アンナ−暗殺された女性ジャーナリスト

takase222008-01-13

今発売中の雑誌『GALAC』(2月号)に座談会が載っていて、そこで写真家の宮嶋茂樹さんやイラク取材で知られる綿井健陽さんなどとともに私も出て、戦場や危険地の取材などについて話し合っている。
しかし、最も危険なのは、戦場ジャーナリストではなく、アンナ・ポリトコフスカヤのような立場の取材者であろう。

紛争地ではジャーナリスト側が危険を避ける行動を選べるのに対して、アンナのように殺害の標的になった場合は、向こうが襲撃のイニシアチブを持ち、危険を避けることができないからだ。

この間、アンナの本を3冊続けて読んだ。『チェチェン やめられない戦争』(NHK出版、2004年)、『プーチニズム 報道されないロシアの現実』(NHK出版、2005年)、『ロシアン・ダイアリー−暗殺された女性記者の取材手帳』(日本放送出版協会、2007年6月) 。
アンナは、とにかく具体的な事例をたくさん出す。個人的に話した人、会った人が、固有名詞とともに出てきて、体験を語っては命を落としていく。
チェチェンでは、どこの町もまともな建物はほとんどなく、生き残っている人々も水道、電気、電話などのライフラインを断ち切られている。
アンナは首都グローズヌイの瓦礫の中のある家に入っていく。そこには障害者の中年夫婦が支援もなしに生きていた。冷蔵庫を開けるとそこには櫛が入っていた。
アンナはこう描写する。
《ここの、生きながらにして朽ち果てつつあるグローズヌイのがれきの下で、目にするものは人びとの苦悩以外に何もない。しかし、ほとんど穴蔵のような、そしてちっぽけなキッチンというより舞台装置のようなこの場所にこそ、生活というものをたしかに感じるとは!冷蔵庫からなぜか櫛が出てきたりするところで・・・。イワノフ町ではもう何年も前から電気が止まっていて、冷蔵庫はただ縦型の戸棚になりかわり、櫛でもしまっておくしかなかった。
ガスレンジ?この家にはたしかにそう呼ばれるものが存在する。ただしガスは止まっている。その上にのっている鍋は、単にいつか来るべき良き日をめざして努力している証しとしてそこにある。その良き日には、ガスが復旧し、外で火をおこす必要がなくなるのだ。》(『チェチェン やめられない戦争』より)
文章に独特のスタイルがある。悲惨さが胸に刻まれる。
そして、権力に噛み付くときは直裁で筆に躊躇が見られない。一切配慮をしない。配慮をするのは、身の危険のために取材協力者の名前を伏せるときだけだ。
彼女は自分が狙われていることを十分に自覚していた。しかし、アンナは立ち止まらなかった。この本の最後にはこう書かれている。
《私たちは2003年を行き抜けるのだろうか。私には肯定的な答えはない。そしてすべての悲劇はいつでも私たちを待ち構えている。2002年12月》
06年の夏、私たちはアンナにコンタクトし取材を申し込み、了解をもらっていた。さあ取材しようというとき、彼女の暗殺の報が飛び込んできた。殺されたのは10月7日。それはプーチンの誕生日であった。