高世仁の「諸悪莫作」日記

2017-03-22 チベットに潜入した十人の日本人

 近所の白木蓮がぱあっと開いた。おお、と声をあげたくなる。

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 もう春分だ。暑さ寒さも彼岸まで。ご先祖の供養をさぼっていたのを思い出し、遺影と遺骨を置いてある出窓の「ご先祖スペース」の水を入れ替えて線香を立てた。

 20日から「初候 雀始巣(すずめ、はじめてすくう)」、25日から「次候 桜始開(さくら、はじめてひらく)」、30日から「末候 雷乃発声(かみなり、すなわちこえをはっす)」。東京ではきのう、気象庁サクラの開花を発表した。ウドやタラノメもそろそろで、楽しみだ。

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 20日(月)午後、江本嘉伸さんの講演会があった。23年前に初版で立派な上下巻の単行本『西蔵漂泊 チベットに潜入した十人の日本人』が出たが、今回、その改訂新版が文庫で出版されたのを記念したもの。場所は新宿歴史博物館で、定員の120は満席になった。

 以下、講演会レジュメから―その十人とは

明治時代仏教の真価を追う旅、そして政治工作のための情報収集

 能海 寛(のうみゆたか)東本願寺派僧侶

 河口慧海(かわぐちえかい)黄檗宗僧侶

 寺本婉雅(てらもとえんが)東本願寺派僧侶

 成田安輝(なりたやすてる)外務省特別任務

大正時代:冒険旅行と仏教交流

 矢島保治郎(やじまやすじろう)冒険旅行家

 青木文教(あおきぶんきょう)西本願寺派僧侶

 多田等観(ただとうかん)西本願寺派僧侶

昭和時代:情報員として

 野元甚蔵(のもとじんぞう)陸軍特務機関モンゴル語研修生

 木村肥佐生(きむらひさお)興亜義塾塾生

 西川一三(にしかわかずみ)興亜義塾塾生(木村の一期下)

 江本さんによると、これだけの人材が、秘境チベットに潜入したのは日本だけではないかという。とりわけ明治の日本人に、どうしてこんなに行動力があったのかを描きたかったという。

 明治維新による王政復古神道の重視と廃仏運動をもたらした。そこで、日本の仏教界に、「仏教の本質は何か」という問いかけが生まれた。サンスクリット語で書かれた大蔵経インドからチベットに伝えられ、そこに存在する。その情報によって、日本の仏教教団が動き出した。ことは教団の存立基盤にかかわる。潜入行は命がけだった。現に、最初に挙げた能海寛は、雲南省大理からの手紙を最後に行方不明になっている。

 講演会で印象に残ったエピソードは、ダライ・ラマ13世〈現在の14世の先代〉が多田等観に非常に厚く信頼していたことで、多田が十年の修行を終えて帰国しようとしたとき、「ダライ・ラマと枕を並べて名残を惜しんで話しをしながら寝についた」(多田)ほどだったという。多田は、チベット大蔵経をはじめ2万4千部超という膨大な文献を日本に持って帰ったが、これは、チベットの学者たちが前例がないと反対したのを、法王が特別に許可して可能になったという。

 1895年に実験を握った13世は、清、英、露の干渉と闘うことになる。そのとき、同じ仏教国で、日清、日露の戦争に勝った日本に、チベットの独立と近代化の後ろ盾になってくれるのではと大きな期待を寄せた可能性があると江本さんは言う。それが多田への好意の一つの要因だったのではないかと。しかし、日本は結局、チベットを見捨てることになる。チベット紆余曲折を経て、独立することを妨げられて今にいたり、現在、チベット自治区四川省(カム地方)、青海省(アムド地方)いずれもすさまじい漢族化が進んでいる。

 時代背景と日本とチベットの関係のなかにこの十人を置いてみると、日本という国家の近代史が生々しく見えてくる。「解説」で貞兼綾子氏(チベット文化研究者)はこう書いている。

 《現在、チベットと日本との関係は政治的な思惑もあって自由に語れない部分があることは確かである。しかし、本書の十名全員のチベット行が、「命を賭して」という時代であったからこそ、そこに往来した無数の有縁のチベット人モンゴル人、中国人、あるいは日本人同士、その関係性のなかに、チベットと日本の関係の本質が照射されているように思う》。

