすごく労力がかかっている。ネットは結果でしかないので、その情報を手に入れるために、リスクや労力がかかるんだということへの想像力がなくなっている気がします」。

 安田(純平)さんがシリアで解放されて、自己責任論ということで糾弾されています。『危険を冒してまで、事実を調べにいく必要ないんじゃないの。普通に生活できたら困らないじゃん』という感覚になっていると思うんですけど、それだと困る。明らかにされなかった事実はないと同じですから」。

 「発掘されなくて死んでしまう人がたくさん世界にいる。誰かがリスクを冒して、事実を発掘しないと暗黒世界になってしまう。ノンフィクションは、何かを知るっていうのはどういうことなのかを改めて世に問うことだと思う」。

 何度も死にかかった経験をしてきた彼だけに、説得力が違う。


 バッシングについて語るのはもうおしまいにしたいが、関心のある方にお勧めは、安田さんの高校の同窓でもある石川智也さん(朝日新聞記者)の一連の評論。最新は『そして安田純平さんは謝った〜誰に対し何を謝ったのか。それはこの国で生きていくための、やむを得ない護身策だった』

https://webronza.asahi.com/politics/articles/2018110600007.html

 また、同姓であることで関心をもち、安田純平とは何者かというイロハから調べあげたライターの安田峰俊さんの『安田純平氏へのバッシング、いちジャーナリストとして思うこと』もおもしろい。とてもまっとうな批評だと思う。最後の身代金についての叙述には賛成しないが。https://gendai.ismedia.jp/articles/-/58267

 バッシングを批判する論者の中に、これが異質なものを排除する日本の古いムラ社会病理だとする人が散見されるが、私はそうは思わない。

 日本人ジャーナリストの戦争取材は、ベトナム戦争に始まる。(大東亜戦争でのプロパガンダ報道ジャーナリズムとは呼べない)

 一ノ瀬泰造はじめ多くの若者がカメラとザック一つでベトナムに飛んだ。その中から沢田教一、酒井淑夫らピュリッツアー賞に輝いたカメラマンも輩出した。今と違うのは、大手メディア企業もたくさんの記者、カメラマンを戦場取材に投入したことだ。ベトナムインドシナ)戦争では、15人の日本人ジャーナリストが戦闘に巻き込まれたり、ポルポト派に処刑されたりして命を落としているが、その中には共同通信フジテレビ読売新聞など大手メディアの社員もいる。

 当時は、ジャーナリストが戦争を取材するのは当たり前の話で、自分も行かせてくれと手を挙げたものだとベトナム取材経験者に聞いた。戦場を取材しにいくことが咎められることなどなかったのである。

 私は今のバッシングの風潮は、日本の「昔」ではなく「今」の特徴だと考えている。これについてはまた機会があれば書こう。

2018-11-07 安田純平さんと3年半ぶりに再会

 いつの間にか、もう立冬か。寒露(10月8日〜18日)を過ぎ、霜降(そうこう)が明日で終り。鍋が欲しくなるわけだ。

 きょう7日から初候「山茶始開」(つばき、はじめてひらく)。つばきと読むが実際は山茶花(さざんか)。次候「地始凍」(ち、はじめてこおる)が12日から。17日からは末候「金盞香」(きんせんか、さく)。金盞とは金の杯で、黄色い冠をつけた水仙の花のことだという。暦の上ではもう冬。秋深し、紅葉狩りに行きたい。

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 きのう安田純平さんに会った。3年半ぶり。たしかに以前より痩せたが、元気そうで何より。40カ月におよぶ異常な時間を過ごしたとは思えないほどの精力を感じた。

 拘束中は、どうしてこんなことになったのかと反省の念がわいてきたという。そして、どんどん小学校時代の過ごし方にまでさかのぼって自分の至らなさの根源を探していったそうだ。なぜ、こうしなかったのか、あんなことをやっていればよかった、と。

 拘束場所を転々とさせられたが、縦2m、横1mの窓のない上下左右が壁の独房もあり、そこに誰とも口をきかず24時間閉じ込められ時期もあったという。想像しただけでこっちが苦しくなる。20日間の絶食をはじめとする苛烈なストレスはからだを蝕んだ。腰を痛めてヘルニアになった。つい先日は奥歯を抜いたと言う。歯医者に、歯ぎしりで歯根までやられていると言われたそうだ。心が折れなかったから耐えられたのだろう。

 会見では今後の身の振り方については「白紙」だと言った安田さんだが、そのうちまた取材活動を再開するような気がする。