花束少女の謎2

 後に「赤旗」を離れ、フリーのジャーナリストになった萩原遼さんが、平壌特派員時代に撮った「金賢姫らしい少女」(『グラフこんにちは』88年3月6日号)。
 花を持ち、うつむいた少女の写真は大反響を巻き起こした。場所は、平壌郊外のヘリポートで、到着した韓国側の代表に歓迎の花束を渡す直前の少女たちのスナップである。
 外国人が撮影、しかもかつては「友党」だった日本共産党が発表したとなれば、信憑性はいや増す。だが、金賢姫はこの少女でもなかったのである。
 北朝鮮は勝ち誇って、この少女は、平壌在住の「チョン・ヒソン」という女性だとして本人を記者会見に登場させた。北朝鮮が事実をもって「勝利」したのはこのときくらいではないか。結果的には、かえって謀略説を勢いづかせた。
 花束の少女たちの中に金賢姫が居れば、金賢姫の告白は真実で、爆破は北朝鮮の工作だとなり、逆に居なければ金賢姫はウソをついており、北朝鮮工作員だなどというのは「でっち上げ」となる・・・。少女の写真をめぐる論争は「決戦場」と化した。
 答えを先に言えば、金賢姫はこの少女の隣に立っていたのである。萩原さんの写真では、前の少女の陰になり顔が隠れて見えない。
 北朝鮮が「チョン・ヒソン」を出して反論する前、萩原さんはすでに、あの少女が金賢姫でないことを知った。
 萩原さんは、89年に出した『北朝鮮に消えた友と私の物語』(文藝春秋)にこう書いている。
《そのニュース(注:萩原さんが発表した花束の少女のニュース)でわきたっているころ、赤旗編集局にある人物がわたしを訪ねてきた。よく知っているジャーナリストである。開口一番かれは言う。
 「萩原さん、あなたの発表した写真はまちがってますよ。あの『金賢姫らしい少女』と矢印をつけたのは金賢姫ではありませんよ」
 わたしはがく然とした。根拠を問うた。
 「これですよ」
 とかれは一枚の写真をみせた。わたしはああっと声をあげた。わたしと同じ花束少女の写真である。だが角度が、わたしと反対側からとっている。「金賢姫はこれですよ」とわたしが矢印をつけたその隣りの少女を指で示した。わたしの写真ではその少女は人の影にかくれているが、こちらはもろに写っているではないか!  
 金賢姫の特徴であるカミソリのように薄い耳もくっきりと写っている》
 その写真とはいったい?
(つづく)