 江本さんはかつて読売新聞で、「南北両側からのエベレストチョモランマ)登山取材北極中央アジアチベット横断、黄河源流探検など、辺境・極地の取材多数」という名物記者だった。現在は「行動者たちのネットワーク」の「地平線会議」代表世話人をつとめる。本で紹介した十人のような行動力を持つ若い人を育てようという江本さんの心意気が、地平線会議を引っ張っているのだろうと感慨深く講演を聞いた。私も地平線会議で末席を汚している一人だが(そして、この会でかみさんと知り合ったのだが)、先人たちの生き方にあらためて学びたいと思う。

 地平線会議については、http://www.chiheisen.net/

f:id:takase22:20170320190705j:image:w360:leftパーティで、野元さんの息子さん(左)と江本さん(右)

2017-03-16 「伝統の森」は現代文明へのアンチテーゼ

 きょうもカンボジアの村「伝統の森」のお話。 

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 蚕祭りの前夜祭の夜、ステージは若い衆のディスコと化した。祭りは、一年の集大成であり、最大の気晴らしでもある。

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 祭りの翌日、最年長のおばあさんが糸車を回す。年長者も障害者もそれぞれに「持ち場」がある。

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 暑季で連日32〜33℃。ハイビスカスが鮮やかだ。

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 村一番の「括り手」=デザイナーのソキアンさんが、10年以上前に自分が括った布を見る。ある人が、以前購入したこの布を日本から持ってきて、この「対面」が実現した。森本さんは、この布の模様がとても色っぽいと感じたという。ちょうど彼女の新婚の時代にあたっている。括り手や織り手のそのときの「思い」が布に現れるのだという。ほんとうだとすると、実に不思議だ。

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 前回書いたブログに、ご意見をいただいた。

 「日本では蚕が繭を作るのは年に一度だが、村で飼っているカンボウジュ種という蚕は、一年に八回繭を作る」と書いたら、養蚕の歴史を調べている長野県在住の桂木恵君からこんな指摘が;

 「日本では養蚕は年に1回という個所です。日本でも、春蚕、夏蚕、夏秋蚕、晩秋産というように3,4回はやっていました。カンボジアとの回数の違いは、桑の葉の繁茂具合の違いでしょう。長野県東北などが養蚕がさかんだった地域は多くが寒冷地ですので、春にならないと桑の葉が芽吹かないし、晩秋には枯れてしまうから冬場には出来ないのですね。また、養蚕農家といっても多くは米なども作っていますので、田植えや稲刈り時期などは養蚕労働力を避けないという点からも制約されるわけです。その中で3,4回やっていたのは恐ろしいほどの忙しさになるのですが、それだけ現金収入という魅力があったからです。」

 そうなんです。桑次第だそうで、日本では寒いので1回が多いと聞いていたのをそのまま書いてしまった。蚕の種類によるみたいな誤解を招きかねない表現だった。

 ところで、桂木君、本を10冊も注文してくれてありがとう!

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 普通は取材クルー(班)を送り出すだけで、自分はめったに海外出張などしないのだが、今回は森本さんが旧友だということで、村に3泊する機会をいただいた。

 この村の空気を知ってもらいたいというのが、今回出した本『自由に生きていいんだよ〜お金にしばられずに生きる“奇跡の村”へようこそ』のテーマの一つだった。

 ある同人誌に書いたこの本の紹介から;

 《森本は、中学の卒業式を鑑別所で迎えた「はぐれもの」で、日雇い労働に従事しながら反体制運動に没頭する青年期を過ごした。(略)そんな一人の「バカ」が、奇跡を成し遂げた苦闘の顛末は実におもしろい。困難を乗り越える覚悟、失敗や挫折への向き合い方、情熱を持ち続ける方法など、森本流の人生の知恵は、ぜひ日本の若者に伝えたいと思う。

 そして、70人が住む森本の村を訪れ、そのありようを見たとき、もう一つのテーマを本に盛り込もうと考えた。それは「お金にしばられない生き方」である。お金がすべてと信じこまされ、生き死にの意味を喪失した現代文明へのアンチテーゼをそこに見たからだ。

 きょう、森本さんから、日本から学生たちが村を訪問して、本が2冊売れたという。 

 みなさんも宣伝よろしくお願いします。

2017-03-14 カンボジアでカイコまつり

 カンボジアに「まつり」を撮影に行ってきた。

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 村への途上のお決まりの光景。水牛や牛、アヒルなどが道路を横切るたびに車は徐行を迫られる。

