セミパラチンスクと北朝鮮2

カザフスタンセミパラチンスクという場所がある。ここは旧ソ連時代、核実験場とされて、40年間にわたり467回もの核爆発が行われ、住民が甚大な被害をこうむったことで知られている。
一方、中国はウイグルで46回の核実験を行っており、ここでもすさまじい被害が引き起こされている可能性が高い。広島、セミパラチンスクを調査してきた札幌医科大学の高田純教授によれば、4メガトンという広島原爆の200倍規模の核実験を、柵も何もない人が自由に出入りしている地域で強行してきたという。高田教授はこのために、19万人が死亡、129万人に健康被害が及んだと推測する。もしこれが正しければ、セミパラチンスクとは比較にならない酷さの犯罪的行為となるが、いまだに調査をさせていないので実態は不明のままだ。
三浦小太郎さんは、セミパラチンスクとウイグルに見られた人命無視の構図が北朝鮮にもあてはまると説く。そしてこれを《政府による国民への核戦争》と名づけ告発している。
金正日も、スターリンもまた本誌で紹介された中国共産党政権も、核実験の際民衆が被害を受けることなど何ら気にかけていないように見える。その理由は簡単であり、彼らにとってウイグル民族も、また政治犯囚人たちも、国家から使い捨てられても全く構わない人間達だったからである。
 特に金正日の場合は、基本的に「国家の敵」であり、むしろ滅ぼすべき人種である政治犯達の生命を危険に晒し、また奪うことに、何らの痛痒も感じなかったに違いない。中国が東トルキスタン(新疆ウイグル)で核実験を強行し、核汚染に注意を払おうとしないのも本質的には同じ論理ではないかと思われる。これはまさに、政府による意に沿わぬ自国民(国家の潜在的敵対勢力)への「核攻撃」なのだ。
 我が日本は世界最初の被爆国である。核武装の是非は個々人の意見があろう。しかし、核の被害、それも独裁政権による「人災」をとどめようと言う意志は国民共通のものであっていいはずだ。立場を超えて、中国の核実験にさらされている東トルキスタンへの連帯の声をここ日本から挙げていくことも、日本国の重要な歴史的使命であろうと思う。
 同時に私達が忘れてはならないのは、北朝鮮政府の、また中国政府の論理が、民族を分断させ、分離させ、中華思想のもとに少数派を抑圧するものであるならば、我々のそれに対峙する精神はあくまで民族の共生と相互理解、そして自由と平等の理念に基づかねばならないことだ。
 中国共産党一党独裁中華思想は我々の敵である。しかし、核の被害は、ウイグルに住む漢民族にも降り注ぐ(放射能は差別しないのだ!)。我々が、漢民族を含む全ての中国民衆を救おう、彼らと共に民主主義と人権・自由、そして各民族文化が共催し共に反映するアジアを作り出そうという新たなアジア復興の視点に根差す所から、初めてこの問題は正しい解決が導かれるはずだ。》
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(つづく)