 目指すは、出たばかりの本、『自由に生きていいんだよ〜お金にしばられずに生きる“奇跡の村”にようこそ』(旬報社)のあの村。3月11日、12日に行われた「蚕まつり」を撮影に行ったのだ。

 もう暑季で、ブーゲンビリアが美しい。

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 「蚕まつり」というのは、森本喜久男さんが、生糸をとるために命を奪う蚕を供養する儀式をはじめ、それにファッションショーが合わさって、村を挙げてのにぎやかな祭となった。

 ファッションショーのモデルたちはみな村の住民で、村で作られた布をまとってポーズをつける。工房で糸をきれいにしているおばさんから4歳か5歳の小さな子もいる。

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 私は動画を撮影していたので、ショーの最中は写真を撮れなかった。蚕供養の儀式と合わせ、森本さんのフェイスブックでご覧ください。

https://www.facebook.com/kikuo.morimoto?fref=ts

 若い日本人が10人近くやってきて、村人にメイクをしていた。美容師の卵たちがボランティアで毎年日本から駆けつけるのだという。集合写真で森本さんの周りにいるのが彼らだ。いい活動をしているな。

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 挨拶に立った森本さん、こみ上げるものがあったのだろう、話し始めるとすぐ、下を向いて声を詰まらせた。それを見ていた多くの人がもらい泣きした。去年のこの時期、森本さんは体調を崩して日本におり、祭は森本さん抜きで行なわれた。それだけに森本さんも、村の人たちも、今年、一緒に祭を迎えられたことは感慨深かっただろう。

 祭のあと、村を回る。

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 日本では蚕が繭を作るのは年に一度だが、村で飼っているカンボウジュ種という蚕は、一年に八回繭を作る。今は、卵が孵化して十日ほど。まだ小さいが旺盛な食欲でみるみる大きくなっていく。繭になると、約100個を次世代用に羽化させてカイコ蛾にし、大多数は繭の状態で茹でて糸をとる。中のサナギはもちろん死ぬ。羽化した蛾は、飛ぶ機能を失っており、食べるための器官もない。生殖がすめば死んでいく。

 この蚕のサイクルを知ると、確かに供養したくなる。日本には、クジラ供養などに見られるように、ヒトがいただく動物の命を供養する考え方がある。蚕供養の儀式は、森本さんが持ち込んだ日本的なもので、それが祭となってこの地に根付いている。こうやって文化は融合していくのか。

2017-03-07 島の出版社の志

節気は啓蟄(けいちつ)に入った。

初候「蟄虫啓戸」(すごもりのむし、とをひらく)が5日から。次「桃始笑」(もも、はじめてさく)が10日から。末候「菜虫化蝶」(なむし、ちょうとなる)が15日から。冬籠りしていた虫や生きものたちが穴を啓いて出てくる時節とされている。

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 きのう書いた、ばつぐんにうまい八朔。これは民俗学者宮本常一先生にご縁がある。

 1月30日、宮本先生の37回忌が執り行われた。http://d.hatena.ne.jp/takase22/20170216

 その席上、「みずのわ出版刊行案内」という小冊子が配られた。この出版社は宮本先生の故郷、周防大島にあり、「つちのわ物産」として自社農園で減農薬みかんの栽培直販もしているという。すぐに連絡したら、今年は不作だが八朔なら用意できるとのことで、送られてきた箱には、日向夏と自家用のイヨカンと白菜の試供品がオマケで入っていた。

 「みずのわ出版」の社長は柳原一徳さんといい、宮本先生の業績を数多く出版してきた。冊子の出版紹介には、宮本先生のさまざまな本以外にも、地方の小さな出版社とは思えないすばらしい企画の本の数々が並んでいる。例えば、『花森安治装釘集成』。「装釘」とは「書物を綴(と)じ、表紙をつけ、外形を整えること。また、書物意匠。」と辞書にあるが、花森安治の装釘家・イラストレーターとしての一面があり、本という物理的な作りへのこだわりを本のようである。また、原発に反対する『はっぴーあいらんど祝島通信』など赤字必死の出版もしている。

 この「みずのわ出版」、2014年に「梓会出版文化賞第30回記念特別賞」を受賞しているが、そのとき対象になったのは次の4冊。

 『島―瀬戸内海を歩く 第3集 2007‐2008』

 宮本常一離島論集第4巻』

 宮本常一離島論集第3巻』

 神戸市戦災焼失区域図復刻版』

 実売部数は順におよそ130部、250部、250部、500部だそうだ。130部!? よくもまあ、続けてこられたものだと感心するし、これでやっていけるのかと心配にもなる。「みずのわ出版」は去年、「閉店」をいったんは決めていた。

 去年11月の『みずのわ出版刊行案内』の裏表紙には、「出版事業の、当面の継続についてのお知らせ」という文章が載っている。

 《小社では、創業20年目を迎える本年末をもって閉店を告知しておりましたが、一旦これを撤回します。過日、出版界の良心とされてきた某版元と業務上の交渉をした折、あまりの堕落ぶりと志の低さに怒りを通り越して呆れ果て、こんな奴らに任せてはおけぬと思い直しました。また、ネット・スマホ依存全盛の感のある昨今ですが、それでは文化は残らないと思います。ネット上の記事は、それが如何にきちんと書かれたものであろうとも、記録にも、記憶にも残りません。推敲に推敲を重ねた文章は、ただで読み捨てる、その程度のものでしかないネットの上に捨て置くのではなく、紙の本として後世に残さなければならないのです。この国の将来に禍根を残さぬためにも、出版事業継続にご支援のほど、何卒宜しくお願い申し上げます。》

 こういう人が出版業界でがんばっているのである。読んだ後、おまえは何をやっているのか、と叱られたような思いが残った。陰ながらエールを送ります。

2017-03-06 「伝統の森」が沖縄に?

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 先週、山口県周防大島から八朔が届いた。

 これがうまい!こんなにうまい八朔、初めて食べたような気がしたほど。周防大島は、宮本常一先生の故郷で、まだ行ったことがないが、八朔を味わいながら、海に向かって開けた斜面に黄色い実がなっている風景を勝手に想像していた。

 この八朔、ちょっといわれがあるのだが、それは次回書こう。

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 自由に生きていいんだよ お金にしばられずに生きる“奇跡の村”にようこそ』(旬報社)を読んでくれた人から感想がぼちぼち寄せられてきた。

 山形に住む高校時代の友人は、周りの人に配るので「20冊買う」とメールで注文してきた。まあ、無理しなくていいんだけど、うれしいね。

 本を介した出会いもあった。

 きょう、FBに「はじめまして」とメッセージが入って、「素晴らしい本をありがとうございました。ちなみに、本の中で、社労士やめて沖縄に移住したと言っているのは僕のことです」とある。「読み進めていたら、いきなり自分のことが出てきたのでびっくりしました(笑)」と。

 おやおや、FBはあまりまじめにやっていないが、こんな形でも人と人をつなぐんだな。

 日本から森本さんの村を訪れて、生き方を変えてしまった人がたくさんいる。その一人、「本を何冊も書いて」いる「とても著名な社労士さん」が、村を訪問したおかげで、仕事をやめたエピソードを本で紹介した。

 その人は、森本さんによると「沖縄に移住して、塩づくりをやると言ってる。それも障碍者の人たちと一緒に働ける職場環境をつくりたいって」。

 社労士の仕事って、会社を経営していくうえでの労務管理などを代行したり指導することでしょ。経営の効率と労働者の働く条件の間で、いつも矛盾の中に置かれていたというんだね。その悩みが、この村にきて、赤ん坊をそばにおいて働くお母さんたちとか働く現場を見て、本来、人間が幸せに働ける環境って何なのかということを、もう一度考え直したんだと思う」。(本の205頁)

 その元社労士さん、たしかにいま沖縄に移住しているという。

 何をしているか尋ねたら、「塩作りもやりたいと思っていますが、目的は伝統の森のような場所を作ることです。あそこに流れている幸せの空気感を作りたいと思っています。

 その空気感が非日常空間にあるのではなく、生活者のいる空間にあることが重要と考えています。」と返信があった。(「伝統の森」とは森本さんの村のこと)

 え、あの村を沖縄に作るって?

 もう5月オープン予定の施設が準備中で、さらなる土地の取得にかかっているという。おもしろそうだ。注目しよう。私信なので、これ以上紹介するのは、ご本人の承諾を得てからにする